汚れたままの手
ウルト砦陥落から四日後、ポーラロード王国のシユチ砦まで撤退したストレント軍は、戦姫と、騎士王に対する策を講じている。
参謀長のネイトが王都に居るため、いつもより適当な策に辿り着くのが、少し遅れ気味になっている。
王都に居るネイトからは、異常無しの電報が、既に八件も届いていた。
エイルーンは、守りの堅いアーマクスに手こずっていると、そちらも電報で報告が届いている。
ポーラロード貴族叛乱時以来、鈴鹿のお付きになったアルセラ、ケラサス、アルミタは、地図を眺めながら策を考えている。
アルミタはじっと出来ない性分なので、早くも鈴鹿が教えた手拭い遊びで、兎を作っていた。
「りんりん見て、この前教えて貰った兎!」
アルミタは手拭いで出来た兎を持って前に来て、嬉しそうに手渡してくれる。
「有難うアルミタ、上手になったな」
兎を受け取ると、隣に座っていたケラサスに睨まれる。
「アルミタ、遊んでないで考えて。ケラサスは騎士長さんを睨まないの」
アルセラがアルミタを椅子に座らせて、ケラサスの顔を地図に向ける。
「騎士長はアルミタに甘い、軍議はちゃんとするべきだと思う」
「まあまあ、そんなに怒るなって。私が悪かったから、可愛い顔が強ばってるぞ」
ケラサスは相手にしないという顔で、何も反応を見せない。
ケラサスの頬を人差し指でつつくが、何の反応もしない。
悪戯気分で耳に息を、優しく吹き掛ける。
「ひゃっ!」
可愛い反応を見せたケラサスは、顔を一瞬で紅潮させ、両手で顔を覆い隠す。
勝ち誇った顔でケラサスを見ていると、両手を顔から外し、大きくゆっくりと息を吐く。
椅子から立ち上がると、軍議室から出て言ってしまう。
「ごめんなさい騎士長さん」
ケラサスの態度を見てか、アルセラが椅子から立ち上がり、頭を深く下げる。
「ああ、いや。今のは完全に私が悪いからな、頭を上げてくれ頼むから」
頭を上げたアルセラは、急いで部屋から出て行き、ケラサスを追い掛けて行く。
責任感の強いアルセラには、悪い事をしたと思いながら、自分の中で反省する。
ベレッタを指で弄りながら、今後の作戦を考える。
「りんりん、ケラサスは大丈夫だよ。怒ってないから、照れ隠ししてるだけだよ」
「ああ、有難う。アルミタはケラサスの事をよく知っているんだな」
「うん、施設に居た時から、ケラサスとアルセラとは一緒だったから」
「施設ってのは?」
アルミタは手拭いをもう一枚取り出し、手拭い遊びを続けながら話し始める。
「私たちは小さい頃、ある施設に保護されたんだ。その施設はそんなに悪くなかったんだけど、言うことを聞かない子や、駄目な子にはお仕置きがあったの。ある日私たち三人は出会ったんだ。私たち三人は殆ど毎日お仕置きを受けていてね。ある日、アルセラが逃げようって言ったんだ。それで逃げた先がこの騎士団なんだ」
いつも明るいアルミタは、こんな話でも気にせずに話す姿は、少し不安を覚える。
「そうか。私とお前たちは、殆ど同じようなものか」
アルミタの頭を撫でていると、アルセラとケラサスが帰って来る。
「騎士長さん、失礼致しました。罰なら私が受けます」
「そうだな。私が君たちから罰を受けようか。申し訳ないことをしてしまったしな、ケラサスにもアルセラにも、アルミタにも」
「失礼します。ノイン・ケルトです」
ハルバードを肩に担ぎながら、ノインが部屋に入って来る。
「どうしたノイン、王都で何かあったのか?」
「特に何も。にしても、可愛い子ばかり連れ込んで。私も呼んでくださいよ」
ノインは言いながら、手に持っていたハルバードを構える。
「今打ち合いはしてやれない、見たら分かるだろ。どうしてもやりたいなら、この三人とやって来い」
ノインが三人の方を向くと、アルミタが勢い良く立ち上がり、部屋から出て行く。
ケラサスは部屋に置いてあった長い木箱から、槍を取り出し、ケルトの槍先に、自分の槍先を触れさせる。
「一人で大丈夫なのか? そこの大人しそうなお嬢さんは加わらないのか?」
呼ばれたアルセラは、乗り気では無い顔で剣を抜く。
ドアが勢い良く開くと、自分の二倍はあるであろう斧を、アルミタが持って部屋に入って来る。
