一章 偽装婚約の裏側4
◇◇◇
「お嬢様とっても可憐ですわ。まるで夏の夜に現れる妖精さんのよう」
「そうかしら……」
うっとりと頬に手を添えて自身の仕事ぶりに満足げにため息を漏らすのはミネーレ・ヒョルスナーというフレンが用意したオルフェリア付きの侍女だ。
赤みかかった金髪をひとつにまとめ後ろで器用にまとめ、自身も飾り気のないドレスを身につけている。今日の演奏会ではオルフェリアの付添人として同行する。
ミネーレは美しく飾り立てられたオルフェリアのことを薄青の瞳をうるうるとさせながら見つめていた。
「今日はせっかくの演奏会ですもの。月の妖精さんのように儚い、をテーマにドレスを選びました。ほら、このドレスシフォン素材ですからふわりと風に踊るようでしょう。お嬢様の薄紫の瞳にもとても合っています」
「でもわたし銀髪ではないし。黒髪だし。月の妖精ってちょっと誇大すぎる」
「そんなことないですよ! わたしお嬢様のようなきれいなお方に仕えることができて毎日幸せです。今日は何を着てもらいましょう、とか妄想するたびに心臓がどくどくと波打ちます!」
実際にオルフェリアの装いは完ぺきだった。
フレンが用意したのは専用の侍女だけではない。自身の枯券にもかかわるとばかりにオルフェリアに対して流行のドレスや宝飾品や身の回りの物を大盤振る舞いで贈って寄こした。
父親が冒険旅行に行くときに作って置いて行った借金のために現在メンブラート伯爵家の内情は厳しい。オルフェリアもそこのところをきちんと分かっているため自身の服飾代はぎりぎりのところまで切りつめていた。持っているドレスはどれも古い形だったし、叔母であるヴィルディーが若いころに着ていたドレスを手直しして着回していたくらいだ。
演奏会用のドレスはミネーレがミュシャレンの仕立屋にオルフェリアを連れ回して作らせたものだった。淡いピンク色かかった薄紫色のシフォンのドレスは薔薇の花弁のようにすそに向かっていくつも重ねられていて歩くとひらひらと舞いあがる。ドレスのすそから見える靴には真珠が縫いとめられ、光沢のある薄グレーで品よくまとまっている。
「侯爵邸も待遇は良かったですし、奥様もいい人でしたが、やはり年配の女性ですと自然ドレスも地味なものになりますし。それにくらべてオルフェリアお嬢様はまだ十六歳! 飾りたい放題! わたし毎日が楽しいです」
「そ……そう」
もともとミネーレはフレンの叔母であるパニアグア侯爵家で働いており、夫人付きの侍女をしていた。フレンが婚約者付きの侍女を探していることを知った夫人が気を利かせてミネーレをオルフェリアの元に紹介してくれた。
羽振りのいいパニアグア侯爵家に仕えるミネーレはミュシャレンの流行やファッションセンスもよかった。自身がおしゃれ好きを公言するだけあってミネーレの選ぶ品物はどれもオルフェリアにぴたりと合っていた。
ミネーレは可愛い女の子の着せ替えをすることも大好きらしく、先日連れて行かれた仕立屋では十数着ものドレスを試着させられて辟易した。
新しいドレスに胸躍らせたのもつかの間、終わりのない試着会に突入して、ものには限度があるということを学んだ。
「来週からはフラデニアですもんね。わたしあちらでもお嬢様を仕立屋にお連れするのが楽しみで楽しみで。行きたいお店はいくつかあるので案内しますね。なんといっても西大陸の流行発信地ルーヴェですから」
ルーヴェはフラデニアの王都の名前だ。
フラデニア人である、パニアグア侯爵夫人の里帰りにも何回か同行しているミネーレはルーヴェの事情にも精通している。
また着せ替えか、とオルフェリアはミネーレの言葉に身構える。
「あら、そろそろフレン様のやってくる時間ですね」
「そうね」
遅れるともれなく小言がついてくる。オルフェリアは応接間へと移動した。
応接間にはヴィルディーが待っていた。彼女も今日の演奏会へは夫と一緒に行くことになっている。叔父夫婦とオルフェリアとフレンの四人一緒にで、だ。
「あら、オルフェリアとてもきれいね」
「ありがとう叔母様」
「ファレンストさんももうすぐ到着すると思うわ。あの人はまだちょっと支度中なの」
