民想う女帝
ストレント帝国では、国民が協力して柵を作り、堀を深く掘っている。
八万の大軍勢が迫っているにも関わらず、国民は誰ひとりとして逃げない。
それと同じく、城を守る騎士も逃亡する者は居なかった。
皇帝に対する忠義と、この国を愛しているからこその結果であり、必ず勝利に導いてくれると言う信頼。
最も大きいのは、ストレント皇帝自らが国民と協力して、街を守る準備をしているからだろう。
その傍には、戻って来た凛凪が作業をしており、防衛戦の指揮を執るネイトが居た。
「皇帝陛下、吉報です!」
立てられている柵を避けて、騎士が目の前に転がり込んで来る。
息を大きく荒らげていて、喋れるまで少し時間が掛かりそうだった。
ようやく落ち着いた騎士は、手に持っていた紙の内容を読み上げる。
「アルカナ殿が僅か三人で、二万の叛乱兵を退却させたとの事です。更に来ていた二千の軍は、エイルーン殿と合流し、敵を二つに裂いたとの事です」
内容を読み終えた騎士は、敬礼をして去って行く。
七凪は凛とした表情を崩さずに、脅威がひとつ退いた事を喜ぶ。
凛凪は作業の手を止めず、聞き流しているようで聞いていた。
ネイトはまた計算のやり直しを始め、手に持っている紙と二人きりになる。
「皇帝陛下、報告です。白龍がこのストレントに向かっているとの事。もうひとつは、エイルーン殿が押し返され、王都に引き返してきております。追撃するのは、引き裂かれた三万」
頭を下げて下がった騎士は、更なる情報を集める為、馬で王都から出て行く。
「皆さん、お辛いでしょうが宜しくお願いします。三万の敵が来ますが、こちらも同じく、三万を率いたエイルーンが来ます。こちらには地の利があります、必ず皆さんを守り抜いてみせます」
七凪が周りで作業をしている国民に語り掛けると、「皇帝陛下を守る為なら、俺たちは喜んで前線に出ますよ」など、返事が帰って来る。
「だ、駄目です。私なんて、皆さんが居なければ、皇帝ですら無いのですから」
七凪が必死にそう言う姿を見て、笑いが起こる。
からかわれたと悟って膨れている七凪を見て、また笑いが起こる。
戦争の準備をしているとは思えない空気に、七凪と国民の間に、良き関係が見える。
国民にとってまだ幼い彼女は、自分の娘に見えているのかもしれない。
それに対して、悪い方向に受け取らない七凪の性格もあり、この調和が生まれているのかもしれない。
国の在り方とは、この様にある方が良いのかもしれないと、凛凪はふと思うが、かぶりを振ってその考えを追い出す。
国のトップとは、崇められるべき存在で、気高くあらなければならない。
故にこの様な接し方は、皇帝である七凪の権威を下げてしまう行為であり、皇帝と国民の境が見分けられなくなるきっかけにもなりかけない。
「お姉様、助けて下さい。今日は一段と皆様が意地悪です」
「あ、あぁ。何か助けてほしいことはないのか?」
「助けてとは言いましたが、いざ具体例となると難しいですね」
そんな事を考えている矢先の出来事で、自分でもされたら困る質問をしてしまったことに、少し後悔する。
「元気が無いですね、今日のお姉様は。私はお姉様と、こうして何かを一緒にしているのが楽しいのですが……お姉様は楽しくないでしょうか」
「いや、楽しいと言うより嬉しい。また七凪と一緒の場所に居られるのが。ただ、少し国民と打ち解け過ぎじゃないのか?」
最後の問いが理解出来なかったのか、大きな目で瞬きを繰り返す。
「兎に角。私はお姉様と一緒に居られるだけで幸せです」
笑った七凪を見て、安心する筈の心が、少し不安を覚える。
