二章 恋人業務は波乱の幕開け5

 屋敷の中は圧倒的に女性の方が多かった。

 それもそのはず、今日はフリージア組の公演お疲れ様会という名の打ち上げだからだ。

 出資者特権で打ち上げに参加するのが今日の目的だった。

 上流階級の集まりとは違いもっと砕けた、明るい雰囲気が会場を覆っていた。


「公演終了お疲れ様でした」


 オルフェリアはフレンから紹介されたフリージア組団長のエーメリッヒに持参した大きな花束を手渡した。


「千秋楽お疲れさまでした」

「ありがとうございます」


「彼女はアルンレイヒ人で私の可愛い婚約者でもある、オルフェリア・レイマ・メンブラート伯爵令嬢。メーデルリッヒ女子歌劇団が大好きでルーヴェに行きたいとせがまれましてね。『姫君と二人の騎士』の千秋楽に合わせて連れてきました」


 フレンが如才なくオルフェリアのことを団長に口添えした。もちろんメーデルリッヒ女子歌劇団好きと伝えることも忘れない。


「はじめまして。わたし初めて観劇させていただきました。ほんっとうに素敵でした! 男性役のみなさんとてもかっこよくって素敵で、気品にあふれていて。フレン様と婚約したの早まったかしら、なんて思ったり」

「待ってオルフェリア。それはないんじゃないかな」


 アドリブを効かせたらフレンが情けない声をあげて団長や周りを取り囲んでいた人間らがどっと笑い声をあげた。


「リエラ、男役冥利に尽きるんじゃないか。オルフェリア嬢にここまで絶賛されて」

 裏方なのだろう、若い男が一人の女性を一団の中から引っ張り出した。

「はじめましてオルフェリア様。私の名前はリエラ・ドルテア。以後お見知りおきを」

 背の高い細身の女性の女性がオルフェリアの前で優雅にお辞儀をした。

 女性なのに身に付けているものは男性用の衣服だ。


 芝居がかった仕草だが、それが板についていて、オルフェリアの手をとり、ふわりと優しい口づけを落とした。


 まるで『姫君と二人の騎士』の一幕のようだった。

 突然の出来事にオルフェリアは固まってしまった。


(ほ、本物……)


 顔を真っ赤に染めてされるがまま。オルフェリアの手を離し立ち上がったリエラはオルフェリアに近づき彼女の髪の毛をひと房をはらりと手ですくった。


「かわいらしいお嬢さんだね。私に惚れてしまったかな?」

 女性にしては少し低いけれど、耳になじむ艶やかな声を出されてしまい、オルフェリアは至近距離で瞳を覗き込んでくるリエラから目が離せない。


「え……あっ……」

「リエラ、私の婚約者を誘惑するのはやめてくれないか」


 かちこちに固まってしまったオルフェリアを見かねたのかフレンがオルフェリアからリエラを引き離した。


「ごめんごめん。可愛いお嬢さんだったから、つい」


 苦虫をかみつぶしたようなフレンの顔がおもしろかったリエラは砕けた笑顔でフレンに詫びを入れた。


「あまりフレンを心配させないほうがいいのではなくって、リエラ。こんばんはオルフェリア様」

 親しみのこもった笑みを浮かべながら仲裁に入ったのはユーディッテだった。

「わかってるよ、ユーディ。あらためてよろしくね、オルフェリア様」

 リエラににっこり笑いかけられてオルフェリアはこくこくと頷いた。


「あ、あの! ユーディッテさん、舞台とてもよかったです。姫君役とても素敵でした」

「まあうれしい」

 きっといつも言われているのだろう。けれど、本当に嬉しそうにオルフェリアの瞳をじっと見つめてお礼を言ってくれた。


「ありがとう。お客様にそうやって言ってもらえて、わたしって果報者ね。もっともっと頑張るわよ」

 ぎゅっとこぶしを握る仕草も可愛らしい。


 改めてユーディッテと話してみると、彼女はとても話しやすかった。どうやらフレンとは本当になんでもないようで、オルフェリアを見つめる彼女の瞳は何の含みも持っていなかった。


「あら、シモーネ。こっちへいらっしゃい」

 ユーディッテは人の輪から少しだけ外れて飲み物を飲んでいた少女に声をかけた。

 髪の毛を高い位置でひとつに結わえて、簡素なブラウスとスカート姿の女性である。


「あの方はセリータ役の……」

「ええそうよ、彼女はシモーネ・ホーエンロル。まだ十八歳なのよ。セリータ役もオーディションで勝ち取ったの」


 ユーディッテが手を振っているのに、シモーネは笑うこともせずにこちらをじっと見つめていたが、ユーディッテに会釈をしてふいと顔を逸らしてしまった。

 結局シモーネがオルフェリアらの方へやってくることはなかった。


「ごめんなさいね。シモーネってばちょっと難しいところがある子で。あとでちゃんと言っておくから、気を悪くしないでね」

「ユーディッテさんが気を使う話ではありません」


 ユーディッテが気遣うような声を出したのでオルフェリアは慌てて手を振った。

 しかし口とは裏腹に心の中は少しだけすっきりしない。シモーネはオルフェリアの方にちらりと視線をやった時、確かに嫌悪を瞳に宿した。


(わたし何かしたかしら)


