五章 ダイヤモンドの行方と大脱走3
◇◇◇
「まったくとんだ番狂わせだよ」
バステライドはロームの新聞を片手に不機嫌だ。
「いやあ、予想を超える超高値が付きましたね。さすがは国宝級のお宝だ」
相手をするデイヴィッドはしたり顔でうんうんと頷く。
「超高値が付いたのはいいけれど、新聞には面白おかしく掻き立てられるし。たまったものじゃないよ。『娘婿との確執か? 自作自演か』なんて、悪趣味だ。私は彼を娘婿だなんて認めていないよ」
バステライドは新聞の記事を折り曲げて大きな声を出す。
オークションで予想外の高値が付き、しかも競り落としたのが現在ロームをまことしやかに騒がしているファレンスト商会の人間と言うこともありロームの新聞各紙が面白おかしく記事を書いた。
「ははあ。バスティとファレンストが結託して値を吊り上げ、高値でダイヤモンドを売ろうとした、ってことですか」
「そうだよ」
おかげでバステライドは今日も顔を出した会合で嫌味を言われた。もしくは好奇心旺盛に、色々と尋ねられた。
フレンが妨害をしてくるな、とは思っていた。競り落とすかもしれないと予感めいたものはあった。なにしろ彼は金持ちだからだ。
「ま、だったらファレンストに落札して持ってよかったじゃないですか。これで競争相手の老紳士が落札していたら、本気で因縁をつけられていたかもしれませんよ」
バステライドはしぶしぶ黙った。
その通りかもしれないからだ。
しかし、これでダイヤモンドの所有権はフレンに移ってしまった。彼は大金をはたいて落札したダイヤモンドの首飾りと耳飾りをオルフェリアに返すのだろうか、タダで。
フレンのような商売人が何の見返りもなく、あんな大金を?
まさか。
これでオルフェリアに恩を売ったつもりなのだろうか。彼女を一生自分の元に縛り付けておこうという算段なのか。
「彼からお金はもらったんですか?」
「あのあと、小切手で前金は受け取った」
「なるほど。で、いくらほど?」
デイヴィッドは好奇心を刺激されて質問をする。
「きみも下世話だねえ。彼だって、そんなにもすぐに現金を用立てることなんてできないよ。元々複数回に分けて支払う気でいたようだ」
バステライドはやんわりと答えた。
受け取った小切手は邸の金庫の中に入れてある。もともとダイヤモンドを売った金額でアルメート共和国の首都ダガスランド郊外に大きな屋敷を買おうかと思っていたのだ。家族全員一緒に住むなら、ダガスランドの街屋敷では手狭だし、なにより彼自身田舎の方が好きだ。
「これでオーリィに恩を売ったつもりなのだろうかね」
「そうなんじゃないですか。それで、そのオーリィの様子は?」
「オルフェリアと呼ぶように言っているだろう。……彼女はふさぎ込んでいて部屋に籠城しているよ」
オルフェリアはオークション会場でフレンを見つけて、彼がダイヤモンドを超高額で競り落としたことにショックを受けたらしい。バステライドとも口を利かずに、彼女はそのまま邸の部屋に駆け込んだ。
そのまま彼女はずっと部屋でふさぎ込んでいる。オルフェリアがどうしてそのような行動に出るのか、バステライドは測りかねている。
「へえ、どうしてまた」
デイヴィッドは首をかしげた。
どうやらこの男も十代の少女の気持ちなんてものは理解できないらしい。そんな男にますます娘はやれない、とバステライドは意気込む。とはいえバステライド自身オルフェリアの気持ちなんてさっぱり理解できていないことは棚に上げている。
「知らないよ。年頃の女の子気持ちなんて」
「そりゃあ、そうですよね。わかっていたら、バスティ今頃オーリィと仲良しさんですもんね」
「失礼だね。私は昔からオーリィとは仲良しだよ」
現在恋人(バステライドは断じて認めていないが)と離れ離れにしたせいでオルフェリアの機嫌を損ねているのは棚に上げておいてバステライドは堂々と言い放つ。
