六章 通じ合った気持ち6


◇◇◇



 翌日の夜。

 フレンはいつもよりも早く仕事を切り上げてオルフェリアの待つ邸へと急いでいた。馬車を走らせていると、御者から一台の馬車につけられていると申告があった。フレンはどこの陣営の者か測りかねて、結局寄り道をすることにした。


 御者に言いつけてロームで人気のある菓子店の前に馬車を停めさせる。

 オルフェリアはフレンの言いつけをよく守っている。危険だからと邸に閉じ込めているのに不満を言うこともなくおとなしく従っている。これまでだったら自分の行動を制限するなんて、と憤慨している場面だ。


 フレンは邸で待つオルフェリアのためにロルテーム菓子を吟味する。

 カウンターの目立つ場所に薄固焼きのクッキーのような菓子がたくさん陳列されている。クレープ記事のようにとろりとした生地を薄く焼いて、キャラメルをはさんだもので、量り売りで売られている。

 ほかにも彼らが大好物な不思議な味の飴も多数売られているが、ウケに走って嫌われたくはないのでやめておく。

 フレンが真剣に吟味をしているとカランと入り口のベルが鳴る。人気店だけあり人の出入りは多い。


「おや、お菓子を買うなんて。珍しいですね」

「仕事で疲れていると甘いものが食べたくなるんだ」

「なるほど。ロルテーム菓子ですか。フラデニアの菓子のほうが種類も多いですし、女の子受けするでしょうに」


 やわらかい口調だが声の持ち主は男である。デイヴィッド・シャーレン、フレンと一応面識のある男だ。

 フレンの横に並んだ男の顔をフレンは横目に眺めた。デイヴィッドは一人きりで店の中に入ってきていた。

「どうも。お久しぶりです。そういえばあなたと二人きりでお話しするのって、実は初めてですかね」


 フレンはその声に反応せずに、売り子の女に手早く注文をして、品物を受け取った。

 品物を片手に店から出ていく。

 後ろの男はフレンの後に続いて店を出た。

 すぐにアルノーが近寄ってこようとするのを目視で止めて、フレンはそのまま馬車に乗らずに歩き始める。


「ああよかった。せっかく追いかけてきたのに、話もできずに終わったんじゃ馬車代の損ですからね」

 ダヴィルドは悪びれたこともなく、フレンのことをつけてきたことを示唆する。

「それで。何の用だ?」

「まあ、単刀直入に言えばオーリィを返してもらいたくて。あなたのところにいるんでしょう。わかっていますよ」


 フレンは眉をぴくりと跳ね上げた。

 彼は今、オーリィと呼んだ。トルデイリャス領ではオルフェリアお嬢さんと呼んでいたのに。フレンは心の中にもやもやとしたものが溜まっていくのを感じた。


「彼女は私の邸にはいないよ」

 フレンは嘯いた。


 オルフェリアは今もまだロームのファレンスト邸に寝泊まりしている。今朝、邸を出るときに頬への口づけをねだったら睨まれた。

「嘘はいけませんよ。彼女まだここにいるでしょう。そもそも、せっかく取り戻したオーリィを、あなたが手放すとも思えない」

「よくわかっているじゃないか」

 今度はフレンも認めた。


「それにしても今回はやられました。あれ、あなたの作戦なんですか? あの日、オーリィが部屋からいなくなってバスティは半狂乱でしたよ。少ししてシモーネが部屋から置手紙らしき切れ端を持ってきて収拾がつきました。『実家に帰ります』なんて書いてあったけど、あなたのところに身を寄せるのが自然な流れです」

「悪いけど、私の手引きではないよ」

「とすると、彼女一人の力で? 邸の者はだれ一人味方に付いていないって言っていたのに」

「そりゃあ、雇い主の手前誰だってそう言うんじゃないかな」


 フレンはそらっととぼけた。

 マルクの存在はまだ隠しておきたい。

「彼女は本当に実家に戻る予定だったみたいだよ。令嬢の一人旅なんてとんでもないから、私が慌てて引き留めた。彼女はリシィル嬢の妹だったな、と納得したよ」

「ああ……確かに」

 ダヴィルドがどこか遠い目をして同意した。男性二人が妙に意気投合する。


「それで彼女はバスティのところから小切手も持ち出したというわけですか」

「なんだって?」

 フレンは驚いた……ふりをした。


 デイヴィッドはそんな彼の顔を見て、肩をすくめる。

「ま、どっちでもいいですよ。彼女はあなたから頂いたダイヤモンドの前金分の小切手も持ち出したんです。あの状況下で金庫に入っている小切手を持ち出せる人間なんてオーリィ以外に考えられないですからね。一応、ほかの可能性も調べましたが、動機がない」


