四章 引き裂かれた(偽)婚約者4

 その日の夜。

 オルフェリアは夕食をバステライドと済ませて、自室へと引き上げた。

 シモーネは必要以上にオルフェリアに関わろうとはしてこない。自室にこもっている限り、一人きりになれるので考え事をする時間だけはたっぷりとある。


 父に実家に諸々のことを知らせたのか、と聞いてみた。バステライドはオルフェリアに、フレンがメンブラート家に連絡を入れ、返信されてきた手紙の内容をこちらに知らせてきた旨を話した。オルフェリアが世間から隔離をされている間に、やはりフレンは一仕事してたのだ。

 バステライドはオルフェリアの知らないところでフレンとやり取りをしていたらしい。フレンはまだオルフェリアのことを見捨てていないのだろうか。彼自身もファレンスト商会のことで手一杯なのに、まだオルフェリアのことを気にかけてくれていることに胸の奥が熱くなる。

 フレンからバステライドの居場所を知らされたメンブラート家の面々はそれぞれ父当てに手紙を書いて送ってきたと今日聞かされた。そういうことはもっと早く教えてほしい。


(お姉様、体の具合は大丈夫なのかしら)


 その中でエシィルの体調が思わしくなく、すぐにはそちら行けないと書いてあった。

 オルフェリアは焦燥感に身を包まれていた。

 ダイヤモンドのオークションの日は刻一刻と迫ってきている。オークションが終わったら、オルフェリアはアルメート大陸行きの船に乗せられてしまうからだ。


 フレンと離れてしまうことが嫌だ。

 それなのに、オルフェリアは一人で逃げ出すこともままならない。


 どうしようもない状況に打ちひしがれていると、窓に何かが当たる音がした。

 なんだろう、とオルフェリアは首をかしげる。一度なら、風かなと思うところだが、もう一度、そしてさらに何度かコツンと何かが窓に当たる音が聞こえた。

 オルフェリアは音のする窓辺へと近寄った。ここは二階である。燭台を窓の隣の物置き台の上に置いて、カーテンを開いて窓を開けてみた。

 日はとっくに沈んでいる。春になり、北国のロームの日照時間は日に日にながくなってきているが、さすがに夕飯時も過ぎたこの時間は太陽はとっくに地平線のかなたに姿を消している。


「おーい」

 と、小さな声が下から聞こえた。


 オルフェリアは目を凝らした。

 通りの街灯から零れる明かりと、階下のカーテンの隙間からかろうじて漏れる明かりとで、オルフェリアは小さな前庭に誰か人がいることを確認した。

 小さな陰である。よおく目を凝らすと、まだ子供のようだった。すっきりとしたシルエットからすると男の子のようだった。


 彼はオルフェリアに向かって手を振ると、おもむろに横に植わっている木によじ登り、あっという間に二階へとたどりついた。オルフェリアには真似できない器用さだ。

 急展開についていけないオルフェリアは目を見開いて固まった。

 愛嬌のある目のくりっとした少年はオルフェリアに向かってにこっと笑顔をつくった。


「こんばんは。おねーさんの助けになるかなって思って。合図に気が付いてくれてよかったよ」

 突然の訳知り顔な少年の登場にオルフェリアは目を白黒させた。何も言葉を発しないでいると、少年がもう一度ゆっくりとした口調で話しかけてきた。


「あれ? おねーさん俺の言葉分かる?」

「え、ええ……」

 少年はロルテーム語を話している。しかし、オルフェリアが習った発音とは少しだけ違う。下町なまりなのだが、オルフェリアのあずかり知らぬことだ。

「よかったあ。この前のおねーさんはあんまりロルテーム語話せないみたいだったからさあ。ちょっと不安だったんだよね」


 少年は身軽に窓枠をひょいと飛び越えてきて、室内に降り立った。

 明かりの下で、金色の髪の毛が輝いている。口は達者だ背は低いし、声変わりもしていない高い声をしている。

「このまえのおねーさん?」

 オルフェリアは訝し気に復唱した。

 もちろんロルテーム語でだ。


「そう。おねーさんのことをじぃっと眺めていた、赤茶の髪に青い目のおねーさん。ロルテーム語は下手だった」

 赤っぽい金髪の女性で、オルフェリアのことを見つめていた人。それはもしかしなうてもミネーレのことだろうか。彼女が時折表の通りに来ていたことは知っている。


 室内からは通りを行き交う人の顔もよく見えるのだ。しかし、懐かしい顔を見つけたからと言ってオルフェリアが何かできるわけでもない。ミネーレの姿を確認することはできてもオルフェリアが表に出ていくことはできなかったし、何かを伝えることもできなかった。そうこうしているうちに彼女の足は遠のいてしまった。