「りんりん、私たち三人のチームワーク、しっかり見ててね!」
アルミタの言葉が終わると同時に、ケラサスの槍が、ケルトのハルバードを上に弾き上げる。
ケラサスの脇を抜ける様に、アルミタがケルトの前に滑り込む。
薙ぎ払われた斧が空気を切り裂き、そのまま壁に突き刺さる。
壁には大穴が空き、外の景色が丸見えになる。
ケルトはハルバードで、目の前のケラサスを突こうとするが、地面を強く蹴り、床を転がる。
外から突きを放ちながら、空いた大穴からアルセラが入って来る。
「いつの間に外に出ていたんだよ! 三人で来いだなんて、言わなきゃ良かった」
アルセラとアルミタが手を取り合い、突きの勢いを利用して、回転しながらアルセラが斬撃を放つ。
それを柄で受けようとするが、剣は柄に当たらず、半回転して来たアルミタの斧がハルバードに命中して、柄が真っ二つに折れる。
「あまり砦を壊すなよ。ネイトに怒られるのは私なんだからな」
鈴鹿は左手で持った剣で、アルミタの斧をケルトの顔の前すれすれで止める。
鈴鹿の右手にはストレントとポーラロード、北タリアスとアーマクスの地図があり、その紙には、所々バツ印がされている。
「りんりん止めないでよー」
「騎士長、私の顔面がぐしゃぐしゃになる所でした。助かりましたよ」
ケルトは折れたハルバードを持ったまま、鈴鹿に耳打ちをする。
「ん? ああ、良いだろ。この三人は悪い子じゃない、見ても知っても何も言わないだろう」
アルセラはいち早く剣を仕舞い、ケラサスは木箱を拾い上げ、槍を丁寧に布に包む。
アルミタは斧を机の上に置き、膨れっ面でアルセラに寄り掛かる。
「じゃあ、遠慮なくさせて貰うよ」
ケルトは背中から朱い翼を広げ、頭に角を生やす。
ケルトのハルバードが手の中から消滅する。
ケルトが手を開くと、腕に液体が絡み付く。
手を握った瞬間、その液体が固体と化し、真新しいハルバードが完成する。
アルセラとアルミタは「おー」と感嘆の声を上げ、ケラサスは興味無さそうに瞼を閉じている。
「どうよ、これが剣龍族の能力よ。王族は別として、材料さえ揃えば、私たち普通の龍人でも作れるんだぞ」
ケルトは得意気な顔をして、ハルバードをクルクル回す。
「凄いです! 私なんてそんな事全く出来ません」
普段落ち着いているアルセラが、珍しく声を大にして、ハルバードを見つめている。
「剣龍族は凄いでしょ? 昔存在していた鬼人族が使っていたと言われる、あの刀って武器を作ってみたいんだけど、いつも失敗するけど」
「鬼人族って、和と言う独特の文化を築いていた、あの綺麗な種族だと本で読みました」
「刀もその内の一つなんだよ。魂が籠る武器なんて、刀しか聞いたことがないからね。いつか、魂を込めて作るのが夢なんだ」
アルセラとケルトが、楽しく会話を弾ませているのを見ていると、昔の愛想の悪い少年を思い出す。
鈴鹿は窓の外の遠い場所を見て、静かに微笑む。
「失礼致します! 騎士長、ネイト様からの電報で。ポーラロードの国王が、我々ストレント王都に進軍中途の事。その数、約八万」
平和な景色をぶち壊す報告が、部屋の中に飛び込んで来る。
「八万!? ポーラロード国王? どちらも有り得ない! 何故国王は生きている、何故八万も集まった、連合軍か!?」
尽きない質問と覇気に、騎士が困惑して口を動かすだけで、声を発しない。
「落ち着け団長。私たちは王都に戻るしかないだろう、ネイト様には、少し頑張ってもらう」
ケルトに口を塞がれて、眉間を人差し指で弾かれる。
「王都に、皇帝陛下が帰還なされた翌日だぞ。何処かから情報が漏れていたのか? そんな事は良い。国内の砦を防衛している兵を集めろ。 エイルーンにも引き上げて王都に向かう様に指示を飛ばせ。バサク砦とペンケ砦の兵はそのまま砦を守る様に指示を」
「はっ!」
報告に来た騎士は、弾かれるように部屋を飛び出て行き、ケルトは歩いて準備に向かう。
「騎士長様、私たちは準備が整ってます。ケルトさんに兵の引率は任せて、私たちは先に王都に向かいましょう」
「ああ、済まないな。落ち着いた」
両頬を手の平で叩き、気合を入れる。
