間章 陥陣営

 払暁。

 西門の守りに就く玉光明鏡流のつわもの達は極度の緊張の中に居た。

 宮城を脱した二人の使い手が、内親王を連れて西の山に逃げたという報告を聞き、“義挙”を主導的に進めていた玉光明鏡流の当主多嶋たじま新左衛門しんざえもん宗秋むねあきは直ちに平崎兵四郎率いる教導隊への備えをするべきだと主張、言い出した新左衛門が自流派と五月雨流を率いて防備に当たる事となった。

 あの平崎兵四郎相手と考えれば、心許ない戦力ではあるが、誰も置かないという選択はあり得ない。貧乏籤と分かっていても引かねばならないものであった。

 しかし、新左衛門には勝算があった。

 如何に平崎兵四郎と言えど、扶桑人同士相打つ状況ならば教導隊が模擬戦を仕掛ける事とは勝手が違う為、多少の躊躇ためらいが出ると読んでいた。その上、扶桑人街の門は全て山小人ドヴェルグ金剛アダマンタスで作り上げたものである。本格的な城攻めの支度でもしない限り、強行突破は不可能、昨日の今日でその様なものを用意しているとは思えない。

 何よりも、“奥之院”に行けば弑虐の悪名を自ら貰いに行く様なものである。

 そう考えれば、東大公家最高の名将を相手に睨み合いをした方がまだましと計算した。

 ただし、それは上に立つ者の考えである。

 現場に出ている門下生達は違った。

 扶桑人の大半は今の生活が気に入っていた。中原の争乱など言ってしまえば対岸の火事で、自分たちとは遠い世界の話だったのである。

 その上、千年近くもの間、今の遣り方で上手くやって来ている上、扶桑時代の昔話が想像も付かないほど辛く苦しいものばかりであった。少しでも中原を廻っている者ならば、それも冗談ではないと分かるものであるし、東大公家だけがある意味で上手く回っているのも確かなのである。自分から今の生活を捨ててまで、中原が欲しいと思える程庶民からは魅力的には思われていなかった。

 代々武士の家系ならば兎も角、そうではない庶民や、平和に暮らしている領民を抱えている大名からしてみれば、態々自分から火中の栗を拾いに行こうとは思わないのである。

 兵法者も、町道場出身者は武家もいるがやっとうに興味があった町民や子供の頃に筋の良さを見出された農村出身者も多い。成り上がる為に兵法を学んだ者にとって、自分の利益にならないまつりごとなど二の次であるし、何よりも、自分だけでは無く実家や地元まで影響のある事に乗り出す事は流石に二の足を踏む。

 そんな“義挙”に対して正当性を見いだせない門下生がそこそこいる中、扶桑人同士の争いに対する士気が高かろうはずも無く、なるべく襲いかかってこないようにと心中で祈っている始末である。

 ただ、誰しもが金剛製の門を突破出来るとは信じていなかった。

 この大門の中に居れば安全だと考えていた。

 それは間違いなく油断と言えたが、相手が人間である以上、その考えは尤もな話であった。ただの金剛ならば兎も角、厚さ一尺はあろうかという見上げるばかりの門扉を力尽くでどうにかしてしまうという考えに並の人間ならば及ばないのは仕方が無いし、実際の処出来る訳が無い。

