四章 仮婚約者業の憂鬱1
日を改めて後日のことである。
オルフェリアはフレンとともにデイゲルン王国の大使館へと赴いた。アルムデイ宮殿にほど近い区画に各国の大使館が軒を連ねる一角がある。大使館といってもその建物は大貴族の邸宅と変わらないくらい華美で優雅な建物である。大使一家が奥で生活をしており、季節によっては親睦を兼ねた夜会が開かれることもある。
そこに現在とある男性が滞在している。
オルフェリアが紹介されたのはデイゲルンの第三王子ファティウス・ホーエルヴァルト・デイゲルンという青年だった。
メンブラート家姉弟の窮地を救ってくれた青年その人こそがデイゲルンの第三王子殿下だったのだ。
そして、驚くことはもう一つあった。
「まさか殿下がフレンの大学時代の後輩だとは。あなた、無駄に顔が広いわよね」
オルフェリアはまじまじとフレンのことを眺めた。
「といっても実際に私の後輩だったのは彼がルーヴェに留学していた二年間だけで。金払いがよかった私はすっかり殿下に気に入られてね。おかげで色々とおごらされたよ。酒とか」
「おごる……?」
オルフェリアは眉をひそめた。フレンは時々下町言葉を使うのだ。
「ええと。酒とかご飯をごちそうしてたってこと」
「嘘でしょう。殿下、お金持ちじゃない」
「そこがファティウスのちゃっかりしていたところだよね。普通向こうがごちそうする側だと思うんだけど」
フレンは苦笑する。
オルフェリアはフレンの顔をまじまじと見た。過去を懐かしむように彼は眦をさげている。なんだかんだ言いつつファティウスのことが嫌いではないのだ。
オルフェリアはまた一つフレンの意外な過去を知った。
「それよりも、きみがまだ私に隠し事をしているとは思わなかった」
今度はフレンがオルフェリアに尋ねる番だった。
「……」
オルフェリアは黙秘をした。
心当たりは十分にある。
「オルフェリア」
「何よ。わたし以前に言ったわ。父は家出をするときに色々なものを持ちだしたって」
「そうだっけ? 借金を返すために色々と大変だったことは聞いたけど」
「似たようなものじゃない」
「全然違うよ」
フレンはオルフェリアの手を取り、おもむろに自身の方へ引き寄せた。そうした何気ないしぐさ一つでオルフェリアの心が跳ね上がるのを彼は知っているのだろうか。
「オルフェリア、私はきみの婚約者だ。きみのことを助けたい。だから、全部包み隠さずに教えてほしいんだ。きみに隠し事をされると辛くなる」
ファティウスを待っている最中である。
真摯な声色を聞かされるとオルフェリアはぐっと詰まった。彼の声が本物だと分かるから、余計に心が騒いだ。
「あの……。伯爵家には元々ふたつの家宝があって。一つは昔王女様が降嫁してきたときに持参したダイヤモンドの首飾りで。耳飾りもあるけれど、一番なのは首飾りの方で。そしてもう一つが、これも現在のローダ王家から下賜された剣で。というよりかは剣の鍔に付けられた『蒼い流れ星』という大粒のサファイアの方が価値が高いのかしら。もちろん、剣と一体になっていることに意味があるんだけれど」
「それをきみのお父さんは持ちだした、と。そういうわけなんだね」
オルフェリアはこくりと頷いた。
「冒険家になるために家出をしたときに持ちだしたのよ。たぶん、売り払うために」
メンブラート家の最重要機密事項だった。
バステライドは借金をするだけでは飽き足らずあろうことか家宝を持ちだした。さすがにダイヤモンドを持ちだすのは気が引けたのか、もしくは一度に持ち逃げするとまずいと踏んだのか。どちらにせよカリストは怒気を露わにして、カリティーファは寝込んだ。リシィルとエシィルはお互いに顔を見合わせて呆れて、オルフェリアもさすがに父のことは庇えなかった。
「それを昨日のあの男が買ったってわけだね。で、きみたちに因縁をつけてきた。せっかく買った宝石を盗まれたから」
「そうみたい」
「そういう話はもっと前に聞いておきたかった」
「あなたには関係ないと思ったから」
「オルフェリア」
関係ないと言ったらフレンの顔が曇った。
「ごめんなさい……。でもだって、伯爵家の機密事項よ。婚約者といえどおいそれとは話せないわ。今だって対外的にはメンブラート伯爵家の宝物庫に眠っていることになっているのに」
オルフェリアは必死になって言い訳をした。
今回結果的に知られることにはなったけど、カリストは絶対に立腹するだろう。リュオンだって苦々しい顔をしていた。
「いいよ。きみが謝ることじゃない……。ただちょっと、ほんの少しさみしかっただけだ。きみに隠し事をされると、私は悲しくなる」
フレンはオルフェリアの頬を撫でた。
心の奥を撫でられるような気分になる。けれど、こうしてフレンが自分の頬に触れるのを心地よく感じている。触れてもらうと安心する。目の前にフレンがいて、自分のことに親身になってくれて。
