四章 引き裂かれた(偽)婚約者5

◇◇◇


 フレンが遅い時間にドルム広場近くの事務所から邸に変えるために外に出ると、甲高い子供の声と大人が言い合いをしている声が聞こえた。


 事務所のすぐ正面の道でのことだ。

 こんな遅い時間に物売りだろうか。ご苦労なことである。大きな街では子供たちが花や雑貨を街頭で売っている。道にたむろしている子供たちは大人の代わりに馬車の馬を見ていてくれることもあり、彼らにとっては大事な収入源になっている。


「どうした?」

「どうせ物の押し売りでしょう。よくあることです」

 アルノーはそっけなく返した。

 実際よくあることではある。


「だから、俺はフレンって男に用があるんだ! まだ事務所にいるんだろう?」

「ええい。さっきからうるさいぞ。オーリィなんて女知らないと言っているだろう」

 一人は事務所の雇われ人だ。

 子供の言葉を大きな声で遮る。

「でもフレンって男は知っているはずだ! だってオーリィの婚約者なんだろ」

「ええい。うるさいぞ。おまえみたいな小汚い小僧を会わせるわけにはいかん」

 二人の言い合いの声が聞こえてくる。


「ちょっと待て。いま、オーリィって言ったか?」

 聞き捨てならない単語にフレンは割って入った。確か、バステライドがオルフェリアのことをそんな愛称で呼んでいた。

 トルデイリャス領でも、彼女の一番下の弟がオーリィお姉様と呼ぶのをフレンは聞いている。


「もしかして、おにーさんがフレンって人?」

「そうだよ」

 少年は明るい声を出した。


 フレンは従業員に目配せをした。視線を受けた男は目礼をしてその場をフレンに譲る。少年は男に対していーっと舌を突き出してから、一転にっこりフレンに笑いかけた。愛嬌のある、人好きのする表情だ。

「おにーさん出てくるの遅いよ。俺、何度追い払われたことか。そんでもって、そっちの道で待ってて、誰かが出てくるたびに名前を確認して追い払われての繰り返し」

「フレン様」

 厳しい顔をしたアルノーがフレンと少年の間に体を滑り込ます。彼が警戒をするのも分かるが、今はとにかく少年の言葉を吟味したい。


「それで、オーリィっていうのはどこの女性のことかな」

「ガレス通りのお邸に囚われているおにーさんの奥さん、いや、婚約者だっけ。どっちでも俺はいいんだけど。そこのオーリィ。ほら、これ」

 少年は懐から何かを取り出してフレンに差し出す。

 それは女性用のりぼんだった。街灯のぼんやりとした明かりの中、よく見ればそれは金色の刺繡が施された上等なものであることが分かった。

 ガレス通りにバステライドの邸がある。何度か通っているからフレンもよく知っている。


「そこのオーリィから、手紙を預かってきているって? いったいどうやって……。いや、どうしてきみが彼女と知り合った」

 フレンは矢継ぎ早に質問をした。

 言っては何だが、目の前の少年とオルフェリアとでは接点がない。

「それはまあ、置いといて。俺すっげー腹減った。おにーさんへの説明は飯がてらっていうのでどう?」

「わかったよ。私もちょうど腹が減っているんだ。おいで、邸に招待するよ」

 フレンは即決した。


「フレン様」

「いいだろう。まだ、ほんの子供だよ」

「しかし」

 アルノーは固い声を崩さない。

 しかしフレンも譲らず、少年を馬車に乗せて走らせた。


 アルノーの警戒も分からなくはないが、スミット商会とバステライドがつながっているのなら、むしろオルフェリアのことは使わないだろうとフレンは踏んでいる。なにしろバステライドはこれ以上フレンとオルフェリアを関わらせたくないのだから。フレンにもオルフェリアを忘れてもらいたがっているのに、わざわざ彼女の名前を騙ってフレンを陥れるような真似はしないとフレンは考える。


 馬車の中で少年は自身をマルクと名乗った。ロームで生まれ育ち、昼間は街角で小間物を売り歩き、そのついでに大人たちの使い走りを請け負っているという。典型的な労働者の子供である。