 その上、既に東大公家が致し方なく皇国の内乱に介入していた時代からは多少離れており、現役時代の兵四郎を知る者がほとんど居なくなっていた。

 もし仮に、兵四郎を良く知る者がこの場に居たのならば、そんな無謀な真似はさせず、素直に宮城に篭もらせただろう。

 流石の兵四郎と言えど、宮城に攻め込む事は本来ならば如何なる大義名分があれども躊躇したと思われる。

 そこまで計算した上で、宮城に篭もり目的を達するまで粘れば勝ち目はあった。

 しかしながら、新左衛門は打算から宮城近くにいる事を怖れた。

 むしろ、中に篭もっていた場合、間接的に弑虐を容認したと思われても仕方ない。

 それに、後の主導権の事を考え、彼はそれを選ばなかったのだ。

 そんな状況で、宮城に篭もるという選択を選べるほど、彼の器は大きくは無かった。

 どちらにしろ、この時点で兵四郎の状態を知り得る者は無く、どう足掻いても無駄であるとは知識神でも無い限り知り様の無い事であった。

 まんじりともせずに、一晩中極度の緊張で見張っていた男達の疲れは頂点に達し、交代の時間を待ち侘びていた。

 門の性格上、夜半に忍び込み、門を開け放つ。これが最善手だと誰しもが考えた為に、夜襲はあっても朝駆けはまず有り得ない。従って、一門の中でも選りすぐりの者を忍び込まれぬように見張りとして配置する。それが、新左衛門の考えた手だった。

 もし、日が昇ってから攻め寄ってきたとしても、矢軍やいくさか、睨み合いになると踏んでいた。

 睨み合いならば、数を揃え、当主が行方不明になっている為に士気が低い五月雨流をそれなりに配置すれば矢軍にも対応出来る。

 常道から行けば正解であっただろう。

 多少の奇策を用いられても十二分にやり合える布陣でもある。

 だが、すぐにそれが机上の空論である事が判明する。

 西の方から隠しようも無い強い兵気へいきが隠す素振りも無く素早い動きで街に向かってきている事が見張りに出ている全ての者が感じ取った。

 未だ薄暗い西の方から隠す気すら無い馬蹄の音が門まで届く。

 実際、気の察知が上手い扶桑人相手に奇襲を仕掛けるのは至難の業であり、隠形を得意とする忍が密やかに侵入するといった事を除けば、東大公家の軍勢に対して虚を突くなどと言う事はほぼ不可能である。

 故に、奇襲する為に密やかに移動する等の行動が無駄に終わるのを見越して、気配を隠さずに仕掛けるという事はあるだろうが、それにしてもものには限度がある。

 兵気を隠し、なるべく音を立てずに近寄れば、奇襲は無理でも相手の態勢が完全に整う前に仕掛ける事ぐらい、兵四郎ならば楽にやってのけるだろう。

 兵数、戦力共に立て篭もっている事も鑑みて、間違いなく“義挙”の側の方が上である。

 その事実を知らずに攻め込んできたのか、それとも何も考えずに突っ込んできたのか、判断に迷うところであった。

 だからといって放置して良いはずも無く、新左衛門は手筈通りに本陣に知らせをやり、守りを固めた。

 如何に陥陣営であろうとこの門がある限り足止めされる。

 そう考えているからこそ、余裕を持って行動していた。

 もし、ここに兵四郎が居たら雷が落ちただろう。

 敵が最悪手を打とうとも、自陣営が最善手を打たなければ何が起こるか分からない。

 態々敵に塩を送る必要などどこにも無い。

 戦場の空気を知る者ならば、決してこの様な真似をさせなかった。

 そう、戦場の空気を知る者が居るならば。

 玉光明鏡流は素肌剣術であり、使い手は戦場に出るよりも平時の治安維持や要人警護といった後方での任に当たっていた。

 戦場に出る者など、余程の奇人か、それこそ東大公家の兵が足りなくなった時のみ。

 誰もが戦場の流儀など知るはずも無く、平崎兵四郎の恐ろしさを理解出来ている者はいなかった。

 強いて言えば、五月雨流の兵法者ならば分かっていただろうが、当主不在の上、“義挙”に乗り気でないものが多い為、積極的に手伝う気が無かった。

 聞かれれば答えただろうが、纏め役不在が響いていた。

 従って、そのまま門に躊躇無く突っ込んできた様を見て、玉光明鏡流の者達は大いに慌てたのである。

「何だ、あれは?!」

 騎馬武者二騎が間に先を尖らせた丸太を縄で括り、引き摺っていた。

 破城槌が用意出来なければ出来ないなりに何とかする。歴戦の兵である兵四郎からしてみれば当たり前の事である。最初から大門を抜く気でやって来ている以上、対策は取ってきていた。