バステライドは別に意地悪をしているわけでもないのだ。年端もいかない娘の早まった行動を是正しようとしているだけだ。
「今は絶賛衝突中じゃないですか」
「うるさいよ」
てっきり婚約者(何度も言うが、バステライドは認めていない)がダイヤモンドを競り落として感激したと思ったのだが、どうも違うらしい。シモーネによれば、何かをするわけでもなく、じっと眉根を寄せて座っているか寝台の上で膝を抱えて横になっているかしているとのことだ。
昔から感情をはっきりと表に出さないのがオルフェリアなのだ。ここ最近の怒り顔が珍しいことだったのだ。
「まあそのうち出てくるだろう。一応食事はとっているようだから、心配はしていないけどね」
「そうですか」
「それよりも……」
バステライドは表情を引き締めて会話を変えた。
◇◇◇
まさかフレンがダイヤモンドを競り落とすなんて。オルフェリアは手紙でも伝えたのに。余計なことはするな、と。
それなのに彼はオークション会場に現れて、あろうことかダイヤモンドとても高値で競り落とした。
いったいどんな思惑があったのか。
オルフェリアは測りかねている。
もしかして、リュオンと手紙のやり取りでもしていたのだろうか。オルフェリアはすぐに自分の考えを打ち消した。あんな大金今のトルデイリャス領で用意できるはずもない。
だったら、彼の完全な好意なのだろうか。好意だとしたら完全に行き過ぎている。友人に対してぽんと払える額でもないし、オルフェリアはそんなことをされてもうれしくない。
もしも、フレンがオルフェリアたちのことを思ってくれていての親切心だったのなら。それはそれでオルフェリアの意志を無視している。
オルフェリアはそんなことしてほしいなんて、一度も思ったことがない。
(だって、フレンからこれ以上何かをもらったら……わたしフレンに言えなくなる、好きって)
と、そこまで考えてオルフェリアは自分の浅ましい胸の内に気が付いて自己嫌悪に陥った。
オークションが終わって、邸に戻ってきたからずっと部屋に閉じこもっている。時間だけは十分にある。
家族の思いを無視して家宝をオークションに出品したバステライドに対しても怒っているし、そのダイヤモンドを高値で落札したフレンに対しても素直にありがとうなんて言えそうもない。彼の考えだってわからないのに。
どうしてみんなオルフェリアの気持ちなんて考えずに勝手に物事を進めるのだろう。
手紙を書いたのに、フレンはダイヤモンドから手を引かなかった。彼は今それどころではないはずなのに。
バステライドだって同じだ。
一度家族のみんなで話し合う必要があると何度も言ったのに、彼は頑なにそれを拒絶した。
なんでみんな勝手に立ち回るのか。
あまり顔が変わらず、階下の男性陣からは腹の内が読めないなんて言われているオルフェリアだが、頭の中はなかなかににぎやかだったし、忙しかった。
ぐるぐると思考が巡って、結局最後はすとんと胸の中にある決意が落ちてきた。
オルフェリアは人を待っていた。
最近夜になると不定期に現れる、オルフェリアの新しい友人だ。
果たして、夕食を終えた午後八時過ぎ。
マルクはひょいひょいと木を伝ってオルフェリアの部屋へとやってきた。
「こんばんは、マルク。おなかすいていない? 焼き菓子をとっておいたのよ」
オルフェリアは待ちに待った小さな友人を歓待した。
「やあ、オーリィ。こんばんは。焼き菓子だって? もちろん食べるよ。あ、あとで包んで持って帰ってもいい? 妹二人にも食べさせてあげたいんだ」
「もちろん」
昼間のお茶請け菓子を夜食に食べると取り置いていた。
シモーネが不審な顔をしたからやけ食いをすると答えておいた。
「マルクったらここのところ忙しそうね」
彼はフレンへの手紙を届けてくれた縁から、その後も数日おきにオルフェリアの元に遊びに来てくれている。
