二章 なりゆきで花嫁修業1

 一方その頃。フレンが自身の心からまたしても逃げ出し、そのおかげで深みにはまっている頃。

 オルフェリアもまた、自身の心について盛大に持て余していた。

 あのとき(誕生日の日)のことを考えると毎日心臓が激しく鳴りっぱなしなのだ。わけもなくクッションを握りしめぎゅうぎゅうに押しつぶしてみたり、寝台の上でごろごろと転がってみたり、かと思えばフレンから貰ったブローチや返しそびれているカフスボタンの片割れを眺めて一人で赤くなっている。

 彼はオルフェリアの動揺なんてまるで気にしていないように、いや、気付かないように一人でルーヴェへ戻ってしまった。

 そのことも少し恨めしい。一言、誘ってくれたってよかったのに。


 ふう、とため息をつくと正面に座っている少年がカタンと茶器を受け皿に戻した。

「姉上、さっきから上の空だよ」

「え、ええと。大丈夫。わたしは元気よ」

 オルフェリアは慌てて取り繕った。上の空に対して元気よ、という返しもないだろうとリュオンは口を曲げたがオルフェリアは気付かない。


「お姉さんは恋人のことを考えていたんですよね。いやあ、いいなぁ。こんな可愛らしい女性に想ってもらえるなんて。ファレンストさんが羨ましいなあ」

「おまえはいちいちうるさいぞ!」

 したり顔で茶々を入れてくる同級生をリュオンは一括した。

「リュオンたら。駄目でしょう、友達を怒鳴ったら」

「こいつはいいんだ」

 リュオンがすかさず反論した。

「お姉さん、僕のことは大丈夫ですよ。リュオンのこれは愛情の裏返しですし、彼のおたけびは寮の名物ですから」

 リュオンの同室で友人のノーマンはあっけらかんと言い放った。その言葉を聞いて二の句が継げなくなったリュオンは面白くなさそうに息を吐いた。


 オルフェリアがミュシャレンの叔母の元に身を寄せていると知ったリュオンは休日のたびに遊びに来るようになった。今日も週に一度の休日で、同室のノーマンも連れ立っている。彼と顔を合わせるのも二度目だ。前回はリュオンの姉見たさに四人の友人を引き連れてやってきて、ヴィルディーはいたく感動していた。


 子供がいない彼女は家の中が賑やかになって楽しいわね、と喜び沢山のお菓子を用意した。育ち盛りの少年たちはそれらを残らず平らげて、ヴィルディーとオルフェリアを感心させた。育ち盛りが掛けることの四人。すさまじい食欲である。


「それにしてもファレンストさんフラデニアにいるんですね。また色々とお話聞いてみたかったのになあ」

 ノーマンは残念そうにつぶやいた。前回彼らが遊びに来ていた時、フレンもちょうどオルフェリアを尋ねてきて(例の誕生日事件前の話だ)、リュオンと盛大に言い争ったのだ。結局は全員でお茶の席を囲むことになり、社交的なノーマンはやり手のファレンスト商会の話を聞きたがった。

「ええ、彼も色々と忙しいのよ。ルーヴェでやることがあるんですって」

 もうずっと彼の姿を見ていないオルフェリアはここのところ元気がない。

「それはさみしいですね」

「僕はぜんっぜんさみしくなんかないぞ。姉上もあんなやつのことはさっさと忘れて」


「忘れるなんて……」

 できるはずないじゃない……、彼ったらあんなこと、したのよ、と頭に浮かべて顔を赤くした。いや、あんなことはまだされていない。勝手にオルフェリアが想像しているだけで。断じて違う。もしかすると、顔に何かついていて、彼はそれを取ろうとしただけかもしれないし。