 馬車はまもなくファレンスト邸へと到着をして、フレンはマルクを半地下の台所横にある使用人用の食堂へと案内をした。夜も遅い時間に主人用の食堂を使うのも効率が悪いため、フレンは夜食をとるときはここを利用することも多い。

 従僕に命じて台所に残されていた夕食の残りを用意させる。

 野菜のスープに煮込んだ肉、ゆでた野菜などをマルクの前の前においてやる。フレンと同じメニューである。


「うわあ~うまそー」

 マルクは目を輝かせてさっそく肉にかぶりつく。


「うわ、うまっ」

 はしゃいだ声が子供らしくてフレンは笑った。

 マルクが落ち着くのを待ってからフレンは本題を切り出す。

「で、手紙とやらを見せてもらおうか」


 マルクは差し出したフレンの手のひらに封筒をぽんと置いた。

 上質な紙で作られた封筒だ。

 フレンは目配せをして食堂の隅に控えていたアルノーを呼び、念のために彼に封筒を開かせた。

 アルノーが中身を検分し、フレンに便箋を手渡す。

 フレンははやる気持ちを押さえ、文面に視線を落とした。


『フレンへ。

 迷惑をかけてごめんなさい。いろいろと偶然が重なって手紙を書くことができたの。実は、お代を払うことができなくて、ついあなたはお金持ちだから代金をはずんでくれるはずと言ってしまったの。いつかちゃんと返すから、彼に代金をはずんであげてね。重ねて迷惑ばかりでごめんなさい。ファレンスト商会が大変なときなのに、余計にあなたに手間を取らせてごめんなさい。だから、わたしのことは気にせずにあなたは仕事のことを考えてほしい。ダイヤモンドのことも、わたしから父を説得してみせるから。だから、大丈夫。あなたが無事に危機を脱することができると信じている。