 息の合った動きで、呆然としている城兵を後目に気を篭めた丸太を大門に叩き付けた。

 強い振動音が鳴り響いたが、ぶつかった場所に跡が付いた程度で丸太は粉々になった。

 二騎の武者はそのまま何事もなかったかの様に引き返す。

 慌てて二騎を射ようと矢を番えるが、続けて同じく丸太をぶつけに後続が来た為にそちらに矢を放つ。

 それを怖れずに後続の男たちは先程の二騎が打ち当てた場所に一寸たりとも違えず丸太を叩き付けた。

 再び強い振動音が響き渡るが、多少凹んだ程度で終わった。

 金剛製の大門が凹む程の衝撃の為、門の上に居た守兵は強烈な振動で体勢を崩す。

 弓に慣れていない玉光明鏡流の使い手達であった為に、立ち直った頃には弓の圏外まで騎馬武者達は逃げ切っていた。

 結果的に右往左往していた守兵達だが、相手方の戦意が旺盛なのを知り、それまでの気の抜けた態度は綺麗さっぱり消え去った。今一度同じ攻撃をされたところで、門が壊れるはずも無いが一回二回で済むとも思えず、泥縄だが門の後ろに何かを積み込む指示と、矢軍の布陣を早急に展開した。

 疲れも眠気も吹き飛び、三度敵が仕掛けてくるのを固唾を呑んで待っていたところ、まだ薄暗い西の空の下から微かな砂煙らしき影と馬蹄の音が響いてきた。

 何者が来たのか見張りが目を凝らして見てみると、周りの色も見極められぬ暗さなのに、何故かその武者の鎧の色ははっきりと見えた。

「翠色の具足……?」

 一人がぽつりと呟く。

「……“翠緑の颶風”……。陥陣営だ! 平崎右近が突っ込んできたぞー!」

 瞬時に何者かを判断した男は、門の下で作業している仲間に叫んだ。

 分かっていた事とはいえ、辺りは騒然とした。

 現在の東大公家に於ける最高の名将にして、歴戦の武士もののふ。右近衛大将を辞めた後の消息は不明だったが、教導隊を率いているだろうと誰もが推測していた。仁兵衛、慶一郎が戻ってきていなければ、“義挙”勢からした最大の敵として目されていた生ける伝説である。誰しもがその名を聞いて緊張した。

狼狽うろたえるな! 如何に、平崎右近と言えど、金剛の大門を抜く事は能わず。落ち着いて対処せよ!」

 多嶋新左衛門から門の守備を任されていた高弟が檄を飛ばした。

 それを聞き、落ち着きを取り戻した一同は、再び各々の作業を開始した。

 三度目ともなれば、弓を構えた武者達は落ち着いて矢の雨を敵へと降らす。

 それに対し兵四郎は、矢切をする素振りすら見せずにただただひたすらに前に進む。

 鬼の顔を意匠した面頬で隠された表情をうかがう事は出来ず、何を考えて突撃してきているのか分からない儘、あっと言う間に大門の前までやって来た。

 先程までの二騎一組の武者達は丸太を持っていたが、兵四郎は自分の得物以外に何も持たず、何の為にやって来たのか守備側の誰しもが首を捻りたくなるような場面である。

 その様な中、兵四郎は愛用のまさかりを頭上に振り上げると、

「必死三昧ざんまい、餓えた鷹が狩った獲物をその場で喰らうが如し!」

 大音声だいおんじょうで見得を切ると、そのまま大門に鉞を振り下ろした。

 気を視る者ならば、眩いばかりの莫大な【刃気一体】を目にしただろう。

 それこそ、龍すら通り越して、竜に匹敵すると言っても過言では無い。

 【旗幟八流】の当主でもこれだけの気を練り上げ、放散させずに制御出来る者はそうはおるまい。

 迷い無く振り下ろされた鉞は、甲高い金属音と共に金剛の大門を大きく震わせ、気を視ているものの【心眼】をくらます。最早反撃云々などと居ている余裕など無く、先程よりも怖ろしく大きな衝撃を床に伏せて何とか凌いだ。

