二章 恋人業務は波乱の幕開け4

 翌日。

 フレンは朝早くから新聞を片手に朝食を頬張り、持ち込んだ書類に目を通していく。食堂だろうが気にしない。


「それで、ロルテーム支社の報告書が遅れているようだけれど」

 フレンは各支店からあがってきた報告書の束をぱらぱらとめくった。


 ロルテームはフラデニアからみて北に位置する隣国だ。貿易に力を入れている国で、ファレンスト商会も大きな支店を構えている。


「はい。少し前に現地社長が視察旅行に行くといい、しばらく姿を現していないとか」

「なるほど。それはゆゆしき問題ね。念のため行き先を調べておけ」


 フレンは眉根をよせた。視察旅行の話は父からも聞いていない。初耳だった。

 フレンが書類の山をより分け、アルノーにいくつかの指示を出していると身支度を整えたオルフェリアがまだ眠そうな顔をして食堂へとやってきた。


 まだすこし寝ぼけ眼をこすりながら指定された席に着き数秒。


「おはよう、フレン」

 ようやくフレンの存在に気がついたオルフェリアが挨拶をした。

「おはよう。いい夢見れたかな、私のオルフェリアは」

 フレンは仕事口調を改め、甘い声でオルフェリアに返した。


「誰が私のオルフェリアよ……」


 寝ぼけて演技することを忘れているのか思い切り素の突っ込みが返ってきた。油断しすぎ、減点だ。

「またまた。照れているのかな、オルフェリア。私はいつでもきみのことを思っているのに。昨晩もオルフェリアの夢を見たよ。夢の中できみは可愛らしく私に甘えてくれたというのに」


 いまだに気を抜くと演技することを忘れるオルフェリアのせいでフレンは五割増しで歯の浮くような言葉を口にしなければならない。内心お砂糖を吐きそうだ。ちなみに昨日は夢の中で弟と一緒に大きな肉を食べていた。甘さのかけらもない夢見だった。


「そ……そう、あいにくとわたしの夢にあなたは登場しなかったわ」

 そこは一言余計だ。なんだか自分だけが道化になった気分になる。

「今日の予定は覚えている?」


「ええ。今日はメーデルリッヒ女子歌劇団の公演を観に行くのよね」

「そうだよ。ファレンスト家が出資を行っている。その関係上いくつかある劇場すべてに我が家の指定席がある」

 オルフェリアは朝食を食べながらフレンの話を聞いていた。


「昨日の彼女が所属しているのよね、確か」


 なんとなく含みのある言い方だった。


「昨日ユーディッテからも説明を受けただろう? 彼女とはただの旧知の仲。昔彼女の悪質な追っかけ、ファンの目をそらすために熱愛報道をでっちあげたことがあるだけだって。ただの友人だよ」


 フレンは昨日と同じ説明を再度繰り返した。ドタバタ騒ぎのあった店で、オートリエに正体を言い当てられたユーディッテはすまなさそうに事の次第を説明した。


『わたしとフレンとは本当にただの友人よ。昔私のことをちょっと熱心なファンから守ってくれただけの。あなたの心配するようなことは何一つないわ。今も仕事の話をしていたの』と。


 オルフェリアが納得したかどうかは分からない。オートリエが取り成してくれたおかげでミネーレも一応は納得したのか口を閉ざした。


「それにしても年間席を持っているなんてすごいのね。ああいうのって高いんでしょう」

「うちが支援しているからね。指定席もその関係上持っている。ま、レカルディーナがこっちにいた時彼女の一声で祖父が出資を決めたんだけど」


「王太子妃様が?」

 顔にはあまり出さないからわかりにくいがオルフェリアは王太子妃レカルディーナに憧れているらしい。彼女の名前にぴくんと反応を示した。


「そうだよ。あいつが今のきみくらいの年頃にメーデルリッヒ女子歌劇団にドハマりしていてね。で、孫可愛さにお祖父様が年間指定席を買い上げて、なぜだか出資まで始めたりして。以来ずっとだ」


 フレンは遠い日の記憶を脳裏に思い浮かべた。お互い寄宿舎生活をしていた関係で、従妹といってもそんなにも頻繁に顔を合わせることはなかった。それでも休暇の折に邸へ帰れば年下の従妹が無邪気に寄ってきた。