話す内容は、フレンのことだったりローム市内のことだったり、彼自身のことだったりいろいろだ。ロルテーム語のよい練習相手としても重宝しているし、子供ながらに世慣れているので、話をしていると面白い。
「うん。フレンの旦那から仕事を頼まれていてね。そっちのほうが忙しいんだ」
マルクは大きな口を上げてマフィンを頬張る。具体的な内容までは教えてくれないが(口が堅いのがこの仕事をする上で大切なことだとしたり顔で話してくれた)、どうやらフレンの頼もしい部下になったようである。
「そうなの。はい。お水」
オルフェリアは水差しから水を注いでやり、マルクに水の入った杯を渡してやった。
「ああ~、生き返る。甘いものって最高だね」
「フレンは元気かしら」
「元気すぎるほどだよ」
「……そう」
「おねーさんはあんまり元気なさそうだね。顔がいつにもまして白いよ」
マルクはオルフェリアの顔を覗き込む。
「そんなことないわ。ううん、色々と考えることがあって。ちょっと悩んでいたの。でももう平気。決めたから。ねえ、マルク。わたしここを出ていきたいの。あなた、なにかいい案ない?」
オルフェリアの発言にマルクは目をぱちくりとさせた。
考えたら簡単だった。マルクが窓から出入りをしているのだから、オルフェリアもそれに倣えばいいのだ。最初は窓から逃げるなんて絶対に無理、と思っていたけれど、あまりに簡単にマルクが出入りするため、オルフェリアにも真似できそうな気がしてきた。さすがに木を伝うことはできないが、はしごか何かあればなんとかなると思う。
今まではそこまでの決意に至らなかった。心のどこかで父のことが気がかりだったから。けれど、バステライドもフレンも自分のやりたいようにしかやらないのなら、オルフェリアだってしたいようにする。開き直ったともいう。
「おねーさんついに駆け落ちを決意したの? そうだよねえ。いつまでもこんなところに囚われていてもしょうがないもんね。おねーさんに言い寄っている男がいるって聞いているよ」
「……言い……よる?」
「ええと。なんて言ったら……おねーさん別の男から好きって言われたんだろう?」
言い寄るというロルテーム語が聞き取れなかったオルフェリアのためにマルクが分かりやすい言葉に変換してくれた。
「なっ、ちょっと。どこでそんなこと聞いてくるのよ」
「ちっちっち。子供の情報網を侮っちゃいけないよ。いいかい、おねーさん。情報がほしかったらお屋敷の台所か水場に行けばいいんだ。おねーさんの親父さんの部下がおねーさんのこと好きで口説いているって下のおばさんが話していたし」
そう言ってマルクは人差し指を下に向けた。仕入れ元はこの邸の下働きなのだろうか。
「それより。わたしのこと連れ出せる?」
オルフェリアは話を元に戻す。
「ううん、できないこともないけど。俺、フレンの旦那におねーさんが無茶しないようにそれとなく見張っておけって言われているんだよね。オーリィ、もしかして信用無い?」
フレンの言いつけを暴露するマルクにオルフェリアは、その評価は心外だとばかりに唇を引き結ぶ。
過去の無自覚な無鉄砲さを棚に上げて、フレンに心の中でそれってどういう意味なのかしらと悪態をついた。
「フレンの言葉はこの際隣に置いておいて。わたしのことを手伝ってくれたら、これあげるわ」
オルフェリアはマルクに真珠の耳飾りを差し出した。
「いいの? おねーさんこの間は侍女が管理しているからわたしのものはあげられない、とか言ってなかったけ?」
「出ていくんだから、ばれるとか関係ないわ」
「それもそうか。なんか、吹っ切れた?」
「ええそう。吹っ切れたの、わたし」
いよいよ本格的に頭の血管が一つ二つ切れてきたことは自覚している。
「ま、脱出くらい訳もないけど。今までだって駆け落ちの手伝いしたことあるし」
「本当? 明日にでも決行したいんだけれど」
