こぼれ話 女神様の気まぐれにはご用心?
新年も明けて四日目。
リュオンは早朝慌ただしく寄宿舎へと戻っていった。
短い期間に本当にいろんなことが起こって、大変な目にあった。現在進行形で未解決なこともあるけれど、オルフェリアにできることなんてかぎられているわけで。
というわけでオルフェリアはエシィルと一緒に子供部屋でフレイツの遊び相手をしている。年の離れたフレイツは現在七歳。
濃い茶色の髪に緑色の瞳をしている。同じ緑だけれど、フレンのそれとは違って、フレイツの緑はすこし灰色混じりのもの。
「むー」
フレイツはオルフェリアが動かした駒に難しい顔をしている。
「あら、オルフィーったら容赦ないのね」
エシィルがマルガレータを撫でながらのんびりと口を挟んだ。
現在ボード遊戯をしている最中なのだ。
「え、そうかしら」
オルフェリアは慌てた。
七歳児を前に大人げなかっただろうか。勝負事には全力投球をしてしまう彼女だった。
「むー」
フレイツが駒を動かした。
その顔はとっても険しい。戦況が芳しくないことをちゃんと分かっているのだ。
もしかしたら泣くかもしれない。
オルフェリアは心の中で少しだけ反省した。年端もいかない弟相手に本気になり過ぎたかもしれない。
結局この勝負はオルフェリアの勝ちで、フレイツは悔しそうに口元を歪めた。
「ごめんなさい。ちょっと、大人げなかったわ」
「オーリィおねえちゃま、もう一回」
「え……」
「オルフィー」
エシィルからも圧力をかけられてしまった。
「分かったわよ」
オルフェリアは今度は手加減をして、その結果フレイツが勝利した。
フレイツはとても嬉しそうに笑ったので、まあこれはこれでよかったとオルフェリアは胸をなでおろした。勝つまで延々と付き合っていたのではたまらない。
つい数年前までオルフェリアもフレイツも一緒の子供部屋で生活をしていたのに、オルフェリアがさきに大人の仲間入りをして、部屋が別れて、しかもミュシャレンへと行ってしまったからこうしてフレイツと一緒に遊ぶのは久しぶりだった。
内心、フレイツに忘れられていたらどうしようと思っていたけれど、彼は一応は姉のことを覚えてくれていたようで、屈託なくオーリィおねえちゃま、と昔のように甘えてきてくれて嬉しかった。
「お茶をお持ちしましたわ」
子供部屋の扉を開けたのはミネーレだった。
「ありがとう」
今日も侍女のお仕着せではなく、藍色の襟の詰まったドレスを着用している。
「今日は料理番お手製のクッキーもお持ちしました」
「あら、オルフィーの大好物ね」
「べ、別に大好物というわけでは……」
オルフェリアは嘯いた。
確かに好きだけれど、なんとなく気恥ずかしい。
ミネーレが手際よく茶器をソファ前のテーブルに並べて行く。クッキーは柔らかい生地で、ココアが練り込まれている。焼き立てがとにかく美味しいのだ。
オルフェリアは懐かしい味に手を伸ばした。
「そういえば、お姉様のお腹には赤ちゃんがいるのよね」
オルフェリアはまじまじとエシィルの腹部を観察した。
まだ、腹は出ていない。
「そうね。セリシオとの愛の結晶よ」
エシィルは臆面もなくのろけた。もともと幼馴染だった二人は、いつの間にか恋仲になっていて、ある日突然結婚しますと二人揃って宣言した。
「撫でてもいい?」
「どうぞ」
許可が下りたので、オルフェリアはそっとエシィルの腹部を撫でた。
まだ、そこに命が宿ってるとは感じられないけれど、オルフェリアは慎重に触れた。
「フレイツが生まれた時のことを思い出すわ」
「そうねえ。懐かしいわね」
「ぼくがなあに?」
フレイツがクッキーを頬張りながら尋ねた。
自分の名前がでたから気になるのだ。
「あなたも昔は赤ちゃんだったのよね、って」
「ぼくもう大人だよ」
フレイツはえっへん、と大きく胸を張った。
「オーリィおねえちゃまとの勝負も勝ったもん」
「言うわね」
口の周りにクッキーのかすをつけているのに。ミネーレが布巾でフレイツの口と手をぬぐってやった。