不安の正体は分からないが、必ず悪い方向に向かうと、直感がそう騒いでいる。
「私も七凪と居られるだけで幸せだ。お前は私の嫁だからな」
身長差のある七凪の頭を撫でて、思い切り抱き寄せる。
「もう、嫁って。私たちは姉妹なんですよ、性別も同じですし」
「それでも嫁だ。私だけの」
「もうっ」
凛凪に抱かれたままの七凪は、優しく凛凪を抱き返す。
「皇帝陛下! 我々の勝利が約束されました! 白い龍が空から舞い降りました!」
遠くから空を指差す騎士の言葉を聞き、咄嗟に上空を見ると、確かに白色の龍が下りて来ていた。
「アルカナと少女が乗ってるぞ。しかもアルカナは気を失ってる様だ」
着陸した龍の手の上に乗っているものを見て、凛凪が言う。
七凪は白龍に近付き、丁寧に頭を下げて、歓迎の意を示した。
白龍の登場に、国民は作業の手を止めて、呆気に取られている。
昔から、白龍を幸運の神としており、数々の大勝利の前に、白龍を見たと言う例が多い。
その事から、先程の騎士は舞い上がり、欲しい玩具を見つけた子どもみたいに、指を差していたのだろう。
「アルカナちゃん。どうしたのですか?」
七凪は膝枕をしていた少女に聞き、直ぐに衛生兵を呼ばせる。
アルカナを担いで着地した少女は、敷かれた布の上に、アルカナを寝かせる。
「二万の叛乱兵と交戦した際、少し張り切り過ぎてしまったようでして……命に別状はありませんが」
「直ぐに私の部屋に運んで下さい。貴女と白龍は、アルカナちゃんをお願いします。私は迎撃準備がひと段落付いたら行きます」
一先ず衛生兵が部屋に運び込み、しっかりと体が休まる環境を作る。
普段七凪が使っている、最高品質の布団。
心が安らぐ香を炊き、より良い睡眠を促す。
「皇帝陛下、ここは俺らに任せて、あの救世主さんの下に行ってやって下さいよ」
「でも、私は此処で皆さんと……」
「皇帝陛下、皆まで言いなさるな」
男は笑顔で親指を立てて、任せろと言わんばかりに頷く。
「皆さん宜しくお願いします」
深々と頭を下げて、七凪は王城に戻る。
部屋に入ると、香の匂いが漂っており、アルカナの側で少女が二人眠っている。
眠っているアルカナに、以前とは違う部分を見つける。
綺麗か白銀の髪の毛先が、蒼色に染まっている。
「綺麗な色。でも……」
「七凪。どうしたんだ、私の毛先なんて弄って、また結んだりしたいのか?」
いきなり掛けられた声に、大きく体を震わせる。
心臓が飛び上がり、心拍数が跳ね上がる。
「えっと、綺麗な色だなって思ってて」
「あぁ、それか。副作用だよ」
「ふ、副作用って……何の?」
「この左眼のかな、よく分からないけどそうなってる。今まで寝てたのもその所為」
紫色に変わった左眼を見せると、七凪は顔に近付いて、目の中を覗き込む。
「美しいけど、とても怖い眼をしてます。戦いに飢えた様な……花に付いた蝶を殺してしまう様な」
曖昧な答えしか出さない七凪に、アルカナは次の言葉を、待つことしか出来ない。
「皇帝陛下ですよね。この度は私たちを助けて頂き、感謝しています」
いつの間にか目を覚ましていたシェウトが、七凪の方を向いて、頭を下げていた。
顔を上げたシェウトは、酷く疲れた顔をしており、今にも気を失いそうだ。
アルカナはシェウトに手を差し出し、シェウトは差し出された手を取る。
手を引き、シェウトをベッドの上に乗
せる。
アルカナの上半身に、シェウトの上半身が乗り、シェウトはアルカナの腕に包まれる。
「よく頑張ったな……その、助けに来てくれて……あ、有難う。ゆっくり休んでくれ」
