七章 オルフェリアの決断1

「まったく、なんのためにおまえたちと手を組んだと思っているんだ」

 部屋の中に神経質そうな声が響き渡る。唾を飛ばしながら大声でしゃべる男はアウスタイン・スミットである。

 眉や目じりに皺の寄った初老の紳士は部屋の中をうろうろと行ったり来たりしている。落ち着こうにもどうにも体を動かしていないと平静でいられないのだ。


「まあまあスミットさん。落ち着いて」

 デイヴィッドがやんわりと彼をなだめる。

「これが落ち着いていられるか! いいか、商会一つ潰すのにどれだけの時間をかけていると思っている? それに、ディートマルがエグモントに保護されたという話が入ってきたぞ」

 アウスタインの剣幕にバステライドは小さく嘆息した。こういう男は嫌いだ。

 気の短い、短気な男は付き合っていて面倒くさい。


「ディートマル一人どうってことないですよ」

「奴は私との取引の証書を保持しているんだ! あれを出されれば私も捕まるんだぞ」

 秘密取引の書類など、どこか一か所で保管しておけばよかったものを。

 絶賛奴隷取引やその他黒い取引を行っているスミット商会にとってみれば、秘密取引を記した書類など命取りそのものだ。

「大丈夫ですよ。そのためにもう一つ仕掛けを用意しているでしょう」

 バステライドはやわらかく目じりをさげた。ファレンスト商会を潰すもう一つの仕掛け。

 その言葉を聞いてアウスタインはやっと平静を取り戻したようだ。


「あ、ああ。そうだな。あれが動けば今度こそひとたまりもないだろう」

 アウスタインは先ほどまでの苛立ちから一転、顔に笑みを浮かべる。

「ええ。本当に。私も可愛いオーリィを攫おうとする男に制裁を加えることができてうれしいですよ」

 念には念を、とアウスタインの裏の顔、違法武器取引の証拠をファレンスト商会に擦り付けることを考えたのはバステライドだ。


 表向きアルメート大陸から砂糖や煙草などを輸入しているスミット商会の裏の顔は奴隷商人であり、武器商人だ。

 現在ディルデーア大陸では各国軍が所持できる兵器の数が割り振りされている。この割り振りは国際会議で決められているが、公平さをめぐっては意見の分かれるところである。特に、近年内紛が絶えないリューベルン連邦や、その内部地域への武器輸出には各国が目を光らせている。

 スミット商会は、いや、アウスタインはリューベルンに点在する反皇帝派に武器を横流ししているのだ。


「これを機にあなたもそういう黒い商売から足を洗ったらどうです?」

 バステライドはアウスタインに提案してみた。

 別にバステライド自身彼の裏の顔と直接関わり合いはないけれど、彼と共倒れという筋書きはごめんである。

「なにを言っているか。私はロルテームの商売人だ。売れるものはなんでも商品に加えるのがロルテームの商人たる証だ」

「それが時代にそぐわなくなってきているんですよ。だから、ファレンスト商会だって今は窮地に陥っていますよ」

 窮地に追い込んだ片割れであるバステライドはしれっと言う。


「ちょっと前まで奴隷商売は違法でもなんでもない、金の生るうまい商売だった。南大陸から人間を連れてくればいくらでも売れたのに。なにが人権だ、尊厳だ」

「まあ、時代の流れってやつですね。表向きの商売への出資や協力はいいですけど、裏の顔にまでは付き合いきれませんよ」

「ふんっ。おまえさんにそこまで期待はしていないさ。利害が一致している間だけの短い付き合いなのは百も承知だ」

 アウスタインは根っからの商売人なのだ。それも野心が有り余る金の亡者である。これは改心など諭しても無駄な徒労というものだ。


(ま、せいぜい利用させてもらうさ)


 最後の仕上げの打ち合わせを終えて、バステライドは帰路についた。

 隣を歩くのはデイヴィッドだ。

 彼とも奇妙な縁で結びついている。最初は歴史学者という触れ込みだったのに、いつの間にかバステライドの右腕となり、密偵の真似事をしてみせたり、実業家の顔を持つようになった。元来器用なのだろう、与えられた役割をそつなくこなしてしまう。


 重用する一方、いつの間にか愛娘オルフェリアに懸想をしていた。これがバステライドの悩みの種なのだ。信頼できる腹心だが、娘の相手としてふさわしいかといえばそれはまた別問題だ。