「それにしても……」
オルフェリアがまじまじとエシィルのお腹を見つめた。
「なあに?」
「結局のところ、赤ちゃんってどこからくるのかしら?」
オルフェリアの呟きにエシィルは目を瞬かせた。
ミネーレはフレイツの顔を拭いていたのだが、その手を止めた。
二人は同時にオルフェリアのことを見た。
「な、なあに。二人とも」
今度はオルフェリアが尋ねる番だった。
なにか、おかしいことを聞いただろうか。
「ええと、いえ。なんでもないわ」
エシィルは手に抱いたマルガレータをがさがさと撫でた。
「コケー」
乱暴な扱いを受けたマルガレータは抗議するように鳴いて、彼女の手から逃れた。
「コケッコー」
「あ、待てー」
床の上に降り立ったマルガレータを追いかけてフレイツも立ち上がる。
「その質問にはわたしが答えてあげる!」
突然後ろから声がした。
エシィルとそっくりの声の持ち主だが、口調はまるで違うのですぐわかる。
エシィルの双子の片割れ、リシィルだ。
「あら、リル。戻ったのね」
「リルお姉様、一体いつから聞いていたのよ」
「だいぶ前から」
ずかずかと部屋へ入ってきたリシィルはおもむろに皿の上からクッキーを一枚手にとってかぶりついた。
もしゃもしゃと咀嚼をして、ごっくんと飲み込んでから口を開く。
ミネーレが彼女の分のお茶をカップに注いだ。
「ありがとう。で、オルフィーの質問だけど。赤ちゃんはね……」
「わ、わたしだって一応知っているわ」
オルフェリアは慌てて遮った。
「へえ、なにを?」
リシィルは挑発的な視線をオルフェリアに投げた。
ミネーレは自身の存在を空気のように薄くしているが、その実思い切り聞き耳を立てている。
「昔お母様に聞いたもの。夫婦で仲良く過ごして、一緒に愛の女神様にお願いをすると授けてくれるのよ、って」
それは昔、フレイツが生まれるときカリティーファに質問した時に、母からもらった答えだった。
「ふうん」
リシィルはにやにやしていた。
「な、なにをそんなに笑っているのよ」
「ちゃんと知っているなら、別にいまさらじゃん」
「わたしが気になったのは、どうやってお腹の中に赤ちゃんが入るのかってことよ」
「なるほど。それは難しい質問だね」
「女神様だから、魔法が使えるのでないかしら?」
「なるほど……」
エシィルの援護射撃にオルフェリアは頷いた。
けれど、母の説明もなんとなく、子供だましのようにも思えるのだ。
「それはともかく。女神様はたまーに、間違えることだってあるんだよ」
「なにを?」
「だって、沢山の人間がいるのに、いちいち結婚しているか婚約しているか、なんて分かりっこないじゃないか。だから、オルフィーもあんまりフレンと仲良くしすぎていると、うっかり勘違いした女神様が赤ちゃんを授けちゃうかもしれない」
「なんですって!」
オルフェリアは蒼白になった。
だって、オルフェリアとフレンの関係は偽物だから。演技を本物と間違われたら一大事だ。
「だから、気をつけなよ~」
リシィルはくくく、と笑った。
「もう、リルったら」
とっくに結婚をしているエシィルは当然のことどうしたら子供を授かることができるのか十分に分かっている。
可愛い妹へ忠告の意味も込めたリシィルの言葉に理解を示しながらも、純粋培養の妹が妙な誤解をするような言い方をしたリシィルに呆れた視線をやった。
一方のオルフェリアは双子姉妹のやりとりなんて耳に入ってきていない。
(仲良くって、どのくらいのことをいうの? そういえば、わたし昨日……)
泣いていたオルフェリアはフレンに思い切り抱きしめられた、気がする。気がする、ではなくて正真正銘抱きしめられた。
(女神様が勘違いしてしまったらどうしようぅぅ)
オルフェリアの頭の中は忙しかった。
純粋培養育ちのオルフェリアがリシィルに盛大に遊ばれていることなんて知る由もないフレンは、同じころ市長やカリストらと打ち合わせをしていた。