オルフェリアは目を輝かせた。
「で、行先は旦那のところ?」
「え、ええ。まあ。なによその顔。そういう顔をするのはやめなさい」
マルクの訳知り、冷やかし顔にオルフェリアは年上の威信にかけて注意をする。
「明日は、無理だな。明後日の夜なら。家の人の外出の予定はある?」
「ごめんなさい。わからない」
バステライドの予定は不定期なのだ。子供一人が木を伝って邸を出入りするくらい訳もないだろうが、そこにオルフェリアが加わると途端に見つかる可能性が高くなる。
「まあいいや。策を考えておくよ。着替えを用意しておくから、俺が到着したら素早く着替えること。あとは、たぶんこの窓から逃げることになるけど、平気?」
オルフェリアは改めて窓から顔をのぞかせて下を見た。二階から地上まで。大丈夫、このくらいなら平気なはず。
「はしごか何かあれば」
「はしごかあ……。それはちょっと無理だな。目立つし。……いや、いっそのこと」
マルクはぶつぶつと口の中で何かをつぶやいている。
マルクがあれやこれや小さく独り言をつぶやいている間、オルフェラリアは辛抱強く待った。今は彼の妙案にすがるしかないのだ。
そうして短くない時間がたったころ。
「わかった。この案で行こうと思う」
オルフェリアはマルクから脱出計画を聞かされた。
「本当にうまくいくかしら?」
オルフェリアは疑わしそうに眉根を寄せる。
「おねーさん。ここは大船に乗ったつもりでどーんとかまえておいてよ」
マルクは頼もしく胸をたたいた。
オルフェリアは彼ともうあと一つ二つ打ち合わせをしてから別れた。
◇◇◇
さて、マルクはオルフェリアの部屋で包んでもらったお菓子を土産に家へと帰った。ハレ湖の倉庫街で働く人夫たちはハレ湖からほど近い東側の地区に住むことが多い。家賃が安いからだ。狭い集合住宅は、ハレ湖周辺で働く人々が多くなるつれ無計画に広がっていった。
そんな区画の古い集合住宅の一室がマルクの家だ。
「ただいまー」
「おかえり兄ちゃん」
「おかえりー、遅かったね」
妹のマーナとマリーが出迎えてくれる。
二人ともマルクと同じやや黄色が強い金色の髪をしている。着ているのは着古したペラペラのエプロンドレスだ。それだって丈があっていない。子供の成長に合わせて着るものなんて用意できないのだ。
「ほら、お土産」
マルクは持っていた布を妹たちに手渡す。中を確認した少女二人は嬌声をあげる。なにしろ彼らの稼ぎでは到底買えないようなバターたっぷりな上等なお菓子がお目見えしたからだ。
「うわぁ、おいしそー」
「兄ちゃん、最近やたらと羽振りがいいけど。何しているの?」
下のマリーは純粋に瞳を輝かせるが八歳になるマーナは不審気な視線をマルクに向ける。無理もない、最近フレンの邸で出た残り物をもらったり、ミレーネからお菓子や切れ端で作られたりぼんをもらったりしえいるからだ。
「仕事先でもらったんだよ」
「その仕事があからさまに胡散臭いのよね」
「くさいー」
マーナの言葉尻をマリーがまねる。
「あ、こら。わたしの分も残しておきなさいよ」
油断すると腹ペコ妹に全部食べられてしまうと思ったのか、マーナがマリーの頭をぺしっとはたく。胡散臭かろうが、もらった物に罪はない。食べ物は等しく胃袋に収めるのが生きていく上で必要なことだ。
「胡散臭くないから。それより、頼んでいたこと、わかった?」
「伝言係じゃないのよ、わたしは」
「いいじゃん。今度何か買ってやるから」
「あー、ずるーい。わたしもわたしも」
マリーがぴょんぴょん跳ねる。
と、兄妹が話していると、階下から階段を上る音が聞こえてきた。
父親のご帰宅である。
「おい、二人とも菓子は隠しておけよ。それから、話の続きは明日だ」
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