六章 通じ合った気持ち5

仕事の矜持から一転彼の瞳は昏く変貌する。フレンとエグモントを交互に見やる。

「どのみち叔父上の進退は二つに一つです。すべての責任を背負って刑務所に入るか、療養院で静かな余生を送ってもらうか。選択の機会くらいは与えて差し上げますよ。どちらがいいですか」


 エグモントは最終通告を口にした。

 これ以上余計な手間をかけたくはない、というのが彼の本音だ。そもそも、ディートマルが行方をくらますから長引いた。


「刑務所だと? 私は何もやっていない。すべてはファレンスト商会本部からの指示によるところだ」

「私が書いて寄越したと、あなたが残しておいたメモ書きは偽物だと判明しました。こちらもこれ以上の茶番に付き合っている暇はないんですよ。ロームの役人にはすべてディートマル・ファレンストが独断でしたこと、という結論で事件の収集を図るよう調整してもらっているところです。だから、あなた本人が今見つかったので、これで終わりです」

 エグモントは冷静だ。


「そんなことをしたら」

「ええ。そんなことをしたらファレンスト商会の信用は一時的には無くなるでしょうが、あくまで一支店の暴走です。名誉挽回の機会は山のようにありますよ。叔父上の非道な労働条件のおかげで倉庫の人夫たちの不満もだいぶ溜まっていましてね。本来支払われるべき給金を提示したら感謝されたくらいです」


「奴隷取引の刑罰はたしか……北のリンゲン島での強制労働でしたっけ」

 フレンは何気ない口調で会話に加わった。


 ロルテームでの奴隷取引の刑罰は刑務所に入れられるか、もしくは北の海に浮かぶリンゲン島での強制労働のどちらかだ。

 島の炭鉱で採掘作業に従事することになる。

「まさか……」

「そのまさかです。北の島は夏も短く、真冬の厳しさも格別だとか。それに比べて療養院での静養だと、孫とひ孫も会いに凝れる」


 ディートマルはエグモントの言葉に顔色を失った。ディートマルの年齢を鑑みても、普通なら刑務所での服役が妥当だろう。炭鉱送りなど、それこそ連続殺人などの重大な事件を起したのなら例外だが、普通は年齢が考慮される。


「なにが……望みだ」

 ディートマルは屈服した。

 悔しそうに喉の奥から声を絞り出す。木の椅子に座った老人は、もういくらか老け込んだように、フレンの目に映った。

「簡単なことです。スミット商会との裏取引についてすべて吐いてもらいます。あなたのことだ、いざというときのために証拠くらい隠しているのでしょう。だから、スミットはしつこくファレンスト商会の事務所に張り付いている」

 ディートマルの持っている情報を手掛かりスミット商会が裏で糸を引いていた、と世間に知らしめるのだ。


「別に、私が用心深いということでもないよ。スミットの性格だ。あれでなかなか神経質なところも持ち合わせているらしい。あいつから契約書を、念書を書いてお互いに持っていようと提案してきたんだ」

 観念したのかディートマルは先ほどよりも流暢に話を始める。

「念書、だと」

「ああそうだ。奴隷取引を使ってファレンスト商会を潰し、その後の分け前について記載した書類だ。やつも同じものを持っているはずだ」

「で、それはどこに? 大叔父殿、今持っているんですか?」

 フレンが口を挟む。


「ここにはない。一緒に持っている方が危ない。隠したよ。絶対に見つからないところに」

 ディートマルの瞳に再び生気が宿る。

「教えてもらいましょうか」

 エグモントが詰め寄る。

「実はな、私も詳しい場所は知らんのだ」

 ディートマルがにやりと笑った。


 フレンは舌打ちをする。

 この期に及んで、何を言い出すんだ、この血縁は。


「私にとって最大の誤算はナタートと、それから、あの男だ。メーレンベルフと名乗った優男。一回の商人ではないだろう、そんなことみんな気づいていたさ。振る舞いが洗練されすぎていたからな」

 ディートマルは言葉を続ける。

 エグモントは黙ったままディートマルの声に耳を傾けている。そのまましゃべれということだ。


「やつは昨年末、私がロームに戻ってきてから接近してきた。おまえのことを根掘り葉掘り聞かれた。あの男は、世間には隠しているが、自分こそがおまえの婚約者の父親だと私に打ち明けた」

「で、あなたは素直に私の悪口を彼に吹き込んだわけですね」

「あいつが、スミット商会を唆したに違いない。実際、やつはうまくやったよ。ナタートをスミットに紹介したのもあいつだろう。彼は私にちらりと漏らした。娘を攫った男にはそれ相応の報いをするつもり、だと」

