こぼれ話 ほんの少しの間でも

 実家から帰ってきたオルフェリアは最近なにかと騒がしい。

 何が騒がしいのかというと、自身の心の中がだ。

 フレンに会えない日が続くとさみしくて仕方なくて、今日のように、仕事帰りにオルフェリアの元に寄って顔を見せに来てくれればそれだけで心の中にろうそくの灯が灯ったかのように温かくなる。

 玄関ホールでフレンを出迎えたオルフェリアは、しかしその直後すぐさま後悔した。


(よりにもよって、なんで今日にかぎってエプロンドレスなんて着ているのよ……)


 もうすぐ十七だというのに、今日のオルフェリアは小さな子供が身につけるような、ふくらはぎがみえてしまうエプロンドレス姿だった。髪の毛にはドレスと同じ淡い藤色のリボンを結んでいる。


「ええと、ずいぶんと可愛い恰好をしているね」

「子供みたいって笑っていいのよ」

 オルフェリアはいたたまれなくてぷいっと横を向いた。


(こんなことなら、散歩から帰った後ちゃんと着替えればよかった)

 誰とも会う予定がないし、まあいいか、と横着をしたのは自分自身だ。

 オルフェリアを見下ろしたフレンの反応が怖くて彼の顔を直視できない。

 子供っぽいと呆れられていないだろうか。


「いや、笑わないけど。なんとなく、いけない気にはなる」

「いけない気って?」

 フレンの声音に非難めいたものがなくて安心したオルフェリアは彼を仰ぎ見た。

 フレンと目が合って、再び視線を斜め下に向けてしまう。なのに、彼の顔を視界に入れたくて、そわそわする。


「いや、なんというか……」

 フレンは何かを誤魔化すようにごほんと咳払いをした。

 玄関ホールにはミレーネも控えている。

「そもそも、どうして今日に限ってこんなにも可愛い恰好をしているの?」

「午後に三軒隣に住むトールのお散歩に付き合ったのよ。近所の公園まで行って、一緒にボール遊びをしたの」

 だから丈の長いドレスよりも動きやすいエプロンドレスを着たというわけだ。

「トール?」

 男の名前にフレンが眉をひそめた。


「ヴィルディー様が懇意にしているご夫人の長男で、元気な五歳児ですわ。ときどきオルフェリアお嬢様もトール様と乳母のお散歩に付き合っておいでなのです」

 フレンの訝しげな問いにすかさずミレーネが答えた。


「彼ったら元気いっぱいなのよ」

 オルフェリアにも小さな弟がいるから、子供の相手をするのは苦ではない。伯爵領に住んでいたころは広大な庭や森はもれなく遊び場だった。

「ふうん。なら、今度私も一度ご挨拶しようかな」

「フレン様。大人げなさすぎですわ」

 ミレーネがさりげなく突っ込みを入れた。

 フレンは黙殺した。


「それよりも、フレンは今日、どうしたの?」

 オルフェリアはフレンに会えてうれしいけれど。

 そんなことを考えた自分にどきりとして、オルフェリアは慌ててその考えを打ち消した。

「え、ああ、きみの顔が見たくて。それと、今日はこれを持ってきたんだ」

 フレンはオルフェリアの髪の毛をひと房、手にすくった。


 髪の毛に神経なんて通っていないのに、フレンが触れたというだけで妙にこそばゆくてオルフェリアは目を細めた。


「新聞?」

 フレンが差し出したものは新聞だった。

 受け取って確かめるとフラデニアの新聞だった。

「ああ。それに女組の新作公演の特集記事が載っていた。リエラとユーディッテのインタビューも載っているよ」

「本当?」

 オルフェリアは目を輝かせた。

 女組とは、フラデニアが誇る一大文化に成長した女子歌劇団の中でも群を抜いて人気を誇るメーデルリッヒ女子歌劇団の通称だ。


「オルフェリアも読みたいかな、って思って」

「ええ。ありがとうフレン」

 オルフェリアは頬をバラ色に染めてお礼を言った。

「そこは、ありがとうフレンって言った後に抱きつくところじゃないかな」

「調子に乗らないで」


 フレンの言葉に顔を真っ赤にしたオルフェリアは強い抗議の声をあげた。

 フレンは少しだけ物足りなさそうに肩をすくめた。

「私の婚約者は恥ずかしがり屋さんだね」

「……もう」

 フレンの態度一つでオルフェリアの心臓は騒ぎ立てるから、最近忙しい。


 恥ずかしくてつい顔を俯かせてしまうオルフェリアのことを、宝物を慈しむように眺めていたフレンは、彼女の頭を撫でてから「そろそろ行くよ」と名残惜しそうにつぶやいた。

 オルフェリアは慌てて顔をあげた。


「もう行っちゃうの? コーヒーくらい飲んでいけばいいのに」

「実はまだこのあとも仕事が残っているんだ。少しだけ抜け出してきたから、あまり長居はできない」

「そうなの……」

 だったらオルフェリアはこれ以上フレンのことを引きとめられない。

 フレンは踵を返して、玄関の扉を開けた。

 オルフェリアも外まで行って見送ろうと思って彼の後についていったけれど、肝心の彼に止められてしまった。


「きみはだめ」

「どうして?」

「外は寒いし、その姿を他の人間に見られたくないから」

「やっぱり、恥ずかしいって思う?」

 オルフェリアは少しだけ悲しくなった。

 フレンのような大人の隣に立つにはふさわしくない出で立ちだからか。


「そうじゃなくて」

「フレン様は、お嬢様の可愛らしいドレス姿を他の男性が万が一にでも目にした時のことを慮っているのですわ」

 ミネーレの声に、「そういうことは本人の口から以外に言うんじゃない」とフレンはぼそぼそと呟いた。


「フレン様が正直におっしゃらないからですわ」

 ミネーレはしれっと言い返した。

「じゃあ、オルフェリア、もう行くから。おやすみ」

「おやすみ、フレン」

 オルフェリアはぎこちなく手を振った。

 それを見たフレンは温かな光を瞳に宿した。


 ばたんと扉が閉まって、オルフェリアは鳴りやまぬ心臓を持て余した。

 フレンの顔を見れて嬉しい。

 声を聞くとドキドキする。

 触れられると心臓が掴まれたようにきゅっとする。

 それなのに、オルフェリアはこの気持ちに名前をつけたくなかった。


(だって、相手はフレンなのに……)

 そう思うのに、心はとても騒がしい。

 オルフェリアは胸の前できゅっと手を握りしめた。


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