 そして、門の裏で作業している者はもっと衝撃的な場面を見る事となる。

 大門を閉じるのに用いられている大の大人が十人掛かりで何とか持ち上げられる金剛製の閂が見る見る内に真ん中からひしゃげていった。

 誰しもが腰を抜かし、呆然としている間に、今度は金剛製の門もし曲がり、内側に押され込んで来た。

 兵四郎が鉞を振りきり残心の姿勢を取ると同時に、閂が宙を舞った。

 衝撃に押し切られ、門がドンと内側に開く。

 愛馬の上で鬼気迫る眼差しを宮城の方に向け、そのまま静かに佇む。

 そして、守兵が無力化している隙に、教導隊全軍が西門前の堀端に集結していた。

 誰もが固唾を呑んで見守る中、静かに鉞を真上に上げ、

「全軍、度し難き阿呆共に身を以て教え込もうぞ! 我に、続けえええぇッ!!」

 と、真っ直ぐ宮城目掛けて兵四郎は鉞を振り下ろした。

 大地を揺るがす鯨波げいはが鳴り響き、駆け出した兵四郎に全軍追いすがるように進撃を開始した。

「邪魔じゃあああああ! そこを退けィ、ひよっこ共があああッ!!」

 一喝一閃、世界が凍り付く。

 鉞の柄で武装した大の男たちを軽々と放り投げ、沿道の商家の壁に扉に叩き付けた。

 誰も彼も本格的な治療を受けるまで再起不能になる様な怪我を負わせるが、一人たりとも死んではいない。

 上手く逃げ出した者達も後に続く教導団の兵達に駆逐されていった。

 先日の仁兵衛と慶一郎の突破が蹂躙じゅうりんだとすれば、兵四郎率いる教導隊の攻撃はちりあくたを吹き飛ばす、正に鎧袖一触。反撃も攻撃も逃げる事も許さず、唯々散らしていく。

 征くも地獄、退くも地獄。“義挙”に荷担した者にとって、どこにも逃げ場は無かった。

 多嶋新左衛門が本陣を置いた門と宮城の間へあっと言う間に兵四郎は辿り着くと、陣幕を斬り破り新左衛門の前へと推参する。

「この逆賊が! あの世で雷文公に詫びるが良い!」

 触れただけでも相手を殺しそうな殺気を四方八方に放ち、真っ直ぐ新左衛門へ踊り懸った。

「殿、お退き下さいッ!」

 新左衛門の近習が命懸けで兵四郎の行く手を阻み、馬蹄に潰される者、鉞で吹き飛ばされる者が多数出るなど被害は甚大であったが、兵四郎の馬の歩みは止まった。

 そこに教導団の兵と東や北を守っていた玉光明鏡流の門下生が雪崩れ込み乱戦となる。

「邪魔だ、退かぬか、小童こわっぱが!」

 敵わぬなりに兵四郎の邪魔を的確にしてくる新左衛門の近習や門下生に手を焼きながらも、荒れ狂う颶風もかくやとばかり縦横無尽に鉞を振り回し、神業としか言えない手際で殺さずに相手を戦線離脱させていく。この場に居る誰しもが達人と呼ばれてもおかしくない腕の持ち主なのだが、その中でも兵四郎は飛び抜けていた。

 それは新左衛門にも言える事なのだが、誰よりも腕が優れているが故に、彼は恐怖していた。自分の腕では到底平崎兵四郎に及ばないと見極めてしまったのだ。

 近習が逃げろと言っているのは再起を図れという意味でであるが、新左衛門は何ももを捨ててでも逃げ出したかった。それほど、兵四郎に恐怖した。

 別に甘く見ていた訳では無い。自分が東大公家の中でも指折りの実力者であるという自負に間違いが無い事も知っている。騎突星馳流だろうが今の鷹揚真貫流の当主だろうが勝てぬまでも負ける事は無いと言い切れた。

