五章 ダイヤモンドの行方と大脱走2
◇◇◇
オークション屋敷はローム市内中心部から少し南の地区に位置している。
百年ほど前の当時の国王が作らせた小劇場を改装した建物は、紆余曲折を経て現在のオークション会社へと渡った。
フレンは金に物を言わせて今回のオークションの客としての資格を得た。
「おや、やはりファレンスト氏でしたか。ミュシャレン以来ですな」
雑然とした会場で、顔見知りと挨拶を交わしているとフレンに話しかけてくる男がいた。
振り返ったフレンは相好を崩した。
「これは、ルーエン卿。その節はお世話になりました」
ミュシャレンで一度屋敷を訪れたルーエン侯爵である。
収集家でもある侯爵は、ロームでのオークションに顔を出したいと話していた。
「いやはや。えらいことになりましたな。あなたが今ここにいるのは……誰の差し金だろうか」
なにやら含みのある言い方である。
「誰とは……。私個人の買い物があってここにいるだけですよ」
「今回のメンブラート家の宝物の件、あれは伯爵の独断のようだね。長いあいだ行方知れずだった伯爵が姿を見せたと思ったら急に一家の宝物をオークションに出すなぞ。伯爵家はつくづく面白い話題を提供するのが好きと見えますな」
フレンは何も言わずに小さく肩をすくめた。出品物はあらかじめ前室で目にすることができるし、目録も出回っている。
今更隠したところで、メンブラート家のダイヤモンドが出品されていることは周知の事実だ。今日のオークションの目玉の一つ言ってもいい。
「ファレンスト氏はミュシャレンを不在にしていますからな、知らないじゃろう。ミュシャレンの新聞に記事がでたんじゃ。メンブラート家が代々伝わるダイヤモンドの宝飾品をオークションにかけると」
初耳だったフレンは小さく息をのんだ。
その反応にルーエン卿は満足げに目を細める。
「さてさて。氏の今日の目当てが何になるのか。伯爵家の思惑はなんなのか。ライバルにならないようせいぜい祈っていますよ」
ルーエン卿は言いたいことだけ言ってフレンを置いて別の人物の元へと去っていった。
メンブラート家の動向については完全にフレンの私的なことで、現状ミュシャレンの動向までは手が回らない。リュオンらも手紙では何も知らせてきていない。
リュオンのことだから一家の恥とばかりに余計なことを知らせていない可能性もある。
やはりバステライドは本気のようだ。
王家の姫君によってもたらされたダイヤモンドを競売にかけることが公になれば伯爵家の面子など丸つぶれである。
それを狙ってのことだろうが、容赦のないやりようである。
ルーエン家とメンブラート家は目立った交流などない。今現在のつながりといえばリュオンとホルディが同じ寄宿舎で先輩後輩だったというだけである。現侯爵からしてみれば、格式高い伯爵家の珍事を野次馬根性丸出しで観察するくらいが丁度よい距離感なのだろう。
もしかしたらダイヤモンドを競り落とす気があるのかもしれない。
開始の時間が迫ってきて、場内はいやが王にも熱気が立ち込める。
静かな闘争心が人々の間からうかがい知れる。
いくらかして、壇上に支配人らが登場した。彼らのおきまりの口上から始まり、いよいよオークションが開始される。
「まず最初の品は、今から二百年ほど前に活躍した画家マネーケ・ミホーツクの初期の作品……」
近年収集家たちの間でロームのオークションが熱いと聞いたが、確かに今日出品されている品物はどれも高価なものばかりだ。マネーケの作品は現在どれも高値で取引をされているし、その次の品もリューベルン連邦のとある王国ゆかりの宝飾品だ。
次々とまばゆい宝飾品や絵画、はたまた遠い南方諸国王家の黄金細工などが競り落とされていく。
(値段も、高値が付きやすいな)
近年発展を遂げているアルメート共和国では金持ち連中がこぞって伝統ある美術品や宝飾品を買いあさっているという。
「なかなかすさまじい値段ですね」
フレンに話しかけてきたのは、ルーヴェの宝石商に紹介をされたロームに店を構える古美術商の男だ。
彼の紹介もあり、フレンは今日このオークション会場の参加資格を得ることができた。
「さすがにアルメート大陸の金持ちは気前がいいですね」
フレンは苦笑を禁じ得ない。
アルメート大陸は約百五十年前に入植を開始したこともあり、歴史は浅い。アルメート共和国より南に位置する既存の王国の歴史はもっと古いが、ディルデーア大陸からの入植者と衝突を繰り返し、こちらの大陸へ旅することはまれである。
「私どもも、最近はなかなか手が出せずに、もっぱら出品のほうに回っているしだいでして」
と、フレンらが話している傍らでもリューベルン連邦由来の飾り棚がそんな値段で? という高値で落札をされた。女性が使う机の上に置くような小さな飾り棚である。三百年ほど前のもの、との触れ込みだったからもしかしたら娘などに見栄を張りたいアルメート人が競り落としたのかもしれない。
「これは私も油断できないですね」
フレンは軽い口調だが、内心気を引き締めていた。
次は、いよいよ件のダイヤモンドの番だ。