 ちょうどメーデルリッヒ歌劇団の話題が上ったことからフレンは朝食を食べ終わったオルフェリアをとある部屋へと案内した。

 ファレンスト家の読書室だ。部屋の一角にはメーデルリッヒ女子歌劇団関連の本がいくつも収まっている本棚がある。


「ここに過去の上演作品の会場限定販売小冊子や特集雑誌、それから作品の原作本なんかがある。参考までに目を通しておくように」

 オルフェリアは本棚から目にとまった小冊子を引き抜いてぱらぱらとめくった。


「わたしずっと疑問だったの。どうしてオルフェリアの設定がメーデルリッヒ女子歌劇団好きってことになっているの?」

「まあ、いろいろとね」


 オルフェリアと偽装婚約をする際渡した設定集には彼女の好きなもののなかにメーデルリッヒ女子歌劇団の名前を放りこんでおいた。資料集と一緒にいくつか参考資料として歌劇団関連の雑誌を渡しておいたがアルンレイヒではあまり話題に上らない。


 王太子妃レカルディーナが青春時代をフラデニアで過ごしていたことはアルンレイヒでは有名な話だ。彼女はフラデニア文化びいきだ、ということも広く知られている。


「今日は昼公演を鑑賞するから、昼前には屋敷を出る。で、軽く昼食を食べた後劇場へ行く。きみはそれまでここで予習をしていてほしい」

「わかったわ」


 なにか一言二言返ってくるか、と身構えていたらオルフェリアは素直に返事をした。さっそくいくつかの本を抜き取ってテーブルの上に置いた。


 フレンはそっと読書室から抜け出した。

 昨日の今日でまだ機嫌が直っていないと思っていたけれど杞憂だったのか。


 仕事の関係上ユーディッテとはルーヴェに帰ってきてから頻繁に顔を合わせていた。過去に熱愛騒ぎをでっちあげた間柄でもあるユーディッテとの会食はフレンが想像した以上にルーヴェの住民の好奇心を刺激していたようだ。


 まさかオルフェリアの耳に入っていたなんて知らなかった。ミネーレからはこの件について新聞記者にまで突撃を受けたと聞かされた。

 フレンも確かにうかつだったかもしれない。普段からオルフェリアに事あるごとに減点とか言っている割に今回のこれは詰めが甘かった。


 恋する男を演じることがこんなにも難しいなんて。自分だってまだ自覚が足りていないのかもしれない。


◇◇◇


メーデルリッヒ女子歌劇団。名前からも分かるように劇団の構成員は女性のみ。演目に登場する役すべてを女性が演じる新しい種類の歌劇団だった。


 周辺国に比べて自由な気風で知られるフラデニアは大陸西側で文化けん引役を担っていた。貴族・大衆に関わらず流行の発信地で、歌劇の上演も盛んだった。


 十八年前、メーデルリッヒ歌劇団は乱立する他の劇団との差別化を図るため、ある画期的な特色を打ち出した。それは劇団の構成員すべて女性のみということで、舞台の男役から専用の楽団員まで全員が女性だった。さすがに脚本、演出、裏方などはこれの限りではないが観客の目に留まる構成員はすべて女性たちだ。


 最初こそ画期的すぎて色もの扱いを受けたものの、女性が演じる「かっこよさ」を追求した男役の魅力に取りつかれた観客らの評判がじわりと広がっていき、また、とある貴族の夫人が目にかけたことにより人気に火がついた。


 その後も王家ゆかりの女性がのめり込んだり、貴族の夫人がいれ込んだりと、階級を問わずに幅広い女性らからの支持を集めた。


 現在では他にも似たような女性歌劇団がいくつか存在するが、メーデルリッヒ女子歌劇団の人気は群を抜いている。また、この劇団は男女混合のメーデルリッヒ歌劇団も抱えており、ルーヴェっ子の間では「通常組」と「女組」という愛称で親しまれている。


 フレンは劇場に向かう馬車の中でこれらのことをオルフェリアに聞かせた。


「ちなみに、街中で女組の公演を観に行くとか聞こえてきたらメーデルリッヒ女子歌劇団の公演を観に行くの、という意味だよ」

「そうなの。そんな略し方があるのね」


 オルフェリアは感心したように相槌を打った。

 本日フレンがオルフェリアを連れてきたのは女組の中でもダントツ人気の「フリージア組」の公演だ。


「すごいわ、とても豪華なのね」


 到着したメーデルリッヒ女子歌劇団の専用劇場は女性の好む内装に整えられている。神話を模した天井画に精緻な細工が彫られた吹き抜けの階段。娘役目当ての一部の男性ファン以外、劇場を訪れるのは女性の観客で、あとはフレンのような付き添い役の男性がちらほら。


