第三章 戦陣

 人気のないオストシュタット扶桑人街を疾駆で駆け抜け、仁兵衛は真っ直ぐ目的の山へと直走る。

(主様、このまま向かってもよろしいのですか?)

 流石に追っ手や何らかの方法でられている危惧を持ったのか、明火が仁兵衛に声を掛ける。

(構わん。どうせ、向こうがこちらを案内してくれない限りたどり着けない。俺達から見えないところで追って来たところで、見失うだけだ)

 仁兵衛は自信満々に明火に答えた。

(ああ、そういうことですの)

 明火は直ぐにその意図を読み取った。

 山にいるとされる教導隊は東大公家の中でも特殊な存在である。

 自由都市、もしくは何らかの貸し借りのある中原諸侯と契約が結ばれた時にのみ東大公家の軍勢は初めて動く。

 決して自らの私欲のために動くことはなく、東大公家を名指しして攻め込まれることでもない限り、自らのために働くことはない。異邦の民である自分たちを迎え入れてくれた中原、即ちアルスラント皇国の為にのみ働く。それが東大公家の意義であり、意地である。

 同じく異邦の民である北大公家は、古の昔に皇家を救った功績により、傭兵として中原で戦働きをすることを王家より許されており、北大公家はそれにより得た報酬で糧を得ていた。東大公家も又、その前例に従い、聖皇パルジヴァルがその権利を与えていた。

 その特権を活用し、東大公家は自らの兵を持ち難い自由都市と強く結びつくことで外貨を得ると同時に、祖法をかたくなに守るという姿勢から生まれる信用を武器として交易を行うことで巨万の富を有している。

 これに【冒険者互助組合】より上がる利益も足しあわせれば莫大な資産となり、東大公家をして中原最高の分限者ぶげんしゃと言わせしめるに至った。

 逆を言えば、それだけの財産を守る力がる。扶桑人の義理堅さという無形むけいの信用信頼といった力だけでは守れない有形ゆうけいの力をはね除ける圧倒的な武力が。

 幸運なことに、扶桑人が移住してきた際、彼ら自慢の武士団は軍としての機能を失うことなく中原まで辿り着き、その力でもって一人の皇子を皇へと押し上げた。その過程で得られた評判は彼らの財産となったが、重荷にもなった。

 何故ならば、常に大陸最強の軍団であることを求められたからである。

 武士団が最強たらしめたのは、彼らの故郷で終わりなき戦乱が続いていたことと、移り住んだ頃の中原が戦乱期であり、その練度が常に高く保たれる環境であったことが大きい。一度ひとたび戦が無くなれば、その練度を保ち続けることは至難である。

 二代目東大公阿賀鳴雲は戦乱無き世に必要以上の武力を持ち続ける事で周囲から危険と怖れられる事と契約している自由都市を含めた最低限の自衛だけを考えた戦力の保持とを天秤に掛けた時、現状と同じ戦力を保った武士団の存続を選んだ。北大公家と同じ稼業を続けていく利便性も然る事ながら、いざという時に管理している迷宮や【冒険者互助組合】への戦力投入を考えると最低限では動きが取れなくなると踏んだのである。

 しかし、調練ちょうれんだけで得られる練度はある程度の壁があり、精鋭を保持し続けるためにはその先を目指さねばならない。即ち、実戦あるのみ、である。

 だからと言って、乱を求める事は本意ではない。彼が治める扶桑の民は治世を望んだからこそこの地まで逃げ延びてきたのである。

 従って、鍛え上げるなら自領で調練し続けるしかない。既に当時の東大公家の調練は他家より厳しいものであり、これ以上の厳しさはただ無駄に人を殺すだけであった。

 そこで阿賀鳴雲が考えついたのが教導隊である。東大公家の全ての部隊に対して、夜討ち朝駆けを含めた実践を仕掛けることを任務とし、戦を部隊に教え込むのである。但し、教導隊に属する者は決して相手を殺してはならない。戦場の空気を教えるために一時的な戦闘不能は仕方ないとしても、戦力となる者を殺してしまっては元も子もない。その絶妙な感覚を有している上、実践できる者以外に任せることは出来ないが、それ以前に返り討ちになる程度の実力しかないものにやらせるわけにもいかない。何よりも問題なのは教導隊を作ることで精鋭を引き抜かれた元の部隊が弱くなることがあってはならないという事である。

 そこで、一線からは退いたが未だに戦い足りずくすぶっている年寄りと罪を犯したが殺すには惜しい罪人を集めることとした。要するに、死んでも多少は惜しいが大勢には影響せず、現有する精鋭の力を低下させぬ儘、新たなる精鋭を鍛え上げる刃を東大公家は手に入れたのだ。決して戦場に出ることがない最強の精鋭となってしまったのはある意味で皮肉としか言えなかったが。

(親父から聞いた昔話が事実で、光が言っていたことに間違いがないのならば、この山に教導隊が密やかに駐屯していることとなる。そんな相手が分かりやすい符丁や隠れ場所にいるわけも無し、だったら向こうに見つけて貰って案内して貰うのが手っ取り早かろう。それに、俺達よりも教導隊の方がこの山での追っ手の対処になれていようさ)

(素直に案内して貰えましょうか?)

(光と慶一郎が上手い事してくれていると信じるしかないな、そこは)

 明火の懸念に、仁兵衛は思わず何とも言い難い表情を浮かべた。

(……正直なところ、何もかも上手く行っているところは想像できませんわね)

 明火は思わず嘆息した。

(ああ。最低限しておいて欲しい事は何とかなっていれば良いんだがな……)

 ふと、辺りを見渡し、馬を止める。(の……凄いな。こちらが気が付くか気が付かないかの距離にこんなに兵を伏せるとは。これほどまでの手練てだれは初めて見る)

(確かに今まで巡ってきた戦場とは一線を画するのは確かですわ。この太刀に宿ってから今日まで、これほど優れた兵を見るのは本当に久しぶりですこと)

 馬から飛び降り、囲みがない方へ馬を引いて誘導されていく内に、仁兵衛は慶一郎からの符丁を二三見つけた。

 それに導かれるかのように進んでいくと、周りを囲んでいる者たちが誘導したい方向と多少のずれが生じてきた。

(これは、違う道で招待したいと云う事か?)

