二章 なりゆきで花嫁修業2

「そうだ、大事なことがあったわ。ドレスはどこで仕立てるのかしら。やっぱりルーヴェの方がいいわよね。ミネーレとも相談しないと」

「あ、あの……」

「でも奥様、それだとアルンレイヒ伝統の刺繍ができませんわ」

 オルフェリアがなんとか会話に割り込もうとするけれど、大人の女性二人の会話は止まらない。


「あらそうだったわ。アルンレイヒでは花嫁衣装に花嫁手はずから刺繍をする習慣があるのよね」

「ええそうですわ。花嫁や、女姉妹に友人らが幸せを願ってドレスの一部に刺繍を施すんですよ。確か、王太子妃殿下もされたとか」

「ええそうなの。わたくしも参加しましたわ。そうねえ、ルーヴェで仕立てるとなるとそれが出来なくなるわね。だったらいっそのことルーヴェから仕立て人を呼び寄せましょうか。ドレスの色はどうしましょう」


 オルフェリアは青くなった。

 勝手に話が盛り上がり過ぎている。本人を無視して結婚式の日取りまで決められそうな勢いだ。結婚式なんてするわけがないでしょう! と今すぐ叫び出したい。

(だ、大体わたしとフレンはなんともない関係なのよ……)

 自分で考えておいてオルフェリアは内心沈んだ。大体フレンたら一人でフラデニアに行っちゃうくらいだし。


「あなた、何色が好みかしら?」

 と、オートリエが突然聞いていた。

 この流れからすると花嫁衣装の色の話だろう。勝手に進んでいく自身の結婚式の話をどうにか遮らないといけない。

「あの! わたしたち、本当にまだこれからなんですっ! こういうことは、まずフレンの予定を聞かないと」

 オルフェリアは彼女にしては大きな声を出して夫人二人の話を遮った。

 立ち上がって、両手をテーブルの上について交互に二人の顔を見た。オルフェリアの声に驚いて二人はぴたりと口をつぐんだ。


「でもねえ……」

「わたしたちはあなたのことが心配なのよ」

 大人はすぐにその言葉を口にする。心配といえばなんでも許されると思っているのだ。

「それは、わかるけれど……。今は決められないんです。フレンもいないし」

 小さく呟くと二人の夫人も沈黙した。


 少しきつく言い過ぎただろうか。二人はオルフェリアのことを心配しただけなのに。確かに婚約した親戚がその後の進展もなしに暢気に過ごしていたら突きたくもなる。

「分かったわ。式の日取りについてはフレンが帰ってきたら改めて問いただすことにしましょう。オルフェリアはその前に別のやることをしましょうか」


 しばしの静寂の後にオートリエがからりと明るい声を出した。

 切り替えが早いのもオートリエの特徴だ。明るい思考の持ち主である彼女は気持ちの切り替えも早い。

「別のこと、ですか?」

「ええそう。大事なことがもう一つ。花嫁修業よ! お嫁さんといえば花嫁修業。フレンが帰ってくるまでわたくしが手取り足とり、みっちり指導してあげるわ」

 オートリエはにこりと笑った。

 笑顔にどこか一種迫力めいたものを感じてオルフェリアは少しだけ片方の頬を引きつらせた


◇◇◇


 結婚式の日取りの話から一転、なぜだか花嫁修業をする羽目になった。

 というわけでオートリエの元に通うことになったオルフェリアである。ちなみにミネーレも一緒だ。

 ファレンスト家の嫁として求められることの一つにオートリエは語学力をあげた。


「さて、これからロルテーム語で会話をしましょう。じゃあここから切り替えるわよ」

 オートリエが高らかに宣言をして、出席者全員ロルテーム語縛りという刺繍の会が始まった。

 パニアグア侯爵家の居間にいるのは四人の女性である。

 オートリエ、オルフェリア、ダイラとミネーレだ。ミレーネが本日身にまとっているのは付添人用のドレスである。


「ほら、オルフェリア。何か話さないと勉強にならないわよ」

 オートリエはさっそく手厳しい一言を口にした。

「ええと。今日はいい天気ですね」

 オルフェリアはロルテーム語が苦手だ。実家では主にリューベルン語を習っていた。ロルテーム語の基礎も一応習っていたけれど、なんとなく敬遠しているうちにミュシャレンへとやってくることになって、そのままになっている。

