一章 そうだトルデイリャス領へ行こう4

「分かっているわ。客間は別々に用意したし。それとも、一緒の方が良かったかしら?」

「そんなわけないでしょう! 別々で結構よ」


 オルフェリアが強い口調で噛みついた。

 この娘は恋人設定をころっと忘れているようだ。しかし、ここでのろけて一緒の部屋に放り込まれても、それはそれでフレンも困る。


「リュオンたら、本当に素直だから可愛いのよね」

 エシィルが頬を染めた。

「ほんとう……リュオンが哀れだわ」

 オルフェリアが脱力したように呟いた。フレンも同感だった。


「私はあなたがたの結婚に賛成しますよ」

 もっと現実的な話をしてきたのは彼女の夫の方だった。


「ありがとう」

「ここは場所柄フラデニア国内の情報も入ってきますからね。ファレンスト家といえば鉱山から麦の流通までなんでも幅広く扱う一大商会だ。銀行も持ち、幅広い事業に出資をしている」


 直接的な言葉でなくても、彼がフレンに何を求めているのか、彼の瞳をみればすぐに察しはついた。フレンが普段から見慣れている商売人の目だ。

 彼は思いのほか野心家なのかもしれない。


「トルデイリャス領は昔からフラデニアとも縁が深かったと聞いていますよ。フラデニアへ抜ける街道もありますし、流通の要所として代々の伯爵が街の開発に力を入れてきたとか」

「ええ、その通りです。私もトルデイリャス領の行く末を憂いているのです。これからの時代、列車が通らないとなにも始まらないでしょう。フラデニア側では国境近くの街まで線路が敷かれたというではないですか」

 セリシオはフレンの方をうかがうような視線を寄こした。

 彼は期待をしている。婚約者の実家へ何かしら援助をするのではないか、投資をするのではないか、と。


「フラデニアは国策として国内の鉄道事業に力を入れています。鉄道が国中に通れば人も物資の流れも変わりますからね。もちろん周辺国との接続だって。これからの時代、人や物の流れに国境など関係なくなるでしょう」

「アルンレイヒはリューベルンと小競り合いがあった関係で、鉄道事業にそこまで予算を割けないんですよ」


 リューベルンはアルンレイヒと北の国境を有する連邦国家だ。小国が群雄割拠しており、現在どの国が主導権を握りリューベルンを統一するかでもめている。小さな国単位で独自の通貨を発行するものだから、危なくてファレンスト商会はこの地方への商売は見合わせている。

 もとより情勢が不安定すぎる。


「そのようですね。トルデイリャス領へ向かうのも一苦労でした」

「こちらからだと、むしろ国境を渡ってルーヴェへ行く方が便利なくらいなんですよ。私もフラデニアとはよい取引をさせてもらっています」

「あなたったら。さっきから難しいことばかりだわ。せっかくオルフィーが遊びに来たのに」

「ああ、ごめんよエル。つい熱が入ってしまった」

 挨拶から具体的な商売の話にまで及びそうになったところでエシィルがやんわりと男同士の会話を止めた。

 恋人の家族との初対面でする話ではない。

「すみません。仕事柄、つい熱心になってしまう」

 フレンも慌てて弁解したが、オルフェリアは特になにも言わなかった。


 夕食はその後、この地方の郷土料理という練った小麦をうすくのばした生地の中に細かく刻んだ野菜と豚肉を包んで焼いたものがでてきた。

 素朴だが美味しかった。

 セリシオはフレンにチーズや酒なども熱心に勧めてきた。


 すべて彼の運営する農園や蒸留所で作らせているもので、あわよくばファレンスト商会の物流網のなかに組み込んでもらおうとする魂胆が見え隠れしていた。フレンにとってはこのくらい分かりやすい方がありがたい。