 心中で仁兵衛は首を傾げてみせる。

(幾通りかの道があること自体は不思議ではないのでは?)

(これより先が隠された戦陣であることを考えれば、幾通りの道があるのは当然だろうさ。用心ではあるんだろうが、態々他の道を使うと言う事に意味があるのか悩んでな)

 馬の上でぐったりと運ばれている女武芸おんなぶげいを見て、(まあ、俺なら楽な道で立ち入れさせないか)と、納得した。

(確かに。明らかに敵と分かっている手練を引き入れようとは思わないでしょうね)

(捕虜として扱うにしても、本拠地に御案内はしてくれないか)

 慶一郎の通ったであろう道を横目で見ながら、仁兵衛は素直に誘導されていった。

 街道から脇道に逸れ、更に獣道とも何とも見分けがつかない道なき道を進み、唐突に開けた場所へと出る。

「ようこそ、地獄の一丁目へ」

 百戦錬磨という表現が相応しい老人が、如何にも楽しそうな野太い笑みを浮かべ、床机しょうぎに座っていた。

「貴殿は?」

 自然体のまま、仁兵衛は老人に問いかけた。

「儂か? 儂はここで地獄の鬼どもを取り纏めている者よ。名はひ──」

「よお、相棒。遅かったなあ」

 老人の台詞に被るかのようにどこからともなくやってきた慶一郎が仁兵衛に駆け寄る。「それにしても旗幟八流の当主相手に打ち勝つとは、お前も本当に──」

「にーちゃああああああああ」

 更に慶一郎の言葉を遮って、光が仁兵衛に怖ろしい勢いで抱きついてきた。

「こら、光。はしたないぞ」

 叱責しっせきの言葉とは裏腹に、優しい顔付きで妹の頭を撫でる。

「やれやれ。挨拶をする機会を逸したねえ」

 困った顔で苦笑する慶一郎に対し、

「そりゃ、儂の台詞じゃ、この若造が! これでは、道化ではないか!」

 と、老人は食って掛かった。

「ははははは、泣く子と地頭には勝てぬと云うじゃないですか、先生」

 誤魔化すかのように、慶一郎は笑い飛ばす。

「はっ! ぬけぬけと良くも云いおるわい」

 豪快に笑いながら、「儂は平崎ひらさき兵四郎へいしろうじゃ。お前さんが殿下秘蔵の弟子か」と、老人は改めて仁兵衛の方を向いた。

「中原浪人、綺堂仁兵衛。以後、宜しくお願いいたします」

 妹が引っ付いて離れない為、軽く会釈をするに留まった。

「くわはっはっはっ、帯刀の弟子とは思えん程、冷静じゃの」

 妹が決して兵四郎の間合いに入らないよう素人目では気が付かない細かい動きで牽制している様を見て、満足げな笑みを浮かべた。

「試すこたあないのに、年寄りってヤツは意地が悪いねえ」

「黙らっしゃい! 上様と姫様の第一の守り手となるからには、儂如き片手で捻る腕の持ち主でないと認められぬわ!」

「無茶云うな、爺さん。あんた、腐っても“虹の小太刀”の持ち主だろうが」

 呆れた口調で慶一郎は首を横に振った。

「“虹の小太刀”?!」

 仁兵衛は思わず驚きの声を上げる。

 “虹の小太刀”。

 初代が定めた小太刀の飾り全てを使うことが許された者が周りから呼び慣わされる特別な称号である。別段特別にその様な称号がある訳ではないが、東大公家に属する武人として主家にあらゆる面で貢献したという証明として敬意と羨望の念を持って呼ばれ始めた。

 千年弱の東大公家の歴史の中でも、実際にそこまで至ったのは片手の指で数える程度である。何せ、旗幟八流の当主の証である紫と将として兵を率いて功績を与えられた者の証となる青の二つを得る事が並大抵の事ではない。その上、特殊なものとして【冒険者互助組合】に格段の貢献した者が特別に南大公から与えられる緑である。青と紫は東大公家にだけ奉公していれば手に入れられる者も居るのだが、【組合】での貢献とは冒険者として余程の功績を挙げると言う事の為、緑が足りなくて虹に達せない者がこれまで数多く存在していた。

「嘘を云うな、若造。儂は“虹の小太刀”を持ち合わせておらんわ」

 憮然とした表情を浮かべる兵四郎に、

「そちらこそ。“虹の小太刀”を手に入れる機会があった癖に、旗幟八流の当主となることを辞退したのはどこのどちらさんでしたっけ?」

 と、些か皮肉っぽく言い返した。

「フン。この年寄りが、今更当主じゃと? 笑わせてくれおる。それではまるで、儂らの流派が後継者育成に失敗したみたいではないか。儂のような年寄りを態々持ち出さなくとも、申し分ない奴が居ったわ」

 鼻を鳴らし、顎髭あごひげを撫でる。「それにな、“虹の小太刀”はそんなに軽いモノではないわ。史上片手の指で数えられるしかいない理由を考えても見よ。それになあ、乱世でしか生まれぬ称号など、上様の恥でしかないわ」

