三章 仮婚約者と王太子妃

 オルフェリアを伴ったフラデニアへの一時帰国は十分な成果をフレンにもたらした。 

 日和見主義なエーメリッヒから言質を取るためにオルフェリアを連れていった。


 彼女の一言のおかげで事態が好転した。もちろん台本はフレンの自作だ。


 フレンはさっそくリエラとユーディッテ、エーメリッヒらを引き連れてミュシャレンへとやってきた。関係者らを下見旅行に招待したのだ。

 アルンレイヒでは彼女らを連れて劇場候補地の下見や場所の確保、そして上流階級や新聞雑誌社への売り込みなどすることは山ほどある。


 時間はいくらあっても足りない。フレンは毎日多忙だった。

 そんな折、オルフェリアが沈痛な顔をしてフレンの屋敷を訪れた。


「王太子妃からお茶の招待状を貰っただって?」


 目の前に座る少女は紅茶のカップに口をつけながらこくんと頷いた。

 いつにもまして顔に表情が無いのはとんでもない招待状を前にして困惑しているからかもしれない。顔色も少しだけ悪かった。


「どうしよう……。心当たりがありすぎて今すぐ実家に帰りたい……」


 普段のオルフェリアからは想像もできないくらいの弱気な発言だった。

 目の前に置かれたケーキはいまだ手つかずのままだった。


「ちなみに聞くけど、その心当たりって?」


「わたしの評判の問題。意地悪令嬢とか言われている女が従兄のお嫁さんなんて許さないとか言われたらどうしよう……。ああそれともお金目当てなんでしょうとか、そっちかしら。あと、一番重要なのはうちの家族がここ二年ばかり王家の晩餐会に出席していないってことかしら……」


 青い顔をしたオルフェリアは本当にいくつも心当たりを吐露した。

 フレンは一通り聞いてソファに体重を預けた。


「ごめん。きみの心当たりがそこまで重要だとは思わないんだけど」

「あなたねぇ! わたしが真剣に悩んでいるのに、なにその適当な返事は。大体、王家の晩餐会は特別なのよ! 限られた家しか招待されないんだから」

「ふうん。それはそれは名誉なことだね」


 いきなり始まった家柄自慢にフレンはさらに適当な相槌を打った。正直爵位なしのフレンにとってこの手の話は理解できない。


「ローダ家がアルンレイヒの王座についたときからの慣習なのよ。晩餐会への出席は王家への忠誠を誓いますって意味でもあるわ。とくにわたしの家は、ローダ王朝よりも古い家系で、彼かの家がアルンレイヒをまとめたときは様子見で最初から臣下ではなかったのよ。昔から何かと独立路線を行くこともあったりして、長い歴史の中で対立関係にあったこともあったわ」


「ふうん。それでその晩餐会に出席しないのは、当主が冒険の旅に出たからってこと?」


 オルフェリアはまたもやこくんと頷いた。


「今でも昔からの使用人の家系の人たちはローダ王家を軽んじているわ。家系の長さでいったらうちのほうが長いから。別にわたしたちは王家をないがしろにしているとか、馬鹿にしているとかそんなことはちっとも思っていなくて。ただ、母は極度の上がり症で父がいる頃でさえ毎年緊張で熱出していたくらいだし。弟はまだ小さいし」


 ちなみに現当主失踪後、夫人のみで参加しようとしていたそうだが精神的圧力に負けてしまい倒れて一週間以上も寝込んだそうだ。


「きみ、たしかお姉さんいるよね」

 フレンの問いにオルフェリアはますます顔を青くした。


「それは絶対に駄目よ! 余計にこじれるわ」


 オルフェリアは詳しく語ろうとしないが、どうやら彼女の姉たちは色々と難があるらしい。

 ミュシャレンでのオルフェリアとメンブラート家の噂話の一部、お高くとまっている、という正体は聞けばなんてことのない話だった。しかしオルフェリアの狼狽ぶりから察するに貴族の体面というものはフレンにはおおよそ想像のつかない何かがあるのだろう。


