一章 そうだトルデイリャス領へ行こう2
翌朝早朝。
オルフェリアは気の進まない里帰りのためにミュシャレンのアトーリャ駅から列車に乗り込んだ。
メンブラート伯爵家の領地、トルデイリャス領アレシーフェまでは、まずミュシャレンから列車に乗りウルドゥという街で降りる。
ウルドゥからはひたすら馬車の旅が続く。
二年と少し前、アルンレイヒは北のリューベルン連邦と戦争をした。北の国境線を越えてリューベルン連邦を構成する王国が攻め込んできたのだ。
王太子自らが戦地へ赴き指揮を取った戦は数カ月で決着をしたけれど、その余波でアルンレイヒの鉄道事業は隣国フラデニアと比べると整備が遅れている。
「お嬢様とフレン様はこちらの十号室ですわ。わたしたちは隣です。ああ、ちょっと荷物はもっと丁寧に! そんな乱暴に扱わないでくださいな」
オルフェリアはフレンとともに一等個室へ乗り込んだ。
付き添いのミネーレは衣装箱の扱いが気になるのか、従僕に文句を言いに行ってしまった。
オルフェリアの着ている灰色がかったピンク色のケープ付き外套はこの旅のために新調したものだ。
ケープの襟と淵には毛皮があしらわれており、真ん中をベロアのリボンでとめられる。
外套の下衣部分はたっぷりの布地が取られており、まるでそれ自体がドレスのようにふんわりとしている。
外套の色がピンク色なのは、ミネーレの助言のせいだった。
なんでも、フレンにオルフェリアに何色の服を着てほしいか質問したところピンク、という答えが返ってきたとのことだった。
というわけで、今回仕立屋でピンクを所望することになった。
ちなみに、フレンがピンクと言ったのは、単にオルフェリアくらいの年代の少女は大抵ピンク色が好きだから、という身も蓋もない理由だからなのだが、二人が知る由もない。
「さて、なんだか元気がないようだけれど。列車の中でこれを読んでおくように」
一等個室でオルフェリアはフレンと向き合って座っていた。
横にフレンがいないだけで、なんとなくオルフェリアは心さみしい。
ここ数カ月、ずっと隣にフレンがいる環境に慣れてしまい、こうしてたまに少しだけ距離が開くと、なぜだか心に隙間風が吹いているような気持ちになる。
「なあに?」
嫌な予感がしたが、オルフェリアはフレンが鞄の中から取り出した紙の束を一応受け取った。
ざっと目線を下に落として、文字を拾う。
「えっと、『わたしフレンのことが大好きなの! 愛しているわ』オルフェリア、家族の前でフレンに抱きつく。少し瞳をうるうるさせる。……なに、これ」
「何って、台本だよ。きみの芝居が一向に上達しないから今回も用意した」
オルフェリアはさらに項をぱらぱらとめくった。
めくるにしたがって、オルフェリアはさっきとは別の意味で心が冷めていった。
『オルフェリア、フレンを家族に紹介する「わたしの愛おしい婚約者のディートフレン・ファレンスト様よ。緑色の瞳が素敵でしょう。もちろん中身も素敵よ……以下略」』
「なによ、これ! こんなの、こんなのみんなのまえで言えるわけないでしょう! わたしのこと羞恥心で殺したいの?」
オルフェリアはたまらずに叫んだ。
なんなんだ、これは。家族の前で延々とのろけることを前提としたせりふ回しの数々にオルフェリアは背筋がぞくっとなった。
「こんなの、愛し合う男女なら普通のことだろう?」
「わたしたち、愛し合ってなんていないわよ!」
オルフェリアは反射的に答えていた。さきほど、ほんのちょっとだけしんみりしてしまったのは、たぶん、絶対に何かの間違いだ。
そもそも、オルフェリアとフレンは本当の恋人ではない。一年契約の、偽装婚約をしているだけだ。
「だからこその台本なんじゃないか」
フレンは、何をいまさらと言わんばかりに胸を張った。
「だいたい、よくこんな恥ずかしいもの一人で書いたわね」
「言わないでくれ。自分で書いてて若干むなしくなった……」
フレンが乾いた声を出した。
むしろこれをのりのりで書ける人物がいたらお目にかかりたい。そうとうの自己陶酔者だと思う。
「わたし前から疑問だったのよ」
「なにが?」
「あなたのつくったオルフェリア設定よ。フレンの好きなところ、大人な包容力って。あなたぜんっぜん、これっぽっちも包容力なんてないじゃない!」
オルフェリアが言えば、フレンは心外そうに眉を跳ねあげた。
「どこからどう見ても私なんて包容力の塊じゃないか」
「どのあたりが、よ。わたしに対してすぐに怒るじゃない。意地悪だし、えらそうだし、包容力って言葉、辞書で引いてみた方がいいんじゃない?」
オルフェリアはこれまでのフレンの言動を思い浮かべながら言い募った。