「確かに戦はない方が優れた治世を示すことになりましょうな。残念ながら、今は乱世ですが」

「ああ、乱世だな」

 慶一郎は仁兵衛の言に相槌を打つ。「だからこそ、爺さんや、兄者が“虹の小太刀”を有すべきなのよ。跳ねっ返りどもを黙らせる為にもな」

「今更云うでないわ、ひよっこどもが。……まあ、此度の件は、儂ら年寄りが抑えきれなかったことに端を発したことに間違いはあるまいが、な」

 苦々しい表情で兵四郎は毒突いた。

「ん? もしかして、爺さん。今回の件の裏を知っているのか?」

 妙に歯切れが悪く、含むところがありそうな兵四郎を見て、慶一郎は首を傾げた。

「今回のは知らんわ。されど、似た様な話ならば良く知っておる」

「そら、“一統派”は何年周期で威勢が良くなりますからなあ。年寄りなら知っていて当然という話でしょうが」

 にやにやと笑いながら揶揄する慶一郎に対し、

「それもそうじゃが、これは違う話じゃ。儂の気のせいでなければ、同じような計画がまだ儂が現役だった頃にあったんじゃよ」

 と、硬い表情で兵四郎は返した。

「それは如何なる話でしょうか、御老体」

 何かしら感じるところがあったのか、仁兵衛は居住まいを正す。

「儂の憶測に過ぎぬ屋も知れぬ。故に、その娘に話を聞かねばならん」

 厳しい目つきで、馬の上で気絶している沙月を見据える。「それにしても、五月雨流とは因果なものよ」

「それが、何か関係あるので?」

「まあの。昔の因果は皿の縁、今の因果は針の先、と云うモノかの」

 深々と溜息を付いてから、「さて、何処で聞き出したものかのお」と、呟いた。

「じーちゃ、痛いのは駄目だよ?」

 心配そうに声を掛けてきた光を、

「ははははは、姫様は優しくていらっしゃる。なに、旗幟八流の当主ともなれば、けがされようが、痛めつけられようが話すまいとしたら何も話しますまい。儂はこれで無駄なことは嫌いでしてな。姫様が心配なさるようなことは一切起きませぬよ」

 と、好々爺こうこうや然とした表情で、光に語りかけた。

「うん! だから、爺大好き!」

 光はぽふっと兵四郎に抱きつく。

 厳つい相好を崩しでれでれする様はあたかも孫を慈しむ祖父の様であった。

「それにしても先生。よくもまあ、姫様に懐かれていますな」

 意外そうな表情で、慶一郎は兵四郎に胸中をあけすけに告げた。

「当たり前じゃて。公には儂の最後の官職は近衛府の大将故にな。上様と姫様の側に侍って居った時期は割りと長いぞ」

 にやりと笑い、そのまま光の頭を優しく撫でる。

「こいつの親父さんが東大公位を継承されてから、表向きの引退するまでの間でしょう? 確かに、並みの者よりは長く側に侍っていたんでしょうが、それでもそこまで懐かれる長さじゃないでしょうが」

 釈然としない顔で、慶一郎は首を傾げた。

「爺とは遠い親戚なんだよー」

 そう自慢げに話す光に、

「そうなのか? 親父様からはそんな話聞いた記憶がないのだがなあ」

 と、仁兵衛は考え込んだ。

「それはそうじゃろう。姫様の御母堂様が儂の一門の本家筋の姫だったという話に過ぎんからの。とは云っても、その姫君は庶出だったのだがの」

 何かを思い出すかの様な遠い眼差まなざしで、兵四郎はふっと息を吐いた。

「まあ、年寄りの昔話は長くなりそうだからとっとと話進めましょう、先生。今は悠長にしている暇はない」

「それもそうじゃの。流石の上様でも今のままではどうなるか分からぬしの」

 年寄りの繰り言扱いされたことに怒りもせず、兵四郎はすんなり意識を切り替える。「……それにしても、なかなか目を覚まさぬの。様子見に狸寝入りでもしているのかと思ったんじゃが、どう見ても熟睡しきっておるの」

「腐っても旗幟八流の当主ですしなあ。こちらの隙を窺っているものかと疑っていましたが、そんな様子がちっともありませんなあ」

 二人は首を捻り、仁兵衛に顔を同時に向けた。

「俺を見られても困る」

 溜息を付き、仁兵衛は首を横に振った。

「俺はお前に任せてこっちに向かったから、どう戦ったか分からないんでね。本当に心当たりはないのか?」

「そう云われてもな……」

 心底困った顔の仁兵衛に、

「ふむ。ならば聞いておきたいんじゃがの、どのくらい戦っておったんじゃ?」

 と、兵四郎は尋ねた。

「と、云われますと?」

 何を言い出したのかとばかり、仁兵衛は怪訝そうな顔を見せる。

「有無。お主らの戦いは予選決勝で見させて貰ったでな。大体のところは想像がつくのじゃが、その確証が欲しくて、の」

「はぁ。えっと、確か……」

 思い出そうとする仁兵衛に、

一刻いっこくですわ、主様)

 と、明火が助け船を出してきた。

「一刻ですね」

「一刻か。半時はんとき中半なかば、成程のお。儂の勘が当たったようじゃの」

 にやりと笑い、一人得心がいったとばかりに顎髭を撫でた。

「先生、別におかしな話じゃないでしょうが。旗幟八流の当主同士の争いともなれば一時ひとときを越えるときだってあるでしょうに」

 何を言い出すのだこの年寄りは、と言った表情を隠そうともせず慶一郎は呆れた口調で思わず突っ込みを入れた。

「まあのお。既に朱塗りの鞘を許されておるお主らには分かりにくい話やもしれんなあ」

 ふむと一息吐き、「お主らには普通に出来ることが、出来ぬ者もおるという話じゃよ」と、怒りもせず真面目な顔をした。

 得心がいかない二人を見て、

「まだ分からぬのか」

 と、中半あきらめ顔で兵四郎は溜息を付いた。

「さて……。今まで戦ってきた強者の誰一人たりとも、この様なことになった事はなかった故に」

 兵四郎の意図を読めず、仁兵衛は途方とほうに暮れた。

「ま、そうじゃろうの。儂が知りうる限り、この娘は先代当主が急死した為に繰り上げで当主になった様なものじゃからのう。初陣は済ませてあろうが、【刃気一体】、それも当主格同士の真剣勝負など、経験したこと無かろう。それ故の、落とし穴に気が付かぬのも道理。そして、お主らも若い癖に、【刃気一体】を十二分に使いこなしておれば、その限度について理解が遅いのも致し方あるまいて」

 勘の悪い二人に苛立つことなく優しげな口調で、兵四郎は諄々じゅんじゅんと説いた。

「ははあ、分かってきましたよ、先生。要するに、俺達の気の内包量が大き過ぎて、年齢相応の力量を凌駕しているから同年代の見立てに失敗しているって事ですね」

 ぽんと手を打ち、得心がいったとばかりに頷いた。

「大雑把に云ってしまえば然う云うことかのお。この遠藤の嬢ちゃんもその年齢からは考えられない手練なれど、如何せんお主らほど常人離れしておらんという事じゃよ。ほぼ無尽蔵の気を用いる相手に、全力で立ち向かえばどうなるかという話じゃな。更に付け加えるならば、五月雨流の【刃気一体】は怖ろしく細やかな気の制御を必要とする。この程度で済んで、御の字という事じゃな」