 オルフェリアより』


 急いで書いたのだろう、彼女の文字はいつもより少し乱雑だった。

 それでも女性らしい線はフレンが見慣れた彼女の筆跡だった。

 そして、その文面も。まず最初にお金の言い訳と謝罪と返済を律儀に書くあたりがオルフェリアらしい。素直に頼ってくれるのはうれしいが、返済については余計である。

 色気もなにもない手紙なのに、それでもオルフェリアが書いたというだけでフレンはとても嬉しくなる。やっと、彼女と連絡が取れた安堵が心の中を埋め尽くす。


「ちゃんと、本物だろう?」

 マルクは野菜のスープを啜りながら訪ねてくる。

「ああ。本物で間違いないよ。オルフェリアらしい手紙だ」

「そりゃあ、おねーさんから預かったんだから当然さ。だから、ちゃんとお代もはずんでほしいんだけど」

 ちゃっかりした言い分にフレンは笑い声をあげた。しかし、少年の言い分も分からなくもない。子供のころから逞しくないと生きていけないのも事実だからだ。


「わかっているよ。……アルノー」

 フレンはアルノーから自分の財布を受け取る。

 硬貨を一つ取り出してマルクに差し出した。

「って、ええぇぇ?」

 手のひらに置かれた硬貨を確認したマルクは大きな声を上げた。


 フレンが払ったのは金貨一枚だ。

 ロルテームで流通する一キューイ金貨である。


「いや、さすがに手紙一枚でこんなにもは……。おにーさん、正気?」

「正気だよ。だって、オルフェリアがお代は私が弾むからって言ったんだろう。彼女を嘘つきにするわけにはいかないからね」

 オルフェリアが絡むとフレンの金銭感覚は決壊する。傍らに控えているアルノーも絶句している。

「いやいや、さすがにこんな大金もらっても俺困るし。こんなの換金屋に出したら、俺のほうが疑われるし」


 マルクの言い分ももっともである。

 労働者階級の子供が金貨など持っていたら、たいていの場合どこかから盗んできたと疑われる。こういうとき、子供の言い分など大人は聞きやしない。


「細かい硬貨は持ち歩かない主義でね」

 フレンは基本小切手とつけで買い物をするからだ。

「ええ~」

「もちろん、この一キューイ金貨が手紙の片道分てわけじゃあないよ。きみにはしばらく私とオルフェリアの間の伝書鳩役を引き受けてほしい」

 フレンはにっこり付け足す。


「はいはい。わかったよ。そうだよね。そういうことだよね」

 マルクはあっさり納得した。


「あんまり彼女の部屋に長居はしないように」

「……俺、今までこういうことしてても子供だからって、あんまり警戒されないんだけど」


 たしかに年端もいかない子供に警戒心を持つ男性は少ないだろう。

 けれど、現状フレンがオルフェリアに会えないのに、マルクが彼女に会うという事実が気に食わない。オルフェリアのこととなると途端に狭量になるフレンである。なんとなく、レカルディーナの夫の気持ちがわかり始めたと思わなくもない。


「ああ、それと。彼女からもらったリボンも返すように。私からの代金で十分だろう」

「えええ~、あれ妹へ上げようと思っていたのに」

 マルクはあからさまに不満声をあげる。

「へえ、きみ妹がいるのか」

 フレンは世間話ついでにマルクに話を振る。

「うん。妹二人。だからリボン一枚だと喧嘩になりそうで、それはそれであれなんだけど。マーナとマリーっていうんだ。うちは親父が飲んだくれだから俺がしっかり稼がないといけないんだよね」

「きみが一番上なのかい?」


「いいや。兄ちゃんがいたけど、母さんが親父に愛想尽かして出て行ったあと兄ちゃんもさっさと独り立ちをするとか言って出て行っちゃってさ。親父に見切りをつけたんだよ、二人とも。だから俺が働かなくちゃいけない」

「きみの親父さんは飲んでばかりなのか」

「一応働いてはいるんだけど、稼いだ金ですぐに酒を買って酒盛りをするんだ。仲間と。ま、でもさ、ハレ湖の人夫なんてみんなそんなもんだろ。だからカミさんが苦労するんだよ」

 マルクはしたり顔で頷いた。

 周りはみな同じような境遇の家庭ばかりで、ある意味この年で人生を悟ったような顔をしている。


「ハレ湖ね。じゃあ船積みとか手伝っているのかい?」

 思わぬところでよい拾い物ができそうだ。

「いいや。力仕事だらけだから子供はおよびじゃないよ。だから俺らは街で花売ったり、マッチ売ったり、船の番をしたり。いろいろ」

「じゃあロームの地理にも詳しいんだね」

「当たり前だろう! どこで生まれ育ったと思っているのさ。運河の名前も通りの名前もそらんじられるよ。使い走りもなんでも請け負うから顔も広いし」

 マルクはえへんと胸を張る。


「きみ、口は堅い?」

「もちろん。商売に大切なのは信用だからね」

 マルクはにっこり断言をする。

 その顔をフレンは好ましく眺める。フレンの嫌いな顔ではない。フレンが、彼に何かを求めていることを悟っている顔つきだ。


「きみに払った金貨とは別に、報酬を払うから人探しを一つ頼まれてほしいんだ」

 マルクはフレンの顔をまじまじと眺める。思案気に黙り込むこと数十秒。

「頼まれてもいいよ。必要経費は別途支給?」

「もちろん。そこにいるアルノーが認めれば。使途と金額を彼か、私の従僕に伝えて認められれば支給する」


「ふうん。で、誰を探してほしいの?」

「老人を一人。おそらくはローム市内に隠れていると思うんだ。たぶん」


 ディートマルの行方は擁として知れない。しかし、取るものも取らずに雲隠れをした。おそらくは市内に潜んでいるはずである。一応ファレンスト商会でも人手を割いて探してはいるがフラデニア、アルンレイヒ両国からも彼の足跡を示す知らせは届いていない。

 フレンはマルクにディートマルの人相や、現在ファレンスト商会が置かれている状況をざっくり説明した。


「ふうん。でも、さ。いろいろと危ない橋を渡っていたんだとしたら、そのおっさんもうハレ湖の底に沈んでいるんじゃないの」

 フレンの説明を聞いたマルクはなんの感慨もなく、そんな感想を述べたのだった。


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