六章 通じ合った気持ち2

◇◇◇


 それからオルフェリアはフレンにファレンスト邸へと連れてこられた。

 ホテル住まいはとっくにやめて今はローム市内のファレンスト邸で寝起きしているとのことだった。

「お嬢様! ようやく、ようやく再開で着てミネーレうれしいですわ!」

 ファレンスト邸でのミネーレの感激ぶりもすさまじかった。煙突掃除人の恰好をして現れたオルフェリアに一瞬おののいたものの、すぐにお風呂の支度をしてきます! と言って上階へ消えて、しばらくした後再び戻ってきた彼女に、オルフェリアは攫われた。


 大きな浴槽に暖かな湯が張られ、オルフェリアはその中で丹念に洗われた。

 髪も顔も手足もすべて香りのよい石鹸で洗ってもらい、どこに用意してあったのか真新しいドレスを着せられた。

 髪の毛はまだ少し濡れているけれど、気になるほどではなかった。


 身綺麗になったオルフェリアはフレンの待つ、彼の私的な居間に入室した。香りのよい紅茶と焼き菓子が出され、お茶で口の中を潤していると、フレンが入ってきた。

「いつものオルフェリアだね」

 フレンは相好を崩した。

「さっきは、その。驚かせてごめんなさい」

 オルフェリアは改まった声を出した。


「まったく。まさか煙突掃除人にまぎれて邸を脱出するとはね。マルクにはあとできつく言っておかないと。きみの無茶の手助けをするなんて」

「彼を叱らないで! わたしが無茶を言ったのよ。彼のおかげでわたしずいぶんと助かったのよ」

「わかっている。彼はとても頭が回る子だね。助かっていのは私も一緒だよ。ただ、苦言は呈しておかないと。きみは本当にいつも無茶をする」


「無茶をした自覚はあるわ、今回に限っては」

 オルフェリアは素直に謝った。


「それで、どうしてきみは抜け出してきたの?」

 オルフェリアはびくりとした。

 ついに本題だ。


 オルフェリアは立ち上がって、部屋の隅に置かれている掃除夫の服を持ち上げた。ミネーレに言って運んでもらったのだ。上着の内ポケットの中から紙切れを取り出してフレンの元に戻る。

 彼の前のテーブルの上に紙切れを置いた。


「これは……、私の書いた小切手……だね」

「ええそう。これを、返しに来たの。わたしも、あの場にいたから」

 オークション会場とすぐに察したフレンが目を丸くした。


「これは私がメンブラート伯爵に渡したものだよ。ダイヤモンドの対価として」

 フレンが厳しい視線でオルフェリアを見据える。意図がわからない、といったように。

 オルフェリアもまっすぐにフレンを見つめ返す。

「あなたは、あのダイヤモンドを落札してどうするつもりだったの?」

 オルフェリアは堅い声を出す。

 フレンは黙った。言葉を探しているのか、彼にしては長い沈黙だった。

 やがて彼は観念したように、長い息と一緒に言葉を吐いた。


「……きみにあげるつもりだった」

 オルフェリアは用意してきた言葉を口にする。

「わたしたちはこれ以上あなたに頼ることはできないし、あなたのお金をこんなことに使ってほしくない。だから、これはあなたに返却する」

「そのために、きみはわざわざ脱走してきたの?」


「そうよ。こんなものいらない。必要ないもの。あなたが、わたしたち一家のごたごたに巻き込まれる必要なんてない」

 その言葉にフレンの顔色が変わった。

 少しきつく言い過ぎたかもしれない。

 オルフェリアはいつもここぞというところで失敗してしまう。


「必要ないって。それ、どういう意味?」

 案の定フレンは機嫌を損ねた。

 先ほどまでの、オルフェリアを気遣うような柔らかな声音はどこかにいってしまった。


「そのままの意味。ねえ、フレン。あなたいくらであの首飾りを落札したかわかっているの? あれだけあれば、あなた自分のためにいろいろなことができるわ。それを、どうしてあんなことのために使ったの?」

「あんなことだって?」

 フレンの声が気色ばんだ。


「ええ。だって、あなたがあんな大金を払う必要なんてないじゃない」

「私は! きみのために。……いや、これは私の自己満足だよ。きみが悲しい顔をするのを見るのが嫌だった。だから気にしなくていいんだ。お金を返せとか、そういうつもりはないから」