これにもフレンは心外そうにため息をついた。
「そりゃ、相棒が使い物にならなきゃ駄目だしもするさ。これでも私は我慢している方だよ。きみがアルノーの立場だったらとっくにクビにしている」
「それは前にも聞いた。わたしにはとても我慢しているようには思えないわ……」
「ああ、そう。それよりも、だったらきみは台本なんてなくても完璧に婚約者のフリをできるというわけ?」
「も、もちろんよ」
オルフェリアは少しだけたじろいだ。
あんな台本いますぐゴミ箱にぽいっと捨ててしまいたいけれど、だからといって素でフレンと仲良ししている演技ができるかといえば疑問だった。
なにしろ今回は家族が相手なのだ。
「だいたい、家族の前でもあなたのオルフェリア設定でいくっていうのが間違っているのよ。わたし、あんなはじけた人格していないもの」
「それはミュシャレンに行って、ちょっと価値観変わっちゃいました、でいいんじゃないか?」
人間数カ月でそうも変われるものか。オルフェリアは眉根を寄せた。
「無理だわ……。そもそも、フレンがわたしの里帰りについてくる必要がなかったのよ。ううん、わたしも別に帰る予定なんてなかったのに……」
オルフェリアの母親、カリティーファが数週間前に一族に代々伝わる家宝のダイヤモンドの首飾りと耳飾りをもってミュシャレンへとやってきた。
王家の晩餐会へ出席するオルフェリアのために、と箔付けのために宝物庫から内緒で持ってきたのだ。
オルフェリアはため息をついた。
一応大事なものだから実家に返さないといけない。オルフェリアの手元に置いておいて、万が一盗まれでもしたらそれこそご先祖様に顔向けできない。
父の借金返済の時にも手放さなかったものなのだ。
「きみ、どうしてそこまで実家への里帰り嫌がるの?」
「……べつに、あなたには関係のないことよ」
オルフェリアはフレンから視線をそらした。
「関係ない……ね」
フレンの言い方になにか引っかかるものがあったオルフェリアは再び彼の目を見据えた。
「あなたこそ、どうしてそこまでメンブラート家へ行きたがるのよ。婚約するとき手紙を書いたんでしょう? だったらそれでいいじゃない」
「偽装婚約の見返りとして、伯爵家の窮状について資金面で助けてあげるって言ったしね。そのためにはきちんと自分の目でトルデイリャス領がどんなところか確かめないと」
「あなた投資する先いちいち自分の目で見て回っているの?」
オルフェリアは純粋に疑問に思って尋ねた。
「いや。そんなことないよ。南アルメート大陸のダイヤモンド鉱山に出資しているけれど、アルメート大陸へ行ったことないよ」
「だったら、なんで今回は自分の目で見る、なんて言うのよ」
「鉱山の出資の件は、信頼できる商売仲間からの紹介だったしね。お金の話は同じくお金を持っている人間に自然と集まってくるものだよ。とくに出資の話はね。お互い信頼関係と商売上の関係があるから、持ちかけてきた人間の信用力がものをいう」
要するに、これからさきも付き合っていく重要な人間に下手な出資話は持ちかけない、ということだ。金持ちは金持ち同士のネットワークを持っている。とくにファレンスト家が属しているのは金持ちの部類の中でも一番上の部分だ。
「わたしはまだ信頼するに値しないってわけね」
「別にそんなことないさ。きみの人となりはこの数カ月でだいぶ掴んだ。ただ、自分の目でどんな土地なのか確かめないと、これからどういう方向で出資をするか決められない。ダイヤモンドが出ると分かっている鉱山に金を出すのと、何がでるかも分からない土地に金を出すのではまったく話が違う」
フレンは実業家としてオルフェリアの実家へ視察へ行くということだ。
「そんなの、書類見ればいいだけの話じゃない……」
頭では理解してもオルフェリアはまだ未練がましく呟いた。
「そこはぬかりなくトルデイリャス領の細かな項目は頭に入れてあるからご心配なく」
「そう……」
オルフェリアは窓の外へ視線を向けた。
こうしている間にも列車は速度を保って線路の上を走っていく。
収穫を終えた麦畑や森が車窓の景色を彩っている。
「さて、私は少し眠るからよろしく。最近徹夜続きでね。列車と馬車の中の睡眠時間を当てにして頑張っていたんだ」
フレンは座席に置いてあった帽子を目深にかぶった。
ようやく開店にこぎつけたファレンスト銀行ミュシャレン支店や、通常の商会の業務などフレンは多忙だ。その多忙さをおしてまでオルフェリアの帰省に付き合う義理なんてないのに。
「いびきかいたら鼻つまんであげるわ。おやすみなさい」
出てきた言葉は可愛くないものだった。
「いびきなんてかかないから」
すかさず反論が返ってきた。