「そう……ですね。曇ったです」


 しどろもどろに単語をつなげるのはミネーレだ。彼女は帳面持参でこの会に参加している。どうしてミネーレが同席しているかというと、オートリエが『ファレンスト家の奥様付き侍女ともなればロルテーム語は必須条件よ。あなたも今後ともオルフェリアに仕えたいなら今のうちから勉強しておきなさい』とミネーレに通告したからだ。


 国内の流通だけでなく外国と幅広く貿易を手掛けるファレンスト家には、もちろん海外からの客人も多い。フラデニアの北にあるロルテーム王国は貿易が盛んな国として有名だ。ファレンスト商会ももちろん彼の国に支店を構えている。海を隔てたアルメート大陸に最初に入植したのがロルテーム人ということもあり、現在アルメート大陸ではロルテーム語が主流である。

 そんな事情もあり、ファレンスト家ではリューベルン語よりもロルテーム語の方が流用度が高い。


「もう、天気の話ばかりだと会話にならないでしょう。ねえ、ダイラ」

「そうですね」

 ダイラは綺麗な発音のロルテーム語を披露したが、返事の後会話を広げるでもなくぶつ切りしてしまった。

「もう、ダイラったら相変わらずなんだから。あなたもたまにはのろけて見せなさい」

「のろける要素が皆無ですが」

「ええ、そうなの? 旦那様のかっこいいところとか、胸がキュンとしたところとか、なんでもいいのよ」


 ちなみに全部ロルテーム語で話しているためオルフェリアは会話を聞きとるだけで精いっぱいだ。そんなに早口で話さないでほしい。

 オートリエは小さなころからロルテーム語を習っており、母国語のように操ることができる。ダイラは上級学校でしっかりと習ったとのことだった。上級学校では主席を争うほどの成績を収めていたとは、オートリエが自慢げに話していたことだ。


「そんなところありません」

「オルフェリアだって、今後の参考のために聞きたいわよね?」

「えっ? ええと。あー……、その。はい。聞きたいです」


 何が聞きたいのか、直前の会話が聞き取れなかったけれど、とりあえずハイと返事をした。外国語会話あるあるの一つ、質問にはとりあえず肯定表現で返事をしておく、というやつである。

 会話に忙しい三人の刺繍の手は止まったままだ。ダイラはどちらかというと刺繍の方を熱心に刺している。


「参考になんてなりませんよ。あの人はいつも軽薄なことしか口にしませんから。毎日性懲りもなくベタベタとまとわりついて、うっとうしいったらありゃしない。おまけにお腹に向かってぞくっとするほど変な声を出す始末。あれでよく近衛騎士が務まるかと毎日不思議でなりません」

「ダイラったら……」

 あまりの辛辣な表現にオートリエの方が固まった。


 オルフェリアはいささか早口なロルテーム語の聞きとりについていけず、なんとなく否定形の文法を彼女が使ったな、といったことを理解しただけだった。ミネーレは目の前で繰り広げられる外国語の会話に目を白黒させている。

 これから甘甘新婚生活を迎えるオルフェリアに聞かせる話ではないと即座に切り替えて、今度は自身の話を披露することにする。

「じゃあ今日はわたくしの話を披露しようかしら。わたくしがセドニオ様と出会ったのは、ちょうどオルフェリアと同じくらい、少し上の頃のことだったかしら」

 そして次に始まったオートリエの旦那様との馴れ初め話に延々二時間付き合わされる羽目になった。話の内容は三割くらいしか聞き取れなかった。


 刺繍はちっとも進んでいない。唯一ダイラだけがちくちくと針を動かしていた。

 今日一日の成果を鑑みて、オートリエは「やっぱり基本をもう少し勉強しましょうか」という結論を下した。

 ということで次からはオートリエがロルテーム語教師を手配することとなり、ミネーレと二人で机の上にかじりつくことにった。


◇◇◇


 フレンがルーヴェへ単身渡って二週間。オルフェリアはフレンへの恋しさを募らせる暇もないくらい忙しい日々を送っていた。

 オートリエの課す花嫁修業のおかげである。

 毎日ロルテーム語の教本とにらめっこをし単語を頭に叩き込んでいく。ある程度ロルテーム語を覚えたら今度はインデルク語もしくはカルーニャ語も習いましょう、と言われている。大陸西側で一番通用する言語はアルンレイヒやフラデニアなどで使われているフランデール語である。アルンレイヒ南側の諸国も同じ言葉を使っており、またデイゲルン語はフランデール語ととても似ている。