ヴィルディーはそう言って上を向いた。なるほど、叔父はまだ上の階で支度中ということか。
ヴィルディーの結婚相手インファンテ卿は子爵家の次男だ。後継ぎではないため、実家からの年金と投資の利息で生計を立てている。現在はいくつかの名誉職にもついている。投資家というだけあってフレンと打ち解けるのも早かった。ファレンスト家は優れた投資先を見つけ出すのが上手だそうで、もしかしたらオルフェリアとの婚約を一番に喜んでいるのは叔父かもしれない。
「オルフェリア、ファレンストさんのことが待ちきれないのなら玄関近くで待っていてもいいのよ」
「え、そ……そんな。わたしは別に」
少女のように瞳を輝かせながら冷やかしてくるヴィルディーにオルフェリアはどんな態度を取っていいかいまだにわからない。
ある日突然連れてきた婚約者のフレンに対し、最初こそはとまどった表情を顔に浮かべたヴィルディーだったが、一緒に食事をし、打ち解けたころになると打って変って賛成に回った。
子供のいないヴィルディーは昔からなにかとオルフェリアら姉弟を自身の子供のように可愛がってくれていた。オルフェリアの母とは仲の良い姉妹だった。
ミュシャレンに来たいと相談したオルフェリアを快く迎えてくれた優しい叔母なのだ。
「あら、なあにオルフェリアったら。ちっとも楽しそうじゃないわね」
「そんなことないわ! 待ち遠しいわよ、フレンのこと。早く来ないかなって今も考えていたの」
オルフェリアは慌てて言い繕った。
気を抜くとすぐに地がでてしまう。なんとも思っていない相手だから待ち遠しくないのは本当のところだったが、仮にも恋人という設定なのだから少しは楽しそうにしないと。
「そう?」
オルフェリアはこくこくと頷いた。
「そうだわ。お姉さまから手紙が来ていたのよ。あなた宛て」
ヴィルディーの言葉に近くにいた使用人が心得たように封筒を手にして戻ってきた。
ヴィルディーは受け取った白い封筒をオルフェリアに手渡した。ヴィルディーの言うお姉さまとはオルフェリアの母親、カリティーファのことだ。
オルフェリアは目を白黒させた。なぜに今になって母親から手紙が届くのか。筆出不精なオルフェリアは実家へ手紙を送ったのは本当に数えるほどだ。
「ファレンストさん、あなたとの婚約の報告をメンブラート伯爵家へ直接できなかったことを心配していたから。彼、ミュシャレン支店の責任者だから忙しいのでしょう。一応彼の部下が報告しに行ったようだけれど……。さすがにそれだけじゃあ……ってことでわたしからも手紙を書いて送っておいたのよ」
「えぇっ!」
初耳だった。偽装婚約、一年限定だからそういう実家への挨拶はすっとばすものかと思っていたのに。
「あら、そんなにも驚くこと?」
「あー、ええと。わたしもちょっとは気にしていたのよ。ほら、わたしたちって出会ってすぐに恋に落ちてしまったでしょう。婚約するのも性急すぎたかなぁって」
オルフェリアは必死に頭の片隅から婚約設定資料集を引っ張り出した。
資料集のありがたみが分かるのはこういうときだ。
今の今までまったくそこまで考えていなかったオルフェリアだったが、とりあえずこの場は急ごしらえで取り繕う。
「そうねえ。正直まだちょっと早いわ、とも思ったけれど。メンブラート伯爵家の令嬢と言ってもあなた三女だし、伯爵もその……、ねえ。エシィルもさっさと地主の長男のものへ嫁いだし、あなたも好きな人と一緒になってもいいんじゃないかしらって。おばさん思い直したの」
オルフェリアの上には双子の姉妹がいる。次がオルフェリアですぐ下が妹、そして弟二人と続く。全部で六人姉弟だ。エシィルとは双子の姉のうちのひとりで、昨年隣の地所続きの家庭に嫁いで行った。爵位を持っていない地主階級の家の長男だ。
父のいたころから家族ぐるみで仲良くしていた。
「ええそうね。わたしもせっかく結婚するなら好きな人とがいいわ」
「あら、言うわね」
(フレンは好きな人ではないけど)
本音は心の中で呟くにとどめておいてオルフェリアは外向けの笑顔をつくった。偽物の関係でも一応今はフレンが恋の相手なのだからしょうがない。