 フレンは訴えるように大きな声を出したが、すぐに我に返って言い直した。


 けれどオルフェリアは納得できない。

「返すに決まっているじゃない。ねえ、どうしてあなたどうして偽装婚約者のわたしにそこまで親切にできるの? わたし……つらくなる」


 オルフェリアはぎゅっと膝の上でこぶしを握った。

 いろいろな感情が混ざり合って、涙が浮かぶ。フレンの前だとオルフェリアは途端に泣き虫になる。感情なんて、これまで心の奥底に閉じ込めてきたのに。それはフレンの前だと途端に決壊する。

 オルフェリアはぎゅっと歯を食いしばって涙を引っ込めた。


「それは……。きみのことが、心配だから」

「そんな心配いらない。わたしつらくなる。あなたにこんなにもたくさん借りをつくって」

「借りじゃない。ただの、通りすがりの親切だ。だから、そんなに気にすることなんてない」

「気にするに決まっているわ!」

「だったら、いつかメンブラート家の事業が軌道に乗ったら、少しずつ返してくれればいいから」

「だから、今返すから。あなたはこれを受け取って頂戴」


「これを受け取ったらあのダイヤモンドはどうなるの?」

「オークションは終わったもの。お父様の手元に残ることになるわ。次にオークションに出すまでの間に、なにか打つ手を考える」

 オルフェリアは自分の考えをフレンに答えた。

「それだと根本的な解決にならないじゃないか。私が買い取れば、所有権は私に移る。あとは私がきみたちにダイヤモンドを返せば丸く収まるだろう?」


「それが嫌なのよ!」

「オルフェリア。それの何がいけないんだ」

 二人とも自然に声が大きくなる。


「フレンの馬鹿! なにも、なにも分かってない。そんなこと、あなたにこれ以上の大きな借り、作れるわけないじゃないっ」

「きみはそんなこと考える必要なんてないんだ。どうしてわかってくれないんだ」

「わかってくれないのはフレンの方よ! あなたからこんなことされてもわたしちっともうれしくない!」


 その言葉にフレンは傷ついたように顔を歪めた。

 違う、こんなこと言いたいわけじゃない。


「そう……。きみは、きみの考えはわかった」

 まるでオルフェリア自身を拒絶するような声。フレンの拒絶を目の当たりにして、オルフェリアの頭の中で何かが切れた。


「……わかってないじゃない! あなたのほうこそ、全然わたしのこと考えてくれていない。あなたはわたしからすべてをとりあげることになるのよ! こんな、大きな借りを作ったら、わたし……わたし、あなたに好きって言えない。わたしの気持ちまであなたは取り上げているじゃない!」


 オルフェリアは一気にまくしたてた。

 言葉の意味なんて考えてなかった。

 売り言葉に買い言葉だった。


「好き……だって……?」


「ええそうよ。わたしフレンのこと好きだわ。言っておくけれど、リルお姉様がいうところの、お友達としての感情じゃないわ。ずいぶんと前から、あなたのこと一人の男性として恋している」


 と、ここまで口にしてオルフェリアは自分が今とんでもないことを口走ったとようやく自覚した。

「あ……」

 自覚して、オルフェリアは慌てて両手で口元を押さえた。

 しかし、今更口元を押さえても出してしまった言葉は戻らない。


 しまった。

 やってしまった。

 まさかのタイミングで、なんという告白をしてしまったのだろう。


 オルフェリアの顔が瞬時に赤くなった。

 フレンは、案の定というか、オルフェリアの気持ちなんてまるで想定外だったのだろう、ものの見事に固まっている。


「そういうことだけど。あなたに迷惑をかけるつもりはないし、出ていくわ。さようなら」


 いち早く立ち直ったオルフェリアは最後に挨拶だけして手早く部屋から出て行った。

 とにかく、気持ちが知られてしまった以上ここにはいられない。

 オルフェリアはあわただしくフレンの部屋を辞して、階段を下りた。


「お、お嬢様?」

 途中ミネーレの驚いた声が聞こえた。申し訳ないけれど立ち止まっている時間はないので無視をする。

「オルフェリア! 待つんだ」

 階段を下りている最中フレンの声が聞こえた。

 けれど、立ち止まることはなかった。

 玄関広間までやってきて、ファレンスト商会の社員らも立ち止まってオルフェリアのことを眺めているその合間を縫うように、オルフェリアは扉に手をかける。


 早く、早くロームを離れよう。

 オルフェリアが外に出て、玄関アーチの階段を降りようとしたとき。


「オルフェリア!」

 フレンが追い付いて、オルフェリアの腕を取った。

「どこへ行くんだ」

「……実家」


 固い声で返事をすると、フレンの盛大なため息が聞こえた。

「ここからいったいどれだけ距離があると思っているんだ。それに……、言い逃げなんて、許さないよ」


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