「まあね。ファレンスト商会が出資をしているからね」

「そういう自慢はいらないわ」


 初めての観劇にオルフェリアは普段よりも感情が高ぶっていた。

 昨日までの確執も忘れ去ったかのように目に見えて機嫌が良かった。普段からもっと紅潮した顔や、笑顔を見せてくれればフレンだって積極的にいろいろな場所に連れて行こうと思うのに。

 現在フリージア組の上演作品は『姫君と二人の騎士』という、タイトルだけでなんとなく話の内容まで予測できるようなものだった。


事前の告知や演目について書かれている小冊子によると「幼馴染×四角関係」という予想を裏切らないあらすじである。


 当たり前だが姫君と二人の騎士が登場をして仲良く三人で遊ぶ幼少時代から始まった。幼いころのできごとは演者の声と影のみで、それから数年経過の台詞とともに年ごろに成長した男女が登場した。

 幼馴染の騎士二人の間で揺れ動く姫君の切ない歌声。その騎士のうちの一人に恋をした領主の娘。彼女はまた、早々に自分の恋する騎士が別の女性、忠誠を誓った姫君に想いを寄せることを知ってしまい、悲しみの歌を歌う。


 姫君を想うあまり対立してしまう二人の騎士、そして離別。


 最後の見せ場は敵対することになった二人の騎士による決闘のシーンで、観客たちが息をのむ声が同時に聞こえてきた。


 演目は二部構成で、歌劇が終わると次は華やかなレビュー公演が待っている。

 合計するとゆうに三時間は超える構成になっている。

 すべての演目が終了し会場に明かりが灯された。


 オルフェリアはとても静かだった。フレンの差し伸べた手に自身のそれを重ねて、階段を下りているときもどこか上の空だった。さきほどから一言もしゃべらない。

 本好きのおとなしい、控えめな少女だからこういう俗っぽいものは興味が無かったのだろうか。


「すごいわ……」


 オルフェリアがぽつりとこぼしたのはあらかじめ予約を入れていたサロンへ連れてきたときのことだった。地元の人間の間で今話題になっているサロンだ。


「ねえ! わたし初めてだわ。観劇自体が生まれて初めてなのに! あんなにも、あんな世界があるなんてわたし知らなかったわ」


「へ、へえ……」


 普段の冷静さからは想像もつかないオルフェリアの盛り上がり方にフレンは呆気にとられた。どうやら今まで感動しすぎて魂が抜けていたらしい。


「みんなほんっとうに女性なのよね? なのにどうして騎士役の人たちはあんなにもりりしいのかしら! わたしとても吃驚したわ。だって本当に男性にしか見えなかったんだもの。とてもかっこいいし、どきどきしてしまったわ」


「へえー、それはよかったね」


「立ち姿とか、決闘シーンとか、もちろん歌も素晴らしいし。もちろんお姫様役の方も可愛らしかったわ。あんなきれいな声初めて聞いたわ」


 フレンは、オルフェリアおまえもか、というような心境だった。


 堅物のオルフェリアまでもを虜にするとはメーデルリッヒ女子歌劇団恐るべし。ちなみに女性が男役の女優をほめちぎっているときにむきになって、本当の男の方が~などと反論しようものならそのあと数倍になって返ってきて喧嘩になること必死なのでここはひたすら相槌を打って女性の熱がひと段落するのを待つに限る。


 過去の経験から学んだことだった。学んだ相手は従妹のレカルディーナからだ。


「王太子妃様もお好きだったんでしょう。わたし新聞の記事で拝読したことがあるのよ。まさか自分がルーヴェで観ることができるなんて思わなかったけれど」


 一通りしゃべって落ち着いたオルフェリアはようやくお茶とケーキに手をつけた。

 王太子妃関連の記事を新聞で読むあたり、顔には出さないだけで中身はわりとミーハーなのかもしれない。


「だったら私と婚約した甲斐があっていうものじゃないかな」

「そうやってすぐつけ上がる」


 オルフェリアはぷうっと頬を膨らませたが、溌剌とした薄紫色の瞳からは観劇の興奮がまだおさまっていないことをフレンに教えてくれていた。


「美味しい」


 口に含んだケーキの美味しさに身体を震わせているオルフェリアはフレンの知っている他の令嬢や従妹と変わらない。ようやく十代の少女特有のあどけない一面を観ることができて安心した。


