四章 公演は秋の空の下で2

◇◇◇


 結局フレンとは気まずさだけが残ってしまった。


 婚約者のふりをしているのに喧嘩のようになってしまって仕事がやりにくくて仕方ない。

オルフェリアがまいた種だから仕方ない。

 だって、どうしても気になったんだもの。どうして気になったのか、それはよくわからない。あの時自分の出した結論に胸がぎゅうってなって、頭から離れなくて。


 白黒をつけないといけない気がした。


 フレンとは最近必要最低限しか話をしていない。

 彼もとても忙しくしているので顔を合わせる暇がなくて助かっているけれど。

 貸本屋も辞めてしまいすることもないのでオルフェリアは毎日劇団の練習を見学しに来ていた。本番用の野外劇場は当日を含めて五日間借りてある。それまではフレンが別に手配をしたホールで練習に励んでいた。


「誰か! だれか私の弓を知らない?」


 楽団の一人の叫び声が聞こえてオルフェリアは声の方に顔を向けた。どうやらヴァイオリン担当のうち一人の弓が紛失したようだ。

 楽員らが集まってきて、おそらく弓を探しに行ったのだろう。ばらばらな方向へ散って行った。


「最近多いわね。こういうの」

 オルフェリアは誰にもなく呟いた。


 本格的な練習が始まってから、だれかの物が無くなったり、衣装が破られていたり。小道具が無くなったり。些細なことだけど、偶然では片付けられない悪意を持った出来事が重なっていた。

 今日は通しで練習をしていた。演目の上演時間が変われば曲の繋ぎや長さも変わる。

 台詞も微妙に変わっているため団員たちは毎日練習に励んでいる。

 やがて何人かの楽員がステージの下に集まってきた。


 オルフェリアは客席に座っているので全体を見渡すことができる。誰かが首を横に振っている。探しに出かけたが、弓は見つからなかったのだろう。

 結局時間が押しているため、弓が行方不明になった女性を伴奏から外して通し稽古を再開することにしたようだ。


 指揮者(当然ながら女性だ)の振りに合わせて音が流れる。

 セリータの曲から始まった。


 セリータ役のシモーネが歌い始める。今回彼女の歌が導入部を担っているため、やや説明口調の歌詞になっているが、オルフェリアが特に印象に残っている歌詞はそのままだった。

「視線でわかるわ。だって、好きな人のことだもの」

 好きな人のこと。自分もいつも彼のことを追いかけているから、彼が何を見て、どんな顔をしているのか分かる。気づいてしまう。


 そこまで考えてオルフェリアは真っ白になった。


(あれ? これってまるでわたしがフレンのことを好きみたいじゃない)


 そこまで考えついて、いやいやいや、と頭を思い切り振った。

 振り過ぎてめまいがした。

 彼とはあくまで仮の婚約者。偽物の恋人。

 そもそも、人には口やかましいフレンが肝心のことを何も言わないのが悔しいだけだ。よく観察しているのは仕事上の相棒なのだから当たり前。


(そうよ、わたしは別にフレンみたいな意地悪な男性に恋なんてしていなもの。単に腹が立つだけなのよ)


 オルフェリアが自分の心を整理していたら、いつの間にか通し稽古が終了していた。


「オルフェリア、どうしたの? なにか怖い顔をしていたわよ」

 ユーディッテが汗を拭きながら観客席までやってきた。

「そんなことないわ」

「なあに。お姉さんには言えないこと?」

 ユーディッテが頬をぷうっと膨らませた。


「そんな大したことじゃないんです。それよりも今日は弓が無くなったって。なんだか最近変なことばかり起こっていますよね。そっちのほうこそ大丈夫なんでしょうか?」

 オルフェリアははぐらかして、逆に最近起こる出来事について尋ねた。

 破かれた衣装はコーラス隊のうちの一人の物で現在ミネーレが懇意にしている仕立屋に修理に出している。


「そうねえ……」

 ユーディッテは何かを考えるように顎に手をやった。

「ユーディお姉さま。打ち合わせをするそうです」

 二人の間に堅い声が割り込んできた。


 セリータ役を演じているシモーネだ。まだ若手でオルフェリアとも年が近い。といってもオルフェリアの二つ上の十八歳。


「そんなに急いでいないから大丈夫だ。シモーネ」

「ウルリーケ様」

 背後からもう一人の騎士役を演じるウルリーケ・リースマンが声をかけた。


 現在のフリージア組の男役二番手で、今回彼女とリエラとの一騎打ちが最大の見どころだ。もちろんオルフェリアもルーヴェ公演の際はその迫力満点な剣さばきに毎回流れを知っていてもドキドキした。


