四章 仮婚約者業の憂鬱2

「そもそも、どうしてそういう流れになったんだ。きみは奴をとっ捕まえた時に自分の正体を明かさなかったのか?」

「うん。別に正義の味方を気取りたかったわけでもないですし。僕の商会に報復されても嫌だなあと思って適当な身分をでっち上げたんです。そうしたら、彼、僕のことをどうやらメンブラート家ゆかりの人物だと思ったみたいで。まあ、遠い親戚のうちの一人かな、なんて言っちゃったし」

 ファティウスは悪びれた様子もなく言葉を紡いだ。

「一発殴ってもいいかな」

「さすがに僕を殴ったら先輩の方が不敬罪で連行されますよ」

 ファティウスはへらっと笑った。フレンは収まらないように厳しい視線を彼に送った。


「これで本当にメンブラート家に迷惑がかかるのもあれかな、って思ったから僕も彼女の身辺をさりげなく見守っていたんですよ。今日もちゃんといいところで登場したでしょう。あと、ほら、ホルディ君。彼にもメンブラート伯爵の姉弟をさりげなく気にかけていてほしいって頼んでおいたし」

「そうなんですか?」

「そうそう。彼の実家は外交を担当していてね。ちょうど使い勝手がいいからって侯爵から借り受けたんだ」

 ファティウスはにこりと微笑んだ。

 オルフェリアはようやく腑に落ちた。やたらとオルフェリアに構ってきたのはそういう事情があってのことだったのだ。


「……それだけかな」

 フレンはぼそりと呟いたけれど、オルフェリアは意味にはよく意味が分からなかった。

「今度は僕の番だよ。これが本当に『蒼い流れ星』だというなら、伯爵家から盗まれたものなのかな?」

 オルフェリアは少しの間沈黙をした。


 やがて息を吐いて口を開いた。フレンにも以前に聞かせた父バステライドの奇行をファティウスにも話した。ある日突然冒険家になると家を出奔したこと。その際借金を作ったことと、家からいくつか金目の物を持ちだしたこと。この二年間まったく音沙汰がないことなどだ。

「メンブラート伯爵家の当主は長らく家を不在にしていると聞いたけれど……。なるほどね。なかなか愉快なお父上だねえ」

 ファティウスの感想にオルフェリアは口元をきゅっと引き締めた。愉快といわれても、他人なら笑って済ませられるが実の父だと傍迷惑なだけである。笑って受け流せない。

「じゃあこれはお父上がアルメート大陸で売り払ったのかな。それも嘘を並べて」

 この宝石を持つ人間がメンブラート伯爵家の正当な主。土地も財産も好きにできる、なんてふざけた文言だ。

「それは、父が本当に言ったのかなんてこの場で分かるはずがありません」

 オルフェリアは強く主張した。


「それもそうだね。一応この宝石はしばらくは預からせてもらうよ。ここの王家に話をつけるためにも証拠の品が必要だ」

「それよりも、きみは今現在拘束しているヴァスナーにきみの本当の身分を明かして、しっかりその罪を断罪しろ。きみとメンブラート伯爵家が何も関係がないことをちゃんと理解させろ。それが最優先だろう」

 フレンが再び低い声を出した。

 オルフェリアが知らないような、冷たい声音だった。フレンの緑色の双眸に剣呑な光がさしていて、オルフェリアは知らずに胸のあたりを押さえた。


「何の関係もないっていうのは語弊が。僕たちは親戚ですよ」

「むちゃくちゃ遠いだろう。それはもはや赤の他人だ」

 フレンはファティウスの主張をぴしゃりと退けた。

「先輩ちょっと会わないうちに面倒になったなあ。それはともかく、彼の裏の顔は西大陸にとっても看過できないことですしね。密輸に奴隷貿易。それも各国にまたがっている。アルンレイヒ側とも話し合って、僕の身分も明かします」

 話が王家に及ぶことになりオルフェリアは声を失った。ローダ王家に知られたくなくてずっと隠してきたのに。


「ここまできたら仕方ないよ、オルフェリア。アルンレイヒ王家として宝石一つで領地の持ち主の資格が得られるなんてことは万が一にもあり得ないと文書を出してもらった方が奴のためにもいい。下手な期待はさっさと打ち砕くに限る」

 フレンはオルフェリアのことを励まそうとしてくれたが、オルフェリアの心は冬の曇り空のように灰色だ。父のおかげで伯爵家の面目は丸つぶれた。

「宝石は色々な処理が済んだら返却という流れになるかな」

 ファティウスが言い添える。

「でも、その一度は代金が発生したのに。ただで受け取ってしまっていいのかしら。ヴァスナーにお金を払った方がいいでしょうか?」

 真面目なオルフェリアはあくまで真剣だった。

 その問いにファティウスは相好を崩した。


「真面目だね。不正貿易で財をなしたんだ。どちらにしろ捕まった彼の財産はすべて没収。アルメート共和国側の財産も押さえることになるよ。彼は、まあ、南の僻地の大陸に流罪かな」