「それで王家に行くのが怖い、とか。きみよくそれで王太子妃にあこがれているとか言うよね」

「別に心の中で思う分には自由じゃない」

「王太子妃に会いに行くくらい大丈夫だって。レカルディーナは気さくな人だから、取って食おうとはしないよ。というか話を聞く限り、ここで王太子妃の招待までも断ったら余計にこじれることになると思うよ」


「それくらい分かっているわよ。でも、でも……憧れの王太子妃様だからこそ気おくれしちゃうんじゃない。フレン、あなた本当に乙女心を分かっていないわよね」


 オルフェリアは顔を覆った。最近彼女は表情も表現も以前に比べて豊かになってきた。自由人ミネーレがそばにいるから、彼女の影響かもしれない。


「とにかく今後の計画のためにもきみは素直にお呼ばれに応じる。ついでに、私の作ったオルフェリア設定は封印して、レカルディーナの前ではくれぐれも失礼のないようにすること。以上。わかったね」


◇◇◇


 九月も終わりに近い日の午後だった。


 ミネーレがいうには「今日のお嬢様はおとぎの国のお姫様です」とのことだった。どのあたりにおとぎの国の要素があるのかさっぱり分からない。複雑に編み込まれた髪には真珠がちりばめられていた。白や淡いピンク色のそれらはオルフェリアの艶やかな黒髪に生えていた。ドレスは昼間の訪問らしく、露出を控えめにしたもの。少し子供っぽい意匠だったが、逆にこのくらいのほうがいいのです、とミネーレに力説された。


「こんにちは。オルフェリアと呼んでもいいかしら」


 アルムデイ王宮の一角にある王太子妃専用の客用サロンに通されたオルフェリアを待っていたのは王太子妃レカルディーナとイグレシア公爵家の長男に嫁いだエルメンヒルデという女性の二人だった。三時間も遅刻をしてしまった曰くつきの園遊会の主催者、イグレシア侯爵夫人だ。


「お久しぶりね、オルフェリア様。先日は碌にお話できなかったからわたくしも、おね……王太子妃様にご無理を言って同席させてもらうことにしたの」

「はじめまして王太子妃様。そしてお久しぶりですイグレシア侯爵夫人。本日はこのような素敵な会にお招きいただきありがとうございます」


 オルフェリアは精いっぱい優雅に礼をした。


「そんなにかしこまらないでいいのよ。わたしたち、フレ……じゃなくって、ファレンスト氏が婚約をしたって聞いて一度会ってみたかったのよ。あの、ファレンスト氏が選んだ女性ってどんな子なのかしらって」


 レカルディーナとエルメンヒルデはお互い視線をからめて笑い合った。

 それからレカルディーナはオルフェリアに着席するように促して自身もソファに身を沈めた。


 フレンと同じ茶金髪の髪を肩口で切りそろえた王太子妃は落ち着いた濃い葡萄色のドレス姿をしていた。涼やかな目元に長い睫毛、すっと通った鼻梁は可愛らしいというよりも美しいという形容のほうが似合っている。


 侍女らが茶器やお菓子を並べていく。用意がすべて整ったところで彼女らは室内から退出をした。

 小さなサロンでレカルディーナとエルメンヒルデ、オルフェリアは三人きりになった。


「というわけで、ここからは堅苦しい言葉は控えましょう。わたしのことはレカルディーナって呼んでね。彼女のことはエルメンヒルデ。ファレンスト氏のことは昔のようにフレン兄様って呼ぶことにしましょう」