 初対面で、口だってかわしていないのに。


「どうしたの、二人とも」

 飲み物を取ってきたリエラが返ってきた。

「いいえなんでもないわ」

 とくに何があったわけでもないので、この話題はここで打ち切りになった。


◇◇◇


 なごやかな広間とは別の場所でフリージア組を取り仕切る団長、エーメリッヒは心中で今日何度目か分からない嘆息をついた。


 話があるとファレンスト商会の若旦那フレンから請われ、しかたなく応じた。

 そう、しかたなく。


「しかしですね。いくらファレンスト氏の要望でも……やっぱり色々と実現に向けては難題が多いんですよ」

「ええ。わかっていますよ。ですからこうして実現に向けて企画書を何度も持参しているんじゃないですか」


 エーメリッヒは手の中で弄んでいるハンカチをぎゅっと絞るように握りしめて、それから額へそれを持っていった。なんども拭いているのに、一向に汗は収まらない。


 広くない部屋の中にはエーメリッヒとメーデルリッヒ女子歌劇団の運営幹部が二人、そしてフリージア組の実力者たる女優が二人がフレンと、彼の婚約者だという隣国の伯爵令嬢を迎えていた。


「はあ……」


 エーメリッヒはあいまいに返事をして机の上に置かれた紙きれを持ち上げた。


 紙の上には『ファレンスト銀行ミュシャレン支店開設特別公演の実施にむけて』という文字が躍っている。フリージア組の公演をアルンレイヒの王都ミュシャレンで上演しないか、という打診はもう何年も前からフレンから受けていた。


 ファレンスト商会傘下の銀行の海外進出を広く知らしめるために何か派手なことをしたい、せっかくだからご婦人方に人気のあるメーデルリッヒ女子歌劇団の特別公演はどうだろうか、と。


「ファレンスト銀行はアルンレイヒでは知名度が低いですからね。支店開設に伴って大々的に派手なことをしたいんですよ。宣伝も兼ねて。とすればフラデニアの一大文化に成長した女子歌劇団にご協力を頂けないかと思いまして。そちらとしても悪い話じゃないと思いますよ。隣国の上流層にアピールすることができれば新しい顧客層を開拓することができるでしょう」


 フレンはいつもの常套句を披露した。もう何度も聞かされたのでほぼ暗記してしまったほどだ。

「しかし……」

 エーメリッヒはちらりと隣に視線を送った。

 隣の男性は突然の振りにぎょっとして、それを隠すためだろうか、咳払いをした。


「たしかに、公演にかかる費用はファレンスト商会持ちというところは魅力的ですな。しかし、ねえ。肝心のフリージア組団長が……」


 言外に上層部は海外公演に反対はしていないが、肝心の組の頭が首を縦に振らなくて、と匂わせて自分にかかる火の粉を防いだ。


「そうねえ。わたしも興味あるんだけれど」


 幹部の言葉に乗っかるようにユーディッテが一言入れた。

 エーメリッヒは熱くもないのに背中や額から汗がどっと噴き出すのを感じた。いますぐ煙草を吸いたかったが、貴族の令嬢が同席している。まず無理だ。

 だいたい、フレンは軽い口調で海外公演とか言うけれど、実際にやるとなったら裏方作業は大変な量になることは必至だ。


「しかし団員全員で移動となると」


 と、上層部の男のうちのもう一人が助け船を出してくれた。彼も事なかれ主義の男だ。


 事なかれ主義だが、大口の出資者であるファレンスト商会を敵には回したくない。ということで移動や公演にかかる手間と予算について現実を突き付けようとしている。


「ええこちらとしても費用はできるだけ抑えたいところですし。三時間公演をするのではなく、『姫君と二人の騎士』の一幕を主役級四人で演じてもらって、最後に簡単にレビューを入れれば体裁は整うのではないかと思っています。公演も一度きりですし費用もこちらで持ちますからそちらにとっても悪い話ではないと思いますよ」


「はあ……」

 にこやかに切り返されてエーメリッヒはやはりため息しかでてこなかった。

 公演にかかる費用はすべてあちら持ち、というのは非常にありがたい。


「新作の練習までいくらか休養期間があるでしょう。どうでしょう、いつもとは違った場所での公演は団員たちにとってもいい刺激になると思います。とくにリエラは次の公演で引退しますから、最後によい思い出になるのではないでしょうか」