「オルフェリア様も心配しているのよ。最近ちょっと、色々と重なっているから」

「部外者が口を出すことじゃないわ」

 シモーネが迷惑そうな声を出した。

 リエラを含めた主要キャスト四人のうち、シモーネだけがオルフェリアに対して少しとげのある態度を取っている。シモーネとは当たり障りのない会話しかしていないはずなのに、なにか嫌われることを言ってしまったのだろうか。そういえば彼女は初対面のころからオルフェリアに含みのある視線をよこしてきた。フリージア組千秋楽あとの打ち上げの時のことだ。


 オルフェリアはもう一度考えてみるけれど心当たりがない。やっぱりまだまだ人付き合いそのものの経験が足りないのかもしれない。


「もう、そんな風な言い方しないの。彼女はフレンの恋人よ。彼女のおかげでヘリア・オレア公園の野外劇場の使用許可がおりたんだから。立派な関係者よ」

「そうだね」

 ユーディッテが取り成すようにいえばウルリーケも口の端を持ち上げて同意してくれた。


「ありがとうございます。あ、そうだわ。今日は差し入れをもってきていて。ごめんなさい。すっかり忘れていました」

 オルフェリアは隣の席に置いていた荷物の中から焼き菓子の包みを取り出した。

「まあ、ありがとう。練習で疲れた時は甘いものよね」


 包みをユーディッテに手渡すと彼女は満面の笑みをこぼした。そのまま飛んでいきそうなくらい弾んだ足取りでステージの方へ戻っていく。

 ウルリーケとシモーネも後に続こうとして、シモーネだけふと立ち止まった。

 オルフェリアは首を小さく傾けた。


「いいわね。お姉さまに気に入られて。貴族のお嬢様ってだけで得よね」

 他の人間には聞こえないよう小さく呟いてシモーネは今度こそ前二人の後に続いて戻って言った。


(わたし何かしたかしら……)


 最近ご無沙汰だった悪意をぶつけられてオルフェリアは茫然とシモーネを見送った。


◇◇◇


 公演の宣伝のためにオルフェリアとフレンは毎晩のようにどこかの夜会や集まりに顔を出すようにしていた。

 フレンの隣できちんと笑えている自信がないオルフェリアは、とりあえず化粧をするときに頬紅を普段よりも濃くしてもらうことにしていた。頬がピンク色に染まっていればフレンに恋をしているようにくらいは見えるだろうから。


「わたくし女子歌劇団の公演を観るのは初めてなのよ。当日が楽しみだわぁ」

「この子ったらすっかり舞い上がっちゃって、毎日大変なのよ」

 と、年配の母親は頬を染めて楽しそうに語る娘をたしなめる。しかし、母親も公演を楽しみにしているのだろう。いさめる割には頬は緩みっぱなしだ。


「ありがとうございます。練習もとても順調です」

 オルフェリアは手放しでほめてもらえれば悪い気はしない。純粋な好意には同じく純粋な気持ちで返事を返すことができる。


 最近ミュシャレンを賑わしているのはファレンスト銀行が支店開設の宣伝を兼ねて行うメーデルリッヒ女子歌劇団の公演についてだ。先日イグレシア公爵邸で行われた夜会に登場した見目麗しい男装の女優の評判が評判を呼んだ。

 ルーヴェ好きで知られる王太子妃が夫に外出の許可を取り付けた、という噂も手伝い公演の前評判は上々すぎるほどだった。


 みな渦中の二人、フレンとオルフェリアを歓迎する。

 仲睦まじ気な演技をしながらも、オルフェリアは心の中で、いまわたしはフレンの隣で自然に笑えているのだろうかと疑問に思う。


 オルフェリアのそんな気持ちに気づいているのかいないのか。最近フレンは夜会などの集まりで一人行動をすることがなくなった。

 常にオルフェリアの隣にいるか、目の届く範囲にとどまっている。


「おや、フレンじゃないか」


 わざとらしい声にオルフェリアは視線をあげた。

 少し離れたところに後頭部が後退している老紳士を発見した。ディートマルだ。どうやら彼もこの夜会に出席をしていたようだ。

 オルフェリアは腕を組んで寄り添っているフレンを仰ぎ見た。ディートマルを目にして、その表情は瞬時に険しいものになって、そのあとすぐに顔に笑みを張りつかせた。

 この顔をしているときオルフェリアは彼が腹の中で何を考えているのか分からない。


「大叔父殿。まだミュシャレンでふらふらしているんですか。てっきりロルテーム支店に帰ったものだと思っていましたよ」

「私も色々な国を視察して回ろうと思ってな。私がここにいてはなにか不都合でもあるのかな」


 フレンがにこやかな笑顔を顔に張り付けて口を開けば、ディートマルも鷹揚な態度でそれにこたえる。腹の探り合い、これほどまでにこの言葉がしっくりくる場面もない。


「ロルテーム支店からの報告書が遅れ気味でしたから父上も心配していましたよ。またいつぞやのときのように数字を改ざんしようとしているのではないか、と。まあ、いまごろは私の部下の会計係が現地へ赴いているのでご心配なく」