 レカルディーナは小さく手を叩いて宣言をして、そのあと手はずからお茶をカップに注いだ。

「お姉さま、わたくしがいたしますわ」

「あら、いいのよ。エルメンヒルデ」


 お……お姉さま。二人はどういう関係なのだろう。


もしかして王都ではそういう遊びが流行っているのだろうか。二人の関係にただならぬものを感じたオルフェリアは困惑してしまった。


「わたくしはレカルディーナ様と同じ寄宿学校に通っていたのですわ。先輩と後輩の間柄で、その頃のくせがいまだに抜けなくて。つい私的なところではお姉さまって呼んでしまうの」

 オルフェリアの困惑顔に気がついたエルメンヒルデが説明をした。


「そ、そうなんですか……」


(奥が深すぎる、寄宿学校……)


「それよりも、あのながーい間一人身を貫いたフレン兄様がやっと結婚する気になったのよ。わたしそれを聞いた時、あなたにどうしても会ってみたくなって。急な招待に応じてくれてありがとう。聞けば最近までずっとルーヴェにいたんですって」

「はい」


 ここまで親しげな態度を取ってくれる王太子妃をもだましているのか、と思うとオルフェリアは別の意味で胃がきりきりしてきた。絶対に一年後、婚約破棄をしたら王宮に呼びだされて詰問されること必死だ。


 どうして偽装婚約引き受けたかな、自分。

 いまさらながらにオルフェリアは自問した。


「フレン兄様のお嫁さんならわたしにとってもお姉さま……この場合でもお姉さまでいいのかしら? これからも仲良くしてくれると嬉しいわ」

「はい。ありがとうございます」


 憧れの王太子妃のお姉さま! とんでもない発言にオルフェリアは吃驚した。


 貴族の令嬢の間でもレカルディーナの人気は高い。普段は取り巻きの婦人らが周りをしっかりと固めているからおいそれと声をかけることはできないのに。

 表面上オルフェリアはいつものように冷静沈着な顔つきをしていたが、胸の中は次々と色々な感情が迫ってきて非常に忙しかった。


「そうだわ。兄様とはどういういきさつで出会ったのかしら」


「それはわたくしも興味がありますわ。フレン様はわたくしも昔から面倒をみていただいていましたのよ」

「ええと……最初に出会ったのはとあるお茶会で。そこで同じ本が好きだということで意気投合しました」


 このあたりのくだりはもう何回も答えているのですらすらと出てきた。

 その後もいくつか質問を受けて、返して。


 彼女たちからは他の貴族から感じる毒とか嫌な雰囲気は一切感じられなかった。純粋に兄のように慕っているフレンの婚約を喜んでいるのだろう。オルフェリアへの質問もあらを探すというよりは恋の話をするのが楽しいというのが強いようだった。


「フレン兄様は優しい?」


 レカルディーナはオルフェリアのカップにお茶のお代わりを注ぎながら聞いてきた。

 ふわりとした笑顔を眺めているとほっとした。


「ううん……。ときどき、いや、割と意地悪です」


 オルフェリアの答えにレカルディーナとエルメンヒルデが同時に噴出した。

 あ、あれ。まずかっただろうか。二人の砕けた空気に流されてしまいつい本音を漏らしてしまった。


(やっぱり、優しいですって言った方がよかったのかしら)


 オルフェリアの狼狽に気づくことなくレカルディーナは笑い声をかみ殺しながら口を開いた。


「ごめんなさい。ただ、ね。仲がいいのねって思って。フレン兄様って、ちょっと女心を分かっていないところがあるから……。これってわたしの旦那様も同じなんだけど。ふふ、みんな同じことで悩むのね」


「え……そうなんですか?」


「そうよ。殿下と初めて対面したときなんて、とっても怖かったのよ。あの人あまり笑わないの。あ、わたしが殿下のこと怖いって言っていたのは、もちろん内緒よ」

 そう言って彼女は人差し指をぴんとたてて口元に持っていく。


 レカルディーナは夫である王太子のことをいくらか話してくれた。一見すると怖そうだけれど本当は優しいとか、子供たちの面倒もよくみてくれるのよ、とかだ。もしかしたらのろけられているのかもしれない。


