七章 オルフェリアの決断3
「ああ。奴隷取引の方はこの書類を見せれば片がつくが、武器取引の方で向こうに先手を打たれたら泥仕合になる。あいつらもディートマルがこちらの手に落ちたことは知っているだろうから、近いうちに勝負に出るだろう」
「部下に、ディートマルを保護したとの噂を流すよう命じておきました。ディートマルは警邏隊からの取り調べにも素直に応じているようです。こちらの指示通り、スミット商会に陥れられた、と話していると報告が上がってきております」
「今回ばかりは大叔父殿も協力的になるだろう。何しろ、炭鉱行きがかかっているからね。あとは、ハレ湖の方か。マルクかシャウデンか、報告はないのか?」
現在シャウデンとマルクが協力をし、内偵を進めている。
「今日はまだですね」
ことはそんなにも早く進まないか、とフレンは頭を切り替えて山積みになっている仕事を片付けることにした。
現在ロームにはファレンスト商会の社主であるエグモントが缶詰めになっている。ルーヴェ本店を留守にしている間はエグモントの弟たちが彼の代わりをしているとはいえ、持ち込まれる書類は山のようにある。跡を継ぐ者として、エグモントからフレンにそのうちのいくつかの仕事をまかされているのだ。
書類を片しているうちに日は暮れていく。今日は帰れそうも無いな、とフレンはオルフェリアに手紙を書いて従僕に託した。できるだけ夕食は一緒に取りたかったが、今が正念場だ。シャウデンらからの報告がいつ入るかもわからない。
フレンは、この日一度もファレンスト邸へ帰らなかったことを後から後悔することになる。
すっかり日が暮れたころ、従業員の一人が恐縮そうに部屋の扉をたたいた。アルノーが扉を開けて用件を聞いた。
一言二言言葉を交わしたアルノーがフレンの元に戻ってくる。
「フレン様。お客人がいらしているようです」
「客? マルクか、シャウデン?」
「いえ。マルクの妹だと名乗っているとのことです」
「妹……」
フレンはマルクに妹が二人いることを知っている。彼は妹が大好きなようで、ことあるごとに妹の話題を口にするからだ。しかしマルクが妹を寄越すなど初めてのことだ。
「ここで考えていてもらちが明かないから、とにかく彼女に会ってみよう」
フレンはアルノーを引き連れてマルクの妹が待っている応接間へと移動した。
マルクの妹はマーナとマリーという。マーナは最近口やかましくって、などとマルクはこぼしていたが話す顔は口ほどに嫌がっていないことくらいフレンも承知している。家ではさぞかし妹二人に甘いのだろう。
応接間では小さな女の子が立ったままフレンのことを待ち構えていた。テーブルの上には水が置かれていて、少女は少しだけ息があがっていた。
「お待たせ。きみは、マーナかな?」
「うん」
マーナは大人たちに囲まれて、一歩後ろに下がった。フレンは意識してやわらかい声をつくった。
「それで、マルクの代わりにどうしてきみがやってきたのかな?」
「そうなの! 大変なの! お兄ちゃんが捕まっちゃったの。お父さんがマルクのこと連れて行って、お兄ちゃん咄嗟にわたしに、フレンに知らせろって! それで、それで」
兄の名前を聞いて、マーナは本来の目的を思い出したのか、今度は物おじせずに大きな声を出した。フレンに近づいて、おなかの辺りの服地を両手でつかんで思い切り引っ張る。
切羽詰まったように、早口でまくし立てる。
「お兄ちゃん、連れていかれちゃった! 酷いことされちゃう! お父さんたち怒っていたもの」
「ちょっと待った。どうしてきみのお父さんがマルクを連れて行って、私にそれを伝えろと彼は言ったんだ?」
フレンは状況が読めずに、マーナの言葉を中断した。
「だから! お父さんがスミット商会からお金をもらって悪いことをしていたのっ! 最近やたらと酒癖が悪くなったと思っていたの。そしたら、なんか悪いこと、してるみたいって。お兄ちゃんがつかんできて。それで、みつかちゃったの。お父さんとかほかの大人たちに!」
「なんだって」
「だから緊急事態なんだって。マリーとか、ほかの子供たちがおとりになってくれてわたしだけこっちに来たの。早くお兄ちゃんを助けて!」
マーナの言葉にフレンとアルノーは目配せをした。
どうやら早急に片を付ける必要が出てきた。シャウデンと連絡を取り、ついでにローム市内でこちらの味方になってくれそうな人物を頭の中に思い浮かべる。
警邏隊も連れて行かないといけない。
フレンはマーナとアルノーを引き連れて事務所を飛び出した。
◇◇◇
ここ数日、マルクは父親の酒の量が増えたなと感じていた。
なにより機嫌がいい。
いつもいらいらして家族に当たり散らしているのに、この数日に限って言えばそれが皆無なのだ。家に帰宅をすると赤ら顔で、上機嫌に鼻歌まで歌っている始末である。大体いつも声を荒げて「今帰ったぞ」とかなんとか言うだけなのに。
「ねえ、近頃父さんの様子おかしいよね」