内容は今後のトルデイリャス領への支援策の具体案である。
午前中で終わるかと思ったけれど、利益の絡む会議というのは常として長引くものだ。
フレンがむさくるしいおっさん連中から解放されたのは午後も跨いだころのことだった。
フレンはオルフェリアのことを探した。
せっかくの休暇なのだから、できるだけ彼女と一緒に過ごしたい。
ミュシャレンに返れば忙しい日常に戻る。そうすると、毎日顔を合わせることなんてできないからだ。
地上階へ降りて行くと、ミネーレに出くわした。
彼女にオルフェリアの所在を尋ねれば、リシィルとフレイツと一緒に乗馬をしに行ったとのことだった。
そしてなぜだか妙に生温かい視線を投げかけられて、フレンは首をかしげた。彼女はときたま、いや、割と頻繁にフレンが理解に苦しむ行動を起こすのだ。
それにしても乗馬とは。この寒いのに元気なものである。どうせなら、誘ってくれればよかったのに、内心愚痴をこぼした。
夕方ちかくに戻ってきたオルフェリアと話をしたかったが、アルノーに捕まってしまい結局この日は話せず仕舞いだった。
結局のところフレンもなにかと忙しいのだ。
そして翌朝。
「おはよう、オルフェリア」
オルフェリアが起きてくる頃合いを見計らってフレンも食堂へと向かった。
途中で出会ったオルフェリアに近寄って挨拶をすると、オルフェリアは思い切り後ずさった。
「おはよう」
どことなく声も固いような気がする。
しかも、そこから動こうとしない。
警戒心の強い猫のように、じっとフレンのことを観察している。
「えっと……」
(なにか、しただろうか……)
フレンは考えた。そういえば、一昨日は思い切り抱きしめた気がする。しかし、あのときは抗議もなにも受けなかったのに。
「オルフェリア、どうしたの?」
「どうもしないわ。朝食を食べに行くのでしょう。さっさと歩いたらどうなの?」
取りつく島もない。
フレンは腑に落ちなかったけれど、何も言わずに歩いた。
オルフェリアもフレンと距離をあけて同じように後に続いた。
朝食会場について、フレンの斜め向かいに腰を下ろしたオルフェリアはやはり、どこかかたくなだった。
フレンが話しかけるとビクリとするように肩を震わせた。
やっぱり、どこか変だった。
「オルフェリア、今日はアレシーフェに行こうか。二人きりであまり回れなかったし。きみの好きな店とか、思い出の場所とか教えてほしい」
「ふ、二人きりはちょっと。ミネーレも一緒じゃないと駄目よ」
オルフェリアの提案は、未婚の女性としては至極まっとうなものだった。
「かたくるしい場所に行くわけでもないのに」
まっとうな意見だろうとフレンにとっては不満だ。
理由はごく簡単なもの。
二人きりで歩きたい。この一言に尽きる。
「それでも、駄目」
オルフェリアは挑むような視線をこちらに向けた。
フレンは嘆息した。
これ以上何か言うと、絶対に喧嘩に発展しそうだ。
「わかったよ」
フレンが納得をしてみせると(内心ではまったく納得していないのだが)オルフェリアは安心したように小さく息を吐いた。
フレンがオルフェリアの頑なな態度の原因を知ったのは、昼食のときだった。
アレシーフェの街へはミネーレも付き添い、三人で歩いて見て回った。
途中フレンがさりげなくオルフェリアの手をつなごうとしたり、人ごみから守るためにオルフェリアの肩に手を回したりすると、彼女はあからさまにフレンから距離を取ろうとした。
これは今までまったく見られなかった行動だった。
「それで、きみはどうして私を避けようとするのかな?」
フレンはいい加減我慢の限界だった。
割と早く忍耐の緒が切れた。
昼食会場となったレストランは旧市街の広場に面したホテル『流星館』の中にある。二階にあるレストランの、広場を眺望できる個室に現在二人きりだ。
「……」
オルフェリアはだんまりを決め込んでいる。
しかし、フレンに対して悪いと思っているようで、その瞳は少しだけ泳いでいる。