「小切手を紛失させたからって私に因縁をつけるつもりかい?」

「まあいいですよ。あなたがそういう立ち位置を選ぶのなら、しばらく付き合って差し上げましょう。派手な落札合戦になりましたからね。どのみちしばらく競売への再出品は……あなたが金欠で支払いができないというのなら別ですが、どうします?」

「わたしはそんな貧乏じゃない。払えというなら払えるさ。ただ、オルフェリアに怒られてね。しばらく代金の支払いは待ってもらう。その間に失くした小切手も探しておいてくれないか」


 フレンは失くしたという言葉を強調した。

「オーリィのためにけなげですね」

「きみ、いい加減その、オーリィって呼ぶのやめないか」

 フレンは先ほどから気にかかっていたことを口にした。

 自分以外の男がオルフェリアのことを親しく愛称で呼ぶのが気に食わない。


「それは個人の勝手でしょう」

 デイヴィッドはフレンの言葉をばっさり切り捨てた。

「彼女は私の婚約者だ」

「ああ、一応そういうことになっていますね。今回だって警邏隊のところに相談に行ったんですよ。それなのに、どこかの誰かさんが根回ししていたのか、家族間の問題はそちらさんたちの中で解決してくださいなんて言われて取り合ってもらえなかったんです」


 フレンはカリティーファやリュオンから届いた手紙を警邏隊へ見せて、現在のメンブラート家の内情を彼らに示した。

 伯爵が長らく生家を留守にしていることや、不在の間にオルフェリアが婚約をし、家族も認め、アルンレイヒ社交界の中でもフレンとオルフェリアの婚約は周知のことで王太子夫妻も認めていると言えば彼らとしてもこれ以上バステライドの主張を取り上げることはしない。

 所詮は他国の貴族の家の話であって自国のことではないからだ。それでなくても警邏隊などは貴族階級のもめごとに口をはさむことを忌諱する傾向がある。


「それはどうも。アルンレイヒで私たちの婚約は公然のことだからね。それをしっかり説明したまでのことだ」

「僕は納得していません。あなたが、オーリィの無知に付け込んだだけでしょう。彼女は、まだ十六歳だった。十六歳の、男も碌に知らない純粋な乙女だった。そんな少女をだますなんて簡単でしたでしょうね」

「何が言いたい?」

 フレンは剣呑な声を出す。


「僕がオーリィのことを好きだって話です」

 フレンは立ち止まってデイヴィッドの顔を見つめた。あいにくと冗談を言っているような顔には見えない。挑む様に、フレンに冷えた視線をよこしている。


(こいつ……やっぱり)

 年末に初めて会ったときからいけすかない男だと思っていた。


「彼女は私のものだ」

 フレンは内心からふつふつと湧き上がる感情を押さえて、冷静な声を出すよう努めた。

「だから、なんだっていうんです? 現にバスティは認めていない。残念ことに、僕のことも認めてくれていないので、そこだけはおあいこなんですけど」

 デイヴィッドは一転して大げさに息を吐いた。まるで今朝の朝食にきらいな食材を出された子供のように気落ちしてみせる。

「それで、どうして私にそんなことを言うんだ?」

「一応宣戦布告です。あなたのその、オーリィのことを世界一愛しているのは自分だけ、みたいな態度をみているとむかついてくるので」

「現にその通りなんだから仕方ないじゃないか」


「オーリィは男を知らないだけです。たまたまあなたが最初にかっさらった。僕だってずっとバスティから話を聞いていて、彼女のことを知っていたのに」

「出会ったのは私が先だ」

「恋は早い者勝ちじゃないですよ」

「早い者勝ちじゃなくてもオルフェリアは私のことを愛しているし、きみのことなんか歯牙にもかけない」


「うわー。腹立ちますね。その言い草」

「何とでも言ったらいいよ。そもそも、彼女のことを想うなら、今すぐにでも伯爵を説得しようとは思わないのか。彼女一人だけ家族から引き離すことに加担しないで、まずはメンブラート家全員で家族会議を開くよう舞台を整えた方がいいんじゃないのか」