 急に赤くなって黙り込んだオルフェリアにリュオンは不機嫌な眼差しを贈ったが、彼女は気付かない。

 気付いたのはリュオンの隣にいるノーマンだけである。

「ええと、僕なにか飲み物のお代わりがほしいなあ、なんて」

「あら。ごめんなさい。気がつかなくて。何がいいかしら……。そうだわ、フレンから貰ったココアがあるの。美味しいのよ。いかが?」

「ココアですか」

「ええ。なんでもカルーニャ王室御用達の老舗店の物なのですって」

 その説明にノーマンの瞳が輝いた。


「僕は飲まないぞ! そんなもの。ノーマン、おまえもファレンストのやつに懐柔されるなよ」

 リュオンが吠えた。最近彼は情緒不安定なようで、いつも叫んでいる。今度実家に手紙を書いて、なにか安らぎ効果のあるハーブのお茶でも送ってもらった方がいいかもしれないと考えるオルフェリアだ。

「えええ、僕はせっかくだから飲んでみたいな。家で自慢できるし。アルンレイヒじゃ滅多に手に入らないよ。もちろん手に入るけどさ、高いし。去年の夏だって、ボードガン侯爵家のリーゼラに無駄に自慢されたって姉さんがぐちぐちぼやいていたし」

 リュオンの不機嫌さもノーマンにかかれば赤子を相手にするようなものである。なんだかんだといい組み合わせなのかもしれない。寄宿舎に入ってよかったと、胸の中でほっと息をついて、オルフェリアは使用人を呼んだ。


 その後、ココアで一息をついたオルフェリアらはせっかくだからと近くの店に連れ立ってリュオンの土産を身繕った。寄宿舎生活をしていると実家からの差し入れの頻度とその物品によって寮内での位置づけが変わるらしい。フレンに聞いたことだった。

 それに弟とその友達と一緒にお土産を選んでいると、ちょっとお姉さんぶれて楽しかったりもする。


 お会計を済ませて店を出る時。リュオンが小声で話しかけてきた。

「リル姉さんから連絡あったけど、まだ何も掴めていないって」

 その内容にオルフェリアの表情が雲った。実家の家宝が盗まれたのはつい先日のことだ。リシィルはフレンやリュオンには報告するのにオルフェリアには何も言ってこない。それはおそらくダヴィルドがオルフェリアのことも連れ去ろうとしたからだ。オルフェリアだって伯爵家の一員なのに、フレンには教えて自分がのけ者にされるとそれはそれで面白くない。

「だから、僕は僕で探ろうと思うんだ」

「なにするのよ」

 オルフェリアは声をひそめて尋ねた。

「うん。僕の先輩に骨董宝石の蒐集を趣味にしている人がいるんだ。その人に会おうと思う」

「若いのに優雅な趣味を持っているのね」

「正確には先輩の父親や祖父の趣味らしい。で、先輩も幼いころからその手の話を聞いて育っているから詳しいんだ。そういう古いものを専門に扱う商人にもくわしいはずだ」

 そこでオルフェリアは弟の意図を悟った。

 ダヴィルドが盗んだダイヤモンドをどこかの流通経路に流す可能性に賭けているのだ。


「その先輩って、寮にはいないの?」

「去年卒業した」

「そうなの。で、名前は? 卒業しているのならわたしからでも連絡を取れるでしょう?」

「まずは僕から手紙を書くよ。未婚の令嬢が、気安く男性に手紙を書くなんて、駄目に決まっているだろう」

 そこでオルフェリアはうっと言葉に詰まった。

 確かにその通りだからだ。そもそも紹介もなしに、いきなり連絡を取るなんて非常識だ。


「なになに~、何の話?」

 そこでノーマンが二人の会話に割り込んできて、なし崩し的にこの話題は終了となった。

 オルフェリアにしてみたらいい情報を貰った物でもある。

 ダヴィルドの行方は依然として掴めないが、アプローチの仕方を変えて、宝石の行方を捜すという手もあるのだ。

 フレンにばかり頼っているのも悪いし、そもそもこれはメンブラート家の問題でもある。オルフェリアだって報告を待っているだけではつまらない。


◇◇◇


 ダイヤの行方を掴んでやる、と意気込んでみたものの、令嬢にできることなんて限られている。

 これといって伝手もないし、そもそも令嬢の行動範囲なんて狭いものだ。なかなか良い策が浮かばずに日々を過ごしていた日のことだ。ヴィルディーからパニアグア侯爵家に招待されていると聞かされた。