それまでずっときょとんとしていたシェウトが、花をすすり、大きな瞳を揺らす。
「アルカナさん……私、もう……会えないかと思ってしまいました。少し遅かったら、もう……」
ぽろぽろと涙を零し始め、着ていた軍服を濡らす。
「私は死なないって。お前たちが笑顔で暮らせる、温かい家を作るまでは」
「もう、ひとりで……行かないで下さい。ずっとずっと、私の……手の届く場所にいて下さい」
「ごめん。私はこの魂を一つの所に留まらせておく事は、出来ないと思ってるんだ。いつか許された時に、それは叶うと思ってる」
「……分かりました。でも、私はアルカナさんが死なない様に、全力で守ります」
抱き返す力が強く、骨がギチギチと悲鳴を上げる。
背中をトントンと叩いて、ギブと送るが、抱き返しではなく、絞め技に変わる。
ようやく離したシェウトは、フッと気を失う。
疲労が限界を超えて、シェウトを緊急停止させたのだろう。
ベッドの位置を変わって、シェウトを寝かせる。
ベッドから出て、ミネルヴァをその横に寝かせる。
「大丈夫なのですか、体の方は」
黙って見ていてくれた七凪は、二人の寝顔を見ながら、優しく問いかける。
「私は大丈夫だよ。こんなに小さい子に苦労をさせて、一緒に寝てるだなんて、情けないだろ」
気怠い体に鞭を打ち、机に置いてあった剣を肩にかけ、髪飾りを軍服に差し、クロークを羽織る。
シェウトとミネルヴァを撫でて、七凪と一緒に部屋を出る。
「アルカナちゃん、まだ寝てた方が良いですよ。休まないと、後で大きな迷惑をかけることになりますから」
「私は何処を手伝えば良い?」
「聞いてるの?」
「聞いてないよ、無理をしてでも守りたい。七凪を絶対に絶望させない、お前たちが笑っていてくれれば、俺は何度でも顔を上げる事が出来る」
「う、うん。なら、ネイトさんのところに行って下さい」
アルカナが少し漏らした威圧に押されて、七凪が折れる。
「すまん。昔の口調に戻ってしまったな。でも、私にとっては、それだけ譲れない事なんだ。お前たちを守ることは」
アルカナが聖家に来たばかりの、まだ世界最高峰の殺し屋だった頃を思い出し、その姿と重ねる。
「ねえ、もう一度あの頃に戻ろ? 今度はきっと大丈夫だから」
「過去には戻れないよ」
靴の音を鳴らしながら歩いて行くアルカナに、七凪はもう何も言葉を掛けられない。
「なあ七凪。私だって戻れるのなら戻りたい、例え聖冬が居なくても。そう思えるよ、今は」
遺言の様に聞こえたそれは、アルカナの考えいる事を、余計に分からなくする。
お世辞にも大きいとは言えない背中からは、釣り合わない程の何かを背負っている様に見える。
アルカナに追い付き、手を繋ぐ。
「ねえ、どうしたの、そんなにいっぱい抱え込んで」
七凪の唐突な言葉に、思わず歩みを止める。
「別に何も抱えてないよ。戦場を駆け、敵を殺す。それ以外はどうでも良い事だ」
「殺すのは駄目です。血による制圧は、大きな憎しみを生みます」
「殺さないとこちらがやられるだけだ。それは出来ない、これは戦争だ。敵に加減はしてやれない」
「それでも、そう言った理想を掲げるのは……」
「駄目とは言わない。だが、それは理想だけにしとけ。私も、七凪の様にありたいと思ってるよ。行こう」
七凪の手を引いて、急いで街に出る。
「どうしたの? なんでそんなに急いで……」
街の中では既に戦闘が始まり、避難して来ている国民が、城の方に走って来ている。
「皇帝陛下! 鬼が、鬼が来ました」
「此処で待っていろ七凪、絶対に出てくるな」