「私は知らずにきみに何か失礼なことをしていた? 教えてほしい」
怒って口を閉ざされたら、どうしようもない。何か気に障ることをしてしまったのなら、謝りたい。
「別に」
「ほんとう? だったらどうして避けるんだ。私に非があるのなら謝らせてほしい」
フレンが真摯に言い募ればオルフェリアは顔を下に向けた。そして、決意したようにフレンの方をまっすぐに見つめた。
彼女にしては思いつめた表情をしている。
「え、と……その……」
オルフェリアは顔を赤くした。
視線を彷徨わせて、口を開きかけたり、飲み物に手をつけたり。
フレンは辛抱強く待った。内心はどんなことを言われるのかで、戦々恐々としていたけれど。
「昨日、リルお姉様に言われたの! あんまりフレンと仲良くしていると、女神様が間違って、あ……あかちゃんを授けてしまうかもしれないって!」
「……」
オルフェリアの予想の斜め上方向からの答えに、フレンは絶句した。
今、何と言ったか。
赤ちゃんと、聞こえた気がする。
「え、えーと……オルフェリア。それ、本気で言ってる?」
「な、なによ! 馬鹿にしている? わたしだって、赤ちゃんがどこからくるかくらい、ちゃんと知っているんだから」
「ちなみに、どこからかな?」
とりあえずフレンは聞いてみることにした。
「夫婦で仲良く過ごして、一緒に愛の女神様にお願いをすると授けてくれるのよ」
どこの子供だましだ、それ。
フレンはそう叫びたくなった衝動をかろうじて抑えた。
ついでに、昨日からミネーレから感じた生温かい視線の理由についても察しがついた。おそらく、彼女はその現場にいたのだ。
リシィル(こんなことをオルフェリアに吹き込む人間、ヴェルニ館には彼女しかいない)がオルフェリアに珍妙な入れ知恵をした現場に。
「だから、あんまり仲良くしたら駄目なのよ。だって、神様が間違えちゃったら、大変なことになるわ」
オルフェリアは尚も真剣に言い募る。
「間違いって」
こっちは色々と押さえているのに。
「すでに赤ちゃんができていたらどうしよう」
必死になり過ぎて顔が赤くなっている。その必死の形相も可愛くて、フレンは緩みそうになる口元を必死にこらえた。
「フレンたら、真剣に聞いているの? わたしとフレンの関係は偽物なのよ。も、もし本当に赤ちゃんが出来たら、きっと、その子はかわいそうだわ」
オルフェリアがしょんぼりとしている。
フレンはオルフェリアの言った、偽物という言葉に胸が痛くなった。
ヴェルニ館に戻って、フレンはリシィルのところへ直行した。
「おかえり、フレン。街は楽しかった?」
リシィルは森にいた。
からりと笑ってフレンを出迎えた。
「楽しかった、じゃない。どうしてオルフェリアにあんな嘘を教えたんだ」
「嘘?」
「仲良くしていると女神様が間違えて子供を授けてしまう云々、ってやつだ」
「ああ、あれね。まさか本気にするとは」
「本気にするだろう。彼女は温室育ちなんだぞ」
そもそも貴族の令嬢がその手の知識を持つのは結婚するときだ。フレンも友人らから純粋培養過ぎる嫁を貰って、結婚後は色々と大変だったという報告を受けている。と、これはいま関係ない。
「わたしも一応、温室育ちのはずなんだけど。オルフィーは昔からちょっと単純なところがあったから。可愛いだろう?」
確かに可愛い。同意しかけて慌ててフレンは頭の中から雑念を追い払う。
可愛いがいまはそんなことを言っている場合ではない。
「どうしてあんなことを言ったんだ?」
「え、だって。おもしろいから」
リシィルは大真面目な顔をした。
フレンはがっくりとうなだれた。
「私はてっきり、きみが釘を刺したもんだと……」
「釘? ああ、オルフィーと婚前性交するなって?」
「伯爵令嬢がなんて言葉を使うんだ!」
まったくとんでも令嬢だ。
「フレンも大概に面倒だな。ま、釘を刺されたと考えるくらいにはオルフィーに近寄っている自覚はあるわけだ」
「……」