 兵四郎はふっと笑い、「並みの使い手ならばうに死んでおるわ」と、肩を竦めた。

「成程。……ん? するってえと、この時期に何で連中が動いたのか不思議に思いましたが、もしかして、俺達の所為で均衡が崩れたんですかね?」

 身内とは言え、それなりに客観的な自分達の評価を聞き、はたと思い当たったのか慶一郎は即興で仮説を立てた。

「その可能性は否定できんのお。少なくとも、儂らの側から見れば敵方の動きに焦るほど、不利になった要素がないワケじゃからな」

 にやにや笑いながら、顎髭を撫でた。

「たかだか二人の手練が客分として迎え入れられた程度で軽々しく動いた、と?」

 一人納得がいかない仁兵衛は、不思議そうな表情を浮かべる。「我ら程度の使い手ならば、抑え切れましょうに」

「それは過小評価が過ぎるぞ、若いの。そこな年寄りに敬意の払わない若造の戦場での名声は世に知れ渡ったものであるし、それに打ち勝った【刃気一体】を無制限に使いこなす使い手が、東大公の猶子ゆうしとならば敵も慌てようものさ」

 くつくつと低い声で兵四郎はわらった。

「まあ、それで敵が慌てて、誰もが御前試合本戦中に何かを仕掛けてくると思っていた中、前倒しで実行されたとなっては、ある意味で上手い奇襲にはなってしまったのは皮肉な話ですがねえ、先生」