「ああ、そのことでしたらすでに本人から聞き及んでいますよ。もちろん、私はただでやられるつもりはありませんけど」


「ふんっ。これを聞いてもそんなこと言っていられるかな」

 それからディートマルは、もう一つ話を始めた。

 それを聞かされた時。フレンとエグモントは声を失った。


◇◇◇


 フレンを見送った後、オルフェリアは彼の言葉に従って邸の中でおとなしくしていた。久しぶりに再会したミネーレは、お嬢様の世話ができることにいたく感激をして室内にいるだけだというのに園遊会にでも行くのか、というくらいおめかしをさせられた。化粧を施されて髪の毛までこてで巻かれた。


 ずっとむさいおっさんしか視界に入らなくて辛かったです、と彼女はさめざめと泣いてみせた。


 それらに律儀に付き合ったオルフェリアはフレンから渡されたメンブラート家から届いた手紙に目を通していく。

 リュオンからの手紙は、とりあえずどれも父への怒りに満ちたものだった。彼自身寄宿学校に通っている身で、今すぐに駆け付けることができないもどかしさを抱えている。リュオンの焦燥が文面から伝わってくるようだ。


 オルフェリアが驚いたのは母カリティーファが頻繁にフレンに手紙を送ってきていたことだった。

 確か、バステライドはカリティーファからは手紙が届かいないなどと言っていた。夫にはなんの沙汰もないのに、娘の婚約者とはずいぶん頻繁にやりとりをしていて驚いた。


 といっても文通というよりもフレンを励ますために一方的に送ってきているような類のもので、『わたしはあなたとオルフェリアちゃんの結婚に賛成しているわ。あの子が自分で選んだのだもの。わたしは彼女の意志を尊重します』『もしも、夫の息のかかった者や役人に何かを言われたのなら、わたしの名前を迷わずに出してちょうだい。前に送った手紙も見せてもらって構わないわ。メンブラート伯爵家はオルフェリア・レイマ・メンブラートとディーとフレン・ファレンストの結婚に賛成をしています、と言っていると伝えて頂戴』などと書かれている。


 カリティーファのオルフェリアらを後押しする言葉の数々に、涙が浮かんでくる。

 彼女の意志を尊重します、という言葉がとてもうれしい。

 カリティーファはオルフェリアの選んだ相手を認めてくれている。それがとても心強い。


 カリティーファに続いてリシィルとエシィルからの手紙も入っていた。

 二人ともやっぱり同じように、オルフェリアたちの間を認めていることと、結婚式を楽しみにしていると書いてあった。

 リシィルは二人の婚約が偽物だと知っているのに、二人はお似合いだよ、なんて書いてあって胸がいっぱいになる。


 もしかしたら、あのころからオルフェリアはフレンに恋をしていたのかもしれない。それを、リシィルは感じていたのだ。オルフェリア自身が気づかない心の内を、姉は見透かしていた。


 エシィルは、こんなときに体調を崩して申し訳ない旨と、体調は回復に向かいつつあると伝えてきた。

 オルフェリアはほっと胸をなでおろした。エシィルが謝ることではない。

 いろいろと重なったのは偶然だ。

 手紙を書けるくらいには体調は回復したのだろうか。だといいのだけれど、とオルフェリアは遠く離れた姉の健康を祈る。


 家族からの手紙に励まされていると、階下からミネーレがオルフェリアを呼びに来た。

 フレンの従妹が邸を訪れて来たとのことだ。

 オルフェリアは手紙の束を机の上に置いて部屋を出た。先ほどミネーレに付き合って外行きのドレスに着替えていたため、特に準備をする必要もなくオルフェリアは部屋から出て、階段を降り家族用の居間に向かう。応接間に比べると使っている調度品も少しばかり見劣りがするが、その分普段使いできる。


「こんにちは。オルフェリア・レイマ・メンブラートと申します」

 オルフェリアはひざを折った。

「はじめまして。リューレア・ノーデルメールよ。こっちは息子のエーリク。五歳になるの。ほら、エーリク。ご挨拶は?」


 オルフェリアよりも数歳年上の、二十代前半くらいの容貌をした女性だ。髪の毛は既婚の女性らしく結い上げられている。彼女は挨拶をしたオルフェリアのことを上から下へさっと視線を移動させた。

 銀色の薄い緑色の瞳をした婦人は傍らの小さな男の子に話しかける。

 母親譲りの銀色の髪をした幼子はリューレアのドレスの裾を掴んで、はにかみながらオルフェリアを見上げる。

 オルフェリアは唇を持ち上げた。


「……はじめまして、おねえさん」

「初めまして。オルフェリアよ。オーリィか、リーアとか、好きに呼んでね」


 オルフェリアはにこりと笑って、エーリクと目線が合うように膝を曲げた。

 エーリクは一拍おいてリューレアの後ろに急いで隠れる。しかし、好奇心を隠し切れないように、ドレスに押し付けていた顔を、それから離しオルフェリアのことをしげしげと観察をする。