「よかったら私の方も一口どうぞ。まだ口をつけていないからね」

「ありがとう」


「けどメーデルリッヒ女子歌劇団の公演を気に入ってくれてよかったよ。うちは出資をしている関係上、女組すべての劇場に年間指定席を持っていてね」

「すごいのね」


「で、フリージア組の現在の演目は来週が千秋楽だ。私もルーヴェの本社で会議やら調整事項やら色々と仕事もあるし、きみには明日から毎日『姫君と二人の騎士』に通ってもらいたい。あいている時間に他の組の演目を観てもらってもいいけど最優先はフリージア組の公演」


「毎日?」


 オルフェリアはケーキからフレンの方へ視線を移した。


「ああ毎日だ。ミネーレに付き合ってもらうといい。彼女には付添人用のドレスを買うように指示をしておこう。あと、体調がよければお祖母様を誘うか、そこはきみにまかせるよ。で、千秋楽の後会わせたい人がいる」

「もしかして昨日の?」


「ああ、ユーディッテだよ」

 フレンの指示にオルフェリアは少し小首をかしげながらも素直に頷いた。


「やけに素直なんだね」

「わたしだっていつもつんけんしているわけじゃないないのよ。それに、まあ……、彼女悪い人じゃないみたいだったし。あなたじゃなくて彼女の言葉を信じることにしたの」


 オルフェリアはあくまでフレンではなくユーディッテに免じて、というところを強調した。

 彼女をルーヴェに連れてきた理由は千秋楽の後話すことになるだろう。


       ◇◇◇


「なんだかんだ女組を気に行ってくれてうれしいよ。祖母も久しぶりに出かける機会が増えて楽しんでいたみたいだし」

「わたしね、気付いたのよ。女組の公演は女性同士で通うのが断然に楽しいって!」


「悪かったね、一昨日の千秋楽は私が同伴で」

 オルフェリアが断言すればフレンは拗ねたような声を出した。


「べつにいいわよ。みんなとはもう十分に堪能したもの」

「ま、オルフェリアが楽しんでいるようで安心したよ。半ば強制的にルーヴェに連れてきたからね。少し心配していたんだ」


「フレンでもそんな殊勝なこと言うのね」

「きみね……」


 二人は並んで歩いていた。

 千秋楽から二日後。


 オルフェリアとフレンはとある屋敷へと出向いている最中だ。

 オルフェリアの腕のなかにはフリージアを基調とした大きな花束がある。


「心を砕いてくださっているのはオートリエ様やカルラ様、それにミネーレだもの。ルーヴェの市内観光に連れて行ってくれたり、仕立屋めぐりは……、試練だっわ」

 オルフェリアは連日のように連れて行かれた「ミネーレ厳選☆ルーヴェで絶対に行くべき仕立屋」での光景を思い出した。

 当分着せ替えごっこは遠慮したい。


「ルーヴェはいいところだろう」

「そうね」

 フレンが誇らしそう胸を張った。


 別にフレンの手柄ではないけれど、確かにルーヴェは素敵な街だと思うからオルフェリアは素直に同意した。


「今度、私ともどこかに行く?」

「いいわよ、無理しなくて。王宮も凱旋門も大聖堂も、離宮も全部連れて行ってもらったもの」

「……」

 そうこう話しているうちに二人は目的地の建物の前へと到着した。


「さて、ついたよ。今日の段取りは覚えている?」

「ええ」


 オルフェリアは訪問前にフレンから渡された台本を頭の中で反芻する。最初呼んだときは「なんなんですかこの役回り!」と叫んでしまった。


「さあしっかり頼むよ、婚約者殿。今日の話し合いが成功するかはきみの台詞にかかっている」

 屋敷の扉を開く前フレンは口の端をゆるりと持ち上げた。


「もう、なんとでもなれってかんじよ」

 オルフェリアは乾いた笑いを浮かべた。

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