「じゃあ、私は先に準備して待ってるよ」
ケラサスは槍を持ち、剣を肩からかけて部屋を出て行く。
「りんりん、お外で待ってるから早くね!」
アルミタは大きな斧を軽々と持ち上げて、相変わらずのテンションで部屋を出て行く。
「大丈夫です、ネイト様が居てくだされば、八万の兵にだってそう易々と落とされません。では、お待ちしております」
アルセラは両手を握って、無垢な笑顔で気持ちを抑えてくれる。
部屋に一人残った鈴鹿は、再び過去の事を思い出して、溜め息を吐く。
「全く、私がこれでは聖冬に顔向け出来んな。待ってろ七凪、必ず助けるからな」
壁に空いた大きな穴から出ると、そこには凛凪が立っていた。
「鈴鹿、王都が危ないそうだな」
「王都もそうだが、家族が危ないんだ。そこを通してもらう」
「通りたければ通れば良い。ただし、その状態で通す程、私は甘くないぞ」
凛凪は剣を抜くと、無駄な動き一つない斬撃を繰り出してくる。
「私に勝てると思ったら、大間違いだりん!」
「どうでしょうね、今なら勝てる気がします」
繰り出される斬撃を一つずつ丁寧に避け、隙を伺う。
「邪魔をするな、七凪が死ぬぞ」
「それは困りますが、今のあなたなら、七凪も死なせて、自分も部下も死なせます。だから通す訳にはいきません」
「余計なお世話だよ、過去は過去、どれだけ願おうが、変えることも、死者が蘇ることも無いよ!」
「なら、その胸に入っている写真は、一体どう説明をするのでしょうか」
「説明してやる義理もないね、ただの駒に」
凛凪の顔を鷲掴みして、地面に叩き付ける。
「本当に嫌だね、インプってのは。人の記憶を読み漁って心を惑わす。剣の腕までコピーするとは、だがな、お前が思ってた程、私は過去にこだわってねぇーんだよ」
頭を踏み付けると、凛凪の姿をしていたものが崩れ落ち、壮年の男の姿になる。
その背中からは羽が生えており、服には大きく、ポーラロードの紋章が施された服を着ていた。
「今頃王都は火の海だろうな。ぐっ……ぶぁ」
「おい、誰が喋って良いって言ったよ。黙って寝転んでろゴミが、俺は今考え事してんだよ」
男の首を貫き、喋れないようにする。
「ぐっ……ごっ、おうと……かん、らくだな」
男は必死に言葉を紡ぎ、尚も挑発的な言葉を発する。
「おやおや。その汚い手足、そしてこの汚い羽。随分と邪魔そうだな、要らないだろ?」
羽を掴み、根元から斬る。
両手脚を切断し、首根っこを掴んで、地面に引き摺りながらアルセラたちの元に向かう。
「あ……ぁぁぁ。騎士長様、その御方は」
インプを引き摺りながら歩いて来た鈴鹿を見て、アルセラが両手で口元を押さえて、吐き気を抑えている。
「あんやー。これは随分と汚いポーラロードのインプだね、インプと言えば、今や超希少種族ですよ」
ケルトが興味津々な顔で、血塗れのインプを眺める。
「大丈夫だ、手脚と羽は無くとも、欲しがる連中は大勢居る」
「元ゴロツキは怖いですわー。皇帝陛下が知られたら、きっとお怒りになりますよー」
「ならば言わなければ良い、これはもう要らないし。そうだな、新調したハルバードの切れ味を試してみろ」
インプをケルトに投げると、担いでいたハルバードを振り抜き、インプの男を真っ二つに斬る。
「ぁぁぁ……騎士長さん! こんな事酷いです! あの方にも御家族がいらっしゃるのですよ!」
泣きながら声を荒らげたアルセラが、馬から下りて必死に訴える。
「なら、あいつを逃がして私たちが滅びるか?」
「それは……ごめんなさい。考えが浅はかでした」
「いや、お前は正しい。その心を忘れるな、私みたいになるな。だが、家族を守る為なら、その時は、躊躇するな」
アルセラの頭を優しく撫でると、頬を流れていた涙を拭いて、馬に再びまたがる。
「騎士長、もたもたしている時間は無い。今すぐ出発するべきだ」
ケラサスに急かされ、急いで馬に乗る。
「じゃあケルト、後詰は任せたぞ」
「安心して先陣切って下さいよ、ゴロツキさん」
アルセラ、ケラサス、アルミタを後ろに引き連れ、急いで王都に向かう。
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