 何とも言えない微妙な表情で、慶一郎はぼやいた。

「まあのお。そこら辺も含めて、この嬢ちゃんに話を聞こうかと思っていたんじゃが……。このままじゃと、一日ぐらいは昏倒していそうじゃなあ。どうしたものかのお」

 心底困った顔付きを浮かべた。

「いや、どうしたものかのお、って先生?」

 余りの言い様に、慶一郎は思わずぽかんとした顔になる。

「儂にとて、どうにもならん事じゃて、な」

 処置無しとばかりに、大きな溜息を付いた。

 何か手はないか明火に尋ねようかと仁兵衛が考えた時、それまで黙っていた光が沙月の側に近づき、

「沙月ちゃん、お仕事中に寝てちゃ駄目だよー」

 と、声を掛けた。

「またまた姫様。そんな事で起きるワケ無いでしょうが」

 流石の慶一郎も苦笑しながら、光に声を掛ける。

「……よく見ろ、若造」

「何です、先生?」

 怖ろしく真面目な顔付きの兵四郎を見てから、「こいつは……」と、沙月を眺めて驚きの表情を浮かべた。

 それまで静かな寝息をたてていた沙月が、僅かに微動していたのだ。

「光はこの方と知り合いなのか?」

 目の色を変えた二人を後目に、仁兵衛は妹に事情を尋ねた。

「そーだよ。沙月ちゃんはこないだまで、光と遊んでくれたんだよー。とっても良い人なんだよー」

 無邪気に沙月を誉める光に、

「そうか、それは良い人だな」

 と、笑みを浮かべた。

「うん!」

 光も又、満面の笑みで頷いた。

「それならば、何故、彼女は我らに敵対したのだろう?」

 妹の懐き方からして、本来ならば敵に回るとは思えない人物だと看破した仁兵衛は、不思議そうに首を傾げた。

「ああ、余りこっちに来てなかった相棒は知るはずもねえか。この嬢ちゃん、遠藤沙月は橘の一門でな、五月雨流弓術の使い手として結構名が知れているのさ」

「付け加えるならば、五月雨流の当代になる前は奥向きの女官をやっておっての。まあ、云ってしまえば、姫様付きの護衛よの」

 慶一郎の軽い説明をこれまた手短に兵四郎は補足した。

「成程。親父様が信を置いていたのか」

 沙月の立ち位置をなんとなく理解した仁兵衛は深々と頷く。「だとしたら、より一層謎が深まる訳だが……」

「云いたいことは分かるがの、本人望まずとも巻き込まれることもあるわな。特に、権門の末流ならば猶更、の」

 苦い表情を浮かべ、兵四郎は吐き捨てた。

「むしろ、先代の当主もうちらの陣営じゃありませんでしたか?」

 はたと思い当たったのか、慶一郎も逆に納得がいかない顔付きとなった。

「まあのお。あれとは古い付き合いじゃったんじゃが、先の|大戦(おおいくさ)で討ち死にしては、な」

 兵四郎は静かに溜息を付く。「全く、この年寄りばかりが生き残っていくわ」

「正直、先生が戦場で死ぬ姿を想像すら出来ないんですがね」

「儂とて武人よ。いずれは戦場で不覚を取る日も来るだろうさ」

 慶一郎の軽口に重々しくおごそかに答えた。

「そうなる前に、楽隠居している様に祈っていますよ」

 それまでの軽口とは打って変わり、慶一郎は真摯な態度で告げる。

「まあ、好き好んで戦場で屍をさらす気はないから安心せえ。ただ、武人として、畳の上で死ぬことに多少の違和感を感じるだけじゃからのお」

「それもどうかと思うんですけどねえ」

 明け透けに胸の内を明かされ、どう答えていいものか困り果て、思わず苦笑した。

「ふむ、又話が逸れておるな。姫様、この嬢ちゃんをいい加減目を覚まさせましょうぞ」

「うん、分かったー」

 光は沙月の耳元まで行き、「沙月ちゃん、父様に見つかる前に起きなきゃ駄目だよー、また怒られるよー」と、声を掛けた。

 途端、沙月はびくっと身体を痙攣させ、

「──ね、寝ていません……。起きて…いま……す」

 と、夢うつつな寝言を返してきた。

「おお、おお。これは凄いの。気の使いすぎで身体がかんはずなのに、意識を取り戻せるとはのお」

 顎髭をしごきながら、くぐもった笑いを浮かべた。

「似た様な経験があるんですかねえ? 普通はこんだけ気を使ったら昏倒したまま起きられませんからなあ。【刃気一体】を覚えたての頃、はしゃいでよく失敗したもんですよ」

 慶一郎は兵四郎の言に対して何度も頷いてみせる。

 実際、初めて【刃気一体】の境地に至った若者はその全能感に酔いしれ、無茶な動きをした挙げ句、数日間前後不覚に陥るのが通過儀礼とも言えた。

「普通はそれで限界というモノを学んでいくものじゃしな。この嬢ちゃんは良い子過ぎてそこまでやらかしてはおらなさそうじゃしのお」

 くつくつと笑いながら、「あともう一押しというところかの」と、呟いた。

 外野の喧噪は他所に、反応はすれどちっとも起きる様子のない沙月を見続けていた光は、

「ん~、いつもだったらこれで起きているんだけどなあ?」

 と、困った顔付きで振り返った。

 一人会話に加わろうともせずに沙月を観察し続けていた仁兵衛は、光へと顔を向け、

「そうなのか?」

 と、尋ね返した。

「うん。沙月ちゃん、お仕事中によく居眠りしていたの、お別れする直前だったし」

 迷うことなく、光は直ぐさま答えを返す。

「そんなに頻繁ひんぱんに居眠りしていたのか、これだけの使い手が?」

 意外な情報を聞き、仁兵衛は首を傾げた。

「ん~、なんか、引き継ぎがどうのこうのとか父様が云っていたよ。寝させておいてあげなさいって」

 その時のことを思い出しながら、光は仁兵衛にそう告げる。

「五月雨流の先代が死んだのが唐突だったからのお。旗幟八流の当主は他の官職に就くことが禁じられておるワケじゃしなあ。これだけの使い手の代わりになる女官など、そうそう簡単に見つからなかろうて」

 光の言葉を継ぎ、兵四郎は推察したことで補足する。「その上、本来の継承者もほぼ同時期に大戦で陣没しておるからのお。なんら助言も手助けも得られない五里霧中の中で、内親王たる姫様の護衛の引き継ぎと、五月雨流当主になる為の儀礼を同時にやっておったら、どう考えても時間がいくらあっても足りんでな」

「当然、東大公殿下もそれを理解しているが故に職務中の居眠りは大目に見た、ってことですか。ま、あの方は然ういう辺りは優しいと云うより、甘いですからねえ」

 したり顔で然もありなんと慶一郎は首を縦に振った。

「ま、そこが上様の良いところじゃて。だからこそ、“一統派”の連中から目の仇にされるんじゃろう。初代の生まれ変わりとまで云われる上様の元では、奴らの望む戦など出来ぬからのお」

 かんらからと豪傑笑いを飛ばしながら、沙月を見る。「ま、詳しい話を聞かねば、連中の企みが分からぬし、上様を救い出す為の策も練れぬからのお」

「このままいけばもう少しで目を覚ましそうですが、ここで起こすんですか、先生?」

 真面目な顔で、慶一郎は兵四郎に確認を取る。

「どういうことじゃ?」

 慶一郎の意図がどこにあるのか読み取れないのか、兵四郎は首を傾げた。

「いやね。いい加減、その馬から下ろすべきじゃないかな、と俺は思うんですがね? このまま起きたら、場合によっちゃあ、碌な事にならない気がするんですがねえ」

 沙月を横目で見ながら、「俺にだって覚えがあるんだ。先生だって、馬上で居眠りして落ちかけたことあるでしょう?」と、微妙な表情を浮かべた。

「……否定はしにくいの、それは。まあ、この場所ならば問題なかろう。ここからでは儂らの根拠地にたどり着けぬからの」

「……先生、もしかして山中に罠を張り巡らしているんじゃないでしょうね?」

 何かを思い出したのか、嫌そうな表情を浮かべ、慶一郎は怖ず怖ずと尋ねた。

「当然じゃろう? 場合によっては籠城からの逆撃を想定した攻撃を仕掛けるつもりじゃしな。常に戦場に在る心持ち、それこそが儂らの役目故にのお」

 慶一郎とは対照的に、呵々大笑とばかりに笑い飛ばし、如何にも楽しそうに言ってのけた。

「いや、まあ、それはそれで正しい態度なんでしょうけどね……」

 奥歯に物が挟まったかのように、慶一郎は口を濁す。「……まあ、いいや。俺には関係ない。相棒、沙月ちゃんを降ろしてやりな」

「俺が、か?」

 急に話を振られ、仁兵衛は思わず戸惑った。

「消去法でな。先生と俺は大鎧を着ていて不向きだ。姫様にやらせるワケにもいくまい? すると、お前さんしか残らないって寸法だ。別段不思議な話じゃないさ」

「……ああ、道理だな、確かに」

 なにやら煙に巻かれた心境で、仁兵衛は答える。

「それに、お前さんなら、どんな時でも自分の間合いで負けることはないだろう、相棒?」

 にやりと笑い、慶一郎は仁兵衛の肩を叩いた。

「分かった。それで、どこに降ろせばいいのだ?」

「ならば、この敷布の上に寝かすかの」

 兵四郎は立ち上がると、床机をたたみ、足元に敷いてあった虎の敷物を空ける。「流石に地面に直に寝かせるのは気が引けるでのお」

 光が何かあってもすぐに兵四郎と慶一郎の二人が盾になれる位置にいることを確認してから、仁兵衛は慎重に沙月へと近づき、馬から丁寧に降ろしてかかえ、そのままゆっくりと敷布に横たわらせた。

