英雄の静かな凱旋
ポーラロードの脅威が去り、アルカナたちは南タリアスに帰って来ていた。
無傷で帰って来た二千は、長時間行軍で疲れた体を癒していた。
消沈したシェウトとミネルヴァは、抱えて来たアルカナを見て、ティエオラにどう報告したら良いか、どうお詫びをしたら良いのか考えていた。
変わり果てた髪色は、此の世のものとは思えない程、艶かしい美しさを放っている。
同時に、海の底を思わせる深い深い蒼が、安らぎさえ与える。
普通にしていても、常人の力を遥かに上回るシェウトは、アルカナを軽々と抱え上げて、王城内に運ぶ。
暗い表情のシェウトを気遣ってか、アルトリアとカミラが、全ての後処理はやってくれるとの事だ。
二人の子どもと共有している自室に入り、アルカナをベッドに寝かせる。
「ごめんなさいアルカナさん。まだこの子たちの名前を……」
「シェウト、泣かない」
「パパ……ねんね?」
それを見て近寄って来た二人は、ベッドの上に登って、アルカナの横に座る。
「アイネ、私は泣いてないよ。御免ねクライネ、パパはもう少しねんねしてなきゃ駄目なの」
シェウトは二人を抱き寄せて、瞼を思い切り瞑る。
腕を掴み返して遊び出す二人は、あまりハグに付き合ってくれない。
腕から抜け出した二人は、シェウトの腕をよじ登って、二の腕にぶら下がる。
「シェウトも……ぶらーん」
「きゃー!」
「連れないですね、アネイクライネ」
ぶら下がってはしゃいでいた二人は、満足したのか、アルカナの隣に転がる。
そのまま寝息を立てて、嵐が過ぎたように静かになる。
アルカナの前まで行って、ベッドに乗る。
アルカナの腰辺りで跨ぎ、上半身を起こして抱き締める。
すべすべで柔らかい肌が触れて、いつも通りの良い匂いが漂ってくる。
「もう、
「シェウト。僕のものにあまり触れないでほしいな」
いつの間にか背後に立っていたティエオラは、無表情でシェウトの襟首を掴んでいた。
アルカナの頬に触れるスレスレで、体が前に動かなくなる。
「御褒美はこれだけで良いですから、お願いしますティエオラ様」
「断る。僕のものだ。僕を間に挟むのなら許可する」
「それはティエオラ様だけにしか触れれないじゃないですか、私はアルカナさんのが良いです」
「僕の肌だってアルカナに負けてない」
左眼に翠色の灯したティエオラに、軽々と持ち上げられる。
いや、持ち上げられるのではなく、宙に浮いている状態になる。
アルカナが手の中かずり落ちて、自由落下を始める。
ティエオラがアルカナに手をかざすと、床すれすれで体が止まる。
「危ないな、僕の体と思って扱ってほしいものだ。ん?」
あまり翠色の目は使った事が無かった為、アルカナと入れ替わりでシェウトが地面に落ちて、うつ伏せで倒れている。
「ミネルヴァ入ります」
ノックの後、礼儀正しい声と共に、ミネルヴァがドアを開ける。
まず眠っているアイネとクライネ、次にティエオラとその隣に浮いているアルカナ、最後に倒れているシェウトを見て、大きな瞬きを二回する。
「ミネルヴァも御苦労だったね。自室でゆっくり休むと良いよ」
「はい、自室は此処ですので。アイネとクライネと寝ます。お風呂は頂いてしまいましたが、良かったでしょうか」
白い薔薇に包まれたミネルヴァは、軍服姿から、寝間着姿に一瞬で変わる。
気にする素振りを見せず、ミネルヴァはアイネとクライネを抱いて、一緒に眠りの世界に入る。
地面を蹴って、浮いていたアルカナを持ち去ったシェウトは、勢い良く廊下に飛び出て行く。
廊下を駆けていると、風呂から上がったと思われる、都子とアルマの二人組とすれ違う。
アルカナの部屋に滑り込んだシェウトは、ベッドに寝かせる。
だが、それを静かに座って見ていたのは、アルカナと相部屋の秋奈だった。
「送ってくれたのは感謝するわ、でも直ぐに出て行って」
続いて、宙にふわふわと浮いたティエオラが、部屋に入ってくる。
「やっと見つけた。アルカナは僕の所有物だ」
「帰れー! こっちは忙しいの、ばたばたされたらたまったものじゃないわ」