なのに、すぐに悲しくなる。
これはオルフェリアに対してしているのではない、彼は演技をしているだけだと自分を戒める。幸せな気分に浸り過ぎるのは良くない。
「フ、フレン。触りすぎよ。二人きりの時まで演技をする必要はないわ」
「きみがいつまでたっても恋人設定に慣れてくれないから。私に触れられるのは嫌?」
嫌ではない。もちろん今だって心が震えるほど嬉しい。このまま彼の本物になりたい。なれたらいいのに。
けれど、嫌ではないなんて言ったらオルフェリアの心の奥まで見透かされそうで、そうなると色々と困る。
「嫌」
気付くとオルフェリアは簡潔に言っていた。言ってすぐに後悔した。
「分かったよ」
フレンは固い声を出して、オルフェリアから離れた。
(もっと、違う言い方ができたはずなのに)
どうして自分はいつも間違ってしまうのだろう。フレンの声の低さが、彼と自分との距離のように感じてオルフェリアは唇を噛みしめた。
二人の間に気まずい空気が漂い始めた時、ファティウスが姿を現した。
オルフェリアとフレンは立ち上がって彼を迎えた。
「お久しぶりです、先輩。先輩たらこんな綺麗なお嫁さんを貰うなんて。今まで独身を貫いた甲斐がありましたね」
フレンの大学時代の後輩だったという王子殿下はほがらかな笑顔を二人に披露した。
「きみだって婚約したんだろう。聞いているよ、ええと、ハプニディルカ伯爵令嬢だっけ?」
フレンの言葉でオルフェリアはぴんときた。
そういえばレーンメイナは隣国の王子を射止めたとかなんとか、カリナが言っていた気がする。目の前の男が噂の王子とのことか。
フレンは先ほどの気まずい空気をまるで感じさせないくらい明るい口調で受け答えをして、オルフェリアを自身へ引き寄せた。オルフェリアはされるがままになる。
彼の胸に頬が当たって、無意識に紅潮した顔で彼を見上げる。
「ええ。この冬に電撃的婚約をしましてね。ついこの間まで実家に帰っていたんですけど、相変わらず陰気臭いのでまた逃げてきました」
「相変わらずあちこち飛び回っているのか」
「ええ。面白いですよ世界は」
ファティウスは両腕を広げてみせた。
「オルフェリア、彼はね、デイゲルンが陰気臭いと嫌っていてしょっちゅう外国に飛び回って外交官のまねごとをしているんだ。自身で商会も立ち上げていてね。うちとはライバルかな」
「またまた。先輩のところには敵いませんよ。もっと仲良くしてください」
「仲良くしていると、うまい話を横取りされるだけでこっちには何の益もない」
「そんなことないですよ。可愛い後輩じゃないですか」
「自分で可愛いっていうか。憎たらしい後輩の間違いじゃないか」
ファティウスがああいえば、フレンも負けじと応酬する。二人の間にはオルフェリアには入っていけない気安い空気が漂っている。
「フレン先輩たら相変わらずだなあ。大学時代は一緒に色々と冒険したのに。主にルーヴェの色街で」
「それで、私たちを呼び出した理由を聞かせてもらうかな。まさか、昔のくだらない話をするために忙しい私を呼びつけたわけでもないだろう?」
色街、という単語が出た瞬間にフレンは大きな声でファティウスの言葉を遮った。
色街とはどんな街だろう。知らない単語である。聞いてみたい半分、聞いたらまずいような気がする。
「別に先輩を呼んだつもりはなかったんですけどね。僕が用があったのはメンブラート伯爵令嬢の方だったのに。無理やり入りこんだのは先輩の方じゃないですか」
そこでようやくファティウスは落ち着つくように長椅子に腰を下ろした。オルフェリアとフレンも腰をおろし、使用人がコーヒーを運んできた。
使用人が立ち去るのと入れ替わるように、ファティウスの側付きが入室し、小さな布製の袋を手渡した。
側付きの男性はそのまま部屋の隅の方に控え佇む。
「僕の用というのはこれなんです」
ファティウスは布袋を手に持って、中身を取り出した。
「これって」
中から姿を現したのは直径三センチほどの丸い大粒のサファイアである。金の台座に乗せられたサファイアを取り囲むように小粒の宝石が散りばめられている。
深い蒼色をした宝石にはメンブラート家の紋章と「我が臣下へ」という文字が彫られている。
「メンブラート家家宝で間違いないかな?」
ファティウスからサファイアを受け取ったオルフェリアはまじまじと掌の中にある宝石を見つめた。昔見せてもらったものと違わない。掘られた紋章の隅々を丹念に検証したオルフェリアは厳かに頷いた。
「確かに、我が家の家宝だと思います。その、断言するのは早計だけれど」
「で、きみはこれをどこで手に入れたんだ?」
オルフェリアの手元を覗きこんでいたフレンが質問をした。
「実は晩秋の頃に僕の商会とひと悶着あったアルメート大陸の男が持ってましてね。彼はこのご時世に奴隷商売をやっているような奴だったので、まあそれでちょっと色々とありまして。で、彼がなにやら身の丈に合わない宝石を後生大事に守っていたものでつい奪い取った次第で」