 貴族の腹の探り合いよりかはよっぽど楽だからだ。商売の絡んだ損得勘定で、得の方にふりこが傾いている間は味方でいてくれる。


「わたしはファレンストさんとオルフィーの馴れ初め話が聞きたいわ」

 食事も終盤に差し掛かるとエシィルが瞳をきらきらとさせてフレンに尋ねてきた。

「お姉様。そういう話は……」

 オルフェリアが慌てたような声を出した。

「いいですよ。お姉さんも可愛い妹さんがどんな男と婚約したか気になりますよね」

 フレンは快活に答えて、これまで何十回も繰り返し説明した馴れ初め話を披露した。

「あらあら、オルフィーったら照れちゃって。可愛い」

「……照れてないもの」


 フレンが説明している間中、オルフェリアは怒ったような顔をして横を向いていた。フレンは内心非協力的なオルフェリアに文句を言っていたのだが、姉からしてみるとまた別の感想があるものなのか。


「本当。あの、オルフィーがここまで照れている表情を見せるなんて、私もここまで生きていてよかったと思うよ」

「セリシオお義兄様までひどいわ」

 オルフェリアはますます顔を赤くして、今度は抗議の声を上げた。

「昔はお人形のように静かだったからなあ。ミュシャレンに行って、むしろよかったのかもしれないね」

 セリシオがそうやって安堵したように息をつけば、フレンはなんとなく心の中にさっきとは違うもやもやが広がるのを感じた。

 昔は、という言葉がやけに耳に残る。そんな心の声を断ち切るようにフレンは話題を変えた。


「そういえば皆さんに贈り物を用意してきたんですよ」

「まあうれしい。鳥の餌かしら」

「……」


 フレンは数日前にオルフェリアから『贈り物なら鳥の餌なんてどうかしら』と提案を受けて却下していた。

「すみません。餌ではなく鞄や時計などなんですけどね」

 目に見えてがっかりするエシィルの反応にフレンは戸惑った。これまでの人生の中で鞄や時計などを女性に贈って喜ばれなかったことなど一度もない。


「エル、とりあえず見せてもらったどうかな。ほら、鞄ならもしかしたらマルガレータを持ち運ぶのによい大きさものがあるかもしれないよ」

「それもそうね」


 夕食後運ばせた贈り物の包みの中から鞄の入った箱を取り出したフレンは、「これならマルガレータを入れるのにぴったりね」というエシィルの言葉に頬を引きつらせた。

 フラデニア屈指の高級鞄店『ルイーズ・ハワード』のマチ付き鞄をまさか鶏用に使う女性がいようとは。


◇◇◇


「おはよう。私の可愛い人」

「……おはよう、フレン」

 翌日の朝。欠伸を噛み殺しながら食堂に入ると、クサイ台詞が耳に届いた。

 言わずもがな、フレンである。

 彼は新聞に目を通している。オルフェリアは彼の向かい側に着席をした。


「お姉様は?」

「ふたりとも朝が早いみたいだね」

「そう」


 オルフェリアは運ばれてきた朝食に手を付けた。温めた白パンに牧場でとれた牛乳や自家製のチーズにバター。パンは干した無花果や葡萄を練り込んだものもあった。

 オルフェリアは干し葡萄入りのパンに手を伸ばした。焼き立ての柔らかい生地と濃い甘みの干し葡萄の絶妙な組み合わせが口の中に広がる。


「あなたは? 朝食はもう食べたの?」

「ああ。先にいただいよ。どれも新鮮でおいしかった」

 フレンは新聞からオルフェリアの方へ視線を向けて口の端を持ち上げた。

 くつろいだような表情をしている。


「それ、フラデニアの新聞?」

「ナヘルさんが気を利かせてくれてね。数日前のだけれど持ってきてくれたんだ」

 ナヘルはセリシオの姓だ。地理的にフラデニアに近いこのあたりではかの地の新聞もミュシャレンよりも早く手に入る。

 室内には他にミネーレがいるだけだった。


「明日はいよいよ大晦日だけれど、このまま伯爵邸に入れなかったからどうしようか」

「さあ。別にどうでもいいわ」

 オルフェリアは本当にどうでもよかったので、ハムとチーズを小さく切って口の中に放りこんだ。

 はっきりいうと実家は好きではない。

「きみね……」

「確かに実家にフレンを紹介した方がいいかしら、と思ってここまで来たけれど。来るなって言うなら別に無理していく必要ないもの。街を案内するわ。市長と会って話せばもうすこし具体的な話ができると思う」