 二十五歳のリエラは近作が開封されると同時に来季限りでの引退を表明し、ルーヴェ中が阿鼻叫喚に包まれたことは記憶に新しい。


「そこまで言うのなら、確かに悪い話ではないんじゃないですかね」

 幹部の一人が思案気に顎を手でさすった。


「しかし……、せっかくの休暇を潰されるとなると団員達の士気も下がるのでは」


 よし、ここは団員達を心配する体で押し通そう。


 そうすれば対外的にもエーメリッヒの評価も上がるかもしれない。団長とはいえ、役者も楽団員らも男役娘役一番手を張っているリエラとユーディッテの言葉を優先するのだ。


「あら、わたしは別にいいわよ。それにすでに出来上がっている演目だもの。調整するとはいってもそこまで練習でがんじがらめになるわけでもないし。いつもと違うところでの公演も面白そうだわ」

「わたしもかまわないよ。引退前に海外公演なんて、おもしろそうだし。それにミュシャレン滞在の費用、フレンが持ってくれるなんてこんな美味しい話ないよ」


 女優陣二人の楽しそうな声にエーメリッヒは押し黙った。


 フレンへうらみがましい視線を送りつけてやったが、彼はそれに気付いているのかいないのか、どこ吹く風だ。あらかじめ女優二人に根回しをしていたに違いない。

 現在のフリージア組を動かそうとするならこの二人を落とすのが一番の近道だ。


 エーメリッヒの言葉より彼女らが一言「海外公演楽しそうでしょう」と言えば、それは即座にフリージア組全体の意思になり替わる。


 団長なのにいまいち組を掌握しきれていなくてエーメリッヒはその鬱屈を酒とたばこへぶつけてしまうのだ。おかげで妻と子供からは「禁酒禁煙!」と目を吊り上げられる日々である。


「そもそも箱はあるんですか。確か、前に尋ねた時は現在交渉中とおっしゃっておられましたな」

 エーメリッヒの反論に今度はフレンが黙り込んだ。

 そう、この計画は肝心なところがまだ真っ白なのだ。公演場所の確保。まずはこれが最優先課題だろう。


「会場なんてこれからどうにでもなります。ミュシャレンでメンブラート家の名前を出せばそのくらいの融通はききますから」


 黙り込んだフレンに代わり、今度はオルフェリアが口を開いた。


 にっこり笑って自信たっぷりに宣言している。エーメリッヒはアルンレイヒ貴族にくわしくはないが、貴族という人種が時折権力をかざして自分の思い通りに事を運ばせようとすることは重々承知している。伯爵令嬢がそこまでいうのであれば、箱はすぐにでも用意できるに違いない。


「まあ、それでしたら」

「そうですな。ミュシャレン公演が成功すればあちらからのお客様も増えるかもしれない」

 上層部二人が陥落した瞬間だった。


 エーメリッヒは心の中で今日一番の特大の舌打ちをした。

 まったく! 所詮部外者はお気楽だ。こちらの事情のことなんてまるで構いやしない。

 エーメリッヒは胃のあたりをさすった。


 実際、出資者フレンには知るところではないが、フリージア組にも色々とあるのだ。女ばかりの現場では役の奪い合いも激しいし、取った取られたなどという諍いも日常茶飯事だ。あの子よりわたしのほうが先輩なのに、どうして台詞の数が彼女の方が多いの、とかいろいろだ。


 しかもここ数カ月は誰かの不注意というには説明のできない、たちの悪いいたずらがエーメリッヒを悩ませていた。

 それを知らないはずないのにリエラもユーディッテもよくも暢気に海外公演などと言えたものだ。


「しかし……」

 さて、どう切り抜けようか。これ以上の面倒事は本当に勘弁願いたい。


「んもう! 煮え切らないわね。あなた、ここでファレンスト商会からの出資を打ち切られるか、ミュシャレン公演を実施するか。二つに一つよ! さあ、あなたはどちらを選ぶの?」


 エーメリッヒの態度にしびれを切らしたようにオルフェリアがばん、と机を両手で叩き強い口調で物騒な言葉を紡いだ。


「えぇぇっ! いやそれは」

「ちょ、え、あ……」

 慌てたのは幹部二人だった。

 二人とも腰を浮かせたり、ソファに深く身を沈めたり、しかしその目の奥は今後の出方について素早く計算をしていた。


「あら、まあ」

「オルフェリア様ったら」


 女優二人組は目を丸くしていたけれど、どちらかというと過激な発言をしたオルフェリアに感心してるようだった。


「私の可愛いオルフェリアがそこまで言うなら……」


 フレンの言葉が決定打だった。


 現在メーデルリッヒ女子歌劇団への出資はファレンスト商会が一番割合を占めている。ファレンスト商会から出資を打ち切られた場合、他の商家や貴族らからの出資や寄付を寄せ集めても彼らの支払っている資金には足元にも及ばない。


 フラデニアにおけるファレンスト商会というのはそれくらいの規模を誇るのだ。


「わかりましたよ。ファレンスト氏」

 エーメリッヒは項垂れた。


「ありがとう」

 そう言って腕を伸ばしてくるフレンとエーメリッヒは握手を交わした。


 彼の瞳をみて確信した。彼の筋書きどりだったことに。

 エーメリッヒはもう一度がっくりと肩を落とした。

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