フレンは押し黙った。
たしかにその通りかもしれないからだ。
「じゃあいっそのこと、オルフィーに子供の作り方、教えてあげたら?」
リシィルは悪魔のような提案をした。
「できるわけないだろう!」
「ま、そりゃそうだな。そっこうで嫌われるね」
「きみと話していると、疲れる」
フレンは長い息を吐いた。
「そりゃどうも」
対するリシィルはフレンの抗議の声など気にするそぶりも見せない。
おそらくメンブラート伯爵家の中で一番扱いづらいのはリシィルだろう。
絶妙に人の仲を引っかき回してくれる。味方なのかそれとも、邪魔者なのか、どちらなのだろう。
「ま、頑張ってみてよ」
リシィルはからからと笑ってフレンの前から立ち去った。
オルフェリアは盛大に悩んでいた。
すでに身ごもっていたらどうしよう。女神様は間違えていないだろうか。
自室でうんうんと唸るオルフェリアを見れば、ミネーレもどうしたものかと考えを募らせる。
彼女は男女の色恋やどうしたら子供ができるかなんてとっくに知っているからだ。
(で、でも。わたしとフレンは赤ちゃんを授けてくださいってお願いをしていないし。たぶん、大丈夫よ)
オルフェリアは懸命に自分を納得させようとした。
それでなくても、フレンのことを一方的に避けてしまって心苦しいのだ。
フレンのことを考えると、オルフェリアの心はざわざわする。
それはこの里帰りで余計に酷くなった。
フレンは怒っていないだろうか。
彼に失望されるとオルフェリアは悲しくなる。
色々と考えあぐねて、フレンの様子でも見ようと思うのに、聞こえてくるのはカリストやリシィルらと話し合ってるとのことばかりで。
なんとなくオルフェリアは面白くない。
伯爵家のことだったらオルフェリアだって参加する資格はあると思う。
オルフェリアがあとでリシィルから聞き出した話をまとめると、彼はリシィルの世話している馬に興味を持ったらしかった。
馬は大事な移動手段であり、農家では労働の一端を担う。貴族間では競馬も行われる。特にフラデニアでは国王主催の大会があるほどだ。
本格的に馬を育てて、フラデニアでの競馬に出走させてみる気はないか、と打診されたとリシィルは言っていた。
思案気にしていたリシィルだったが、オルフェリアにはわかる。あれは興味を持った目つきをしていた。
主な世話は代々の馬てい一家が引き受けているが、リシィルも頻繁に顔を出してあれこれ世話を焼いているのは知っている。馬で野を駆けるリシィルはとてもかっこよくてオルフェリアはそんなリシィルのことが大好きだ。
フレンが真剣にメンブラート家のことを考えてくれているのを知れば、胸の奥がぽっと温かくなる。
ユーリィレインが心を開いてくれるにはまだ時間はかかりそうだけれど、彼女のことも引き受けてくれたフレンにオルフェリアはやっぱり温かい気持ちになった。
彼女が、人の身分とか誰が得をしているとか、そういうことを考えずに生活できるようになればいいなと願うばかりだ。
「オルフェリア、一緒にお参りに行こう」
「うん……」
フレンから柔らかい視線を注がれれば、これまでのようにそっけなく跳ね返せないオルフェリアは、結局彼と肩を並べて東へ続く道を歩いていた。
彼は、あのあとからオルフェリアに触れてこようとはしなかった。
そのことに気がつくと、オルフェリアは自分から言い出したことなのに、胸が痛くなった。
「明日は出発ね」
乾いた細い道を二人の影が覆う。
「そうだね」
フレンの声がいつもよりもそっけない気がして、オルフェリアは戸惑う。
自分の心なのに、わからない。
触れてほしい、と思ってしまう自分の心が怖い。どうして、そんなはしたないことを考えてしまうんだろう。
「フレン、怒っている?」
「どうしたの、急に?」
オルフェリアは立ち止った。
急に足音が途絶えて、フレンも足を止めた。
自然、二人は相対する。
「だって、いつもより静かなんだもの」
「そんなこと、ないよ」
ほんとうに?
