六章 通じ合った気持ち3
◇◇◇
オルフェリアはフレンによって元の部屋へと連れていかれた。
途中心配そうに成り行きを見守るミネーレにフレンは「私がいいと言うまで、絶対に何があっても部屋に入ってくるんじゃない」と険しい顔で厳命をくだし、ミネーレが何を反論しても取り合わなかった。
オルフェリアとしてはこれから始まるお説教に内心びくびくする。
これは、絶対にフレンから怒られる。
なにしろオルフェリアはとんだ醜態をさらしたから。偽装婚約の相手を好きになって、勢い余ってその想いを暴露してしまった。
今すぐ穴があったら入って埋まりたい。そのまま永久に埋まっていたい。
オルフェリアを部屋へと招き入れたフレンはぱたんと扉を閉めた。
部屋の中に二人きり。
先ほども同じく二人きりで密談をしていたけれど、そのときよりも部屋の中がしんとしているように感じられる。
部屋に入った二人は、そのまま向かい合い、立ったままだ。
オルフェリアはフレンに、腕をずっと掴まれているので逃げ出すこともできず、彼に付き合ってそのままたたずんでいる。
沈黙を破ったのはフレンの方だった。
「私は相変わらず駄目だね。女の子にあんなことを言わせるなんて」
「え……?」
あんなこと。それはオルフェリアが、さっき言った言葉の数々のことだろうか。
「今度はちゃんと、それこそ、契約期間が終わったら私から言おうと思っていたんだ。私はきみのことが好きだ。もうずっときみのことを一人の女性として愛するようになっていた」
フレンはオルフェリアの頭を自身の胸へとやさしく引き寄せた。
頭に触れられた手が、いたわる様にゆっくりと動かされる。
フレンの言葉の意味を、オルフェリアは頭の中で反芻する。
いま、聞き間違いじゃなければ、彼はオルフェリアのことを愛していると言った。
「……うそ……」
オルフェリアは呆然とつぶやいた。
「嘘なんてつかないよ。ずっと一緒にいるうちに、きみに惹かれていった。きみの、言葉を飾らないところとか、一生懸命なところとか。顔に出さないだけで実はミーハーなところとか」
「なに、それ……」
最後の一文の意味が分からなくてオルフェリアは突っ込みを入れた。
「物怖じしないところも好きだよ。ぽんぽん言い合うのも実は結構楽しかった。きみが私の側にいてくれたから、本当の意味でレカルディーナを過去にすることができたんだ」
オルフェリアはフレンの方へ顔を傾けた。明るい緑色の瞳がこちらをまっすぐに見つめている。
てっきり怒られるかと思ったのに、聞かされたのはそれとは正反対の言葉ばかりで。
「そんなの……」
「信じられない?」
彼の瞳はとても穏やかだった。
じっとオルフェリアだけを瞳に映している。フレンを見つめていると、彼の口にしている言葉がじわりじわりと、オルフェリアの胸の奥へと染み込んでくる。
「きみへの気持ちを自覚したのは、トルデイリャス領へ行ったとき。きみが泣いていたら慰めたいし、いつも笑っていてほしい。きみを傷つける者がいたら許さないし、きみが幸せだと私もうれしい。だから……ダイヤモンドだって競り落とした。きみを愛しているから。でも、ごめん。きみをそんなに追い詰めているなんて思わなかったんだ。どうするのが最善か、もう一度二人で考えよう?」
至近距離でそんなことを言われて、オルフェリアは顔を真っ赤にした。
「うん……」
今度はオルフェリアも素直に応じた。
フレンは引き寄せたオルフェリアの頭を愛おしそうに撫でる。彼の手のぬくもりが心地よかった。
「わたし……、実家から帰ってきて、あなたのことを考えると、いつも心がざわざわしたの。会えないとさみしくて仕方なくて、会えた日はとてもうれしいの。そんな日が続いて……」