マーナが声を潜める。
「うん。おかしい。だって、昨日なんてマリーにお菓子買ってあげような、とか言うんだよ」
マリーもマーナに同意をする。
父親が娘にお菓子を買ってあげる、などと言うセリフはいたって普通である。しかし、ことフィンケ家ではおかしなことだった。即席家族会議が始まるくらいには。マリーが喜ぶでもなくおかしいと姉に訴えるくらいには異常事態なのだ。
「それは本格的にやばいわ。いつもお金があると自分の酒ばかり買うのに」
「買うのにねえ」
マリーもおろおろとマルクを見る。
お菓子を買ってあげる発言でここまで娘たちに心配される父親もどうかと思うが、マルクも妹たちの意見に同意せざるを得ない。お菓子を買う余裕があるのなら自分の酒を買うような男である。そんな夫に妻は愛想を尽かし男を作って出て行った。まだ幼い娘を置いていったのだから、男と逃げたのだと踏んでいる。現に近所の奥さんたちは水場でそのように噂をしていた。(こういう噂ほど真実なのだ)
「いつからあんな、なんだ?」
マルクは最近外に出ていることの方が覆い。そのため父の様子はマーナらのほうが詳しい。
「うーん、一週間ほど前だったかな。なんか鼻歌歌って家帰ってきた」
「歌ってた。うまい酒飲んだって」
マーナとマリーは口々に言った。
「やっぱり、なんかよくないことに巻き込まれてる?」
マーナはあんな父でも一応心配しているらしい。不安そうにマルクを見つめる。
「父ちゃんを怒らすと面倒だから、おまえたち何を言われても絶対に変なこと言うなよ。機嫌よく笑ってんだから、変に勘ぐるな。俺の方で様子見ておくから」
「……わかった」
「はあい」
マーナはなにかもの言いたげだったが、不承不承返事をしてくれた。
マルクはさっそく父親の身辺調査に乗り出した。うまい酒を飲んだということは、おそらく予期せぬ金が手に入ったのだ。もしくは、金になる仕事が転がり込んできたか。
スミット商会がハレ湖で妙な動きをしているときにマルクの父が妙に上機嫌でうまい酒を飲んで帰ってきた、怪しさ大爆発だ。
マルクは子供の特権を生かして集合住宅の水場に潜入をした。奥様会議というのはこれでいて馬鹿にできない情報源なのだ。
現に、「最近うちの旦那の機嫌が妙にいいのよ」というシューマン夫人の言葉に始まって、周りの夫人たちが「そういえばうちもだわ」とか「なんか、羽振りのいい仕事が回ってきたみたい」などと口々に同意をはじめた。
「えええ、知らないわ。そんなこと」
「ええ、うちも。機嫌なんていつも悪いわよ。給金なんてこれっぽっちもあがらないわ」
「給金と言えば、ファレンスト商会ってば急に気前良くなったわよね。ホレン夫人が喜んでいたわよ」
「なんでも、失踪したっていう前の責任者が人夫の給金を使い込んでいたらしいわよ」
「やだ、なにそれ。信じられない!」
と、話がどんどん逸れてきた。
マルクはその場から去って、ほかにもいろいろと噂を集めて回った。
途中探偵のルイス・シャウデンと落ち合って、情報交換をした。その時点では父親が関わっているかもしれないことは伝えなかった。
まだ未確定だったし、もしも本当にスミット商会の武器の不正取引にかかわっているようなことがあれば、罪と問われかねない。こういう場合、たいていの場合下っ端に罪を擦り付けられるのだ。
父親をかばうというよりかは、マーナのためにマルクは口をつぐんだ。マルク本人としては父が刑務所へ入ることになろうともてんでかまわないと思っている。
ルイスからの情報によると、やはりスミット商会の荷物に武器が隠されているらしい。らしいというのは、さすがにルイス一人での内偵では限度があるからだ。かといってファレンスト商会の人間はこういう荒事に慣れていない。
砂糖の詰まっている木箱の中に武器が隠されているのだろう。知らずに運ばされるのか、それともファレンスト商会の荷物だと偽るよう細工をする手はずになっているのか。
「うまいこと荷物をあける口実があればいいんだが」
ルイスは唸る。
「うーん……。役人も臨時検査することはあるけれど、スミット商会なら金を渡して逃れそうだし」
貿易港ではまれに抜き打ちで不正取引をしていないか荷積みを検査することがある。
「金でもみ消せないくらいの何かがあれば」
「でも、それで何にも出てこなかったら」
マルクが懸念事項を口にした。
「実は先ほど連絡をもらってな。一度役人を連れてこられればあとはファレンスト氏がどうにかする」
「……だったら……」
マルクは考えながらも咄嗟に口に出した。
「だったら、俺が捕まったら?」
「何を言い出すんだ」
ルイスが大きな声を出す。
二人は慌てて周囲を見渡した。
今二人が密談をしているのは倉庫街のはずれの建物の陰だ。人通りは少ないとはいえ、用心に越したことはない。
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