前線に走り、状況を確認する。
剣を抜き、前方から飛んできた影を斬る。
弾いた影は地面に落ち、石で舗装された道を抉る。
「棍棒……珍しい武器を使う」
鳩尾に鈍い痛みが襲い、体を吹き飛ばされる。
地面を転がって、城門の前まで一瞬で戻される。
「姉ちゃん、大丈夫か?」
逃げていた列の最後尾の男が、肩を貸してくれる。
「有難う、隠れていて下さい。これは人間じゃない」
「お、おお。頑張れよ」
自分を吹き飛ばした影は、棍棒を拾って、ゆっくりとこちらに歩いて来る。
男は城門をくぐり、城の中に隠れる。
「がぁぁぁあぁあぁああ!」
腹の中を抉るような雄叫びに、久しぶりの高揚感を覚える。
「鬼か。出てくれよ炎」
左眼に激痛が走り、立っていられなくなる。
この炎は意識して出したものではなく、定期的に出てくる炎で、とても操作できる様な炎じゃない。
『まあ、落ち着けや。押さえ込もうとするからあかんのやろ、偶にはそれのやりたいようにやらせたればええ』
「っても、どうしたら良いんだ」
体から力を抜いて、痛みにじっと耐える。
炎はどんどん大きくなり、体を包み込む。
『ほら来た、久々に私の出番やわ』
炎が独りでに動き、刀を持った小さな少女が炎を斬る。
さっきまでそこに居なかった筈の少女が現れ、更には刀まで携えている。
「おい、危ないぞ小さいの」
その少女に飛び掛った鬼が、少女目掛けて棍棒を振り下ろし、叩き潰さんとする。
「紛いではないか、力も速さも純正のものより遥かに劣る。お前ら、作りもんやな」
少女は軽々と棍棒を止めて、左手で鬼を殴る。
ひらりと着地した鬼の喉を貫き、刀を振り抜いて首を落とす。
少女の突きはとてつもなく速く、綺麗なものだった。
飛び退いた鬼の着地と、ほぼ同時に喉を貫き、攻撃に対する反応すら許さなかった。
「おい斑鳩、あの少女は? 明らかにシェウトより小さい子だぞ」
いつもなら答える斑鳩から、一向に返事が返ってこない。
「おい斑鳩聞いてるのか」
「聞いとる、小さい言うな。私は超スタイルのええお姉さんやぞ」
刀に付いた血を拭いながら、和服を着ている少女が言う。
さらさらの黒髪を揺らしながら、少女は身長の高くないアルカナを見上げる。
「えらい大きなったな、私は百七十くらいあったんやけどな」
「何方様だよ、危ないから刀を渡しなさい」
「調子に乗るなよ、私より背が高くなったからって、子ども扱いするなや。お前より歳上やぞ」
本人は睨んでいるつもりなのだろうが、上目遣いになって、全く怖くない。
口が悪くて腕の立つ少女は、アルカナの周りを二週すると、腰に刺さっていた短刀を抜き取る。
手に持っていた、背丈に合わない刀を捨て、短刀を抜く。
「危ないだろこんな所に刀を捨てたら、短刀も返しなさい。そっちも危ないから」
手を差し出し、短刀を返すように促す。
少女は素直に短刀を渡してくれる。
と見せかけて、刃をアルカナの手に突き刺す。
「ほら、返すわ」
「いっ……ッ。やめろ」
「ああそうか、なら抜いたるわ」
なんの躊躇いも無く、少女は手に指した短刀を抜く。
少女は痛がるアルカナの手を掴み、傷口を舐める。
「汚いから駄目だ。他人の血を舐めるのは危険だぞ。おい……痛いって」
最初は周りの血を舐めていた少女だったが、次第に傷口を広げるように舌を入れる。
引き剥がそうと、左手を上げるが、短刀で再び貫かれる。
同時に膝を折られて、地面に倒れ込む。
少女は短刀を地面に突き刺し、左手を使う事が出来ないようにする。
右手を掴んだ少女は、肩を外して、右手も封じる。