 社交なんて興味がない、とあまり語学に熱心ではなかったつけが回ってきてしまった。

 フレンの手助けになるならと、無意識にけなげさを発揮するオルフェリアである。

 他にもオートリエに連れられて色々な婦人の集いに連れ回されている。リュオンは相変わらずしょっちゅう顔を出す。なんだかずいぶんと賑やかな生活になった。


 今日もオルフェリアはオートリエに連れられてとある侯爵家の夫人が主催する刺繍の会に参加することになっている。この時期庭園で園遊会、などということは出来ないので社交の場が室内に限定される。夫が国の要職についている場合そのまま王都に残る貴族も少なくないため、冬場でもこうした集まりは多いのだ。


 通された応接間はいくつかのグループに分かれていた。各それぞれがソファに座り、銘々に刺繍に励んでいる、というより、針と糸を手にして談笑している。

 主催者である侯爵夫人に挨拶をし、彼女に連れられてオルフェリアは同じ年頃の少女たちが座るテーブルへと案内された。


 どうやら世代ごとに分かれているらしい。

 オルフェリアは内心気おくれした。フレンと婚約をする前は意地悪令嬢などという異名をとっていた。というか、はっきり自分の言葉で話してしまうオルフェリアの言動がお嬢様たちの間で浮いてしまうのだ。

 ソファ席には五人の少女たちが腰掛けており、ソファに合わせた台座の低いテーブルにはお茶や焼き菓子が置かれている。


「みなさま。メンブラート伯爵家のオルフェリア様ですわ。パニアグア侯爵夫人のご紹介で、今日は初めての参加なのよ。どうぞ仲良くして差し上げてね」

 やや甲高い夫人の声に合わせて、五人の少女たちが一斉にオルフェリアに注目した。

「ふつつか者ですがよろしくお願いします」

 オルフェリアは丁寧にお辞儀をした。

 顔をあげると見知った人物を見つけて、オルフェリアは心の中で「げっ……」と呟いた。

 黒髪を編み込んでりぼんで留めているミリアム・ジョーンホイル侯爵令嬢と亜麻色の髪に白いレエスがたっぷりとついたカチューシャをつけているカリナ・オズワイン子爵令嬢である。オルフェリアになにかと絡んでくる三人娘である。


(あれ、一人足りない……?)

