一章 仮婚約者は迷走中4
◇◇◇
本日フレンが午後の仕事を片付け、夕刻に面会に訪れたのはとある目的のためだった。
ルーヴェ市内中心部に学舎を構えるルーヴェ大学である。フラデニアで一番権威のある大学で、フレンもこの大学の同窓生だ。歴史は古く、元をただせば古い時代の王が私財を投じて作らせた研究機関だった。
現在では貴族以外にも門戸が開かれ、フレンのような新興金持ちや中産階級などの子息が在籍をしている。
向かった先は文学部の歴史学科の研究棟。ルーヴェ大学はいくつかの建物に分かれており、経済学部に在籍をしていたフレンにしてみれば文学部の建物に足を踏み入れるのは今日が初めてだった。どこか浮世離れした風情を醸し出す学生が本を開いたまま廊下を歩いている。
面会の約束がある旨を伝え、研究室の応接間で待つこと数分。
中肉中背の初老の男性が奥の扉から姿を現した。眼鏡をかけた人のよさそうな人物である。
「私はボラトル・クレマンと申します。こっちは助手のルルーです。本日はなんでも尋ねたいことがあるとかで」
茶色い髪は伸び放題、無精ひげを離した男性が首をかしげた。クレマンの紹介を受けて、彼の後ろに控えていた男が会釈をした。こちらはまだ若い男性で、といってもフレンとそう変わらない年のころだった。
「はじめまして。ディートフレン・ファレンストと申します。本日はわざわざお時間を割いていただきありがとうございます」
フレンはクレマンと握手を交わした。
促されるままソファに座り、出されたコーヒーに手をつけずに本題を切りだした。
「実は人を探しているんです。名前はダヴィルド・ポーシャール。金髪に薄茶の瞳で年のころは二十代中ごろ。一見すると人のよさそうな、害のない雰囲気を持っていますが、人の懐にすっと入りこむようなタイプで、それでころっとだまされる女性も多いと思います。あれは絶対にそう装っていますね。そういうふざけた男です。本人いわく、ルーヴェ大学で歴史学を専攻していたと言ってますが」
フレンはいささか私情の交じった説明をした。
彼の説明を聞いたクレマンは首をかしげた。
「はて。学生は沢山在籍していますし、卒業生も含めるとそれこそ……。専攻はなんですかな」
「アルンレイヒの歴史を調べているようでしたから、西大陸の歴史を専攻してるのでは。ああそれと、彼は学生ではなく助手をしていたと言っていました」
彼本人が言っていた言葉だ。自己紹介の時にそう話していた。フレンは記憶力はいいほうなのである。
「はて。助手……」
クレマンは再び唸り始めた。腕を組んでソファに体重を預ける。
研究者の人間にはよくあることで、研究以外のこととなるとからきし何も目に入らなくなるというタイプも存在するが、果たして彼はその種の人間だったようだ。
「覚えはないですか。髪の毛はわりとぼさぼさで、いつも着古した上着を着ているような男です」
目の前の男性も着古した上着を着ていることに気がついてフレンは、これは研究者に共通する項目か? と内心唸った。
案の定、助手の男性が苦笑を洩らした。
「それはまさにこの研究室に通っている人間ほぼ全員に当てはまりますね。僕らは自身の身だしなみよりも研究書を読むことのほうが大事だと思う人種ですから」
「おおそうだ、ルルー君。きみ、心当たりはあるかね?」
クレマンは思考を放棄して助手のルルーに問題解決を委ねた。
「人を食った様な、態度の男です。心当たりありませんか」
「いつ頃在籍していたなどは覚えていますか?」
「それは聞いていません」
「そうですか」
ルルーは嘆息した。
「もしかしたら名前を変えているのかもしれない」
フレンはそう添えた。考えていたことだった。最初から宝石を盗むのが目的なら馬鹿正直に本名を名乗るはずもない。だったら、ルーヴェ大学に在籍していたというのも嘘の可能性のほうが高いが、手掛かりがなさすぎるので地道に潰していくしかない。
ルルーは再び思案気に空中に視線をやった。
しばらくして、彼はおもむろに口を開いた。
「そういう……どこか飄々とした男なら一人。心当たりがあります。ただし、彼は金髪でもなかったけれど。普通の冴えない薄茶の髪をしていました。名前はデイヴィッド。確か……デイヴィッド・シャーレン。覚えていませんか、教授。ほら、ライ教授の元を飛び出したインデルク出身の男です」