 しかし、この男は違う。何もかも違う。

 数多の修羅場を抜け、南大公に認められ、先の東大公も今の東大公も十全の信を置き、西中原最強の二つ名を乱世で相争う皇国諸侯がただ一つの共通認識として恐れを抱くとまで言われたこの平崎兵四郎だけは扶桑武者八万騎の中でも別格であると戦場に立って初めて納得出来た。平時の兵四郎しか見ていなかったときは笑い飛ばしたが、今ならば一色与次郎が政治力を駆使してこの男を鷹揚真貫流の当主となる事を阻んだという噂話が真実であった事をまざまざと思い知らされた。戦場でのみ光り輝き本気を出す、然う云う武者なのだ。

「治国平天下なぞというクソにもならぬお題目を唱える糞虫共がッ! 黙って貴様らは儂を通さぬか! 所詮剣術など殺伐をする為のものぞ! 活殺自在など使い手の心得次第、剣で天下が定まるものかよ!」

 常日頃は差し出口一つ唱えず、静かに黙々と仕事をこなすだけの男に見えたが、戦場では荒れ狂う颶風を想起させる。仮に、殺す気になって懸かってきていたら、自慢の翠緑縅大鎧は返り血でどす黒くなっていただろう。

 何かに激昂しているとはいえ、誰一人たりとも殺していない辺りに怖ろしいまでの冷徹さを感じた。仁兵衛よりも慶一郎よりも何より東大公たる帯刀よりも真に注意するべきは平崎兵四郎、そう今ならばはっきりと分かる。

 分かるが故に、新左衛門は驚くべき速さで逃げ出した。

「紫の紐を持つ癖に逃げるか、慮外者が! 戻って相手をせよ! 治国平天下の剣を儂に篤と見せ付けんか!」

 纏わり付く玉光明鏡流の者達を引き剥がしながら、無理矢理前に進む兵四郎が絶叫する。

 新左衛門は恥も外聞も無く、一度たりとも後ろを振り向かずに逃げ出した。



 後にこの闘わずに逃げ出した事が問題となり、玉光明鏡流は旗幟八流より外される事となる。後にも先にも紫の紐を帯びたものが勝負を挑まれて逃げ出したのはこれが最初で最後であった。



「……こいつは酷い」

 酒場の屋根の上で遠眼鏡を使って戦場を眺めながら、クラウスは思わず苦笑する。「噂以上だ」

「そんなに凄いので?」

 脇に控えていた男が、クラウスの言葉に疑問を投げた。

「ドゥロワの乱の終わりに現れた東大公家最高の名将。数百騎の騎馬で三万もの大軍を足止めし、兵三千しか篭もっていなかった重要拠点を守り抜いた。ドゥロワ家と皇太子の最終決戦にて兵站を断ち、皇太子本陣にドゥロワの姫君が突入する機会を作り出し、皇太子を討った姫君を無事退却させる立役者となる。一部諸侯の東大公家に対する報復戦争を常に最前線で戦い続け、全戦全勝。常に好機を逃さず、己の隙は決して見せぬ。乱世になって名将と呼ばれる武将は数多居れど、全戦全勝、常勝不敗はただ一人。虹の小太刀をたずさえし、輝く翠を纏いし伊達者。その名を平崎兵四郎、泣く子も黙る鬼右近」