上半身に座った少女は、右手に空いている穴を広げるように舐め、一通り血を舐め尽くす。
「不味い血、不健康な味やわ。体も細いし肌も真っ白、その割にはすべすべで弾力のある肌と、毎日さらさらな髪。変わり果てた左眼と毛先」
「お前斑鳩だな。その動きと喋り方、ババアじゃなくてロリか。そんなオプションいらな痛いって!」
転がっていた刀で、右手を再び突き刺し、地面に固定する。
「何がロリや、これでも百七十センチはあるわ。お前が成長し過ぎただけやろ。しかも今更私と気付くんか、遅いわ」
見た目百三十センチの斑鳩は、見栄を張っているのか、言っている事と現実が合わない。
「良いから解放しろ、上に乗るなロリっ子。見栄を張るな、小さいなら小さいで良いじゃないか」
「おいロリっ子とは失礼だな。私は二十三歳、身長約百七十センチ。使っていた刀の名は『無銘』。現代でも通じる程スタイルは抜群なんやぞ」
「あぁぁ、五月蝿い兎に角離せ。ロリに押し倒される趣味は無い、私は女にうつつを抜かす程落ちぶれてない」
「なら落としたろか、私のこの体を使って……無い、無い、無い。体小さなっとる!」
自分の胸をぺたぺたと触りながら、自分の小さくなった体を見る。
「今更かロリババア。早く退け、戦闘中だぞ」
「五月蝿い、ロリでもババアでもないわ。まだ二分しか経っとらんから大丈夫や。ああ、私の体が」
王城の窓の硝子が割る音がして、上空からシェウトが降ってくる。
シェウトは飛び掛って来ていた鬼を蹴り飛ばし、斑鳩に回し蹴りをする。
「大丈夫ですかアルカナさん。大丈夫じゃ無さそうですね、あの少女も敵でしょうか」
手を拘束していた刀を抜いてもらい、立ち上がる。
倒された時に打った腰が、じんじんと痛む。
「有難う。休んでた筈だが、どうしたんだ。目が覚めてしまったのか、それとも起こしてしまったか?」
「いえ、僅かですが鬼の気配がしましたので。それも百近くの。目が覚めてしまったと言えば、そうなのかも知れません」
既に髪留めを付けて、角を出していたシェウトは、アルカナの手に刺さっていた刀を構えて、防衛網をくぐり抜けて来た鬼を、片っ端から叩き落とす。
シェウトの速さは圧倒的で、斑鳩の言う、紛いの鬼を圧倒する。
「あーあー。鬼は怖いわ、女帝さんも出てきはったし、私は小さなるし。散々やわ」
シェウトの回し蹴りを回避した斑鳩は、シェウトが追い付なかった鬼擬を、小さな体で迎え撃つ。
城から出て来た七凪は、街の状況を見て愕然とする。
膝から崩れ落ちて、虚空に手を伸ばす。
アルカナはその手を掴んで、七凪を斑鳩目掛けて投げる。
斑鳩は飛んで来た七凪を受け止めるが、支えきれずに尻餅をつく。
「アルカナさん!」
「クソ当主!」
「アルカナちゃん!」
七凪を投げたアルカナは、鬼の突撃に吹き飛ばされ、待ち伏せていたもうひとりの鬼に、棍棒で弾き飛ばされる。
「……ッ。折れたなこれは」
宙を飛んでいると、白龍に体を攫われる。
「アルカナさん。飛べたんですか?」
「飛べるか」
初発で腕と足を折られ、次発で背骨をへし折られた為、上体すら起こせない。
寝転がっていると、左眼から紫色の炎が出る。
またかと思っていたが、今度は痛みはなく、暖かさを感じる。
両手の傷が塞がり、折れていた骨まで修復される。
「ごめんなさい。勝手に私と反応したみたいです」
「何でミネルヴァで反応するんだ。それに治ったのなら、お前には感謝しないとな」
手の平の上に立ち上がり、短刀の柄に手を掛けようとするが、斑鳩が持っている為、丸腰の状態と気付く。
シェウトが城門前に引き返し、人型に戻る。