 すぐに光がその脇にやって来て、

「沙月ちゃん、お仕事終わりの時間だよー。早く起きてよー」

 と、三度声を掛けた。

「起きてます!」

 そう言うや否や、沙月は飛び起きた。

 それから、急に左右を見渡し、見覚えがない風景に混乱し、頭を振る。

 そんな沙月に、

「おはよう、沙月ちゃん」

 と、光は満面の笑みで挨拶を掛ける。

「はい、おはようございます、姫様……。──姫様ッ!?」

 突如頭に掛かっていたもやが払われたのか、沙月は驚きの声を上げた。

 起き上がった途端、米飛蝗ばったのように頭を低く叩き付け、

「申し開きようもございません、姫様ッ!」

 と、開口一番謝罪した。

「大丈夫だよ、沙月ちゃん。にーちゃがいたから、平気だったよ」

 朗らかな笑顔で、どうでも良いこととばかりに光は沙月の謝罪を聞き捨てた。

「そうは云われましても……」

「平気だよー。にーちゃがいてくれるんだもん。何があっても大丈夫なんだよ」

 縮こまる沙月をいたわるように、光は自信満々に言い切る。

「おいおい、凄い信頼だなあ、相棒」

 にやにや笑いながら、慶一郎は肘で仁兵衛を突く。

「全く……。何であそこまで云い切れるものか……」

 努めて顔を厳しくすることに失敗し、顔を綻ばていた。

 床机を配下の者に手渡してきた兵四郎が戻った早々、

「姫様も、遠藤の嬢ちゃんもその辺にしておいて貰えぬかの。今は時が惜しいでな」

 と、責付せつく。

 光は多少名残惜しそうに沙月の元を離れ、仁兵衛の側に歩いて行った。

「如何様にも扱い下さいませ。覚悟は出来ております」

 神妙な面持ちで、沙月は平伏した。

「別に何も取って喰おうとしておるワケではないわ。ただ素直に答えてくれればよい」

 兵四郎は居住まいを正し、「それで、何故あちらに付いた」と、厳しい口調で問い糾した。

「何を云っても言い訳になってしまいますが──」

 沙月は自分が知りうる事を大まかに全て話した。



「あれが、のお」

 何とも言えない表情で、兵四郎は呟く。「にわかには信じられぬ話、よの。儂が知りうる限り、あれよりも深い忠誠を東大公家に誓っている旗幟八流の当主は思い当たらん。何かの間違いではないかの?」

「いえ、血判書の筆跡、花押の癖、到底間違えることなどあり得ませぬ。我が師のものでした」

 沙月はきっぱりと言い放った。

「んー、俺もそれは怪しいと思うんだよなあ」

 それまで黙っていた慶一郎がぽつりと呟いた。

「怪しいとは?」

 自分の発言が信に足らないと言外に匂わされた気がしたのか、沙月は強い口調で問い返した。

「ああ、気を悪くしないでくれよ、沙月ちゃん。俺も個人的にあの人を知っているんでねえ。殿下を裏切るような真似をする方じゃないって思っただけのことさ。それに、沙月ちゃんだってあの人が裏切ったと聞いて首を傾げたんだろう?」

「それは……」

 自信満々に答えてきた慶一郎に、沙月は言葉を濁した。

「儂も同感よ。あの者が上様を裏切るとは到底考えられんわ。いずこからか此度の一件を聞き、それに潜り込み密やかに情報を集めていたと考えた方がしっくりといく」

「私もそう信じたいのですけれど……」

 師匠の動きを全て“義挙”を企てた連中から聞かされた上、その証拠を突きつけられた為に、沙月は二人ほど師匠の行動を信じ切れずにいた。

「まあよい。どちらにしろ、お主が“義挙”の側に立たねばならなかった理由は見えた。四名家めいかの内、橘が一門を上げて動いたのならば仕方あるまい」

「いやはや、それにしても橘が動くとは、世も末ですねえ、先生」

 しみじみとした口調で慶一郎は嘆息した。

「奴らの云い分も分からぬではないが、雷文公様の扶桑時代の外戚がいせきたる武の名門橘が立つとなると話は別よ。全く、血迷ったとしか云い様がないわ」

 兵四郎は強く憤慨ふんがいする。

「どうりで、宮城で橘の一門衆を見かけた無かった訳ですよ。むしろ、明田あけたの連中が文官なのに必死の抵抗をしていたのが印象に残りましたよ」

「雷文公に拾われた明田が必死に祖法を守り、雷文公の後ろ盾だった橘が祖法を打ち棄てようとする、か。全く以て皮肉な話じゃな」

 苦々しく吐き捨て、「さても困ったモノよ。宮城は落ち、上様の所在は不明。正面から攻めれば間違いなく上様を人質とされ、だからといって時間を掛ければ上様のお命が危うい。故に、我らがまずなさねばならぬ事は──」と、考え込む。

「上様の救出、これでしょうなあ」

 全く気負うところ無く、慶一郎は軽々と言ってのけた。

「親父様のことだ、時間稼ぎができる場があれば命が続く限り粘り続けるだろう」

 至極冷静に仁兵衛は養父の行動を予測する。「問題は、そんな場所があるかと云う事だが……」

「過分にして聞かずと云うところじゃのお。元々、宮城は戦の為に建てられたものではないしのお」

 最も長らく宮城を見てきた兵四郎が困った様に答えを返してきた。

「ええ。元は、雷文公が扶桑の文化を失わせない様に建てたのが始まりと聞き及びます。その為に態々最も戦向きではない職人芸の極みであった帝の皇宮を模倣したとか」

 何故か抱きついてきた光を撫でながら、沙月は家伝の情報を伝える。「ですから、立て籠もる様な場所も、逃げ回る空間もさほど無いものかと」

「だからこその“義挙”か。成程、理には適っている」

 つまらなそうに仁兵衛は溜息を付いた後、ふと友人の方を見る。「急に静かになったな、友よ」

「……いやな、旗幟八流の当主に匹敵する人間が少なくとも二人もいるのに、誰も云い出さないことに対して疑問を持ってな」

「何の話じゃ?」

 茶化すところ一つ無い真摯な口調に引かれたのか、兵四郎は水を向けた。

「“奥之院おくのいん”ですよ、先生。御存知ないので?」

 不思議そうな口調で慶一郎は聞き返した。

「実在するのか?」

 疑念を抱いた眼差しで、兵四郎は慶一郎を見据える。「旗幟八流の当主のみが入ることを許された特別なる場所。儂とて聞き及んだことはあるが、永らく宮城に勤めた時もその存在を確認出来なかったのじゃぞ? 良くある噂話に過ぎないのではないのか?」

