一章 そうだトルデイリャス領へ行こう3

 やってきた家令、カリストは五十代はいっているだろうという男だった。白髪交じりの薄茶の髪の毛をきちんとなでつけ、口髭を生やしている。姿勢はぴんとしており、老いを感じさせない鋭い視線を辺りにまき散らしている。


「カリスト、いますぐここを通してちょうだい」

 オルフェリアは冷たく命令した。

「オルフェリアお嬢様のご帰宅は歓迎しております。いますぐにどうぞ屋敷へ」

「わたしの婚約者も一緒に、よ」

「できかねます」

「どうしてかしら」


 オルフェリアの声がもう一段低くなった。

 カリストは彼が仕えるべき主家の令嬢に動じた様子をみせることはない。

「当主の許可が下りていません」

「お父様は不在のはずよ」

「ですから、リュオン様の許可が下りておりません」


 リュオンとはオルフェリアの弟で、メンブラート伯爵家の長男だ。

 当主不在の現在、家令の中では彼の命令が最優先なのだ。

「なんですって」

 オルフェリアが訝しむように声をひそめた。


「リュオン様はファレンスト氏とオルフェリア様の婚約に反対しておいでです。屋敷に入るならオルフェリア様おひとりで。リュオン様はオルフェリア様のことをそれは首を長くして待っておいでです」

 カリストはさきほどからフレンのほうを一度も見ようともしない。完全にいないものとして扱っている。

「ミネーレも駄目だというの」

「聞けば彼女はファレンスト氏が用意した人物だと言うではないですか。お屋敷には昔からお嬢様にお仕えしている使用人がおります。さしあたって不便はないでしょう」

「どうしてもフレンを認めないの?」

「リュオン様はそのおつもりです」


 オルフェリアはカリストを睨みつけた。

 彼女の視線をカリストは平然を受け流す。

 しばし辺りに静寂が訪れた。

 ミネーレも固唾をのんで成り行きを見守っている。

 アルノーは眉間のしわを深くしている。どうやら相当に腹にすえかねているようだ。


「わかったわ。フレン、引き返しましょう」

「いいの?」

 今日はこの辺が引き際か、とフレンも思っていたが、表には出さない。

「いいわよ。なにを考えているか知らないけれど。押し問答をするのも面倒だから」

 一応の抵抗をみせたオルフェリアだったが見切りをつけるのは早かった。本心がダダ漏れである。フレンとしてもここで押し問答をするよりかはさっさと次の行動に移した方がいいので、ここはオルフェリアの判断に任せることにした。

 フレンは成り行きを心配そうに見守っている御者に目配せをした。


「オルフェリア様は降りてください」

 カリストが静かな、しかし有無を言わせない声で会話に割り込んだ。

「いやよ。わたしはフレンの婚約者よ。フレンと一緒じゃないと屋敷には帰りません。リュオンにそう伝えなさいな」


 カリストの静かな怒りにもオルフェリアは動じることはなかった。それどころかフレンの方に体を寄せてきた。これは絶対に一人で帰りたくないという意思表示だ。

 オルフェリアは言うことを言うと窓を閉めて、ついでにカーテンまで引いた。


 しかし、オルフェリアの弟が反対しているとはフレンも初耳だった。以前彼女の実家に手紙をやったときはさしたる反対もされなかった。だから、正直楽観していたところはあった。

 あやしくなってきた雲行きにフレンは息を吐いた。


◇◇◇


 結局馬車でアレシーフェ中心まで戻る羽目になった。

 どこか泊るところ、ということでオルフェリアが案内したのはアレシーフェの街でも一番格式のあるホテルだった。実家には帰りたくないオルフェリアだが、ホテルからも締め出しをされたら辛い。伯爵家がホテルに圧力をかけていないことを祈る。


