四章 公演は秋の空の下で

 ミュシャレンの各新聞にファレンスト銀行ミュシャレン支店開設の記事を載せた。その記念にフラデニア発の女性歌劇団による特別公演を行う旨の告知も行い、いよいよ本格的に計画が動き出した。


 イグレシア公爵邸での夜会の後、リエラらと一緒にフレンは一度フラデニアへ行き公演場所の確保ができたことをエーメリッヒを含む劇団上層部役員に伝えた。

 公演は十月下旬。準備期間は一月とない。フリージア組の新作の予定をずらすわけにはいかないため厳しい日程になるがしかなたい。野外公演のためあまり秋も深まると日照時間の問題などもあるからだ。

 これからは目の回るような忙しさになるだろう。


 フレンは公演の準備以外にも通常の商会の業務や銀行の支店開設に向けた決済や会議なども抱えている。

 他にも並行して懸案事項に対する対策をする必要があった。


「アルノー、大叔父殿がしつこくミュシャレンをうろちょろしている。見張っておけ」

「予感が的中しましたね」

「そうだな。遠まわしに劇場に根回しを働きかけるよう草の根運動をしていたんだろう」


 公演劇場がなかなか決まらなかったのもおそらくはディートマルが裏でこそこそアルンレイヒの実業家や貴族らに働きかけていたのだろう。あの大叔父は昔からこういう地味に腹の立つ嫌がらせを仕掛けてくる。


「らしいですね」

 心得ているアルノーは相槌を打った。

 フレンが嫌がらせをされるということはアルノーももれなく巻き込まれるのである。

「それと、オルフェリアにちょっかいをかけた」

「彼のやりそうなことですね」


 アルノーは表情を変えることなく、そのほかの業務内容の進捗具合についていくつか報告をしたあと部屋から出て行った。

 フレンはその後二時間ほどで仕事を終えてビリャールマ地区にある自身の邸宅へと帰った。


 本格的にミュシャレンに拠点を移したころに買った大きな邸宅に秘書のアルノーとルーヴェから連れてきた幾人かの使用人と住んでいる。開こうと思えば夜会を開くことができるくらいの大きさだが、一度も開いたことはない。

 公演が終了した後、関係者を招いて夜会を開く手はずを整えている。

 屋敷に戻ると来客を告げられた。


「やあ久し振りだね、オルフェリア」

 フレンの私的な部屋に続く控えの間にはオルフェリアが一人座っていた。

「久しぶりねフレン」

 立ち上がろうとしたオルフェリアのことを目線だけで制してフレンも彼女の眼前に腰を下ろした。



「こんな狭いところじゃなくて下の広い応接間で待っていればよかったのに」

「下だと人の出入りが激しいから。わたし今日はあなたに聞きたいことがあって来たの」

「もしかして大叔父がなにか接触でもしてきた?」


 今なにかあるとしたらディートマルかと当たりをつけたフレンは彼の名前を出した。

 オルフェリアはかぶりを振った。


「ねえ、あなたが偽装婚約をしたのって……レカルディーナ様のため?」


 レカルディーナの名前にフレンは一瞬呼吸をすることを忘れた。オルフェリアは回りくどい会話を苦手としている。彼女はいつも聞きたいことを率直に質問してくるのだ。

 オルフェリアの薄紫色の双眸がフレンの緑玉の瞳をじっととらえる。彼女の顔から感情を読み取ることはできなかった。


「フレンはレカルディーナ様のことが好きなんでしょう」


 フレンが何も言わなかったため、オルフェリアが再度口を開いた。

 今度はもっと直接的な文言に変わっていた。


「突然どうしたんだ」

 フレンは普段の愛想笑いを顔面に張り付けた。


「そう考えればしっくりくるなって。そう思っただけよ。わざわざわたしに偽装婚約を申し込んだのも、メーデルリッヒ女子歌劇団の公演にこだわるのも。あなたの用意したオルフェリア人物設定にメーデルリッヒ女子歌劇団好きっていう表記があるのも。確かに年下のわがままな婚約者がひいきにしている劇団の公演をおねだりしたから、っていうほうが筋も通るものね。婚約者がいれば王太子妃様のため、だなんて詮索もされないでしょうし」


 オルフェリアは特に怒るでもなく今日の天気が曇りなことを確認するかのような口調で淡々と彼女の考える理由を披露した。


「きみの思いすごしだよ。私は支店開設をアルンレイヒで印象付けようとしているだけだよ。部下たちとも案を出し合っていく中で、なにか目新しい趣向を、と考えて行きついたのがフラデニア発祥の女子歌劇団だったというだけだ」


 別にこれはフレンの独断だけではない。

 きちんと部下たちの前で披露し、了承も得ている。反対意見がなかったわけではない。しかし広告宣伝費の予算からはみ出す部分をフレンの個人の財布から賄うと言って了承させた。