「その裏付けの為にお二人に聞いたんですけどねえ」

 沙月に視線をやりながら、「沙月ちゃんは聞いていないのかい?」と、尋ねた。

「申し訳ありませんが、その種の話を受け継ぐ前に先代が亡くなっておりますので……」

 申し訳なさそうに沙月は答えた。

「そう云うからには、お主は知っておるのじゃな?」

 慶一郎の発言から確固たる自信を感じ取り、兵四郎は確認を取る。

「自分で見たもの以外、余り信じない方なんですがね。只ね、在ると確信する情報源は家の口伝なんで、在ること自体は間違いなく信じていますよ。まあ、うちの流派の次期当主は兄者なんで、そっちの関係から俺は一切聞いちゃあいませんがねえ」

 最後の一言を苦笑混じりに慶一郎は口にした。

一色いっしき助三郎すけさぶろう、か。全く、あやつが居ったら、斯様なことにはならなかったモノを……!」

 顔を朱に染めて憤慨する兵四郎に、

「だからこそ、師匠が捨て置く訳ありませんよ。“東大公家最強の武人”の二つ名、伊達名じゃありませんからねえ。予選のこの時期に中央山脈の向こう側に出陣させたの、然う云う意図だろう、沙月ちゃん?」

 と、沙月に尋ねかけた。

「そうなのではないかと思います。当主は本戦に出ることが“掟”で決められていますけど、他の方が参加するには予選突破が条件ですし。それに、あの御方は上様至上主義者でしたから……」

「その上、師匠に勝てる可能性がある唯一の存在だったからなあ。それは早い時点で追い出す算段立てられたでしょうよ」

 肩を竦めて溜息を付き、苦笑を浮かべた。

「その後、お主らが来たのは計算外であったようじゃがのお」

 兵四郎はちらりと沙月の方を見る。

「そうみたいですね。慶一郎殿の方は気まぐれで参加しかねないとの危惧はあったようですけれど、仁兵衛様の存在は完全に考慮の外でした」

「そりゃあそうじゃろうなあ。儂とて、上様に猶子がいる事は知っておっても、斯様な腕利きとは知らなんだよ」

 如何にも楽しそうに笑い飛ばし、兵四郎は満足そうに頷く。「あと、この中で宮城について詳しいのは姫様だけじゃが……。何か、知りませんかのお?」

「んー」

 光は仁兵衛を見上げてから、「父様が、絶対入っちゃ駄目って行っていた部屋ならあるよー。にーちゃなら、いずれ入ることもあろうとか」と、答えた。

「相棒がいずれ入ることになる、ねえ。多分当たりでしょうなあ、その部屋」

 皆がその答えの理由に悩む中、慶一郎は自信満々ににやりと笑って見せた。

「どういうことじゃ?」

 兵四郎は首を傾げた。「如何に仁兵衛が手練であれ、柴原か阿賀の血を引いていない限り、柴原神刀流の当主にはなれまい。それにな、柴原神刀流の当主であると云う事は東大公に即位していると云う事でもある。もし仮に、仁兵衛がこれから“奥之院”に入る資格を持てるとするならば、壱から流儀を作り、旗幟八流に昇格せぬ限り有り得ぬのだぞ? 流石の上様でもそこまで見通していたとは思えん」

 兵四郎の言に、当の仁兵衛と沙月は正にその通りとばかりに首を縦に振った。

 柴原神刀流は旗幟八流の中でもある意味で特殊な流派である。

 初代と二代目の東大公がその技を修め、方や冒険で、方や戦場でその武を存分に発揮した。

 雷文公は特に言い残さなかったのだが、東大公家の武を担った竜武公は自らの後継者の条件として、柴原の血、もしくは扶桑の国より渡ってきた二人の内親王のいずれかの血を引く事と、柴原神刀流の当主であることを定めた。

 その為、柴原神刀流は旗幟八流の一位の座を常に得る事となった。

「まあ、厳密に云えば、確かにそうなんですがねえ。ただ、柴原神刀流にだけは例外がありましてね。当主は東大公が兼任しますが、最高の使い手とは限らない訳で。そこで、東大公になる貴人が当主、最高の使い手が総師範代として当主の代わりを務めることが認められている訳でしてね。次代の東大公が誰になるかは分かりませんが、此の儘神刀流の兵法者であり続けるならば、総師範代になるのは間違いなく相棒でしょう?」

 慶一郎は口伝を披露し、「それに、一流を開いたとしても当世こいつ以上の使い手は居ませんし、御前試合でこいつに勝てる奴が何人居るやら。まあ、どう転んだにしろ、こいつがその内に旗幟八流の一角を占めるのは確実でしょうよ」と、断言した。

「確かに、お主の云う通りじゃろうな」

 兵四郎はあっさりと認める。「誰が東大公になろうとも、仁兵衛より優れた兵法者が柴原神刀流から出ないであろうし、新たな門派を開いたとしても東大公の猶子という引きを求めて人が集まり旗幟八流の一角を担う事になろうなあ」

「俺が己の腕を持って宮仕えするのは確定事項なのですか?」

 仁兵衛は困った顔で呟いた。

「まあ、一見すると柴原神刀流からは太刀筋は違う様に見えるがの。足捌きと、“気”の練り方が上様と瓜二つではのお」

 兵四郎は豪快に笑い飛ばす。「それで上様との縁故を隠しているつもりならば、修行が足らんわ、お若いの」

「……見る者が見たら直ぐに気が付く、と」

「お主が上様の高弟である証拠は、の。その上、あの【刃気一体】。誰しもが気が付いたはずじゃよ、お主が既に旗幟八流の当主に比肩する実力者じゃと。その結果がこれじゃよ。“義挙”の絵図面を書いていた者は慌てて計画を立て直し、儂らはそれを読めずに後手に回る。お陰で随分と混沌としてきおったわ。まあ、仮に今回の件を読んでいた者がいるとするならば……上様ぐらいであろうな」