 南の僻地とは流された土地そのものが刑務所のようなところである。船で一月以上かかるような場所にあり、罪人は現地で開拓という名の強制労働を課せられる。罪人の効率のいい使い方である。

「あ、あの。もうひとついいですか」

 オルフェリアは思い切って尋ねた。


「なにかな? 先輩の過去の女遊びのことに関する質問だったら黙秘をするよ。僕も報復されると嫌だし」

 それはそれで大いに気になったけれど、というかやっぱりある程度は遊んでいたのか、と悲しくなったけれど聞きたいのは違うことだ。


「フレンのことはどうでもいいんです。ええと、その。殿下は世界についてお詳しいので聞きたいのですが。骨董宝石の流通経路はご存じありませんか?」

 どうでもいいと言われたフレンは隣で憮然とした表情をしたが、それはオルフェリアの預かり知らないところだ。楽しそうにフレンの表情の変化を見定めたファティウスはオルフェリアの質問を受けて顎に手をやった。

「骨董宝石ね。古い宝石に興味があるの?」

「えっと、弟がわたしに贈ってくれるといっていて。それでわたしも興味が出てきたんです。辛気臭い話はこれくらいにして、せっかくなら宝石の話が聞きたいです」

 オルフェリアはいささか強引だったかな、と思いながらも話を脱線させた。


「そうだね。令嬢にはきらきらした話題の方が似合うよね。辛気臭い話題は男同士でするとして、オルフェリア嬢の質問に答えようか」

「ありがとうございます」

 オルフェリアは笑顔を作った。

「骨董品の蒐集だと今僕が借りているホルディの実家も相当に熱心なようだけど。彼の話も聞いてみるかい?」

「いいんですか?」

「もちろん。なんていったってきみとは親戚同士だしね」

 ファティウスはオルフェリアの方に顔を近づけた。


「そんなに近しい親戚ではないだろう」

 ここでフレンが口を挟んだ。

「百二十年ほど前に僕のご先祖様の元にきみの実家のお嬢さんが嫁いできたくらいには近しい間柄だよ」

「それを遠いというんだよ。女たらしめ」

 フレンがすかさず突っ込みを入れた。

「ええ~、それ先輩に言われたくないなあ。先輩大学生の頃……」

「うるさいな。そういうこと言うんだったら私もきみの婚約者にルーヴェ時代のあれやこれを全部ぶちまけるよ」

「そうそう、僕の婚約者といえばオルフェリア嬢とお友達だそうで。今もこの大使館に一緒に滞在しているんですよ。フレン先輩とは家族ぐるみ、商売ぐるみでお付き合いしたいから、オルフェリア嬢もぜひ僕の可愛いメイナと引き続きよろしくしてやってね」

 強引に話を変えたファティウスにフレンは「話を逸らしたな」と口の中で呟いた。


◇◇◇


 その数日後。

 フレンは仕事の合間にパニアグア侯爵邸を訪れていた。フレンの父の妹、叔母のオートリエの嫁ぎ先だ。フレンがミュシャレンに拠点を移したのち、何かと世話をしてくれた叔母である。ちょうど娘が嫁いでしまい手持無沙汰になり、そこにフレンがやってきた。要するに格好の暇つぶし相手に認定されたというわけだ。


「叔母上。何度も言ってしますけど、私とオルフェリアには二人のやり方があるんです。結婚はもう少しあとにしようと二人で話し合っているんですよ。何勝手に彼女に話を進めているんですか」

 客間ではなく、二階の書斎で密談をしている。同じ階の客間ではオルフェリアとミレーネがロルテーム語の授業中だ。授業終わりの彼女と話がしたくて、わざわざ時間を調整して訪問したのだ。

「あらあ、肝心のお二人さんがいつまでも煮え切らないから、わたくしがこうして後押しをしているというのに。その言い方は無いんじゃなくて。大体、あなたね。婚約したからって何を暢気に構えているの」

「彼女まだ十七ですし」


「十七歳なんて一番の花の盛りじゃない。一番きれいな年頃なのよ! その一番の盛りの時に花嫁衣装を着させてあげたいじゃない」

 フレンはオートリエの力説を聞いてつい想像してしまった。花嫁衣装を着て、こちらに向かって笑顔をむける彼女を。

「十七も八も大して変わりませんよ。たかだか一年の差くらい。とにかく、式は来年以降で考えていますから、余計な口も段取りも要りません。そろそろリバルス夫人も出産でしょう。むしろそちらを全力で応援してあげてほしいものですね」