地上に降りるまで、自分よりも小さなミネルヴァは、お姫様抱っこでアルカナを下ろす。
「その炎は色々な場面で出ます。まだ使いこなせない方は、条件が揃えば出てくれます」
「そうなのか。以前と今回はシェウトとミネルヴァ。確か一回目もミネルヴァが居たな」
「あの時は、私だけじゃないと思います。何か別のものだと思います、角が生えていましたし。丁度シェウトさんと同じ様な形で」
「私は、と、邪魔。真ん中に一本じゃなかったのか」
「いえ……三本でしたよ。剣どうぞ」
向かって来る鬼を叩き付けながら、ミネルヴァとの会話を継続する。
ミネルヴァは街の残骸を拾い集め、剣を生成して、鬼を斬りながら、作った剣をアルカナに投げる。
剣を受け取ったアルカナは、七凪を狙う鬼の頭を銃で撃ち抜く。
「何故来たんだ七凪、お前は皇帝としての自覚が……」
「まだ! 逃げ遅れた方が居るかもしれません。 その人たちを放っておいて私だけ隠れるなんて、それこそ皇帝として筋が通りません!」
「勝手にしろ! ミネルヴァ、皇帝陛下の御要望に応えろ。傷ひとつ付けるなよ」
「はい!」
龍の姿になったミネルヴァは、七凪を手に乗せて飛び立つ。
「優しい奴やな、嫌な奴でもあるけど」
三人の鬼擬から攻撃されている斑鳩が、流石に押されて引き下がる。
「う、五月蝿いロリババア。家族だから、大事に思ったら駄目なのか」
「結構。そんなら私も大事にしてほしいもんやね!」
「後で何でもしてやるから、今は頑張れ!」
「何でもやな、どんなんでも文句言うなよ!」
三人から四人に増えた鬼擬を、一瞬で斑鳩が伸す。
この瞬間、斑鳩にハメられたと気付き、少し前の自分を殴りたくなる。
シェウトが八人の鬼擬を貫きながら、前を通過する。
「アルカナさん、大分減ってはきましたが。おい、邪魔。気はまだまだ抜けませんね」
一瞬鬼擬で隠れたシェウトから、冷たい声が聞こえたような気がしたが、顔が見えた時には、いつもの声に戻っていた。
「あ、ああそうだな。気は抜けないな、はは……」
「おい、怒らせたら一番怖いヤツの、典型的なやつやないの。しかも鬼人族やし」
耳打ちをしてきた斑鳩が、シェウトとは反対の、鬼擬の集団を相手にする。
斑鳩の手を掴んで引き止めようとしたが、左肩に何かが乗る。
前を向くと、シェウトが立っており、アルカナの背後から迫っていた鬼擬を、手に持っていた刀で貫いていた。
「埃、乗ってますよ」
シェウトが笑みを浮かべると、尖った歯が露になり、いつもは可愛らしい筈の笑顔が、今は怖く見える。
シェウトの目の中には、南十字星の様な光が輝いている。
肩に乗っていた埃を払った後、背後で首を引き裂く生々しい音が聞こえて、背筋がゾッとする。
「シェウトも、頬に返り血がついてるぞ。可愛らしい顔が台無しだぞ」
「あら、これは失礼しました。アルカナさんに、こんなにお恥ずかしいところをお見せしてしまって、もうアルカナさん以外の所に、お嫁に行けません」
頬に付いていた血を拭い取り、アルカナの手を取って、二回転半してアルカナを空高く投げる。
「おぉおお、シェウトさん!」
戦場が一望出来て、戦況が全て見える。
街の防衛準備をしていた騎士に、被害は殆ど無く、鬼擬は七凪だけを狙っている様だった。
斑鳩が高く上がったアルカナを見上げていて、シェウトは自分を囲んでいた鬼擬を、一瞬で地面に斬り伏せる。
踊る様に戦っていたシェウトは、地面に落ちる前に受け止めてくれる。
お姫様抱っこをしたまま、蹴りで鬼擬の首を飛ばし、楽しそうに笑う。