 いささか急な呼び出しだったが、とくに予定もないオルフェリアはミネーレによってあっという間に着替えさせられた。


 森色の縦縞の生地に小さく花のプリントがされているドレスだ。ドレスの後ろには同じ生地でつくられた大ぶりのリボンがあしらわれている。袖のレエスはドレスの色よりも一段暗い色で冬らしいコントラストだ。


 ヴィルディーと連れだってパニアグア侯爵家を訪れると、侯爵夫人オートリエの笑顔で出迎えられた。とても二十代の娘がいるようには思えない溌剌とした夫人はオルフェリアを歓待し、抱きしめた。

「急な誘いに乗ってくれてありがとう。オルフェリア」

「いいえ。こちらこそ新年のご挨拶が遅くなってしまい申し訳ありません」

 日当たりのよい応接間に通されたオルフェリアの前には小さな焼き菓子がたくさん乗った皿が並べられている。

「わたしも一度はご挨拶をと思っておりましたのに、遅くなってしまい申し訳ございませんわ。オルフェリアの叔母のヴィルディー・インファンテと申します」

 ヴィルディーが神妙な顔で挨拶をした。

「いいえ。こちらこそ、甥っ子がいつもお世話になっておりますわ。彼もねえ、仕事にかまけてばかりで婚約者を放っておいて一人でルーヴェに行ってしまうだなんて」


 オートリエが子供をたしなめるような顔をした。彼にとってフレンはいつまでたっても小さな子供のようなものなのだ。

「いえ。忙しい人なのは承知ですから」

 オルフェリアは冷静に返した。

 それを見たオートリエは小さく目を見開いて、それから口元に笑みを浮かべた。

「あら、今からそんなに聞きわけがよくては駄目よ。婚約者をほっぽって仕事にかまけるなんて、結婚したら安心したとばかりに仕事人間になるに決まっているんですから。こういうのは最初が肝心なのよ」

 オートリエはずいっと身を乗り出した。

「えっと……」


「そうそう、わたくしずっと聞きたかったのよ。あなたたち、式の日取りは決まったの? ルーヴェで挙げるのかしら。教会はどちらに? ドレスはどうするの?」

「え……」

 突然の質問攻めにオルフェリアは目を白黒させた。

 一体何の話だ。

「だいたい、フレンたら何も教えてくれないのよ。いっつもはぐらかしてばかりで」

 オートリエは尚も言い募る。だから一体何の話だろう。

「オートリエ様。彼女困っていますわ」

 すると、第三者の声がすっと割り込んできた。


 オルフェリアは声のした方へ振り返った。

 黒髪に濃い紫色の瞳をした女性が立っていた。同じ髪と瞳の色を持っている彼女に対してオルフェリアは親近感を持った。きっと彼女も北の民族の血をひいているのだろう。


「あら、ダイラ来たのね」

 オートリエは立ち上がってダイラと呼ばれた女性へ寄った。

 切れ長の瞳をした、真面目そうな印象の美しい女性である。黒髪を頭の後ろで一つにまとめている。

「オルフェリア、紹介するわね。彼女はダイラ・リバルス夫人で、わたくしの義理の妹に当たるわ。彼女の結婚相手が身分ある男性でね、便宜上わたくしの父の養女になったの。フレンとは義理の叔母と甥という関係に当たるわね。今後何かで会う機会もあると思うから紹介しておこうと思って」

「あくまで書類上のことだけですのでお気遣いなく」


 ダイラは事務的に頭を下げた。くすりとも笑わない、どこか冷たさを感じさせる女性だ。

 オルフェリアも人のことをいえるくらい愛想があるわけでもないけれど、彼女もそれと同じくらい表情が読めない。

 オルフェリアはダイラのお腹のあたりを注視した。とても大きく膨らんでいる。


「ダイラは今妊娠中なの。もうすぐ臨月ね。彼女の夫は王宮の近衛騎士をしていて、勤務も不規則だし、彼女の母親は今外国にいるからわたくしが面倒を見ようと思って引き取っているのよ」