「あら、それはぬかりないから大丈夫よ。ダイラもいよいよお母さんになるのよね。もう一人の娘みたいなものだから、おばあちゃんドキドキよ! じゃなくて、問題はあなたよ、フレン。あなた、婚約だけして安心していると可愛い婚約者をぱっと出の男に獲られちゃうかもしれないわよ」


 オートリエはフレンが意図的に変えた話題には釣られなかった。すぐさまオルフェリアとフレンの結婚話に話を戻した。

 面白くない内容だったため、フレンは黙り込んだ。沈黙を好機ととらえたオートリエはここぞとばかりに切り込んでくる。

「あなた自分の年を分かっているの? 今年はもう二十八になるのよ? それに比べてオルフェリアはまだ十七歳! 一番きれいな盛りじゃない。十代って最強なのよ。さっさと結婚しないとあなた、やっと捕まえた理想的な恋人に逃げられちゃっても知りませんからね。あのくらいの年頃なんてね、放っておいても男が寄ってくるものなのよ。わたくしだって、セドニオ様とのことで悩んでいた時についふらふら~と行きかけたことだって一度や二度じゃないんだから。あなたが結婚に対して悠長に構えている間に、同じ年頃の男性に言い寄られて、やっぱり同世代と結婚することにしましたなんて乗りかえられちゃったらどうするの? いいこと、あの子あなたのお金になびかないわよ」

 オートリエは一気にまくしたてた。オルフェリアへの説得の方便とはまるで反対であることはフレンの預かり知らぬところだ。


「叔母上とオルフェリアは違いますよ」

 フレンはようやくそれだけ言い返した。

 それにしてもフレンの取り柄がお金だけとはわが叔母ながら辛辣すぎる。顔だってそこまで悪くないと思っているのだが。

「大体、やっといい子が見つかったんじゃない。わたくしも安心していたのに。オルフェリアはまだちょっと社交には慣れていないけれど、あなたのこと純粋に慕っているのよ。あの子を逃したら、あなた財産目当てで、結婚したら買い物に夜遊びに賭けごとしまくります的な完全玉の輿目当ての女性しか寄ってこなくなるわよ」


 妙に的を射た忠告に図星を突かれたフレンだ。確かに、オルフェリアのような物欲の少ない女性は社交界では希有だろう。質素好みな女性も世の中探せばいるだろうが、いかんせん社交の場に出てこない。メンブラート家の支援の話にしたって彼女は一から十まですべてをフレンの財布に頼ろうとはしていない。与えられっぱなしに甘んじることなく、元本はきちんと返すと言っているし、実際カリストらも同意見である。

「叔母上に言われるでもなく、わかっていますよ。彼女は得がたき女性です。逃したくないのは私だって同じです」


 フレンはオートリエに本音を吐いた。偽装婚約をしているのは内緒だが、演技でもなく素の想いを吐露した。

 一年の契約を全うした後、彼女に請いたい。このままずっと自分のそばにいてほしい、妻になってほしいと。何よりきちんと彼女に気持ちを伝えたい。好きだ、愛していると。


(そう。彼女じゃなきゃ駄目なんだ)


「だったら。さっさと決めちゃいなさい。もどかしいわね。そんなに切なそうな声をわたくしに吐くくらいなら今すぐ教会に掛け込めばいいじゃない」

「こちらにも色々と事情があるんですよ。彼女の父親のこととか」

 と、ここでフレンは声をひそめた。

「メンブラート伯爵? 彼はだって……」

 突然の話の転換にオートリエは訝しんだ。


「口には出しませんが、彼女結婚式には父親にも参加してもらいたいようでしてね」

 メンブラート伯爵が領地を留守にしていることはアルンレイヒ社交界では公然の秘密だ。居場所こそ不明だが、とにかく出奔したことは皆が知っている。フレンもオルフェリア同伴ではない付き合い上の席で何度か遠まわしに伯爵の行方について質問を受けたことがある。

「そうねえ。確かに、結婚するときはみんなに祝福してもらいたいわよね」

 自身が駆け落ち同然で家を出た経験のあるオートリエはため息をついた。

 この頃合いの人間にはこの手の理由が一番効く。案の定オートリエも「それなら仕方ないわねえ」とごにょごにょ口の中でつぶやいている。


 もちろんこれはフレンの口八丁である。けれど、彼女のためにも一度冒険旅行中のメンブラート伯爵の行方については探りを入れておこうとは思っているのは事実だ。

「というわけですから。あんまりオルフェリアを突ついて彼女にプレッシャーを与えないでくださいよ。花嫁修業もほどほどに。やりすぎて彼女がファレンスト家の嫁なんてやりたくないなんて言い出したら、叔母上、あなたを一生呪いますよ」

 最後の一文はかなり本気の声をだしたフレンである。

「わ、わかっているわよ。そこまで張り切って……るわけじゃないんですから」

 甥っ子の本気を悟ったのか、オートリエはバツが悪そうに目線を逸らした。




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