「アルカナさん、楽しいですね踊るのは。いつか舞踏会で御一緒しましょう」
「シェウトさん下ろして。舞踏会なら連れて行くから」
「また鬼が突っ込んで来ましたよ。執拗いですね、最後にして下さいよ」
跳躍したシェウトは、鬼擬を踏み付けて、顔を地面に埋める。
埋まっている鬼擬の首元に剣を置いたシェウトに目を塞がれ、直ぐに外される。
埋まっていた鬼擬の首は、剣に食い込んでおり、脊椎が切れたことにより、動かなくなっている。
「シェウトさん、もう大丈夫ですから。下ろして」
ようやくシェウトに下ろしてもらい、地面に足を着く。
「アルカナさん、後ろからお客様ですよ」
シェウト言うお客様とは、鬼擬だろう、反転して剣を振るい、迎撃する。
「えっ……」
鬼擬の拳に刀身を砕かれ、少し逸れた拳が、肩に突き刺さる。
紫色の炎が線を引いて、虚空にアートの様な残り火を残す。
それを見て追って来たシェウトは鬼擬に追い付き、鷲掴みで地面に叩き付ける。
街の残骸のブロックを噛ませて、後頭部を踏み付けて顎を砕く。
それでも止まらず、持っていた刀で、足の裏から順番に、致命傷にならない箇所を順番に刺していく。
ぐちゃぐちゃと、聞いているだけで血の気の引く音を立てながら、刀は一定のリズムを刻んで動く。
「調子乗るなよゴミ。何触れてるんだよ、お前はゴキブリでも食べて死ね。体の中で暴れて腹痛で死ね。ゴキブリとでも戯れてろ」
「シェウトさん、凄く苦しそうです。マフィアでもなかなか見た事無いですし、私も数回しかした事ないですよ。あと、お目目とお口が凄い」
凄まじい眼光に対し、歳相応ともとれる悪口で、何かもう、何もかもがめちゃくちゃになる。
王城前に転がる鬼擬の残骸は、半分に千切れたものもある為、百を越えるか越えていないか、曖昧になる。
斑鳩は襲撃が収まった為、地面に座ってくつろぎ始める。
角を仕舞ったシェウトが、凄い勢いでしゃがみ込む。
「おいクソ当主、疲れたからおんぶ」
「こういう時だけ子どもの特権を使うな! 甘えて良いのは小学生までだ、見た目がロリなだけのババアは、自分の足で歩け」
しゃがみ込んでしまったシェウトが心配で、目線を合わせて待つ。
「アルカナさん。聞いてましたよね、私の言葉」
「え、まあ。抱えられてたしな」
俯いて顔を隠したままのシェウトは、いつも通りの落ち着きを取り戻す。
顔を上げたシェウトはアルカナの顔を見ると、直ぐに顔を隠してしまう。
「どうしたんだよシェウト、具合が悪いのなら……」
「おいクソ当主、この私をおぶれ!」
駄々を捏ねるように、手足をバタバタと忙しく振っている斑鳩は、遂に地面に寝転んでしまう。
「ああ、仕方が無いな。シェウト、ちょっと待っててくれ。あのロリババアを回収してくるから」
立ち上がろうとすると、シェウトに袖を摘まれて、無言で行くなと言われる。
シェウトを抱っこして、斑鳩の下に向かう。
地面に寝転がっている少女は、アルカナの顔が視界に入ると、嬉しそうに手を伸ばす。
「来ると思たわ、ほれ早う」
「自分で立てババア、おぶってはやるが今はシェウトを抱いてるんだ、融通きかせろよ」
「しゃーないな、私とその鬼の子と、どっちが大事なんや」
「どっちも大事に……自分で歩きたいのかババア」
右手で斑鳩を引き上げて、背中に乗せる。
背中に乗った斑鳩は、先程とは対照的に、大人しくなる。
空を見上げると、多くの怪我人を乗せてきたミネルヴァが、七凪と一緒に下りてくる。
街を守っていた騎士が王城前に集まり、怪我人を城内に運ぶ。
ミネルヴァと七凪は、城の前に転がっている鬼擬の残骸の数に、驚きを隠せない表情をして固まる。