 オートリエの説明を一通り聞き終わると、ダイラはもう一度お辞儀をして退室した。

 本当に挨拶だけしにきたようだ。

 彼女のさっぱりとした性格をオートリエも熟知しているのか、とくに引き留めるわけでもなくオートリエも見送った。


 そして再びオルフェリアに向き直る。


「それで、本題よ」

「何がでしょう」

 本題の見当もつかないオルフェリアはオートリエに聞き返す。

「あなたとフレンは一体いつ結婚式をあげるつもりなのか、ってことよ」

「えっ! 結婚式!」

 再びずいっと身を乗り出されて、オルフェリアはすっとんきょうな声をあげた。

 結婚式だなんて、そんな。

 オルフェリアとフレンはただの偽装婚約だ。式を挙げる予定なんてまるでない。


「え、じゃありません。フレンも婚約したら安心とばかりに仕事ばかりだし。あなたね、駄目よ。ああいう男はのらりくらりといつまでたっても行動を起こさないんだから。ここはオルフェリア、あなたがしっかり手綱を握って主導権を握らないと」

「侯爵夫人の言うとおりですわ。オルフェリア、わたしも常々聞きたかったのよ。あなたたち、婚約は電撃的だったのにそのあとの、結婚ということになった途端にのらりくらりと。夫とも話していたのよ。あなた達この春に結婚する気はあるのかしら、って」

「けけけ結婚だなんて……そんな……。わたし十七になったばかりだし」


 オルフェリアは赤くなって言い訳をした。フレンの隣で花嫁衣裳を着ている自分を一瞬だけ想像してしまい声が裏返ってしまうのを自覚した。

 なんて心臓に悪い話題だろう。

「まーあ、オルフェリア。駄目よ。若さの上に胡坐をかいていては! いいこと、今は確かに十七歳かもしれないけれど、すぐにあなたも年を取るのよ! 十八,九まで待ってそのあとにフレンにぽいって捨てられたらどうするの? もちろんそんなことしたらわたくしが彼を許しませんけどね。過ぎた時間は取り戻せないのよ。そのときになってからだと遅いの!」

「そうよ。まだ自由でいたいっていうのもわかるけれど。それだったら結婚してからのんびりすればいいでしょう。子供はまだ先にしても、さっさと結婚だけはしたほうがいいわ」


(子供!)

 再びオルフェリアはびくりと反応した。


 オートリエが身を乗り出して力説すればそのあとをヴィルディーが引き継いだ。

「とにかく結婚よ、結婚。式はどうするの? こちらにも予定というものがあるのだから日取りくらいは先に決めておかないと。招待状を出すのだって大変よ。もちろん教会を押さえるのもね。ルーヴェかミュシャレンか、どちらを考えているの?」

「やっぱりファレンスト家に嫁ぐのだからルーヴェでしたほうがいいのかしら」

 オートリエが式場について問うとヴィルディーが頬に手を当てて思案顔で答える。

「あら、お披露目の会はこちらでもしたほうがいいのではなくて。ファレンスト商会のミュシャレン支店もあることだし、フレンもこの数年でアルンレイヒで懇意にしている人も増えたもの」


「そうですわね。あとは花嫁道具も揃えないと。カリティーファったらそのあたりのことも全然気にしていないのよね。まったく、あの子は」

 と、今度はオルフェリアの母のことに話が移った。にぎやかな席が大の苦手な母親はもちろんオルフェリアの結婚式なんてまだまだ先のことだと思っていることだろう。もちろん家令のカリストも同様である。婚約がなんとなく認められて、実際に結婚するのは一年くらい先という雰囲気が実家では漂っている。ついでにオルフェリアだってフレンとの婚約はあくまで偽装だからとなにも考えてこなかった。まさかこんなにも結婚式のことで外野がやきもきしていたなんて。



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