間章 奥之院

「さてはて、これはこれで面白い状況ではある」

 苦笑しながら、帯刀は床机に腰を下ろしていた。

「御意」

 傍に控える中年の男が言葉短く答えた。

「全く、東大公に就いて戦支度をするはめに会うとはな」

 黄色の直垂ひたたれに扶桑様式と中原様式の良いところを折衷した鎧を身につけ、猩々緋しょうじょうひの陣羽織を身に纏う。腰には小太刀と鉄扇、太刀は脚の間に立てて柄頭の上に両手を載っけていた。

「致し方がないことかと」

 やはり口数少なく男は相鎚を打った。

「それにしても彦三郎。おことは誠に軽装よな」

 帯刀は彦三郎と呼んだ男を羨ましそうな目で見る。「永善えいぜん鬼眼きがん流はやわらに特化しているからとは云え、戦場いくさばでそれは無かろう」

「御意。されど、護衛の極意は己も生き抜くことなれば、動きやすさを優先せざるを得ないものかと。それに、この場に来られる者は限られておりますれば、乱戦を考える理由もなく、技の切れを優先した次第」

 帯刀の嫌味を柳に風とばかりに顔色一つ変えず、彦三郎は受け流した。

「それも又、道理よな」

 苦笑しながら、つまらなそうに相槌を打つ。「さてはて、予測通り旗幟八流の内、半分が敵に回ったか」

「その様子で」

 能面のような感情を全く感じさせぬ顔付きで、彦三郎は返事をする。

「少なくとも、四人の当主と相手せねばならぬか。至極面倒な話ではあるな」

「致し方ないことかと」

 何を言っても顔色一つ変えない彦三郎に、

「然り、然り。されど、面倒なのは変わらずよ。おこと、旗幟八流の当主を二人相手にして無事でいるつもりかね?」

 と、意地悪く尋ねる。

「役目なれば」

 悩むことすらなく、彦三郎はすぐに断言した。

「余とてそこまで云い切れぬがなあ」

 そう豪快に笑い飛ばし、「誰が一番最初に辿り着くかのお」と、首を傾げて見せた。

「何事もなければ、御老体かと」

 その質問が来ることを予測し答えを最初から用意していたかの様に、彦三郎は悩むことなく即座に返事を返した。

「ふむ、一色与次郎か。大いに有りる」

 彦三郎の答えを聞き、我が意を得たりとばかりに大きく頷いて見せた。

「上様は一色翁にまさる秘策をお持ちで?」

 何ら顔色は変わらねど、多少の好奇心を含んだ声色で彦三郎は帯刀に尋ねる。

「ふむ、それは確かに尋ねておきたき事柄よのお」

 声色は面白がっているが、至極巫山戯た様子のない真摯な態度で帯刀は悩んで見せた。

「上様でも、勝ち目はございませぬか?」

 些か意外そうな口ぶりで彦三郎は尋ねた。

「何だ、その口ぶりからすると彦三郎にはあの爺様に勝つための術はないと申すか」

「残念ながら、勝つことはあたいませぬな。負けぬ戦いなら出来ましょうが、此度の一件でそれは許されぬ事かと思いまする」

 揶揄やゆするかの様な帯刀の問いに、口惜しさをにじませながら彦三郎は冷静に答えた。

「冷静な判断よのお。余も見習うべきかな」

 帯刀は豪快に笑い飛ばす。「それで、勝てるかどうか、だな。馬に乗っておらねば勝てる。馬に乗っておる場合は、困った事になるがなあ」

「ならば、馬に乗って参りましょう。戦場におけるあの翁の為す事、相手が厭がる事を何ら恥じることなく平然と為すが故」

「やれやれ。厄介な事だな」

 彦三郎の冷静な読みを聞いて、帯刀は思わず大きく溜息を付いた。

「いずれにしても、このままでは袋の鼠かと」

「だからと云って、表で待ち構える訳にもいくまい。それでは被害が大きくなりすぎる」

 帯刀は静かに首を横に振った。

「援軍無き籠城ほど意味がない事はありませぬ」

 その冷静な助言に対し、

「そう思うかの」

 と、如何にも愉快そうににやにやと笑い始めた。

「上様?」

 突然の豹変に、彦三郎は怪訝そうな顔付きをする。

「いや、すまんすまん。おことがそう思うと云う事は、誰しもがそう思っているのであろうな」

 かんらからと豪傑笑いが止まらず、帯刀は腹を抱えて目尻の涙を拭い始めた。

「……何か、あるので?」

 そこまで馬鹿笑い出来る事に思い当たりが全くなく、何故そこまで楽観的にいられるのか不思議に思った彦三郎は、意を決して帯刀に問う。

「考えれば分かる事ぞ。この“奥之院”に入る資格とはなんぞや」

 笑みを収めると、静かな表情で帯刀は彦三郎に問い返した。

れば、旗幟八流の当主というのは表向きの事だと?」

 流石にその答えを聞き、彦三郎はいぶかしむ表情を隠せずにいた。

 “奥之院”とは東大公家の中でも知る者がほとんどいない、秘中の秘の一つである。旗幟八流の当主となってやっとその存在を知る者が大半と言える。それだけに、帯刀の発言は衝撃的であった。