ファティウスはひょいと肩をすくめた。
オルフェリアは首をかしげた。商売でひと悶着あって、それでどうして宝石を奪うことになるのだろう。分からない。
「ファティウス。ちゃんと分かるように説明をしてほしい。オルフェリアが吃驚しているだろう」
「はいはい。あんまりこちらの手の内は明かしたくないんだけどなあ」
おどけたように含み笑いをするファティウスはそれでも、順を追って話してくれた。
彼の母国デイゲルンはアルンレイヒの東隣の国である。南の海沿いに飛び地として領地を持つデイゲルンの立地を生かしファティウスはいささか内向的な本国に嫌気がさし、気楽な王家の三男坊という立場を最大限に利用して自身の商会を立ち上げた。
船を介した外国との貿易で財をなし、アルメート大陸や東沿岸国、果ては遠く離れた南の諸島などから品物を仕入れる商会を築いた。もちろん、実際に商会を取り仕切るのは別に雇った人間である。ファティウスは上がってくる書類に目を通し、兄王子らからの要請に従ってそれらの取引諸国の内情を報告するなどしている。元来外歩きが好きなファティウスは自分自身も船に乗り取引現場に赴くこともある。
「ま、そうした折に例の男と知り合いまして。彼はアルメート大陸で財をなした商人でね。生粋のアルメート生まれのアルメート人だから西大陸(こちら)のやり方を軽視していて。で、しかも奴隷商人だったんだ。裏でこちらの大陸の孤児たちを攫ってきてアルメート大陸で売り払っていたんですよ。最近はリューベルン連邦から逃げ出した貴族なんかも彼の毒牙にかかっていてね。で、デイゲルンとしても放っておけなかったし、乗りかかった船でやつを懲らしめようとしたんだけど、ちょっとした隙に逃げられてしまったという次第です」
ファティウスはなんのこともないとばかりに淡々と話した。
フレンは黙って彼の言葉を聞いている。
オルフェリアは話についていけずにフレンの袖をちょんちょんと引いた。小さな動作だったけれど、フレンはすぐに気がついた。それまでの険しい顔つきを一転させて、オルフェリアの方に顔を向ける。
「奴隷がアルメート大陸の主要な国で禁止されたのは知っているよね。もちろんこちらでも」
オルフェリアは曖昧に頷いた。
オルフェリアにとって大洋を隔てた新大陸の政治にまつわる話など、本の中の読み物と同じくらい遠い世界だ。とくに温室で大事に育てられた貴族の令嬢は世情よりも淑女としての嗜みを重点にしつけられる。
「とはいっても今までの因習をすぐに変えられるはずもなくてね。何より金が絡むとややこしいんだ。もっと南から人を連れてくるわけでもなく、同じ肌の色をした西大陸人をこのんで買おうとするアルメート人も少なからずいるし。もともと彼らはこちらからの移民だからね」
「デイゲルンの領内でも海に面した辺りで水面下で孤児を攫っていた男、名前はヴァスナーっていうんだけど、彼のことを兄たちからもどうにかしろって言われていたし。捕まえたら興味深いことを喚いていてね。なんでも、自分はメンブラート伯爵を継ぐ資格がある。証拠の宝石も持っているからこんな扱いをしてただで済むと思うな云々。眉唾だと思ったけど一応証拠とやらを確かめさせてもらって」
そこまで話してファティウスは目線をオルフェリアの手の中にやった。
「これが出てきたということですか」
「そういうこと。きみの家の紋章は僕も見たことがあったし。ちょっと強引に聞きだしたらとある商人から買ったと白状した」
「とある商人って誰ですか?」
オルフェリアはたまらずに質問した。一番知りたいのはそこである。
家を出たバステライドの消息を知る手掛かりになるかもしれない。
「そこまでは彼も知らないようでね。どうやら羽振りのいい物腰の優雅な男らしい。一年半ほど前にダガスランドのとある屋敷で買ったと言っていた」
「ダガスランド?」
「アルメート大陸の玄関口の都市の名前だよ。アルメート共和国にある」
「そんなところに……」
ということは大陸冒険旅行をしに行った父が資金に困って売り払ったのだろうか。十分に考えられる筋書きだ。
「ヴァスナーの寝言はさておき、曰くのある宝石を彼の手元に置いておくのもあれだったし、出どころも不審な点が多かったし。とりえあず取り上げさせてもらったんだ。元よりどうせ汚い金で手に入れたものだ。奴の手元に置いておく道理はない。そうこうしている間に実はヴァスナーに逃げられてね。宝石を取り戻そうとするはずだからおそらく西大陸をうろちょろするだろうと、行方を追っていたら彼は何を思ったかミュシャレン入りをしたという情報を貰ってね」
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