オルフェリアは一生懸命自分の気持ちを言葉にした。
「そう」
正直に自分に起こった出来事を口にすると、フレンが笑みを深めた。
「わたし、ずっとあなたが好きだったのね。ルーヴェにあなたが一人で帰ってしまって、さみしくてさみしくて毎日がとても長かった」
「あれは……その、ごめん。私も色々と袋小路だったものだから……。私も、きみに会えなくて毎日さみしかった」
フレンの手が、オルフェリアの頭から頬へと移動する。彼の指がオルフェリアの頬を滑る。
この仕草が好き。少しだけ乾いた手のひらの感触。手袋越しでない彼の体温。それを受け止めることに、いつの間にか慣れてしまっていた。
「誕生日の日、わたし本当にうれしかったのよ。あんな風に二人で出かけられて。あなた、とても優しかった。まるで夢を見ているようだった」
「私もあの日は楽しかったな。花の中にいるきみはまるで妖精のように可憐で可愛かった」
「わたし、あの日、本当にドキドキしたのわ。あなたに口づけされるんじゃないかって……」
と、そこまで言ってオルフェリアは慌てて下を向いた。
そんなこと、今いう必要はないのに。
これではまるで、オルフェリアが口づけをねだっているようにもとられかねない。そんな、はしたないことするつもりないのに。
「オルフェリア、顔あげて」
それなのにフレンはそんなことを言う。
「……や」
恥ずかしく無理だ。
だって、今わたし。とても赤い顔している。
オルフェリアは逃げ出したくなって身じろぎをした。けれど、彼のもう片方の腕がオルフェリアの背中に回されていて、びくともしない。
「オルフェリア」
オルフェリアの背中に回されていない、フレンのもう片方の腕がもう一度、オルフェリアの頬を滑る。
ゆっくりと、彼の手によってオルフェリアは顔を傾けさせられる。決して強い力じゃないのに、見えない力に導かれるように、オルフェリアは再び彼と視線を絡める。
「オルフェリア」
「……フレン」
二人は互いの名を呼んだ。
二人とも、確かに熱を持っていた。
気が付いたとき、オルフェリアの唇はフレンのそれで塞がれていた。
暖かくて、やわらかな感触に、一拍おいてオルフェリアは自分の置かれている状況を理解した。
触れるだけの優しい口づけはほんの数秒で離れて行った。
けれど、お互いの鼻がくっつくくらいの距離で彼は、「嫌だった?」と聞いていた。
オルフェリアは目をつむって頭を振った。
だから、彼がどんな顔をしたのかわからなかった。ただ、「そう」と少し弾んだ声を出して、再び唇を塞がれた。
触れるだけの口づけを短い間隔で何度も受ける。次第に長くなり、やわらかく食まれるうちに、やがて口づけは深まっていく。
呼吸が苦しくなり、オルフェリアはどうにか身じろぎをしてフレンに窮状を訴えた。
彼が長い口づけの末オルフェリアから離れたとき、息が上がっていて、短い間隔で何度も息を吸い込んだ。
オルフェリアはフレンに長椅子へと連れていかれ、彼に抑え込まれるように、座らされ、彼が覆い被ってくる。
何度も唇を食まれ、角度を変え彼はオルフェリアの唇をむさぼる。
「フレン、くる……しい」
「すぐに慣れるよ」
口づけの合間に抗議の声を上げても、結局は彼にふさがれる。
オルフェリアはフレンを受け止める。
次第に力が抜けてきて、オルフェリアは長椅子に体重を預けた。それなのに、彼にはこの行為をやめてほしくないだなんて、頭の隅で考えている自分いる。
長い時間だったのかもしれないし、時間なんてあまりたっていなかったのかもしれない。
荒い呼吸をしつつ、オルフェリアはフレンを見上げる。
「わたし、あなたの側にいたい。あなたに、愛されたい……あなたの一番になりたい」
オルフェリアは自分の願いを囁いた。