それにしても母は一体なんて書いてよこしたのだろう。
いますぐに開けてみたいような、中を読むのが怖いような。
どちらにしろ今読むことはできないのでオルフェリアは受け取った手紙を自身の手持ちのカバンの中にしまい込んだ。
そうこうしているうちにフレンが邸宅へとやってきて、ちょうど支度を整えたインファンテ卿とともに四人で馬車に乗り込んだ。
◇◇◇
王宮にもほど近い場所に王立劇場はある。劇場に隣接する広場にはたくさんの馬車が停まっていた。中からは銘々に着飾った男女が降りてくる。
オルフェリアは今年領地から出てきたばかりなので、まだこういう華やかな場所は慣れていない。ついきょろきょろしているとフレンが咳払いをした。
慌ててオルフェリアは差し出された腕に自身の手を添えた。
叔母は微笑ましいものをみるような瞳をこちらに向けていた。オルフェリアは途端に恥ずかしくなって顔を俯かせた。
「先に行っているわね」
ヴィルディーは夫と連れだって先に歩いて行ってしまった。
夫の兄夫婦に挨拶しに行くのだ。
「立派な建物ね」
オルフェリアは感嘆の声を上げた。
「入るのは今日が初めて?」
「ええ。フレンは?」
「私は昨年もその前の年も来たよ」
ふうん、とオルフェリアは相槌をうった。こういう演奏会に男性同士で、なんてまずないからきっと女性をエスコートしたのだろう。
別に気にしないけれど。
しかし気にする人物はいたようで。オルフェリアの後ろに控えていたミネーレが咳払いをした。
それに気がついたフレンは一瞬だけしまった、というように顔を歪めてから慌てて取り繕うに口を開いた。
「も、もちろん。過去のことさ。いまはオルフェリア一筋だからね」
「え、ええ……」
ミネーレに聞こえるようにフレンは弁明をした。ミネーレは満足そうにゆっくりと頷いた。彼女はオルフェリアとフレンの婚約が偽装だとは知らない。婚約者の前でうっかり過去の女性関係をにおわすようなことを言ったフレンに対して牽制したのだ。
劇場正面というのは西大陸の建築にとって一番重要だ。
王立劇場もその例に漏れることなく堂々とした絢爛な姿をしていた。マーブル模様の大理石の柱に、天の使者をかたどった彫刻に金の装飾柱頭。
もちろん劇場内も圧巻だった。
珍しい薄赤色の大理石の床には豪奢な絨毯が贅沢に敷かれて足音を見事に消している。扉を入るとすぐ目につくのは大階段。天井画には同じく天からの使徒が描かれている。神の叙事詩の一部を現したそれらは顔料をぜいたくに使っているのであろう、とても発色がよかった。
オルフェリアが内装に見とれていると、目ざとく噂の恋人を見つけた人々らが集まって来た。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。ファレンスト氏も隅に置けないですなあ。可憐な婚約者を連れて鼻高々でしょう」
「ほんとう、今日のメンブラート嬢はとてもお美しい」
皆口々にフレンとオルフェリアに話しかけてくる。オルフェリアは劇場の素晴らしい内装に感動している暇もない。
「ありがとうございます」
階段下の大広間で何人かに声をかけられ挨拶を返した。
演奏会とは名ばかりの社交の場である。皆それぞれ長話をすることなく多くの人に挨拶をするべく入れ替わり立ち替わりフレンらの元にやってくる。
みんな演奏を聴く気はあるのだろうか。そろそろ開演の時間であるが、広間には大勢の人がいる。このような場で真面目に音楽を聴く気がある者の方が少ないということをオルフェリアは知らない。
人の波が引けたころを見計らって、招かざる人物がオルフェリアの前に姿を見せた。
オルフェリアに何かと言いがかりをつけてくる三人娘だ。
ミネーレの調べによると、ミリアム・ジョーンホイル侯爵令嬢が率先してオルフェリアについての噂を流しているとのことだった。頼りになる侍女を得られたことはオルフェリアにとってもありがたい。
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