大声で叫んだ秋奈は、溜まりに溜まっていたイライラを解き放って、暴走中のアルカナよりもおっかない。
言い返すと城ごと潰されそうなので、二人は黙って部屋から出る。
「全く。帰って来たら殆ど寝てるって、どういう事よこのクソ当主。イカれた殺し屋、狂ったマフィア。一体何処目指して走ってるの?」
アルカナの前まで移動した秋奈は、頬をぺちぺちと叩き、聞いてくれないのは分かっているが、悪口を吐く。
「私はこっちの世界でまた平和に暮らせれば良い、それだけなのに。貴方は何故知らない間に、何処にも居なくなるの?」
自室に戻ったティエオラは、先程とは打って変わって、真面目な顔で一枚の紙を見ていた。
「ティエオラ様がアーマクスを落とした後、レクト率いる南タリアス騎二千が向かった時には既に」
「既にストレント騎士団が占領していた、か。僕の所有物をあれまで使い込んで」
アーマクス国内には、ストレント騎士団が五千。
南タリアス騎士団が二千。
敵国の騎士団が、二つも駐屯している、異例の事態となっていた。
「もう一度アーマクスに行こうか」
「直ぐに用意させます」
「良い。エルトだけ来てくれれば、黒龍王も来るしね」
「黒龍王。いつの間に交流を持たれていたのですか」
会話の途中、ドアがノックされて、角と翼の生えた男が入って来る。
「ダルモア様、御到着しました。あまり我らの王を待たせないで頂きたい」
「今行くよ。君たちに乗せてもらう事は……」
「調子乗るな下郎、我ら剣龍が人間如きを乗せると思っているのか」
「貴様、口の利き方くらい……」
ティエオラの手に制されて、龍人に迫ろうとしていたエルトを止める。
頭を垂れたエルトは、部屋を出て行く。
続いて部屋から出て行こうとしていた龍人は、立ち止まってから、ティエオラの方を向く。
「今回会談を受け入れた意味は分かっているな。我々は貴様らなどいつでも捻り潰せる」
「それは困るな。僕に黒龍姫を殺させないでおくれよ。それに、来ても潰れるのは君たちだよ」
礼儀良く頭を下げて出て行こうとしていた龍人に、ティエオラは思い出した様に声を掛ける。
「そうだ、あまり姑息な手を使って、黒龍王の名に泥を塗らない方が良いと僕は思うよ。今頃エルトと都子が捕らえた頃だろう」
それを聞いた龍人は、初めて眉を少し動かす。
だが直ぐに無表情に戻り、平然とした様子で部屋から出て行く。
龍人の隠密を引き摺って運ぶエルトは、ティエオラの部屋から出てきた龍人に、アルマを連れ去ろうとしていた隠密を渡す。
「六人もの龍人を二人で相手にするのは、流石に応えましたが……誇っている割には大した事無いですね」
「アルマ様を攻撃した女騎士の件は、追求させて頂きます」
「アルマ様を攻撃した女騎士は、南タリアスに居りませんので、議題になりません」
踏み込むと同時に、剣を鞘から走らせた龍人は、構えていないエルト目掛けて横薙ぎに振る。
エルトの背後から刀が伸びて、エルトの横で龍人の剣が止まる。
龍人の隣を通り過ぎて、エルトがティエオラの部屋に入って行く。
都子と顔を合わせた龍人は、手から剣を落とす。
「武器は必ず手から離してはいけない。相手の剣気に呑まれてはいけない。帰りなさい、エルトとティエオラは見逃してくれたの。勿論私も」
剣をそのままに、龍人は二人の龍人を抱えて、逃げる様に去って行く。
「誰か、あと四人手伝ってあげて」
剣を鞘に納めて、城内の見張りに四人の龍人を運ばせる。
この国の正式な騎士でない都子は、あまり自由な行動が許されていない。
にも関わらず、こう言った事には駆り出されるので、少し不満を持っていた。
そんな不満が生まれては、アルカナが無事なら良いかと、さばさばとした性格で不満を消化する。
結局背中に乗せてくれる事になったティエオラとエルトは、脅しておいた先程の龍人の背に乗る。
黒龍王が急いで行くと言い、全員が龍の姿になって、南タリアスからドレード王都にあっという間に着く。
流石成人した剣龍だけあり、アルマよりも大きい。
一番大きいのは黒龍王で、ティエオラたちが乗っている蒼龍より、ひと回り大きい。