 歌う様にクラウスは兵四郎の戦績をざっと説明した。

「そりゃあ凄い。そんなバケモンとよくもまあ真っ向から遣り合おうと思ったもんですね、謀反人共は」

 呆れるやら驚くやらで、男は思わず溜息を付いた。

「まあ、素肌剣術主体の流派では、戦場の恐ろしさは分かるまいなあ。平時と戦場、そのどちらも変わらずにやれる者など、そうはおるまいよ」

 くつくつと笑い、クラウスは遠眼鏡を男に押しつけた。

「綺堂仁兵衛はその珍しい側だと?」

 男の問いに、

「あれは珍しい側、では無いな。もっと別の怖ろしい何かだ。全く、何を前にしても平常心でいられる者などそうはおるまい」

 と、クラウスは思わず苦笑した。

「随分と高く買われる」

 男は驚きの声を上げた。

 男が知りうる限り、この主が他者を無条件で誉める事はそう無かった。

「それは、な。長らくこの仕事に携わっているが、魔王に相対しても平常心を崩さなかった者は久々よ。東大公殿は良き後継者を得たと見える」

 羨ましそうにクラウスは嘆息した。

「まあ、確かに当家は驚く程際立った人材が出てきませんからなあ。それでも、質で他に負けるとは思いませんが」

 真面目な顔付きで男はクラウスに返事をした。

「さてはて、当家に何が足りないやら。上層部の寿命の長さが危機感を生じさせぬのかな」

 カラカラと笑い、クラウスは宮城目掛けてまっしぐらに突き進む教導団に目をやった。

「それは確かに。……それにしても、猊下のお気に入りだけはありますな、平崎兵四郎は」

 男は素早い進軍を見て頻りに感心する。「当家の精鋭であったとしても、金剛の大門を抜くのには時間が掛かったでしょう。あの様なやり方があるとは」

「多分、常日頃から考えていたのだろうよ。あの大門を抜く方法を、な」

 クラウスは真剣な表情でそう口にすると、大門の方を見遣った。

「丸太二本と奥義一つで開門させたのですからな。驚きの手法ですが、他家では真似が出来ない」

 口惜しそうに男は溜息を付いた。

「お主は一つ考え違いをしている」

 クラウスは静かに指摘をする。「奥義を五人がかりで、だ。先の四人も威力は違えど兵四郎と同じことをしていたのに気が付かぬか?」

「と、仰有いますと?」

「最初の一撃は打ち付ける位置を後続に教える為。次の一撃は閂を破壊する為の道作り。どちらの一撃も気を充満させる事で、気を拡散させにくい金剛の特質を逆に利用し、濃密な気の道を閂までに到達させていた。後は、その道に奥義を叩き込むだけという話よ。まあ、金剛製の閂を一人で破壊したということ自体は化け物じみているとも云えるがな」

 クラウスは淡々と大門で起こっていた事を解説する。「もし恐れるべきものがあるとすれば、平崎兵四郎が金剛に対する対策を練っていたという一点よ。一体どこの誰があれを真正面から破壊する事を考える? 全く以て狂気の沙汰、呆れるを通り越して尊敬の念を抱くな」

「陥陣営の二つ名は伊達では無い、と」

「然り。別にその名に固執しているようでは無いが、西中原に於ける彼の流派の祖が背負っていた二つ名だ。彼の流派ではその名の重さは我らが考える以上のものであろう。それこそ、虹の小太刀よりも重かろうよ」

 あっと言う間に宮城に辿り着き、悩む素振りすらなく突入していった兵四郎を見て、クラウスは初めて首を傾げた。

「我が君、如何為されましたか?」

「……扶桑人にとり尊皇の想いというものは、我ら西中原人には想像も付かぬ重さだという。事実、僕が目を掛けてきた東大公家の兵法者達は誰しもが皇尊に対し、尊崇の念を抱いていた。平崎兵四郎も又然り。……なのに、何故宮城に攻め入る?」

 男が声を掛けてきたのにも気が付かず、クラウスはじっと宮城を見据えた。

 暫し後、

「後を任せる。何かあれば僕の名で帯刀殿の側に立つ者に便宜を図るように」

 と、言い残すと口早に呪文を唱え、その場から姿を消した。

 男は片膝を付き、「御意」と既に消え去った己の主君に答えた後、梯子を伝って下に降りていくのだった。

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