「寝ている本人は気付かないものよ」
◇◇◇
列車でウルドゥまでは約二時間。ここからはひたすら馬車で南西へと走らせる。
馬車を走り通せば夜半にはトルデイリャス領へ到着するが延々と馬車に揺られると疲れる。
ということで一行は夕刻には手前の街でホテルに泊まり、翌日早朝に出発した。
昨日はゆっくり眠れたということもあり、フレンは朝から目覚めもすっきりさわやかだった。オルフェリアの態度は自領が近づくにつれ固くなっていくようだった。
ミネーレが話しかけても上の空でいることが多くなっていた。
早朝から走らせた馬車は昼前にはトルデイリャス領のアレシーフェという街へと到着した。
フレンは車窓の風景を眺めていた。
「それにしてもずいぶんと賑やかな街じゃないか。もっと田舎を想像していたよ」
アレシーフェの街は、フレンが想像していたよりも大きな街だ。一応資料に目を通していたが、実際に目にした印象としては、フラデニアの中規模の街と同じくらいである。
馬車の中にはフレンとオルフェリア、ミネーレとアルノーの四人が同乗している。もう一つの馬車には従僕と、里帰りのための土産やフレンらの荷物がたんまりと乗っている。
「長い歴史の中で、城壁の外にどんどん街を拡張していったのよ。人口も増えて行ったし、フラデニアへ繋がる街道もあるし」
「なるほど」
「昔は一応公国だったこともあるから。歴史だけはあるのよ。旧市街と新市街に分かれているわね。大昔は城塞都市だったのよ。旧市街にはお城があるわ。今は誰も住んでいないけれど」
「へえ、じゃあ廃墟か何かになっているの?」
「いいえ。資料館として展示物を飾っていたり。見物料を取って開放しているわ。昔の時代の鎧やタペストリーや文献などを展示しているの。歴史学の先生などが研究のために訪れることもあるのよ」
「ずいぶんと先進的なんだね」
「どうかしら。維持費も馬鹿にならないから、一般公開しようと踏み切っただけよ。十数年前のことかしら」
会話をしているうちに馬車は街を抜けて森の中へと進んでいく。
市街を抜けるとすぐに緑色の森や畑が姿を現した。
アレシーフェの街から馬車で数十分のところにメンブラート伯爵家の住むヴェルニ館がある。
古すぎる街中の城から引っ越した、とのことだったがそれだって今から二百年ほど前のことだというから、改めて伯爵家の歴史の長さを感じてしまった。
「ここは箱庭だわ……」
オルフェリアは小さく呟いた。おそらく聞きとったのはフレンだけだろう。
そう口にしたオルフェリアの顔から目が離せなくなる。現実ではない世界を見やるような遠い目をしていた。その瞳には諦めと、悲しさが宿っていた。
「オルフェリア……」
フレンが彼女の名を呼んだとき。
事件は起こった。馬車が急に止まったのだ。
オルフェリアは訝しんだような表情をしていた。御者が窓から顔をのぞかせた。
「旦那様。許可が無いと通すことはできないと申してますが」
「なんですって」
フレンが答えるより前にオルフェリアが口を開いた。
その声が嬉しそうに聞こえたのはフレンの気のせいか。
「どういうことかな?」
フレンもいい添えた。
「へ、ああ。旦那の入館許可が下りてないから、ここから先は遠慮願いたいと」
御者は弱り切った声を出した。
「そうなの……。だったら仕方ないわね」
フレンは嫌な予感がしたので、とっさにオルフェリアの耳に顔を近づけた。
「ちゃんと演技をしろ」
小さな声だが、オルフェリアには届いたようだ。少しだけ視線をフレンの方にやって、唇を引き結んだ。ここは喜んで回れ右をするのではなくて、婚約者がどうして出入り禁止なのか、理由を突き止めるところだ。
「ええと、理由を知りたいから門番を呼んで」
しばらくすると門番らしき男が馬車の前に現れた。
オルフェリアは馬車の窓を開いた。とたんに冷気が馬車内に入ってくる。
「ジラート、一体どういうことなのかしら。ここから先は立ち入り禁止って。どうして実家に入ってはいけないの?」
「お嬢様はもちろん大歓迎ですよ。しかし……」
門番の男、白い髪をした老人はちらりとフレンを仰ぎ見た。
「私の入場許可は下りていない、と」
「へ、へい……。その通りでございます。ベルリーク様がオルフェリア様以外の人間は通すなと言いつけておいでで」
「カリスト・ベルリーク、うちの家令よ」
オルフェリアが小声でフレンにだけ聞こえるように話した。
「だったらカリストを今すぐに呼んで頂戴。わたしは婚約者を連れて帰って来たのよ。手紙でもあらかじめ知らせておいたわ。それを締め出すなんて……」
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