ドレード王都は、龍の集団に騒ぎはしたが、誰も戦争とは思っておらず、観光名所を楽しむ様な感じで見る。
最上部が爆破された王都に降り立つと、元城主の男が陰から出てくる。
「ティエオラ……この国は貴様に落とされた、もう攻撃は……」
龍の背から下りたエルトが、元国王の胸倉を掴む。
「なぜストレントが居る。貴様が招き入れたのか? 敵国だった筈だろう」
「待て。私も分からん、落とされてから数日後あいつらが来たんだ。その少し後に、王城受け取りで来た南タリアス騎士団が来たんだ」
手を離したエルトは、広い庭に陣営を敷いていたレクトの下に向かう。
ティエオラは黒龍王と一緒に、王の間だった部屋に入って、会談の準備をする。
ダルモアと向き合って座ると、ティエオラの体格の小ささが目立つ。
黒龍王の側近は全員が屈強で、人型でも南タリアス兵を圧倒しそうだ。
側近を全員下がらせたダルモアは、早速会議を始める。
「我が娘、アルマは元気だろうか」
わざわざ黒龍王が、まだ国にもなっていない国の王と会談をしに来た目的は、一人娘の返還についてだった。
グランフリートと並び、大陸最強とも言われる黒龍王が、小国の王との会談で、第一声が娘の心配だとは、家出される程嫌な親なのか分からなくなる。
「友人と楽しくやっているよ。少々やんちゃな所もあるけど、僕も含めて何時も助かっているよ。良く出来た娘さんで、僕の後継にしたいくらいだよ」
「友人が。あまり外に出してやれなかった為、友人なんて居らんだのだが。その友人と一緒に、娘を返して頂けぬかな」
「無条件で不可能なのは承知している筈だ」
「何が望みだ、神の子よ」
流石伝承でも神の側近をしていたと言われる、黒龍王の末裔だけある。
ここで隠すのは得策ではないと考えたティエオラは、否定も肯定もせずに、条件を提示する。
「不可侵条約の締結。これからストレント皇帝と会談をするから、終始黙して隣に座っている事。来るべき時に備えて僕の眷属になる事。友好の証にアルマを、タリアスに嫁がせる」
黒龍王は後半の提示になる度、眉間にシワを寄せていたが、最後の条件を聞いて、瞼を閉じる。
暫くして瞼を開いた黒龍王は、ティエオラの瞳と向かい合って、何かを測る。
「眷属になる所までは承諾しよう。だがな、身分を考えぬか
「僕の息子に嫁がせたい。龍人は長寿で、殆ど不老な様なものだし。僕の子なら良いだろう?」
「断る。娘には自分で相手を連れて来て貰う、無論身分が釣り合うものの中でだが」
「それは強要しないよ。次女でも良いんだから、生まれる予定の」
それを聞いた黒龍王は、眉を動かして、目を細くしてティエオラを見る。
対してティエオラは無表情のまま、黒龍王の鋭い眼光を見つめ返す。
「なぜそれを知っておられるのですかな。神姫は何でも御見通しか」
「僕は眼が使えるからね。記憶を少し見させてもらった、次女の名はもう決めたのか」
娘の話題になったところで、部屋のドアがノックされて、七凪が入って来る。
「ストレント帝国、物部七凪皇帝陛下が御到着なされました。では、失礼します」
ドアを開けた龍人は、黒龍王に一礼して下がる。
黒龍王がティエオラの隣の椅子に座り、その向かい側に七凪が座る。
以前会った時とは違い、きちんと正装のドレスを着ている。
幼い雰囲気が目立っていたが、今はなかなか王族の気品がある。
「今回お呼びになったのは、どの様な用件でしょうか」
小さな口から発せられた声は、何の迷いもなく、無表情なティエオラに届く。
「ストレント騎士団が、アーマクスに居る事について。説明してくれるかい」
声を低くして、内側から抉るような眼光を放つ。
「ストレント騎士団はアーマクスを占領しました。南タリアス騎士団が来る前に、それだけですが」
「僕は何故君たちの為に、この国を壊したと思われているんだい。僕は僕の国の為に落としたんだ、君たちが踏み入って良い領域ではない筈だ」
「私たちの為に落として頂いたとは、全く考えておりません。好機があれば仕掛ける、それを実行しただけです」
「そうだね。そんな事は本題じゃない……借りたものはきちんと元通りの状態で返すんだ、アルカナを使い潰した挙句この行為。僕たちがそちらを潰しに掛かっても文句は言えない」