オルフェリアはじっとフレンのことを見つめた。
フレンは再び歩き始めた。
オルフェリアも慌てて彼について行った。
けれど、今度は横ではなくて、彼よりも少しだけ後ろを歩いた。
二人一緒に、一族の墓地に花を添えて、瞑目した。
オルフェリアの一月の日課にフレンが当然のように付き添っている。不思議だな、とオルフェリアは思う。
フレンが隣にいるだけで、どこか心の一部が軽くなったように感じられるから。
フレンが、生きていていいんだよ、と言ってくれたから、オルフェリアは救われたような気がしている。
それなのに。
一方的にフレンのことを避けてしまって、オルフェリアは何をしているんだろう。
花を手向け終わり、二人は元来た道を歩いている。
「ねえ、オルフェリア」
今度はフレンの方が口を開いた。
ヴェルニ館へは、まだ少しだけ距離がある。
「なに?」
「ええと、その……。きみの言っていた赤ん坊のことだけど」
オルフェリアは顔を赤くした。
フレンは決意したように、オルフェリアの手を握った。
オルフェリアは反射的に振り払おうとした。
けれど、フレンの力はオルフェリアのそれよりも強くて、結果握られたままになっている。
「は、離して」
「いやだ」
「だって、仲良くし過ぎると、駄目なのよ」
オルフェリアは慌てた。
女神様が勘違いをしたらどうするのだ、と。
「あのね、それ、リシィル嬢にからかわれただけだから」
「そ、そんなこと! だって、フレイツが生まれるときにお母様から聞いたのよ」
「だから、それは大抵の親が子供に聞かせる迷信だって。というか、なんでそれをきみはこの年まで信じているかな……」
フレンが呆れたようにため息をついた。
「な、なら、赤ちゃんはどこからくるっていうのよ!」
オルフェリアはやけくそだった。
迷信って、そんなの知らない。
だって、あの場にはエシィルもミネーレもいたのに誰も教えてくれなかった。
いや、もしかしたら呆れていたのかもしれない。いい年して幼子のように迷信を信じ切っているオルフェリアに対して。
「その言葉、絶対に私以外の男の前では言わないでほしい」
「どうして?」
「なんでも、だ。結婚前の淑女はそういうことを大っぴらに言わないものなんだ」
オルフェリアはいまいち腑に落ちなくて首をかしげた。結局、オルフェリアの疑問は何一つ解決していない。
「なによ。教えてくれたっていいじゃない。フレンの意地悪」
「あんまり可愛いことを言わないでくれ。こっちだって、色々と大変なんだ」
フレンは苦しそうな顔をした。
意地悪と言って返ってきた答えにオルフェリアはますます困惑する。大変って何がだろう。
「だって、あなたが教えてくれないから」
「結婚をしたあとに教えないといけない決まりなんだよ」
「なによ、それ」
「とにかく、この話はおしまい。まかり間違っても、抱きしめたくらいで赤ん坊なんてできないから、きみもいちいち過剰に反応しないでくれ。恋人設定にも支障をきたす」
オルフェリアは不承不承うなずいた。
フレンからきっぱり言われれば、オルフェリアはそれを信じてしまうのだ。
だったら、このまま手をつないでいても問題はない?
オルフェリアはぎゅっと、フレンの手を握り返した。手袋越しだけれど、フレンに触れているのはこそばゆい。こそばゆいのに、離したくない。
相反する気持ちがどういうものなのか、わからなくて、困ってしまうけれどオルフェリアは自身の心に素直に従うことにした。
その後、ヴェルニ館に戻ったオルフェリアはリシィルの元に行って抗議した。
「なんだ、案外早かったね」というあっけらかんとした言葉が帰ってきて、オルフェリアは騙された羞恥心と怒りでリシィルをぽかぽかと叩いた。
「で、フレンのやつは子供の作り方についてオルフィーにちゃんと教えてくれたの?」
「こら! リルちゃん。あなた、オルフェリアちゃんになんてこと言っているの!」
「やっばい……」
偶然に通りかかったカリティーファに聞き咎められたリシィルは慌ててその場から退散したのだった。
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