三部 花嫁修業はじめます

プロローグ

 冬期休暇が終わって、寄宿学校に帰ったミリアムを待っていたのは衝撃的な知らせだった。

 同室のレーンメイナ・ハプニディルカが婚約をしたというニュースだ。


「おめでとうメイナ。突然のことでびっくりしましたわ」

「ほんとうよ。それに相手はデイゲルンの第三王子ファティウス殿下ですって」

 同級生たちのお祝いの言葉を聞きながら、ミリアムは奥歯を噛みしめた。

 隣国の第三王子。

 それがレーンメイナのお相手である。


(メイナったら、ついこの間までお相手の候補すらいなくて困っている、なんて言っていたのに)


 級友たちに囲まれて、幸せそうに頬を染めるメイナが視界に入れば、ミリアムはついうらみがましい言葉を心の中で吐いてしまう。

 王位継承権から遠いとはいえ、王子だ。国王の息子なのだ。

 その息子と結婚するメイナは王子妃になる。ということは王族に名を連ねることになる。


 メイナの瞳は輝いていた。

 幸せを手に入れた女のみに許される、幸福の笑みというやつだ。


 同級生たちは純粋に祝辞を述べているのだろうか。メイナを取り囲んでいるうちの誰か一人くらいは、ミリアムのような複雑な心境をしているに違いない。

「メイナったら、一人でちゃっかり足抜けするんだもの。羨ましいわ」

「カリナ」

 いつから横にいたのだろう。窓際に所在投げに立っていたミリアムの隣にいつの間にかカリナがいた。


 寄宿学校の談話室には生徒の半数以上が鎮座してる。といってもミリアム達の通う聖ロサンタ女子寄宿学校の現在の生徒数は総勢十八名。半数以上といってもたかが知れている。

 しかし、生徒の半数以上は貴族の家柄の娘たちだ。

「メイナの領地に殿下が滞在していたのですって。で、休暇で里帰りしていたメイナが見染められたらしいわ」

「実は、メイナのお父様は彼女のお姉様と殿下を引き会わせたかったらしいわよ」


 ミリアムが声をひそめれば、カリナも同じように小さな声で返してきた。

 メイナには二つ上の姉がいる。なるほど、順当に行けば確かにメイナよりも彼女の姉の方にこの話は回ってきそうなものだった。

 ミリアムは再びメイナへと視線を戻した。

 同級生から質問攻めを受けた後は、感動のお別れへと順調に移っているようだ。

 婚約も吃驚なら、寄宿舎を退学するということも急な話で、昨日メイナから直接聞いた時はミリアムも息をのんだ。


『殿下ったら、婚約したからにはすぐにでもデイゲルンの両親にわたくしを紹介したいっておっしゃって。挨拶の後は花嫁修業なのだそうよ。婚約式をして、それからあちらの風習などを学ぶのですって』

 と彼女は嬉々として語っていた。


 別に婚約自体は珍しいことではない。何しろメイナもミリアムも貴族の令嬢なのだから。

 アルンレイヒは隣国フラデニアに比べると保守的なお国柄だ。伝統的な貴族の令嬢は家に家庭教師を雇い、外国語や楽器や詩などを学ぶ。聖ロサンタ女子寄宿学校も前進は修道院で、貴族の令嬢を受け入れていた歴史ある院だった。それが時代の流れとともに変遷し現在のような花嫁学校となった。もちろん、敷地の隣には純然たる修道院も存在する。

 この学校に入れられる娘たちにもさまざまな事情がある。

 現在の王太子妃レカルディーナが思春期を寄宿学校で過ごしたこともあり、最近では俄かに娘を寄宿学校に入れようと考える貴族も増えてはきたけれど。


(わたしなんて、完全にお荷物扱いだし)


 ミリアムはため息をついた。

 在学中に婚約が整え、卒業を待たずして嫁ぐ娘もちらほらいた。ミリアムと同い年では一人、昨年南の国境を隔てた国に嫁いでいった子がいた。学校に入るまえから許嫁がいる娘もいる。ミリアムにとっては心底うらやましい限りである。

 貴族の令嬢にとって結婚とはその後の人生を左右する死活問題である。

 しかも現在、アルンレイヒの王太子は既婚で、めぼしい王族の男性は皆無だ。この国の頂点を目指すことができない。ついでに王族縁の貴族の未婚男性もいない。要するにアルンレイヒにおける婚活市場で、有力物件が限りなく少ないのが現状なのだ。


 寄宿学校でのんびり卒業を待っていたら、ただでさえ少ない有力物件が他に取られてしまう、とばかりにミリアムはメイナらとともに昨年から熱心に婚活を始めた。

 その友人が勝手に一抜けしたのだ。実家の縁を使って。

 メイナは一見すると優しげな風貌とおっとりとした口調で騙されがちだが、自分の見せ方を熟知している女である。しかも特技はすぐに泣けること。

 どうせ姉に代わって自身をうまくアピールしたに決まっている。お得意の涙と上目づかいで。


「結婚式呼んでくれるわよね、メイナ」

 カリナが弾んだ声を出した。

 カリナはすぐに割り切ったようで(彼女の実家は可も不可もない子爵家だから王族の嫁なんて野心は持ち合わせていない)、彼女の友人であるメリットを計算している。


 ミリアムも顔を引き締めた。

 ここで嫉妬を丸出しにするよりも、メイナとはぜひとも仲良くしておかないと。彼女の結婚式にはきっと近隣諸国から多くの賓客が押し寄せるだろう。

 ミリアムには絶対に譲れない条件がある。結婚相手は侯爵以上であること。これだけは譲れない。女の幸せは結婚相手にかかっているのだ。兄嫁に大きな顔をされないためにも、ミリアムはなにはなんとしても実家の爵位以下の男に嫁ぐわけにはいかないのである。

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