 旧市街の広場に面したホテル『流星館』の前で馬車をとめてもらってオルフェリアら一行は馬車から降り立った。

 広場では年末恒例の市場マーケットが開かれている。といってもミュシャレンのものとは比べ物にならないくらいささやかな規模だ。


「フレン様。部屋が空いているかどうか尋ねてきます」

 フレンの忠実な秘書官は早くも行動を開始した。

「頼むよ」

 そんな風にそれぞれが動いていると、のんびりとした口調の声の持ち主から声をかけられた。ちょっとおっとりとした調子の独特の発音だ。


「オルフィー、久しぶりね」

「エルお姉さま!」


 オルフェリアのすぐ上の姉のうちの一人、エシィルだ。

 茶色かかった金髪に薄青の瞳をした少女である。十八だが、すでに結婚をしていて母からの手紙によると現在身ごもっているとのことだ。


 腕には彼女のお気に入りのにわとりがいる。

 エシィルは鳥が大好きでいつもお気に入りのにわとりマルガレータを連れている。

 これもあいかわらずだ。彼女はいつも鳥を引き連れて行動をする。


「ひさしぶりね。お母様からの手紙の通り」

「コケー」

 腕の中のマルガレータも鳴いて挨拶をした。

 派手ではなくても上等の外套をまとった婦人が鶏を抱いている図についていけずに固まっているフレンとミネーレにオルフェリアは気付くこともなかった。


「ええと、いまはマルガレータ何世なの?」

「あら、前回と同じよ。まだ三世」

「ふうん。で、お母様からの手紙って?」

「昨日ね、お母様から手紙を受け取ったの。リュオンが癇癪を起してあなたの婚約者を締め出すと企んでいるからって。できたらわたしの家に泊めてあげてって」

「なるほど」

 リュオンの癇癪がすぐに収まることはなさそうだ、と察したカリティーファがエシィルに手を回してくれたのだろう。


「リュオンたら昔からオルフィーにだけ懐いていたものね」

 それはたぶんオルフェリアが一番おとなしかったからだ。

 二人の姉と、すぐ下の妹はリュオンをやたらといじる。というかいじりたおす。

「ありがたいわ。正直、まさかここまで盛大に締め出しを食らうとは思わなかったの」


 オルフェリアはほっと息をついた。

 オルフェリアは少しだけ後ろに付き添うように立っていたフレンの様子をうかがった。彼の意見も聞かないといけない。


 オルフェリアの視線を受けてフレンが一歩前に進み出た。

「はじめまして。ディートフレン・ファレンストと申します。フラデニア出身で、現在はミュシャレンを拠点に仕事をしています。オルフェリア嬢とはこの夏に婚約をしました。以後お見知りおきを」


 フレンは胸の前に手をやって、優雅にお辞儀をした。ついでにオルフェリアのことを自身の横へ引き寄せる。

 エシィルの前で、密着させられてオルフェリアは赤くなった。家族の前だと、演技だと割り切っていても恥ずかしい。


「わたしはエシィル・ナヘラと申します。オルフェリアの姉ですわ。すでに結婚をしているので姓は違いますけど。こちらはマルガレータ」

「コケッコー」

 エシィルはフレンに向かってマルガレータを突き出した。

 マルガレータがばさばさと身じろぎをした。フレンがぎょっとしたように一歩身体を引いた。エシィルは小首をかしげた。


「鳥はきらいかしら?」

「いや、きらいというか。あまり慣れていないもので」

「だったらわたしの家には鶏もたくさんいるから是非一緒に遊んであげてね。すぐに仲良くなれるわ。はいこれ」

 突然フレンはマルガレータを押し付けられた。


「コケー」

 戸惑ったフレンの腕にのっかるまえにマルガレータが地面に降りたってばさばさと羽を広げる。


「うわっ」

「フレン様! 大丈夫ですか」

 アルノーが心配そうに駆け寄って来た。


「コケー」

 マルガレータは周囲の人間などお構いなしに駆け回った。

 エシィルがおっとりとした口調からは想像がつかないくらいの俊敏さを発揮させ、マルガレータを捕まえて自身の腕の中に抱いた。


「今度のマルガレータは元気いっぱいね」

「そうなの。感情が豊かなのよ。オルフィーも可愛がってあげてね」

 エシィルは抱き直したマルガレータの頭を撫でまわした。

「わたしの家までは馬車でちょっと時間がかかるけれど、夫もぜひファレンストさんとお話したいって待っているの。ええと、あなたたちはわたしの馬車に乗ってね」


 エシィルは少し離れた場所に停めていた自身の乗って来た馬車へオルフェリアとフレンを案内した。

「えっと、きみのお姉さん……ちょっと、いや、ずいぶんと変わっているね」

 エシィルが馬車に向かって歩き出したところを見計らってフレンはこそこそとオルフェリアに話しかけた。

「そう?」

「そう……って。まあいいや」


 フレンはすこしだけ肩をさげた。会話をしながら二人はエシィルに追いついた。ナヘル家の従僕が馬車の扉を開くと、ミミズクが飛び出してきた。フレンがもう一度「うわあ」と声を出した。