 特技、泣くことのレーンメイナ・ハプニディルカ伯爵令嬢が見当たらない。


 いつも三人一緒に行動していたのに、どうしたんだろう。などと頭の中に疑問符を浮かべていると、手前に座っていた令嬢が立ち上がってオルフェリアを案内してくれた。

「ごきげんようメンブラート様。オルフェリアと呼んでもいいかしら」

「ええ、もちろん……」

 目の前の金髪の女性がやわらかく微笑んでくれたのでオルフェリアはホッとした。しかし、彼女の名前が分からない。

「わたくしはレティーア・パレ・ドルスエルですわ。昨年結婚しましたの。夫はいずれドルスエル侯爵の名前を継ぎますの」

「よろしくお願いします、レティーア様」

「まあ、レティーアと呼んでくださって構いませんわ」

 レティーアはころころと笑った。親しげな態度にオルフェリアの緊張の糸がほどけていく。

レティーアが席を詰めてくれたのでオルフェリアは彼女の隣に腰を下ろした。手に持っていた裁縫道具から道具を取り出して、彼女らと同じように布に針を刺す。


「みなさんオルフェリアとは面識があるのかしら?」

「たしかミリアムとカリナは仲がよかったのではないかしら」

 と、赤毛の少女が口を開いた。

 ミリアムは沈黙を守っていたが、話を振られたので口を開いた。

「ええ。去年の夏ごろまでは親しくさせていただいていたわ。けれど、彼女ったら婚約した途端に婚約者とばかり出かけるようになって。それからは……ね」

「あら、婚約したばかりだったのでしょう。でしたら仕方ありませんわ。婚約したての頃って一番楽しい時ですもの」

 むっつりとしたミリアムの言葉に被せるようにレティーアがオルフェリアに向かって頷いた。

「え、ええ。そうなんです。ちょっと、あの時は婚約したてで浮かれてしまっていて」

「まあ可愛らしいわ」


 うかつなことを言えばまた意地悪令嬢に逆戻りである。オルフェリアはなにが正解なのか分からないまま手探りで会話を始めた。

 というかここにいる女性たちは全員オルフェリアがどんな評判で、誰と婚約しているかなんてわかりきっていることだろう。

 四人からフレンの人となりや婚約したいきさつなどを質問されて、答えて、が終わると話題が転換した。


「オルフェリアはパニアグア侯爵夫人とは親しいのかしら」

 先ほどの赤毛の令嬢が質問をしてきた。会話の中で一通り自己紹介をしてもらった。彼女はアデーミラという名前の男爵令嬢だ。

「ええ。フレンの叔母にあたるので、色々と面倒を見てもらっているの」

 そこで一同納得したようにうなずいたり互いに目を見合わせたりした。フレンは普段自分からパニアグア侯爵家と姻戚関係にあることを吹聴しない。

「そういえば、そうでしたわね」

「パニアグア侯爵夫人といえば、慈善事業や奨学金の基金の立ち上げなど、社会貢献活動に熱心なのよね」

 と、発言をしたのはジョランダ。彼女は子爵令嬢だ。父は王宮に出仕していると言っていた。


 彼女の言葉から、四人はひとしきりオートリエの活動を褒め称え、最後に娘であるレカルディーナ王太子妃を褒めちぎった。

「そういえば、パニアグア侯爵家には現在、ご婦人が一人滞在されているのでしょう」

 これを言ったのはカリナだ。

「あら、リバルス卿の細君ですわね」

「リバルス夫人といえば……」

「ああ、あの」

 令嬢たちはお互いに目を合わせながら含みのある言い方をする。

 おそらく先日紹介されたダイラのことだろう。なんとなく、この場の空気に嫌なものが含まれた気がするオルフェリアだった。


「彼女も、こういってはなんですけど、うまくやりましたわよね」

 アデーミラが口元に小さな笑みを浮かべた。

 オルフェリアは首をかしげた。何をうまくやったというのか。けれど、オルフェリア以外の人間はうまくの内容を知っているようで、口にはしないけれど、彼女らにしか分からないような身内の空気を作っている。


「元をただせば労働者階級なのでしょう。リバルス家も次男の婚姻とはいえ、よく許可しましたわね」

「あら、そこは王太子妃様の覚えめでたい女官ですもの。後見にパニアグア侯爵夫人がつくとあれば反対できるはずもありませんわ」

 したり顔で説くのはジョランダだ。琥珀色の瞳にはどこか冷めた色を浮かべている。

「宮廷女官と近衛騎士ですもの。取り入る機会は山のようにありましたのでしょうね」

「彼女よいものを持っていらっしゃるものね」

 無邪気に一言添えたのはカリナだ。

「もう、カリナったら。駄目よ、そういう風に話したら」

 ミリアムがカリナをたしなめた。しかし、その顔はどこか作り物めいていて、オルフェリアはミリアムが本気でカリナのことを叱っていないことを感じ取った。


「やっぱり体を使ったのかしら」

「あら、体以外にも知恵の働く方ではなくて。王太子妃様も侯爵夫人もすっかり懐柔されていますもの」

 くすくすと意地の悪い笑みをこぼしたのはアデーミラである。そこでようやくオルフェリアはこの場にいる全員がダイラのことをよく思っていないことを悟った。


 この場にいるのは貴族階級の女性たちだ。

 この五人の中でリーダー格と思われるレティーアは発言こそ控えているが、ダイラに対する陰口を止める気配もない。

「ねえ、オルフェリアはリバルス夫人にもお会いになったのでしょう?」

 話を振ってきたのはジョランダだ。邪気のない笑みを口元に浮かべている。


 オルフェリアは一気に冷めてしまった。

(ああそう。わたしにこの悪口大会に加われっていうのね)

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