「デイヴィッド……デイヴィー……。ああ、確かいたなあ、デイヴィーかあ。懐かしいなあ」
「どんな男ですか?」
フレンは慎重に尋ねた。
「といってもここを去ったのは一年半くらい前ですよ。なんでも歴史書を読みふけるよりも面白い実地検証ができる場所がある、とかなんとか言ってふらりとどこかへ」
「その後の消息は? だれか彼の連絡先を知っている人はいませんか?」
「さあ、そこまでは。もともと彼は西のインデルク王国の出身だとかで。身内もフラデニアにはいないようだったし。師事している先生が違うものだから……」
ルルーは困ったような笑みを浮かべた。もともと交流がなかったのだろう。
「だったらライ教授とやらを紹介していただけますか?」
フレンにしてみたら有力な手がかりだ。リシィル嬢からの手紙には相変わらず消息不明だ、としか書かれていない。ここで引き下がるわけにはいかない。
「ええ、いいですよ。今日はまだいるかな。彼も割と研究のためとか言ってあっちこっち動き回るんですよ。この間もふらりとリューベルンまで足を延ばしてあやうくスパイと間違えられて拘束されそうになったとか、なんとか」
ルルーはそう言って応接間から出て行った。
フレンは待っている間に彼との会話を思い出していた。なにがフラデニア出身だ。嘘つきめ。ルルーの話すデイヴィッド・シャーレンがダヴィルドと同一人物だったら、髪の色から経歴まで何もかもが違ったことになる。しかし、ルーヴェ大学に在籍していたことは隠していないことになる。それも不可思議な話だ。
足跡をたどれば彼にたどり着けるような情報を提供していたことになるからだ。
彼は何をしたい? フレンは眉根を寄せた。
この件に関してフレンはオルフェリアを関わらせたくなかった。
ダヴィルドはオルフェリアをかどわかそうとしたからだ。会わせたい人物がいると、オルフェリアは彼から聞いたと話していた。それは誰だろう。あのとき、あの男がオルフェリアを連れ去っていたらと思うと、今考えただけでもフレンは足元が冷える。
ダイヤモンドの行方もダヴィルドの正体もできればフレンだけで解決をして、カリストとリュオンだけに報告をしたい。
そんな風につらつらと考えているとルルーが戻ってきた。
「すみません。教授はしばらく留守にしているそうです。ああでも、彼の助手がいますから今から案内しますよ」
「ありがとう。助かるよ」
フレンはルルーに連れられて別の部屋へと移動した。本が積み重なった研究室は埃っぽかった。自分よりも年上の黒髪の助手は神経質そうに目を細めた。
彼はデイヴィッドのことをよく覚えていた。
一見すると人のよさそうな笑みを顔に張り付けているが、その実食えない性格の男でちゃっかりと美味しいところを持っていく男だと話した。
「彼はインデルクの貴族筋の出らしく、自身もそのせいか大陸の貴族の歴史に興味を持っているようでした。まあ、もっともすでに没落していて金は持っていないとあっけらかんと言っていましたけどね」
インデルクはフラデニアの西側の半島部分と、その先の海峡を越えた二つの島からなる国だ。昔から半島内の国境線をめぐって何度も剣を交えてる相手だ。
フレンは自分の知る限りのダヴィルドの人相を目の前の男に伝えた。彼はおそらく同一人物だろうとの見解を示した。当時、彼が住んでいた下宿先の住所を紙に渡してくれた。
どうにか彼につながる手掛かりを得たが、やはりどこか釈然としない。
ダヴィルド、いやデイヴィッドは自分が捕まらないという相当の自信でもあったのか。それともまだこちらに用があるのだろうか。いや、あるのだろう。オルフェリアはまだフレンの元にいる。そこまで考えてフレンはため息をついた。
彼女の身の安全を考えるなら、フレンは彼女を手の届く範囲に置いておきたかった。しかし、自身の気持ちだって持て余している状況だ。それに対外的には婚約しているとはいえ、嫁入り前の令嬢を安易に連れ回すのもよくない。
その後フレンはルーヴェ大学に在籍をしている弟の元に顔を出してから帰路についた。
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