 呵呵と笑いながら兵四郎は仁兵衛を見た。

「父上が?」

「お主らが予選に参加した事は計算して居らなかったじゃろうが、上様のこと。御前試合本戦にお主らをねじ込むぐらいの芸当はやってのけたであろうよ。……いや、そうなるとすれば、上様ですら、この展開は読み切れておらなかった可能性が高い、か?」

 突如厳しい表情になると、兵四郎は考え込んだ。

「先生?」

 急に黙って考え込み始めた兵四郎を慶一郎は恐る恐る呼びかけてみた。

「時間が、ないやもしれん。儂らが考えている以上に、敵が追い詰められておるやもしれぬ。はて、これは厄介やも知れぬぞ」

 急に落ち着き無く、顎髭を扱きながら辺りをうろうろし始め、ぶつくさとなにやら呟き始めた。完全に己の世界に入り込んでおり、慶一郎の呼びかけも耳に入っていない様子である。

「……やれやれ。どうやら先生がなにやら思い当たるところを見つけてしまった様だ」

 肩を竦めて慶一郎は苦笑した。

「どういうことだ?」

「先生の修めている鷹揚おうよう真貫しんぬき流はな、旗幟八流の中でも特殊でな。兵法ひょうほう兵法へいほうの両方を教えているのさ」

「ああ」

 それで納得がいったとばかりに、仁兵衛は頷く。「武芸のみならず、用兵にも一家言あるのはその為なのか」

 兵法ひょうほうもの兵法へいほう

 当てられた字は同じでも、意味合いはかなり違う。

 前者は武芸を修め、達人の域まで到達した所謂芸達者であり、後者は戦場での采配の術を学び実践する武将とされる。

 旗幟八流の多くが武芸を修めることに主眼を置く。己の武による戦働きを考える流派はあっても、集団を統率することに重きを置く事はない。これは、騎突星馳流ですら同じ話である。

 しかし、ただ一つ、鷹揚真貫流のみが違う。個人の武を連ねて、主家に仇為す敵を討つ。

 そして、それを最も体現していたと言われるのが、雷文公の時代の扶桑人、米山よねやま麟太郎りんたろう隆景たかかげである。本来ならば、幼少の頃の雷文公頼仁の御側役としてはべるはずだったものの、当時は扶桑の地が内乱であった為、雷文公の行方が分からなくなりその話は立ち消えとなった。

 致し方なく実家へと戻る事となったのだが、米山家の家運を懸けた話が流れたのは大きく、米山麟太郎の前途は暗いものであった。背に腹は代えられず、彼の父親は生きる糧を得る為に本家筋を頼る事となる。彼の本家筋は一国の太守であり、当時扶桑内乱の最前線とも言える場所にあった。

 そこで、彼が身を立てる術として選んだのが、当時ですら異端であった鷹揚真貫流である。戦乱の世に必要な武芸と用兵を身に付ける事で身を立てようと考えたのだ。

 後に、雷文公が立ち上がった時、真っ先に駆け付け、雷文公が扶桑を去った後も竜武公の元で戦場を駆け巡った。中原に移り住んでからは、常に最前線で指揮を執り続け、東大公家の武力を世に知らしめた最大の要因が彼にあるとまで言われる働きをした。

 個人の武勇に優れ、その用兵は神妙の域に達したとまで言わせしめ、戦場での生涯不敗を誇った。当人は故あって鷹揚真貫流の当主とならなかったが、今に至るまで扶桑人最高の用兵家として名を残している。

「何せ、先生は米山麟太郎の再来とまで云われている上、数少ない蒼の柄糸を許されている名将だからな。こういう事態になったからには、敵が一番怖れているのは先生だろうさ」

 我が事の様に、慶一郎はそう自慢した。

「四名家の一つ、米山家か。西中原に渡ってきた後、百万石を許された唯一の大大名。今も昔も、有事の際には一番最初に動員が掛かる武の柱。そしてこの瞬間も、中央山脈を越えた先の皇国中央部と南部域の狭間にあるリングラスハイムに駐留中。我らが頼りにして援軍を求めようにも、こちら側に当主不在では動けずじまい」

 冷静な口調で仁兵衛は呟く。「本当に我らに同心する味方が居なさすぎるな」

「四名家最後の一つ、阿賀は所領を持たない大身旗本が多い。その上、一門の主要な家は大抵自由都市の東大公家の代表として出向中。矢張りこちらも動きようがない」

「細々とした旗本諸家が勤王の意を持っていても、纏める将がいないから系統だった動きの仕様が無い。なんと云うべきか、考えれば考えるほど詰んでいるな」

 やっと事の重大さに思い当たり、仁兵衛は苦い顔付きとなった。

「それでも、俺達が来た為に流れは多少変わった。正しく本の多少かも知れないが……まあ、やれることからこつこつとやるしかあるまい」

 慰める様に慶一郎は笑いかけた。

「……そうも云っておれん。宮城の図面を持て!」

 思考の迷宮から解き放たれるや否や、兵四郎は配下の者に鋭い声で指示を飛ばした。

「先生、何か思い当たったので?」

 突如、精彩を取り戻した兵四郎に慶一郎はにやりと笑いかけた。

「フン。儂らの愚かさがな」

 答えにならない答えを返し、広げられた図面を指さし、「姫様、上様から入るなと云われた部屋はいずれでございますかな?」と、訊いた。

「うーんとね……。たしか、ここかなあ?」

 光が指さした場所を見て、

「鳳凰殿から近い、か。ならば、この手が使えるか」

 と、呟く。

「先生、一人で納得するのはよして下さいよ。判断のしようがないじゃないですか」

 戯けた口調の慶一郎を無視して、

「仁兵衛、慶一郎。お主ら、すぐに出られるか?」

 と、赫々とした強い眼差しで二人を見据えた。

何処いずこに?」

 瞬時に戦人いくさびとの鋭い目つきを浮かべ、仁兵衛は不敵に笑う。

「愚問ですな、先生」

 自然体のまま、慶一郎はにこりと笑う。

「ならば良し。概略を説明する。お主らの働き次第で東大公家の将来は決まる。存分に働けい」

 厳しい表情を崩さず、兵四郎は二人を屹度きっと見詰めるのだった。

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