「否。旗幟八流の当主ならば問題なく確実であるという事に過ぎぬ。“奥之院”に入る資格とは単純につわものである事」

 驚きを珍しく隠せずにいる彦三郎に対し、単純明快な答えを返した。

「腕が立てばよい、と?」

 納得がいかないとばかりに、彦三郎は反駁した。

「そうではない、そうではない。それは最低限の条件でしかない。旗幟八流の当主のみに許されたというのもまたそれに当たる。即ち、何故“奥之院”が存在するかという話だ」

「如何なる御諚ごじょうで?」

「そればかりはお主にであろうと云えぬ。東大公のみが知りる話である」

 なおも引き下がろうともせぬ彦三郎をばっさりと切り捨てる。「それにしても、おことにしては妙に拘るの」

「流石に旗幟八流の存在意義に関わる問題なれば」

 渋い表情を浮かべ、彦三郎は平伏した。

「ああ、よいよい。余とて東大公を継いでなければ知らぬ事だった故に、おことの憤慨は分からんでもない」

 苦笑しながら、しゃちほこる彦三郎を宥める。「今は、旗幟八流の当主以外にもこの場に入る資格がある者がいると考えればよい。それに、当主引き継ぎの際、当主と継承者が同時に入る事もあろう。そう考えれば、さほど不思議な事ではあるまい」

「成程、云われてみればその通りでございますな」

 得心がいったとばかりに彦三郎は同意した。

「その条件で云えば、一色助三郎やその弟弟子の原慶一郎辺りにも資格があろうよ。強いて云えば、本来ならば遠藤沙月辺りもその部類になろうな」

 帯刀は如何にも楽しそうに笑う。「いやはやいやはや、多士済々たしせいせいとは正しくこのことよ。まだまだ捨てたものではないなあ、我がくにも」

「……上様。上げられた者の中に、御猶子殿が含まれぬようですが」

 幾分か間を取り、怖ず怖ずと彦三郎は問いを発した。

「ふむ、仁兵衛か。アレを、その中に含める愚を余は犯さぬ。おことも分かっておろうに、なかなか意地が悪いの」

「御冗談を。皆目見当も付かぬ故にお聞きした次第なれば」

 笑い飛ばす帯刀に恐縮しながら、重ね重ねその答えを求めた。

「そうか? まあ、良いか。アレは既に旗幟八流の当主の一角を占めていてもおかしくない逸材よ。強いて云えば一色助三郎と同格やも知れぬが……親の贔屓ひいき目を抜いても十の内七は勝てよう。元々の才能もあったが、余と別れて以来の研鑽けんさんが余程深いと見える。神刀流に新たなる息吹を与えるのは間違いあるまいて」

 にやにやと笑いながら、我が事の様に帯刀は自慢した。

「既に上様をもしのぐと?」

「おいおい。まだ負けてやる気はねえよ。余もまだ現役だからなあ。まあ、近い将来、柴原神刀流の当主を譲る事にはなるだろうがなあ」

「上様。御猶子殿に東大公を継ぐ資格がない様に思われますが」

 彦三郎は恐る恐る思い当たった事を口にした。

「ああ、東大公が柴原神刀流の当主である事という不文律か。些か例外なれど、前例はあるぞ。最初の“虹の小太刀”の所有者、阿賀孝寿たかひさは一度たりとも当主になっていなかったのに紫の柄糸を与えられていた。武幻斉の後を継いだのは実質上孝寿であり、雷文公が名跡を継ぐまでの間、神刀流を護っていた事を高く評価されての事だがのお。竜武公も、名目上の当主と実質上の当主が乖離すること自体は暗に認めておる。まあ、望ましくは、東大公になる者がその両方を得ているべきであろうがなあ」