 フレンの指示によるものなのか、それとも独断なのかわからなかったが、それでも知った顔を見られなくなると余計にさみしくなった。


「ミネーレのことかしら」

「名前まではわからないよ。ただその人はおねーさんの夫に雇われているって言っていた」

「おおお夫?」

 オルフェリアは声を上ずらせた。

「うん。別れさせられたって言っていたよ。おねーさん、訳ありでしょう!」

 なんだかとんでもない話になってきた。


「ちょっと待って。わたしとフレンはまだ結婚していないわ。こ、婚約しているだけよ」

 オルフェリアは顔を真っ赤にして少年に向かって事実を訂正した。事実というなら、一年限りの偽装婚約の契約を交わした、ということのほうが正しいがこれは機密事項だ。


「ふうん。でも、一緒のようなものじゃない?」

「ぜんっせん違うわよ」

「でも、別れさせられたのはあっているだろう?」

「そ、それは……そうなんだけど。というか、あなた、どうしてそんなこと聞いてくるの?」

 少年のペースにすっかり飲まれたオルフェリアはずいっと彼に向って指を突き立てた。弟が二人もいるせいか、年下の男の子に対しては強気な姿勢を見せるオルフェリアである。


「そりゃあ、俺にとっては商売のチャンスだからさ」

「商売?」

 オルフェリアは眉根を寄せた。

「そうさ。伝言でも手紙でもなんでも届けてあげるよ。おねーさんのいい人に。お代はもらうけど」

 少年は屈託のない笑みを浮かべて、ついでに右手の親指と人差し指を丸めて円をつくった。ようするに硬貨を現しているらしい。

「手紙……」

 少年の言葉にオルフェリアは考えた。

 彼に頼めばフレンにオルフェリアの言葉を届けてくる。フレンに連絡が取れる。


 オルフェリアの胸がにわかに高鳴った。

 ずっと、彼のことが気がかりだった。そして謝りたかった。

 突然現れたバステライドのせいで、オルフェリアはフレンに迷惑をかけてしまった。婚約者としてフレンの援護射撃をするつもりだったのにそれもままならない。

「で、でも。わたしお金持っていないわ」

 突如気づいた現実にオルフェリアは消沈した。


「別にお金じゃなくてもいいよ。なにか、そうだな……。おねーさんのそのりぼんでもいいし」

「りぼん?」

 オルフェリアは自身の髪を結わえていたりぼんを取り外した。光沢のあるベルベッドのりぼんである。

「俺妹いるから。そういうのほしがるなって。おねーさん、ブローチとかそういうの持っているでしょう。現金持ち歩かない女の人からの頼みは現物支給してもらっているんだ」

「……あなた、慣れているのね」

 オルフェリアは感心するべきか呆れるべきか悩んだ。


「そりゃあ、悩める人たちの間を取り持つのが俺の仕事だからね。仮の姿は街角の小間物売り。しかし、その正体は! 正義の味方なのさ」

 少年が得意げに胸を張る。

 言い方が可愛らしくてオルフェリアも小さく噴き出した。なんだかフレイツと話している気分になる。彼よりも相当にちゃっかりしているけれど。

「でも、わたしの持ち物は侍女が管理をしているから。あなたに何かをあげたらすぐに気が付かれると思う」

「一理あるね」

 少年が白けた顔をする。


 オルフェリアは焦った。やっと事態を突破できそうな鍵に巡り合ったのだ。これを逃すとオルフェリアは外と連絡を取る手段をなくしてしまう。

「わたしのものはあげられないけど、フレンなら! わたしの婚約者はお金持ちよ。彼に請求して頂戴。わたしも手紙の中にあなたにお駄賃を奮発するように依頼をするわ」

 オルフェリアは慌てて言った。

 フレンのお財布を当てにすることに内心苦い思いをしたが、オルフェリアが晴れて自由の身になったらちゃんと返すから、と心の中で詫びを入れる。

 ついでに手に持っていたりぼんを少年に手渡す。


「このくらいだったら失くしたと言っても言い訳がたつから」

「ま、初回サービスってことでしょうがないなあ。おねーさんの婚約者がけちんぼだったら、俺もうここには来ないから」

「大丈夫よ。フレンはことあるごとにわたしに贈り物を贈ってよこすような男よ」

 それは褒めているのかけなしているのかわかならない言い方だったがオルフェリアはフレンを擁護した。

「交渉成立だね。手紙、今すぐに書ける?」

「ええ。少し待っていて頂戴」

「じゃあ窓の外で待っているから」

 少年はひょいと窓枠を飛び越えて木へと飛び移った。外は暗い。木に登っていても暗がりだと気づかれないのだろう。


 オルフェリアは急いで書き物机に向かった。幸いにして引き出しの中には白い紙と封筒やインクなど、書き物に必要なものが一式そろっている。飾り気のない紙にオルフェリアは手早くペンを滑らせる。書きたいことは山ほどあるけれど、悩んでいる暇はない。少年の気が変わらないうちに書き上げなくてはいけない。

 紙を畳んで封筒にしまった。封筒の裏面にオルフェリアと署名をする。封蠟はなかったので閉じることはできなかったが仕方ない。あったとしても乾かしている時間が惜しい。そうこうしている最中にシモーネでも入ってこようものなら一貫の終わりだ。


「書いたわ」

 オルフェリアは窓の外に顔を出して囁いた。

 少年は手紙を受け取った。

「で、どこに届けるの?」

「ええと。詳しい住所はわからないのよ。ファレンスト商会っていう名前よ。フラデニアの商会なの。そこのフレンという男性に。ドルム広場の近くに事務所があったのは覚えているんだけど。あなた、字は読める?」

「いいや。読めない。だけど何かの紙に名前を書いてくれれば人に見せて場所を教えてもらうよ。ついでにおねーさんの名前も教えて」

 オルフェリアは自分が名乗っていないことに初めて気が付いた。

 それから少年の名前も知らない。


「人に名前を聞くときは自分から名乗るものよ」

「ああそういえばそうだね。俺はマルク・フィンケっていうんだ」

「わたしはオルフェリアよ。オルフェリア・レイマ・メンブラート」


「おねーさんの名前、長いよ」

 マルクは顔をしかめた。

「じゃあ……、オルフィーとか、オーリィとか。呼びやすいほうでいいわ」

「決まり。オーリィって呼ぶことにするよ」

 マルクはにっこり笑った。あどけない笑みが可愛くてオルフェリアもつられて微笑んだ。

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