 フレンは彼女にとっての最善を答えた。

 バステライドの元に返すという考えはフレンの中にない。彼がアルメート共和国に移住したいというのなら、家族全員が集まる場で話し合えばいいのだ。


「そしたらオーリィはついてきてくれないじゃないですか」

「当たり前だろう。彼女は私と結婚するんだ」

 フレンの言葉にデイヴィッドがむっと唇を曲げる。

「大体、どうして伯爵はあれほどまでにオルフェリアに固執するんだ? 彼女は、確かに幼少時不遇だった。けれど、六人も子供がいてオルフェリアだけ特別扱いなのは正直解せない」


 フレンは自信の疑問を口にする。

 バステライドと話し合ううちに、フレンの中で疑問に思ったことだ。彼はあくまでオルフェリアを連れていくことに執着をしている。ユーリィレインや双子姉妹などほかの子供たちのことは二の次だ。


「そりゃあ、バスティにとってオーリィがかわいそうな子供だからでしょう」

 デイヴィッドはあっけらかんと言い放つ。

 フレンは眉根を寄せる。

 その、かわいそうな子供というのもフレンの中では消化不良だ。

「よくわからないな」


「ま、バスティとってそれがすべてなんですよ。自分の境遇と重ねているところもありますから」

 デイヴィッドはそれだけ言ってくるっと体を翻す。そのまま反対方向へ歩いていこうとする。フレンはデイヴィッドを呼び止めた。

「行くのか?」

「ええ。今日はちょっと、あなたと話がしたかっただけですから。僕の気持ちも含めて伝えておきたかったんです」


 デイヴィッドはひらりらと手を振ってそのまま立ち去った。

 フレンは後ろからゆっくりと彼らの後をついてきた馬車に乗り込むことにした。

 正直いけすかない内容だったけれど、彼が接触してきたことで得ることもあった。ロームの警邏隊は、少なくともオルフェリアの所在については関知しないことにしたということだ。

 根回しをしておいた甲斐があったというものだ。


 フレンは今度こそ急いで邸へ戻った。

 玄関広間から階段を上がり、二階のオルフェリアの部屋へと急ぎ足で向かう。


 扉を開けると続き間となっている居間に彼女はいた。

「フレン、おかえりなさい」

 オルフェリアは立ち上がってフレンの方へ近寄ってきた。フレンは従僕に上着を預ける。手振りで合図をすると従僕とミネーレが部屋から出て行った。

「ただいま、オルフェリア。変わったことはない?」

「ええ、なにも」


 フレンはオルフェリアを抱きしめた。

 腕の中に、フレンは可愛い婚約者を閉じ込める。オルフェリアは少し身を固くして、それから少しためらうようにフレンの背中に腕を回す。少しした後、彼女は自身の顔をフレンの胸に摺り寄せた。

 まだ緊張しているのだろう、その初々しい仕草もフレンは大好きだった。彼女が自分に心を預けてくれていると実感できるからだ。


「あ、あの……フレン。少し離して」

 オルフェリアの言葉を聞いたフレンは名残惜しかったけれど腕を解いた。


 お土産を渡すのも忘れている。お茶を入れてもらって二人で食べようか、などと思案しているとオルフェリアがフレンの肩に手を置いて、フレンの体を傾けようとする。フレンはされるままオルフェリアの方へ体を寄せた。

 そして。

 やわらかいものがフレンの頬に当たる。


「え……」

 思わず呆けるフレンに、オルフェリアは気まずそうに彼から視線を逸らす。

「あ、あなたが……頬に……くちづけて、なんて……言うから」

 今朝行きがけにフレンはオルフェリアにそんなことをねだった。ちょっと調子に乗りすぎたかな、なんて反省していたのに、彼女は律儀にもお願いを遂行しようと機会を狙っていたのか。