 なにしろデイヴィッドは自分で認めるくらい腹黒だ。それよりもまずバステライドは当分の間オルフェリアを嫁に出す気はない。


「そろそろ仕上げの時ですね。船の予約も取れましたよ。一等個室」

「そうか。ようやくだね」

「オーリィとの船旅、楽しみだなあ」

「きみね、そのオーリィって愛称。使っていいのは私だけだよ」

 バステライドは横を歩くデイヴィッドにくぎを刺した。いつの間にか彼までもバステライドに倣ってオルフェリアのことをオーリィなどと呼び始めてみた。


「えええ~、いいじゃないですか。可愛いし」

「可愛いのは当たり前だ。私の娘だよ。だからきみにはやらない」

 バステライドはもう何十回も忠告した言葉を再度口にする。

「ファレンストより僕のがいいと思うけどなあ、お義父さん」


 バステライドは頬を引くつかせた。

 最近デイヴィッドはこうしてバステライドをからかってくるのだ。フレンとデイヴィッドどちらがオルフェリアの夫としてまだましか、答えはどちらもふざけるな、である。

「お義父さんとか呼ぶんじゃない。とにかく、私はこれから行くところがあるからきみはきみの仕事をしたまえ」


 バステライドは強引に話を打ち切って馬車に乗り込んだ。

 乗り込んで、一人冷静になって考える。数日後の客船でバステライドはオルフェリアをアルメート大陸へと連れて行くつもりでいる。船にはデイヴィッドとシモーネも同乗する。絶対に、道中あの男とオルフェリアを二人きりになどさせるものか。


 娘を持つ父親というのは気苦労が絶えない。

 そもそもバステライドの最大の誤算がオルフェリアの婚約だった。まだまだ子どもだと思って油断していた。それが、ある日彼女が婚約したという噂が聞こえてきた。


 ちょうどアルメート共和国からロームに戻ってきたときのことだ。噂を集めていると、ディートマル・ファレンストが意味深な発言が飛び込んできた。

 彼の又甥でオルフェリアの婚約者だというディートフレンという男は、自分の金の力に物を言わせて、オルフェリアの実家への援助と引き換えに婚約をしたというものだった。なるほど、一理あるとバステライドは認めた。窮地に陥った貴族の娘が成金の元に嫁に行くのは最近ではよくある話だからだ。


 大嫌いなメンブラート家のために、どうしてオルフェリアが好きでもない男と婚約をする必要がある。

バステライドは意図的に借金を作った。もちろん、新天地での事業資金は潤沢な方がいい。メンブラート家に借金を残していき、伯爵家の財力を徐々にそぎ落としていくことが目的だった。

 その間にバステライドはアルメート共和国での基盤をしっかり作り上げるつもりだった。実際それはうまくいっていた。現在バステライドはアルメート共和国に財産を築いている。事業として、ホテル経営も行っている。


 それなのに。

 どうして彼女が伯爵家のために犠牲にならなければならない。オルフェリアはメンブラート家の被害者なのに。謂れなき罪を着せられた可哀そうなオルフェリア。


 再会したオルフェリアはことあるごとにファレンストのことばかり話をする。

 金持ち実業家に買われたと思っていたのに、オルフェリアは明らかにディートフレン・ファレンストに恋をしていた。

 それはそれで面白くなかった。

 オルフェリアにはいつまでも純粋で清らかなままでいてほしい。バステライドの理解者でいてほしかった。二人は似ているのだ。同じ悲しみを背負っている。

 オルフェリアはバステライドにフレンとの仲を認めてほしい、伯爵家を潰すなんてやめてほしいと繰り返す。


 挙句の果て、混乱に乗じて家を飛び出してしまった。あの日の出来事は鮮明に覚えている。予期せぬトラブルやら来客やらに紛れてオルフェリアは逃げ出した。

 行先は分かっている。

 ファレンスト家へ向かったのだ。それとなく、部下を彼の邸宅へ見張りにやらせると案の定だった。

 今度もロームの警邏隊に助けを求めたが、根回しをされていて取りつく島もなく迷惑そうな顔をされた。お家騒動に関わるほど暇ではないと言外に言われた。


「でも、まあ、お遊びもここまでだよ」

 馬車が止まり、バステライドは優雅な笑みを浮かべる。


 人に会うために一人で訪ねてきたのだ。

 彼にとっても悪い話ではないだろう。

 娘をアルメート大陸へ連れていくためバステライドはなんでもする。

 今度こそ可愛い娘は返してもらう。


 新しい土地で一から始めよう。

 なんのしがらみもない土地で家族で暮らそう。伯爵家なんて終わらせてやる。

 それがオルフェリアにとっての幸せなのだ。恋などと言っているが、そんなもの一時の熱病に過ぎない。目を覚まして新しい場所にともに行こう。きっと、素晴らしい世界がきみを待っている。

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