 そうやってお互いの伴侶のことを一通り話し終えると話題はフラデニアへと移った。

 レカルディーナは今でもフラデニア文化が好きなようで、エルメンヒルデと一緒にメーデルリッヒ女子歌劇団関連の特集記事を追いかけていると話してくれた。


「わたしもルーヴェで鑑賞しました。初めて見たんですけど、とってもとっても素敵で、男性役の方もかっこよくって」

「そうでしょう! 懐かしいなあ。結婚してからはふらりとルーヴェに行くことできなくなっちゃって」


 レカルディーナはさびしそうに笑みを浮かべた。

 さすがに一国の王太子妃が観劇のために外国に行くことはできない。


「わたくしも女組は大好きですわ」

「実は今、フリージア組の女優の方がこちらにいらしているんです」

「それ本当?」

「まあ!」

 レカルディーナとエルメンヒルデは同時に声をあげた。

「どなたがいらしているの?」

「リエラ様とユーディッテ様です」


 一番人気の二人は名前に様づけがルーヴェっ子の間では一般的だ。オルフェリアも敬意を表してこの呼び方を真似るようになっていた。というか恐れ多くて軽々しくリエラだなんて呼べない。


「ウソでしょう。あのリエラ様が……! 実はわたし昔からリエラ様が一番好きだったのよ。あの頃はまだ二番手、三番手を演じていたの。けれどあのときからきらりと光っていたわ」


 そのあとオルフェリアはレカルディーナとエルメンヒルデからリエラ・ドルテア物語を延々と聞かされた。内容は主にデビュー時からの彼女の足跡だ。

 フレンからは二人がミュシャレンに滞在していることは話してもいいが、ファレンスト銀行がらみの公演については内密に、と厳命を受けていた。


 この分だとファレンスト銀行ミュシャレン支店開設記念特別興業を知ったら大変な騒ぎになるに違いない。

 二人の知識量に圧倒されながらもお茶会は和やかさを保ったまま終了の時間になった。たっぷり用意されていたお茶とお菓子がちょうど無くなった頃合いだ。


「今日はありがとう。また近いうちに遊びに来てね。というかわたし絶対に時間を作ってリエラ様たちに会いに行くわ。絶対よ!」


 どうやら今日のお茶会で王太子妃のメーデルリッヒ女子歌劇団愛が復活してしまったらしい。力強く宣言をするレカルディーナの横でエルメンヒルデも頷いている。


 三人で回廊を歩いていると前方から男性の集団が近づいてくるのが確認できた。

 若い男性たちだった。一部の人間は帯剣している。

 もしかしたら王宮に勤める騎士かもしれない。


「殿下。どうしたんですか、こんなところで」


 レカルディーナが近づいてきた人物の正体に気がついて声をあげた。

 オルフェリアは心臓が別の意味で強く脈打つのを感じた。


 オルフェリアからほんの数歩というところで立ち止まった集団の真ん中には一人だけ明らかに高い身分を示す男性の姿があった。簡素な衣装を身にまとっているが、仕立てがまるで違う。


 また、彼が身にまとっている雰囲気が他の人間と違っていた。他を圧倒するような威圧感。オルフェリアは手が汗ばむのを感じた。殿下と呼ばれる人間は現在このアルムデイ宮殿に一人しかいない。レカルディーナの夫、王太子その人だ。


「メンブラート伯爵家の人間を呼ぶと言っていただろう。まさか本当に現れるとは思わなかった」

 黒髪に薄茶の瞳をした精悍な男が無感情にオルフェリアを見下ろしていた。


「とても可愛らしい方でしょう」

 レカルディーナが言い添えた。エルメンヒルデも彼女の言葉に頷いた。

 オルフェリアは動くことができなかった。


 この場にいる全員がオルフェリアの動向を、メンブラート家がどういう態度を取るのかと注目している。

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