「実家はどうでもいいけど、伯爵領への愛着はあるんだね」

 端的にオルフェリアの胸中を口にされて、オルフェリアは黙り込んだ。

 家のことを考えるとき、オルフェリアはいつも自分の心を見失う。箱庭のような狭い世界が大嫌い。逃げ出したい。けれど、逃げ出すことが悪いことのように感じてしまう。


「どうかしら……正直わからないわ。でも、分からないけれど、だからといって潰していいかとか、そういうことじゃないと思う。それに……」


 父親である現メンブラート伯爵はそれらの義務を放棄して出奔した。

 借金だけ残して。もともと次男だった父バステライドには貴族の長男が受けるべき家督相続の教育を受けてこなかった。年の近い兄弟だったこともあり、幼いころから遠縁の家に預けられていた。

 これも古い風習だ。将来家督相続で揉めないように、長男以外の男兄弟を別の家に出してしまう。カリティーファとは預けられた先の、一家の家長同士が懇意にしていたよしみで出会った。


「それに?」

「わたし……リュオンに時間を作ってあげたいの」

「時間?」

「ええ。父がいなくなって、リュオンは次の伯爵家当主となるべく、早く大人になろうと必死だわ。だけど、わたしは今リュオンに必要なのは、同世代の友達と肩を並べて学ぶことだと思う。だから、彼がゆっくり大人になれるだけの時間。それがほしい」