「みーちゃんよ。可愛いでしょう」

 エシィルはほえほえした笑顔でお友達を紹介した。


◇◇◇


 夕食の席。

 オルフェリアとフレン、そして彼女の姉エシィルとその夫セリシオの四人で食卓を囲んでいる。いや、もう二羽。


「コッコー」


 なぜに鶏が食卓に鎮座している。そしてどうして誰も突っ込みを入れない。

 馬車の中で紹介されたミミズクのみーちゃんはエシィルの頭の上にとまっている。時折セリシオの肩に移動している。


「どうですか、この鶏肉もあとから出す豚肉も我が牧場で育てたものなんですよ」

「おいしいわ」

 前菜として出された鶏肉のパテを咀嚼したオルフェリアが淡々と返した。


(というか、どうして鶏を前にして平然と鶏肉を食える?)


 フレンは突っ込まずにはいられない。


「でしょう。鶏の飼育はエシィルが特にこだわっているからね」

「うふふ。お世話してくれるみんながすごいのよ」

 エシィルは褒められて悪気がしないのか上機嫌だ。

「ファレンストさんもいかがですか?」

「ああ、おいしいよ」

 フレンは苦笑いを浮かべた。


「うふふ。マルガレータ三世も手塩にかけて育てているのよ」

「コケー」


 突然マルガレータが慌ただしく鳴いた。自身の末路を想像してなのか、それとも。

 これ以上考えるのはよそうと、フレンは思った。


「いやね、冗談よ」

「お姉さまがいうと冗談に聞こえないからマルガレータも慌てるのよ」

 オルフェリアが淡々と口を挟んだ。

 彼女にとっては見慣れた光景なのか、にわとり同席の夕食を普通に受け入れている。


「そうねえ。大晦日の晩餐会まで、あと何日だったかしら」

「二日後よ」

 オルフェリアが親切に回答した。

 マルガレータがばさばさと食卓から飛び降りた。かわいそうに、本格的に慌てている。


「鳥は見て可愛い、食べておいしいものね」

「はいはい……」

 オルフェリアが呆れた視線を寄こした。きっと昔から同じような言葉をずっと聞いてきたのだろう。セリシオも「そうだねえ」とのんびりと頷いた。引きつっているのはフレンだけだ。


(変わったお嬢さんだな)


 素直な感想だ。人妻にお嬢さんもないけれど、まだ十八の彼女の様相はフレンからしてみたらまだお嬢さん、だ。

 伝統ある伯爵家の元令嬢にしては少し、いや、かなり変わっている。

 趣味が鳥な時点で相当な変わり者だ。深窓の令嬢の趣味なんて刺繍か歌か詩作なものだろう、がフレンの知っているこれまでの令嬢像だからだ。


「うちはもともと伯爵家に仕える騎士団長の家でしてね。アルンレイヒが統一されて、次第に封建制度がなくなっていったころに少しばかりの土地を頂いたのですよ。なので先祖代々伯爵家には頭があがらないのです」

「あなたったら」

 もう何百年も昔の話でしょう、とエシィルはおっとり笑った。

「古い家系なんですね」

「このあたりの人間はみなそうですよ。うちだけじゃない。みな伯爵家に仕えていた血筋なんです。もちろん現在も」


 古い土地だとなおさらその傾向が強いのだろう。

 地主階級とはいえ、さかのぼればその祖先は伯爵家に仕える騎士だった。フレンが聞いたところによると、小さいころから、オルフェリアも含めて幼馴染とのことだった。

 ということは、彼はオルフェリアの幼いころの様子を知っているということだ。


「私はすっかり嫌われてしまったようです」

 フレンは自嘲気味に笑った。

「あら、リュオンは拗ねているだけよ。明日にでも迎えが来ると思うわ」

「どうしてそう思うの?」

 オルフェリアが尋ねた。


「先ほど手紙をね、書いたの。『オルフィーは婚約者の彼ととっても仲良しで、今日も一緒の寝台で眠ろうね、なんて話していたのよ。もう、仲良しさん過ぎてお姉ちゃん妬けちゃう』って」

「お姉様! なんてこと書くの! そんなことするわけないじゃないっ。嫁入り前なのよ」

 飛ばし過ぎた手紙の内容にオルフェリアがかみついた。

 フレンも眉をひそめた。拗ねている弟に塩を塗りつけてどうする。

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