 じぃっと見つめてから、にこりと笑った。


「エーリク、一緒に遊んでもらったらどう?」

 リューレアが助け舟を出してくれた。


 母親の言葉にエーリクはゆっくりした動作で顔をこくんとまげた。

 リューレアはエグモントの招集命令にうんざりしているようで口数が少ない。

 大きなため息を隠すこともなく、一人掛けの椅子に座っている。


「ママ最近ご機嫌斜めなの」

 エーリクは声を潜めてオルフェリアに離した。子供のしたり顔を見て、オルフェリアはどんな反応をしたらいいか迷った。


 あまり余計なことを言うとこちらにお鉢が回ってきそうだ。

 エーリクはファレンスト邸に通い慣れており、おやつを食べつつ持ってきた紙に絵を描き始める。

 オルフェリアはその横でエーリクの描く絵を眺める。一緒に遊ぶというより、完全に一人遊びの様相だ。


 エーリクは一人っ子で、普段オルフェリアのような年の女の子と接点がないのだ。接点がないということは年上の女の子と何をして遊べばいいのかも分からない。

 そんな図式が彼の中で成り立ったため、エーリクはおとなしく絵をかくことにした次第である。

 オルフェリアはエーリクの描く絵をまじまじと眺める。固形絵具を使って描かれているが、緑色が多い気がする。


「何を描いているの?」

 オルフェリアは質問をしてみた。

 絵を描くことに熱中していたエーリクは一度手を休めてオルフェリアのほうに顔を向けた。

「地図だよ」

「地図?」

 オルフェリアは復唱した。

 ということは緑色の部分は森なのだろうか。


「うん。地図。これはね、宝の地図なんだ」

 エーリクは得意そうに笑った。

 オルフェリアに興味を持ってもらって嬉しくなったのだ。

 エーリクは今日初めて会ったきれいなお姉さん相手に自分の武勇伝を話し出す。


「実はね。僕はひいお祖父ちゃまと宝探しごっこをしているんだ」

 エーリクは横を向いてオルフェリアの耳の辺りに自身の両手を筒状にして秘密ごとを打ち明ける。

「宝探し?」

 オルフェリアはエーリクが親には知られたくない、という意向を汲んで小さな声で質問をした。

「そう。宝探し。僕がひいお祖父ちゃまの宝物を隠して、ひいお祖父ちゃまがそれを探すんだ。もちろん、ひいお祖父ちゃまが僕の宝物を隠すこともあるよ。僕、隠すのも見つけるのもうまいんだよ」

 エーリクは胸を張る。

 オルフェリアは少し意外に思った。フレンに何かと嫌がらせをしかけているディートマルしか知らないから、こうしてひ孫と良好な関係を築いている彼のことが意外だったのだ。


「これはその地図なの?」

「そう。前にひいお祖父ちゃまが宝物を持ってやってきたんだ。で、僕が隠してひいお祖父ちゃまが見つける番だったのに、今はひいお祖父ちゃま、ほかのおじちゃまだたちとかくれんぼしてるんだって。僕も探したいのになあ」

「そうなの。早く会えるといいわね」

「うん。宝探しごっこの続きしたいよ」

 エーリクはさみしそうに、足をぶらぶらさせた。椅子に座っているけれど、まだ地面に足がつかないのだ。


「この部屋の中でなら、わたしが宝探しごっこに付き合ってあげるわ」

「え、いいの?」

 エーリクは目を輝かせる。

「もちろん」

 オルフェリアは頷いた。


「じゃあ、何を隠す?」

「そうねえ……」

 オルフェリアは少し思案して、自分の髪の毛につけていた飾りを取り外した。薔薇の造花と真珠でできた飾りピンだ。

「これはどうかしら」

「うん。宝物みたい! このあいだひいお祖父ちゃまが持ってきたのは、ただの紙だったんだ。こっちのが海賊の宝物みたいだね」


 エーリクはご機嫌顔でオルフェリアにてきぱきと指示を始める。

 隠すところを見られないようするために、一時リューレア含めて外に出ているように言われ、二人して居間から追い出される。

 隠し終わったあと、エーリクは素早く紙に地図を書いてくれた。どうやら、この地図を頼りに探せというらしい。地図はやっぱり緑色で、ところどころ山や川などが書き込まれている。居間の椅子やテーブル、暖炉を自然風景などに当てはめているのだ。

 子供の想像力は面白い。


「うちの子のお遊びに付き合ってくれて悪いわね。あの子も退屈しているのよ。普段なら公園とか、家の庭とかでそれこそもっと大がかりなのよ。ま、こっちはけがの心配でやきもきするんだけれど」

 リューレアは息子の宝探し遊戯に付き合うそぶりも見せず、再び椅子に座って読書を再開した。

 一度始めるとなかなか面白くて結局オルフェリアはエーリクたちが帰る時間ぎりぎりまで一緒に遊んだ。

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