 思わず帯刀は慨嘆がいたんした。

「東大公になれずとも、この場に入る資格は有する事になるであろう、然う云う事でございますか」

「いやあ、それもどうだか分からないぞ?」

 にやつきながら、彦三郎の確認を否定した。

「上様。御猶子殿には“奥之院”に入る資格がないと云う意味でございましょうか?」

「いやいや。その逆じゃて。アレにも東大公になる資格があるという事よ」

 帯刀はしてやったりといった表情を浮かべ、大笑いする。「知恵者のおことにもその手は思いつかなんだか」

「はて? とんと思いつきませぬが」

 帯刀の問いの答えが那辺なへんにあるのか想像も付かず、彦三郎は首を捻った。

「二代目東大公竜武公は何故東大公になれたのかの?」

 彦三郎の様子を見て、帯刀は助け船を出した。

「それは雷文公の後継者であらせられたからかと」

「何故、後継者になれたのだ?」

「柴原神刀流の当主を伝承されたからでしょう」

「否、大いに否。竜文公が仮に柴原神刀流の当主でなくても、東大公になったであろうよ」

「それは如何なる仰せで?」

「竜武公が駙馬ふばであったからだ」

 笑いもせずに帯刀は断言する。「元々、竜武公は雷文公に拾われた戦災孤児に過ぎぬ。剣の才を見出みいだされ、祖父の高弟であった阿賀真一郎しんいちろう孝寿に預けた。後に子のない阿賀孝寿が養子として迎え入れ、阿賀光一郎こういちろう鳴雲と名付け、自らの後継者に定めた。雷文公が扶桑を離れた後、狂王の軍勢相手に大いに戦功を挙げ、父親の後を継ぎ近衛大将となり、時の内親王をめとる事となった。しかし、既に大勢は決しており、後は如何に長く粘れるかという状況でしか無く、万策尽きていたが為、雷文公の残した秘策を余力が残っている内に決行した。それが大移動よ」

「即ち、時の帝の姫を賜ったからこそ、雷文公の後継者として衆目の一致を得た、と?」

 帯刀の長広舌を彦三郎は端的に纏める。

しかり。雷文公の剣の後継者であり、武人として永らく扶桑を支えてきた功臣であり、駙馬でもあった。故に、誰もが扶桑人の顔として認めたのだ。雷文公に扶桑人の子がおらなんだからな」

 帯刀はそれを認めると、にやりと笑った。

「そして、今に続く、と?」

「うむ。余を含めた、竜武公と内親王の血統が東大公家の継承者となった。まあ、雷文公の姫を娶った竜武公の公子が柴原を名乗ったのだから、然う云う意味では世にも雷文公の血は流れておる訳だがのお」

「然らば、扶桑人であり、柴原神刀流の後継者であり、東大公家の駙馬となりし者ならば東大公の座を継げる、と」

「極論を云えばそうなるのお。まあ、そのことに気が付いておるのは、多分平原兵四郎をいて他にあるまいて」

 念を押す彦三郎に、帯刀は自分の推察を述べた。

陥陣営かんじんえい?!」

 彦三郎は思わず叫び声を上げる。

「如何にも。あの老将、戦術だけではなく、戦略政略にも造詣ぞうけいが深く、古今の出来事を良く理解しておる。まあ、余が死んでも、あの爺様が生きておる限り謀反人どもに打つ手はあるまいて。何せ、何も理解していなかった仁兵衛に光をさらわれるぐらいだかのお」

 腹を抱えて笑いたいのを我慢しながら、帯刀は無理矢理顔をしかめて見せた。

「……確かに、見事なぐらい鮮やかな手並みでしたな」

 東大公家の内々の護衛を任せられている身としては諸手を挙げて誉められないためか、複雑そうな表情を浮かべる。

「何、恥じることはない。元々アレは光に対して甘かったからのお。何かあれば、まず光を優先するだろうさ」

 大したことないと言わんばかりの口ぶりで、帯刀は笑い飛ばした。

「その様に育てられた、と?」

「いや、それは違うぞ。光がアレに異様に懐いただけでの。その為か、兄としての自覚を強く有したようでの。アレが武者修行の旅に出ると決めた時の光の嘆きようと云ったらなかったぞ。まあ、その所為で尚の事光に甘いのだろうがの」

 帯刀は小さく笑った。

「上様は、光様を御猶子に嫁がすおつもりで?」

「さて、そこまでは考えておらぬ。そうなるべくしてなるならそうするであろうし、その様な流れにならぬのであれば、無理を強いる気はない故にのお。あれほどの兵法者を縛り付けるのは愚者の為す事よ。更に付け加えるならば、冒険者としても評価が高い事を考えれば、その道に進ませることも東大公としての勤め故に、な。アレの決断次第であろうよ」

 静かな口調で帯刀は述懐する。「まあ、余としてはどちらに転んでも構わないわけだ。此度こたびの一件は打てる手を打った上での博打故にの」

「博打、でございますか?」

 彦三郎は首を捻った。

「それはそうだ。余が何も考えずにこうなるまで放置していたと思うのかね? もっと早い時点でそうなるであろうという芽を摘むことは容易たやすく出来たが、根をやすことは出来なかったであろうな。天下太平ならばその様な不満が時偶ときたま出てくること自体問題あるまいが、今は乱世よ。何よりも、信用という武器が得がたいものとして珍重される。その様な時に、この様な阿呆な莫迦騒ぎで意味もなく扶桑人の評判を落とすこともあるまい。であるならば、今この時に大きく噴出させ、膿を全て出し切るのよ。さすれば、一時だけの熱病の様なものだったと皆が思うだろうさ」

「そこまでお考えでしたか」

 彦三郎は深く感心した。

「何、考える事が東大公の役目なれば考えるだけは考える事よ。幸いな事に、暇だからの、東大公というものは」

 苦笑じみた表情を浮かべ、帯刀は自嘲する。「さてはて、これで余の打った手は全て表に出た。後は運を天に任せ、天命を待つのみ。良きにせよ、悪しきにせよ、一気に状況が動く。それにしても、誰が最初にこの場に辿たどり着くやら。楽しみかな、楽しみかな」

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