「七凪、ミネルヴァ。取り敢えず城に入ろう、片付けは後にしよう」
全員で城の中に入り、七凪の部屋で休憩する。
移動している時に、チラチラアルカナの目を見て、目が合う度に目を逸らしていたシェウトは、ベッドに入れられてからもそれは続いていた。
アルカナの膝の上に収まっている斑鳩は、移動中ずっとアルカナの項を舐めていたが、今はうとうとしている。
椅子に座っている七凪は、今回出た被害を、ミネルヴァに乗って見てきたものだけでも、書類に纏める。
シェウトの隣で眠っているミネルヴァは、度重なる変型で、かなり体力を消耗していたのだろう、ベッドに入って約二十秒で寝息を立て始めた。
無心で斑鳩のさらさらな黒髪を撫でるアルカナは、エイルーン率いる帝国軍と、それを追うポーラロード軍が到着する時間を、逆算していた。
今回の紫の炎による副作用は無く、まだ殆どが白い髪のままだった。
唯一変わったことは、亡霊で、一人格だった斑鳩が、今自分の上に座っている事。
「のう斑鳩や、私はお腹が空いたぞ」
下から見上げる斑鳩の瞳が揺れて、少女としての武器を最大限に使う。
「そんなに必死に貰おうとしなくても、空腹なら普通に言え。今持ってるのはメロンパンくらいだ」
シェウトが城にいる間、暇を潰す為に作っていたもので、今回の出撃で持って来てくれていた。
斑鳩はそれを聞くと、アルカナの軍服の中に手を入れて、メロンパンを探す。
「アルカナちゃん、この部屋に来る途中報告があったんだけど、あと半日もあれば三万が来るらしいです」
「エイルーンはどうしたんだ」
「来てはいますが、負傷者が多いらしく、戦えても約一万と二千です」
「王都の警備は、それが合流しても二万二千。三万を殲滅出来たとしても、こちらが動けるのは約一万と五千くらい、後から来る五万で潰れる」
メロンパンを食べ終わった斑鳩は、満足感に満たされて眠る。
斑鳩をベッドに投げて、シェウトの隣に寝かせる。
いつの間にか寝ていたシェウトを、ミネルヴァと斑鳩が挟んで寝ている。
その寝顔を見ていると、ひとりを除いて、まだ子どもなんだなと思う。
シェウトとミネルヴァには、悪い事をさせてしまったと、少し後悔する。
「可愛らしい寝顔ですね」
三人の寝顔を見た七凪は、母親の様な優しい笑顔で言う。
「七凪も寝て良いんだぞ」
「私はアルカナちゃんの可愛らしい寝顔が見られるまで、寝る気はありません」
「見た事ないだろ、疲れてるんなら無理せずに休みなさい」
「私が寝た方が、好都合ですもんね」
「まあ、可愛らしい寝顔がもうひとつ増えるからな」
それを聞いた七凪は、鈴鹿が持ってきていた銃をこちらに向けて、ドアの前に立つ。
アルカナは両手を上げて、机の上に座る。
「またひとりで行く気なのですよね。行かせません」
「何の事だろうか、私は街を見に行くだけだぞ」
足を組み、両手を体の後ろに着いて、体重を乗せる。
銃口をこちらに向ける七凪は、いつでも撃てるという目をしている。
「まあ、撃たれても行かせてもらうよ。この部屋で血を流したいのなら、どうぞお構いなく」
アルカナは机から立ち上がり、銃口に鼻骨を当てる。
七凪は溜息を吐き、銃を下ろす。
「弾を抜いたのは何時ですか」
「七凪を投げた時、銃ごとすり替えただけだよ。たまたま今日はベレッタで
鈴鹿と同じ型だったし」
ドアの前から退いた七凪は、ひとり出て行くアルカナの背中を見送る。
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