アルカナの話題になると、凛と座っていた七凪は、痛いところを突かれたと言う顔で、目を瞑る。
少し考えた後、目を開いた七凪は、ネイトを部屋に入れて、一枚の紙を持ってこさせる。
「今回我が国では若い者だけでも数百もの死者が……」
「自分の国を守る為に、自分の国民が死ぬのは当然だろう。僕はそう言う事を言っているんじゃない。君が引き金でアルカナはああなったんだ、君個人に責任を取れと言っている」
紙を折り畳んで机に置くと、七凪は頭を下げる。
「申し訳……」
「そんなものは求めていない」
立ち上がったティエオラは、七凪の顎に指を添えて、顔を上に持ち上げる。
「神姫殿……」
「君は黙っていろと言った筈だ。それとも……もう良い。責任が取れないのなら、そちらの主戦力を差し出してもらう」
黒龍王が収めようとしていたが、ティエオラが強く制する。
唇を噛んで、ティエオラを見つめる七凪は、涙を流し始める。
「私だって……止められるものなら止めてあげたかったです。そもそも、あの眼を与えたのは貴女です」
言い返した七凪は、ティエオラの手を払って、ティエオラの胸倉を掴んで、自分の顔の前に引き寄せる。
「貴女がアルカナちゃんを戻していっているんです。やっと変わってきたのに、貴女がまた戦場に……人殺しを強要したから!」
「本人が望んだから僕は応えただけだ。それに、変わるって言うのは間違いだ。根本は変わらない、変えられない、今までの自分を否定するのは、強い人間でも難しい事だ」
「それでも、少しずつでも変わろうとしていたのを引き止めたのは貴女です」
「君は何故泣いているんだ、泣けば済む世ではない。結局は自分に届かない星を見ているのと、今の君は何ら変わらない」
涙を拭いた七凪は、ティエオラから手を離して、椅子に座り直す。
「それでも、変えたいと思ってはいけないのですか。そもそも、代用品はいくらでもあるって聞こえますけど。貴女の言葉は」
「アルカナの代わりなんて居ない。空いた戦力を、一時的に補うだけだ。僕は父を殺さねばならない、もう良い……帰るんだ。何も要らない」
「私たちはこの国から手を引きます」
立ち上がった七凪は、ドアの前で一礼して部屋を出て行く。
椅子に深く座って、背もたれに身を任せたティエオラは、大きく息を吐く。
「見苦しいところを見せたね。ダルモア」
あれからずっと座っていた黒龍王は、緊張感がまだ残っている部屋で、ティエオラへの恐怖をまだ感じていた。
「少々気持ちは分かる。私だって愛する娘が重体で帰ってきたら、必ずその国の王を呼び出す。いや、呼び出しもしないかもしれん」
「アルカナは他のやつとは違うんだ。一般の騎士より少し強い程度の実力だが、何故か尊敬して信頼してしまう。アルカナの人柄の所為もあるだろう」
思い返してみると、アルカナと会ってから、自分の中で少しずつ何かが動いている。
時折ベッドの上で考えていた。
この感情は何と、毎日の様に自問自答しては、気付けば朝になっていた。
それはアルカナの過去を見て急激に加速した。
彼の荒れた過去と、その日常。
そして何より、一人の少女の存在が、自分を更に加速させる。
アルカナにとってその少女の死は、何よりも辛く、過去のどの痛みよりも強いものだった。
それからはベッドではない所でも、この感情は何と、自分の中で叫んでいる。
「では神姫殿。私は失礼させて頂く」
部屋から出て行った黒龍王は、側近を引き連れて自国に帰っていった。
エルトが部屋に入って来て、ティエオラを迎えに来る。
「お疲れ様でしたティエオラ様。ストレントは手を引き、正式にこの国はタリアスのものになりました」
「英雄で帰ってきても、静かな凱旋なら嬉しくないものだね」
「申し訳ありません。私が……」
「君はよくやってくれている、悪くない。悪いのは全て僕だ」
左眼を手で覆ったティエオラは、迷いを炎で燃やすように、翠色の眼を輝かせる。
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