オークション前、前室で出品物の展示がされていたとき、多くの人がダイヤモンドを食い入るように眺めていた。多くの者が競売に参加するだろうことは容易に想像することができた。
係員の手によってうやうやしく運ばれてきたダイヤモンドの首飾りと耳飾り。
黒いベルベッドの布の上で厳かに光り輝いている。
「さて、次の品は本日のオークションの目玉の一つでもありますアルンレイヒ王国の国宝級の宝飾品。ディルデーア大陸でも屈指の名門メンブラート家所蔵の姫君の首飾りと耳飾り。もちろん本物です。落札した暁には、当時の姫君が伯爵家に輿入れた際に描かせた肖像画をお見せするとの言葉を伯爵より賜っております」
司会役の男の言葉に場内がざわめく。
「あれが噂の」とか「ローダ王朝の姫君が持参したダイヤモンドですな」「このような品物を目にすることができるとは」など、フレンの耳にも会話のいくつかが入ってくる。
もちろんフレンはよおく知っている。
なにしろ一度間近で見ているからだ。ダイヤモンドを身に着けたオルフェリアは文句なしに美しかった。
「では、一万キューイから始めます」
開始の合図だ。
「十万」
「二十万」
「三十だす!」
「五十万」
開始早々値段がどんどん上がっていく。
「八十万」
フレンも声を張り上げる。前評判では五十万キューイくらいがせいぜいだと言われている代物である。ダイヤモンドの価値というよりかは、背景にある歴史的価値に対しての金額だ。
その金額を超えた額をフレンは提示する。これで他の者たちがあきらめてくれればよいと考えてのことだ。
隣の古美術商の男もフレンの飛ばした金額に目を向いている。
フレンは本気だった。
本気でオークションでダイヤモンドを競り落とすつもりでいる。
「八十万がでました。ほかに、ほかにどなたかいらっしゃいませんか」
司会の男が声を張り上げる。
フレンの出した金額を聞いた何人かは「あれはファレンスト家の」「たしか、メンブラート家の令嬢と婚約したと」などひそひそとうわさ話を繰り広げる。
「しかし、伯爵は否定していますよ」
「お家騒動というわけですかな」
フレンも好奇の目にさらされる。
「八十二万」
―おおお―
フレンの金額を上回る声に会場からどよめきが沸き起こる。
「八十五万」
フレンはすかさず値を吊り上げる。
「百万」
しわがれた、しかしよく通る男の声に会場を静かな興奮が包み込む。
何しろ百万だ。いきなりの大台突破にフレンも内心臍を噛む。もしかしたら競争相手はアルメート共和国の成金なのかもしれない。
フレンはちらりと声の方向を盗み見た。 声に比例するような、五十を超えたような年の男だ。距離があるので身を包む服装の詳細まではわからない。
「百五万」
フレンは負けずに声を出す。
内心、そろそろ相手に根を上げてほしいと祈りを込めながら。
「百五万入りました。どなたか、これより上を提示するお方はいらっしゃいませんか」
「百六万」
男はしつこかった。
フレンは内心舌打ちをした。
すぐに動かせる金額にだって限度がある。
「百十万」
けれど、フレンは言わずにはいられない。
(オルフェリアには今度こそ嫌われるだろうな)
彼女はこういう風にフレンに借りをつくることを良しとしないだろう。手紙にも書いてあった。ダイヤモンドのことは気にするな、と。それなのに、フレンは自己満足で今日この場にいる。彼女の憂いた顔を見たくない。いくらフレンに頼らないと口で言っても、家宝が人手に渡れば彼女は傷つくだろう。止めることができなかったと悔いるにちがいない。
打ちひしがれるオルフェリアなどフレンは見たくもないし、金で解決できるならフレンはその方法をとるまでだ。
それに、バステライドに対する意地と見栄もある。結局フレンはまだ若く、若さゆえに一度走り出すと止まらない一面だって持ち合わせている。オルフェリアは怒るだろうが、すべて伯爵の思い通りにはさせるものか、という意地があるのだ。
「百十万。百十万」
司会役は場内をゆっくりと見渡す。
フレンは競争相手のほうへ顔を向ける。
悔しそうに口元を歪めている。
しかし、ぎりりと歯噛みをするのみで、彼はフレンより高値を言おうとはしない。
「ほかに誰かいらっしゃいませんか」
いくら意地があろうとも、さすがにフレンとしてもこれが精いっぱいである。
フレンの個人資産の半分以上を占める額だ。メンブラート家への支援額の何倍もの金額だ。ちなみにメンブラート家の財政面が立ち行かないのは、先祖代々のゆかりの品や土地を売るわけにはいかないからであって、これらの価値を含めればフレンの個人財産なんか軽く吹っ飛ぶほどのものをメンブラート家は持っている。(しかし古い家に多いように、美術品は多く所蔵していてもすぐに動かせる現金はあまり持ち合わせていないのだ)
フレンは短くない時間をじりじりと待った。
男はついに声を出すことはなかった。
「百十万キューイで五十四番の方が落札です」
司会役の厳かな声が響くと、感嘆とも、驚嘆とも取れない声が場内に鳴った。
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