「いいお姉さんなんだね、オルフェリアは」

 その声が思いのほか深く温かかったのでオルフェリアは不覚にもどきりとした。

「べ、べつに……。そんないいお姉さんではないわよ……」

 オルフェリアは動揺を悟られないようにして、朝食を再開した。フレンも新聞記事へ視線を移したから、再び室内がしんとなる。


 チーズもヨーグルトも卵もどれも味が濃い。当然バターもそれだけで食べたくなるほど絶品だ。

 昔からナヘル家で作られる乳製品は絶品なのだ。

 ナヘル家に滞在するのは初めてだったけれど、規模の小さい邸だがオルフェリアはこのくらいの規模の邸宅の方が心が落ち着く。

 オルフェリアが朝食をすべて平らげ、食後の紅茶を飲んでいるとにわかに扉の向こうが騒がしくなった。


 エシィル達が戻って来たのだろうか。

 大きな足音が食堂へと近づいてきて、バタンと扉が開いた。こんなことがつい数日前にもあった気がする。そういえば、エルメンヒルデは無事だろうか。


「姉上! 無事ですか」

 黒髪にオルフェリアよりも色の濃い紫色の瞳をした少年が息を大きく切らしながら食堂へ入って来た。

「リュオン」


 弟のリュオンだ。オルフェリアとそっくりの顔を、今は不機嫌そうに歪めている。

 リュオンは食卓を回って、オルフェリアのかたわらへとやってきた。彼は平時よりも青白い顔をしている。


「姉上! まさか、フラデニア男とどどど同禽なんてこと……本当にしていないですよね?」

 オルフェリアはため息をついた。

「あれはエルお姉様のたちの悪い冗談よ」

「ほんとうに?」

 リュオンはオルフェリアの肩を揺すった。

 昔から双子姉妹にいいように遊ばれてきたのは、たぶんこの素直すぎる反応のせいだと思う。


「ほんとう。なんなら、朝起こしに来たこちらの使用人にでも聞いてみたらいいわ」

 オルフェリアが淡々とした口調で諭せば、やっとリュオンも信じる気になったようで、安堵の息を漏らした。

「ところで姉上。どうして帰ってきてくれないんだ」

「あなたが閉めだしたんでしょう?」


 オルフェリアはこっくりと首を傾けた。それを口実に逃げ出したというのが本音だったけれどここでは口にしない。

 それと別にしてもオルフェリアは怒っているのだ。


「リュオン、わたしはあなたが人を肩書だけで判断するような子だとは思わなかったわ」

「肩書は重要です。姉上」

 貴族の跡取りとしては立派な答えだ。


 しかし。


「フレンはちゃんとした人よ。どうして彼を認めないの?」

 商人だからという理由だけでフレンを悪く言われるとオルフェリアはなんとなく、腹が立つ。理由はよくわからないけれど。

 その言葉にリュオンは親の仇を見るような視線を正面の席に座るフレンに送った。


「僕はなにも、彼が商売人だから反対しているわけではありません。仮にリューベルン連邦の王族、大公一家相手でも姉上の結婚には反対です!」

「エルお姉さまの結婚はあっさり承諾したじゃない。何が違うのよ」

 むしろ早く出ていけとばかりにもろ手を挙げて盛大に賛成していた。


「オルフェリア姉上だからに決まっているでしょう! まだ十六歳なのに! しかも相手はこんな、十一も年上のおじさんなんてどうかしている」

「……」

 確かにちょっと年上かな、とは思うしオルフェリア自身さんざんフレンのことをおっさん呼ばわりしてきた過去があるのでなにも言い返せない。


 自分が言うのはいいのに、他人に同じことを言われると胸がむかっとする。

 本日二度目だ。


「認めないのならそれでもいいわ。わたしはフレンと一緒じゃないとあの家には帰らないだけだから」


 オルフェリアはつんと横を向いた。

 リュオンは姉の冷たい態度に絶句した。

 いつからオルフェリアはこんなにもリュオンをないがしろにするようになったのか。リュオンはキッとフレンに鋭い視線を投げつけた。


「貴様のせいだ」

「貴様じゃなくてディートフレン・ファレンスト。きちんと名前で呼びなさい」

 オルフェリアがぴしゃりと言い放った。

「姉上!」

「あなたの負けね、リュオン」

 腕にマルガレータを抱いたエシィルがいつの間にか戻ってきていた。頭の上にはみみずくのみーちゃんを乗せている。


「コ……コケー」

「うわぁぁぁ」

 羽をばたつかせたマルガレータを前にしてリュオンが大きな声を出した。


「エル姉さん! なんだって朝から鶏抱いているんだよ」

 リュオンは青い顔をしてオルフェリアの座る椅子の後ろ側に回る。

 彼は鳥が嫌いだ。原因はエシィルにある。

 エシィルは彼の怯えっぷりにまるで頓着せずに両腕を伸ばしてテーブル越しにマルガレータを差し出すようにリュオンへと近づけた。


「あらマルガレータもご挨拶したいって。そういえば三世になってから会うのは初めてかしら?」

「コケッコー」

 エシィルは小首をかしげた。

「二世はどこに行ったんだよ!」

 あえてだれも話題にしなかったのに。禁断の質問をリュオンはわざわざ口にした。

「うふふ」

 エシィルは弟の問いに少しだけ首を傾けて無邪気な笑い声をあげた。


 その声を聞いたフレンも少しだけ眉根を寄せいている。

「リュオン、あんまりダダを捏ねないの。わたしたちも今日からヴェルニ館にお泊まりしに行くからみんなで一緒に向かいましょう」

 ヴェルニ館とは伯爵が住まう城館の名だ。

「僕は、こんなやつの入城を認めてないぞ!」

「またそんな子供みたいに」


「コケー」

 エシィルが口をとがらせたその時、マルガレータがリュオンの方へ大きく跳躍した。オルフェリアはとばっちりをうけないように器用に身体を傾けた。


「ぎゃぁぁぁぁ」

 オルフェリアは姉弟のやりとりを茫然と見守るフレンのそばへとやってきて、ちょんちょんと彼の袖をひいた。


「さっさと準備しましょう。面倒だけれど、城館に入れることになりそうよ」

 オルフェリアはマルガレータに飛びかかられて泡を吹くリュオンを横目に見た。

 つつつ、とエシィルがテーブルを回りリュオンのそばに立った。腰を抜かしたリュオンの頭にみーちゃんを乗せている。「ぎやぁぁぁ」という二度目の断末魔が食堂に響いた。


「いいの、あれ。助けなくて」

「別に。フレンのことを馬鹿にしたからお仕置き」

 オルフェリアは弟の魂の叫びを非情に切り捨てた。


◇◇◇

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