 頬を真っ赤にして小さな声で説明をするオルフェリアを目にしたフレンは自身の心が春の日差しを受けて温まるような錯覚を覚える。


 愛おしくて、オルフェリアのことを抱きしめた。

 オルフェリアが、自分の意志でフレンに触れてくれたことがうれしくてたまらない。帰宅前のデイヴィッドとの会話の内容も吹き飛ばしてくれる破壊力抜群の彼女からの愛情。

「フ、フレン」

 ぎゅっと力を籠めると、腕の中から困惑した声が上がった。

「きみが可愛くて仕方ないよ。今すぐにでも私のものにしてしまいたい」

「わたしは……とっくにあなたのものよ」

 オルフェリアのけなげな言葉がフレンの耳をくすぐる。想いを通わせてからというもの、オルフェリアはフレンにまっすぐに気持ちを伝えるようになった。


「ありがとう」

 私のものにしてしまいたい、それは心だけではなくてきみ自身の体も含めてなんだけど、という俗っぽい考えをフレンは頭の中に押し込んだ。

「そうだ。お土産を買ってきたんだ」

 フレンは熱い想いを冷ますように別の話題を振った。従僕がテーブルの上に置いていった菓子袋をフレンは持ち上げた。


 彼女に菓子の入った袋を見せると、オルフェリアは興味深そうに袋を受け取って中身を見分する。「おいしそうね」と微笑んでから、オルフェリアはミネーレを呼んでコーヒーとお茶を入れるよう指示をした。

 やがて飲み物が運ばれてきて、二人は長椅子に並んで腰かけて一息入れる。 


「今日は何をしていたの?」

「刺繍をしたり本を読んだり。地図を解読してみたり」

「地図?」

「そう。エーリクが、ディートマルとの宝探しごっこが中断になっているって言っていたから、だったらわたしと続きをしましょうって提案をしたの。そうしたら地図を描いてくれたのよ」

 オルフェリアは長椅子から立ち上がって、居間の隅にある書き物机の上から紙を持ってきた。

 固形絵具を使って色とりどりの色で塗られた紙である。


「へえ。男の子ってそういうの好きだね。海軍と海賊に分かれて宝探しごっこをしたり。私も従弟たちと昔したことがあるよ」

 海に面したロルテームやフラデニアでは、海軍と海賊は子供たちに人気の冒険物語のテーマなのだ。

「わたし、ディートマルって嫌な人だと思っていたんだけれど、エーリクにとっては優しいひいお祖父さまなのよね」

 エーリクと遊んだオルフェリアは、彼視点で語られるディートマルの姿に、何か思うことがあったのだろう。「フレンにしたことは正直ひどいと思うけれど」と複雑そうに漏らした。

 フレンはオルフェリアの頭にぽんと自身の手のひらを置いた。


「オルフェリアは、そのままでいいんだよ」

「なあに?」

「いいや。なんでも。それにしても、この地図もずいぶんと個性的というか、彼は一体どこに何を隠したんだい? 緑色ってことはどこかの公園なのかな」

 フレンはオルフェリアが手に持っている地図を眺める。紙は緑色で塗られていて、ところどころ青い色も使われている。単純に絵を見たイメージとしてはそれこそ森や水辺といったところだ。


「これは彼がどこかの部屋や建物を森や島に例えて描いているの。想像力豊かでしょう」

「なるほど」

 子供の発想は大人の想像力を超える。

「ディートマルはどうやら何かの紙を持ってきて、エーリクに大切な宝物って言ったのよ。彼はその紙を宝の地図と思ったみたい。得意そうな顔で絶対に見つからないなんて言われると、解読したくなっちゃって」


 オルフェリアは眉根を寄せている。エーリクから聞き出したヒントによると、どこかの広場だか公園らしい。ロームの地理に詳しくないので行き詰っているとのことだった。

 フレンはオルフェリアから聞いた言葉を胸の中で反芻していた。

 ディートマルが預けて行った何かの紙。

 大切な宝物と言ってエーリクに隠させた。


 先日所在が明らかになったディートマルは、おおむねは従順にエグモントにスミット商会と交わした秘密交渉の内容を打ち明けたが、証書のありかだけは頑として答えなかった。最後の嫌がらせか、とエグモントは立腹していたが、ディートマル自身子細は不明と言って譲らなかった。

 確かに、ひ孫との遊びに乗じて彼に隠させれば証書のありかなど誰にも分らない。


 フレンは立ち上がった。

「フレン?」

 オルフェリアはお茶の入ったカップをテーブルの上に置いた。

「ああ、ちょっと用事ができてね。今日は遅くなるから先に休んでいて。ここ数日は忙しくなるかもしれない」

「ええ。気を付けてね」

 フレンの声色から何かを察したオルフェリアは少しだけ声を落とした。

 緊張した面差しのオルフェリアのことをフレンは引き寄せた。唇に軽く触れたあと、フレンは出かけて行った。


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