「ふんっ。あれは改ざんではないと言うておろうに。いつまでもぐちぐちと根に持ちよって」

「そういうことにしておきましょう」

 フレンは笑みを浮かべたままの態度を崩さない。

「それはそうと。お祭りの準備は進んでいるのか。聞くところによると色々と問題が発生しているようだが」


 ディートマルが突然話しを変えてきた。おもしろそうに口元を歪めていることから、今回の話の目的がメーデルリッヒ女子歌劇団の公演についてということがうかがい知れた。オルフェリアも自然フレンに絡めた腕に力が入った。

 それに気付いたのかどうか。フレンがあいた方の手をオルフェリアの腕の上に乗せた。


「問題なんてなにも発生していませんよ。万事順調です。当日が楽しみでなりません」

「……ほう……。ではお手並み拝見と行こうじゃないか。次期総帥殿」


 言いたいことだけ言ってディートマルはくるりと反転した。

 結局フレンに一言嫌味を言いに来ただけのようだ。その割には内部情報に詳しい。やっぱり彼が一枚噛んでいるのだろうか。


「ああそれと」


 なにか言い忘れたことがあったのか、ディートマルが突然振り返った。

 今度はフレンではなくオルフェリアの顔をじっと見つめてくる。


「お嬢さん。この間の私の申し出。考えてくれましたかな?」

「なんのことかしら」

 こちらを卑下した嫌な視線だった。獲物を刈る瞳、狙いを定めた視線がオルフェリアをからめ捕る。

「私ならお嬢さんの力になれるって話ですよ。知っての通り、ロルテームは貿易で栄えている一大都市です。もちろんアルメート大陸の人間も少なからず出入りしている。当然色々な情報を耳にする機会も多くてね。ここまで言えば敏いお嬢さんのことだ。私の言いたいことも分かるんじゃないでしょうかね」


 オルフェリアは返事をしなかった。

 彼はオルフェリアの家庭の事情も調べている。案にこちら側につけば父の行方についても調べてやると言っているのだ。


「いいえ。わかりません」

 オルフェリアのはっきりとした口調にディートマルは肩をすくめた。

「大叔父殿。あんまり私の可愛い婚約者をいじめないでほしいものですね」

「私は彼女の力になってやろうとしているだけだよ」

「オルフェリアの力になるのはいつだって婚約者の私の役目ですよ。私を出し抜こうとしないでもらいたいですね。彼女に対していい恰好ができないでしょう」

「ふん……。よくもまあぬけぬけと。白々しい演技も大概にしろ」


 演技という言葉に近くにいた何人かがざわりとこちらに振り向いた。

 まずい。何人かがおもしろい余興を眺めるかのようにこちらの動向をうかがっている。噂の恋人になにかあったのか、喧嘩か、それとも……。といった好奇の目にさらされる。


「まあディートマルさんたら。わたしたちは愛し合って、いるのよ」


 オルフェリアはフレンの腕に絡めた自身のそれをぎゅうっとフレンに押し付けて、身体ごとフレンのほうに寄りかかった。

 なんでもいいからこの場で仲のいい恋人に見せることのできる方法。空気の読めない令嬢オルフェリアならどんなことをするだろうか。オルフェリアは必死に考えた。


「さっきからフレンにいじわるばかりおっしゃって。わたしのことはどうでもいいですけど、フレンのことを馬鹿にしたら許さないんだから。フレン、わたし気分が悪いわ」


 オルフェリアはディートマルに厳しい視線を向けて、それから同じようにフレンにも八つ当たりをした。つんと横をむいたオルフェリアの様子をうかがっていたフレンは慌ててオルフェリアに取り成そうとした。


「ああオルフェリア、機嫌を直して」

「もうっ! フレンもフレンよ。あんなこと言われてもっとちゃんと言い返してほしかったわ。わたし気分が悪いから今日はもう帰るわ」


 オルフェリアは頬を膨らませてフレンの腕に絡めたままの腕を振りほどいてその場から大股を踏み出した。

 そばでうかがっていた人々は、突然機嫌を損ねたオルフェリアをみて、しかたないなあというように肩をすくめたり、扇で口元を隠していたりした。


「待ってオルフェリア」


 後ろを振り返らずに歩いているとフレンが少しだけ情けない声を出して追いかけてきた。彼もオルフェリアのとっさの演技に乗ったのだろう。

 十分に距離を取ったところで、オルフェリアを捕まえて手を握られた。


「助かった。今日はこのまま帰ろう」

 いつの間にか横に並んだフレンから柔らかな声が聞こえてきた。

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