「なるほど。フレンて往生際が悪いのね」

「素直に吐いているのに心外だね、婚約者殿は」


 二人はしばらくの間無言で視線をぶつけ合った。

 オルフェリアは一歩も引かなかった。


「婚約者にも秘密なわけ?」


 先に口を開いたのはオルフェリアだった。今日はやけに突っかかってくる。普段は必要以上にフレンのやることに詮索なんてしてこないのに。


「これ以上は話しをしても無駄だ。きみはなにか誤解をしているようだからね。これからエーメリッヒと打ち合わせがあるから、用事がこれだけなら私は失礼するよ」

 フレンは話を切り上げて部屋から出て行こうとした。


「待ちなさいよ! 根拠ならあるわ」


「へえ。じゃあその根拠とやらを聞かせてもらおうか」

 フレンはもう一度身体を反転させてオルフェリアに向き直った。




 出て行こうとするフレンに向かってオルフェリアは叫んだ。

 あんなはったりでフレンが素直に白状するなんてオルフェリアは考えない。まだ出会ってふた月未満。過ごした時間は短いけれど、それでもフレンという男のことはなんとなく分かっている。


 明るくて社交的で自信家。人のことを大げさに婚約者扱いするくせに、いつだって本心は見せない嘘つき男。


「あなたの視線よ。この間の、エルメンヒルデ様のお屋敷であなたとても愛おしそうにレカルディーナ様のことを眺めていたわ。一緒に話しをしているときもそう。わたしと接しているときには見せない視線を彼女には投げていた。婚約者ですもの、分かるわよ」


 オルフェリアは挑むようにフレンを見つめた。

 緑玉色の瞳から目を離さない。どんな動揺の色だって見抜いて見せる。


「きみ、恋をしたことがないっていっていたんじゃなかったっけ。それでよく目線で分かるなんて言えるよね」

「ええわかるわ。歌を聴いたもの。『姫君と二人の騎士』のセリータの歌う歌。彼女の歌を思い出してぴんときたわ。あなたの視線はずっと王太子妃様を追いかけていた」

「彼女は従妹だからね。そりゃあ心配もするし、ああして久しぶりに会えば昔のように親しく話しもするさ。普段は近寄らないようにしているから」


 この期に及んでフレンはしらを切りとおそうとしている。


「好きだって王太子妃様に伝えないの?」

「きみもしつこいな。彼女はただの従妹だよ。きみだって親しい親戚くらいいるだろう。だったら私の気持ちも分かるんじゃないか」


 フレンは少しだけ苛立ちが混じった声を出した。次第に声も大きくなっている。

 けれどオルフェリアはひかない。

 何かがオルフェリアを突き動かしていた。好きだって、認めさせるまでは絶対に引かない。


「従妹っていい言葉ね。あなた、逃げるの?」


 短くない沈黙の末にフレンは長く息を吐いて前髪を書き上げた。

「きみは本当に……。あと、妙なところでいい子だよね。私に白状させたいなら今すぐ偽装婚約を世間にばらすぞ、とか言えばいいのに」

 フレンの言葉にオルフェリアは、そうかその手があったか、と気がついた。


「確かに俺はレカルのことが好きだったよ」


 観念したようにフレンが白状した。

 いつもよりも砕けた言葉づかいにオルフェリアは急にフレンを遠い存在に感じた。

 オルフェリアには見せない、もう一つの彼。


「でももう三年以上も前の話だ。あいつはフラデニアの寄宿学校を卒業してアルンレイヒに帰った。そしてここの王太子に出会って見染められた。きみも見ただろう、幸せそうにしているあいつを」


 普通に話しているつもりなんだろうか。無意識に寄せた眉根に固い声色を聞くと、オルフェリアにはフレンがまだレカルディーナに心を残しているように思えてならない。何も気持ちを残していないというなら、どうしてそんなにも。


「うそよ」


「嘘じゃない。あいつは自分の意思で王太子を選んだ。それが答えだ」

「レカルディーナ様のことではないわ……。だって! あなたは? あなたの気持ちはどうなるの。あなた、そんなにもつらそうな顔しているじゃない」


 オルフェリアはたまらずに叫んだ。


 本当に何とも思っていないのに、あの夜あんなにも大事そうなものを見る目でレカルディーナを眺めるのか。オルフェリアには決して向けることのない心のこもった視線だった。


「俺の気持ちなんて。だいたい俺はもうレカルディーナのことはなんとも思っていない。今は従妹として大切に思っているだけだよ」

「フレンは気持ちを伝えたの?」


 その質問に返事はなかった。

 ただ困ったような笑みを浮かべただけだった。


「大人になるときみのように自分の思うことを素直に口に出せなくなるんだよ」

「汚いのね。大人って」

「そうだね」


 フレンは一言力なく呟いて今度こそ部屋から出て行ってしまった。

 オルフェリアは所在なげにしばらくの間座ることもなく、その場にたたずんでいた。


(わたしはフレンになんて言ってほしかったんだろう)


 レカルディーナのことが好きって、今でも想っている、と。そう言わせたかったのだろうか。オルフェリアも自分がいったい何をしたくてフレンに詰め寄ったのか分からなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る