「もうとっくにきみは私の中で一番だよ、オルフェリア。愛している。私の、本当の恋人に、いや、妻になってほしい」
「つつ妻?」
「そんなにも驚くこと?」
フレンがくすりと笑った。
「だって……、あなた結婚しない主義だと思っていたから……その……」
ルーヴェでもそんな話題を口にしたことがあった。
「愛する人ができたんだからずっとそばにいたいし、いてほしい。……駄目かな?」
至近距離で二人の視線が絡み合う。
オルフェリアは駄目じゃない、という思いを伝えたくて頭を左右に小さく動かした。
「わたしなんかで……いいの?」
「きみがいいんだ。ずっと側にいてくれるね?」
オルフェリアはこくりと頷いた。
あなたの側にいたい。ずっとオルフェリアが望んできたこと。
熱を帯びたフレンの瞳がオルフェリアを覗き込んでいる。
オルフェリアはゆっくりと長椅子のうえに押し倒され、彼は床に膝をついたままオルフェリアの上にかぶさる。
彼に促されるように、オルフェリアは口を開く。
先ほどと同じように、深い口づけがおちてきた。
「ん……」
甘い吐息ごとフレンに飲み込まれる。
彼の熱に応えたくて、オルフェリアは両腕をフレンの背中に回した。
幸せってこういうことを言うのかな、とオルフェリアは霞む頭の片隅でぼんやり考えた。好きな人から、好きを返してもらって、彼から嘘のない気持ちを感じることができる。
その日、二人は痺れを切らしたミネーレが扉を大きな音で叩くまで幾度も口づけを交わしあった。
◇◇◇
翌朝。
オルフェリアはフレンがこれまで私室として使っていた部屋で寝泊まりをし、そのまま彼専用の居間で運ばれてきた朝食を口にしている。
ローム市内にあるファレンスト邸はルーヴェのそれより格段に狭く、しかもフレンの父エグモントも滞在中でオルフェリアが使えるような空き部屋がなかった。
フレンはミネーレに命じて寝台のリネン類を取り替えさせ、オルフェリアに使うよう言った。
もちろんオルフェリアは悪いから、と固辞したのだがフレンに却下された。
ちなみにフレンはアルノーの部屋へと移動した。
まだ朝も早い時間、オルフェリアはフレンと一緒に朝食をとるため早起きをした。
「オルフェリア、よく眠れた?」
実はよく眠れなかった。
原因は目の前のフレンだ。
けれど、これを言うと本当に恥ずかしいのでオルフェリアは小さく「ええ」と頷いておいた。
「本当? 少し顔色が悪いけれど」
「大丈夫」
フレンがオルフェリアを覗き込む。
いつもだったら覗き込むだけで終わらせるのに、今日に限ってはそのあと体を寄せてきて、こめかみに口づけをされた。
フレンも、オルフェリアの横で朝食をとっていて、丸テーブルは階下の食堂のテーブルよりも格段に小さく、ということは密着度も上がる。しかも正面で相対するのではなく、二人とも隣並びなのである。
「フ、フレンたら」
オルフェリアは抗議の声を上げたがフレンはどこ吹く風だ。
「私の婚約者が可愛くて」
フレンは悪びれずににっこりと笑った。
オルフェリアは恨みがましい視線を彼に送った。昨日だって、彼から受けた深い口づけのせいで、眠れなかったのだ。
いや、別にフレンが離してくれなかったとか、そういうことじゃなくて、単にオルフェリアが寝台に入ってまで、夕刻の出来事を思い出して無駄に心臓を騒がせたのだ。
だって、口づけなんてもちろん初めての経験で。それなのに、彼ったらちっとも手加減をしてくれなくて。唇を通して、彼のオルフェリアへの想いが伝わってくるような、優しくも情熱を持った口づけは、オルフェリアには刺激が強すぎた。
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