間章 冒険者
虫の知らせか、クラウスが目を覚ましたとき、階下の酒場が少しばかり騒がしかった。
(やれやれ、やはり何かが起きましたか)
つまらなそうに欠伸をしてから、手早く身支度をして、押っ取り刀で酒場に駆け下りる。
その音に気が付いた連中がクラウスの姿を見て、
「クラウスの兄ィ、大変ですぜ!」
と、その中の一人が声を掛けてきた。
「でしょうねえ。一応聞いておきますと、何がありました?」
大体起こっているだろう事を想定しながらも、クラウスは声を掛けてきた男に返事を促す。
「宮城の方にそこそこの武装した連中が隊をなして向かっていやす。今、身軽なヤツが密やかに町中を探っているところでやんす」
男は手短にクラウスに現状を報告した。
この男は、偶にしかこの店に巡回してこないクラウスですら顔を覚えている熟練の冒険者であり、当然のようにクラウスの背景を知っていた。
寧ろ、この店にいる冒険者でクラウスの事情に疎い者はまずいないのだが。
「ご苦労様です。東大公家の急進派が動いたってところでしょうね。根回しを受けた者はこの中にいますか?」
その場にいる全員が顔を見合わせるが、誰も反応しなかった。
「そういうクラウス兄さんは?」
「僕ですか? 僕の情報網にはそれらしい話は入ってきましたけど、残念ながら誰も声を掛けてきてくれませんでしたよ。舐められたモノです」
底冷えするかのような笑みを浮かべ、クラウスはぽつりと呟く。
今一度説明すれば、この場にいる冒険者はかなり目端の利いた連中であり、クラウスの正体を知っていたり、薄々感づいたりしている者ばかりである。従って、今のクラウスの台詞の裏にあるモノを容易に想像できるという事であり、全員が全員ゾッとした。
何故ならば、急進派は南大公家にそれとなく話すら通していないのだ。
現在、中原が
その際、東大公家は婚約者側に義があるとして皇家に弓を引き、南大公家は「
それでも皇家の方が圧倒的に優位だったのだが、件の婚約者が怖ろしく優秀であり過ぎた為、皇家本流は断絶し、中原は乱世となった。
東大公家が陰に日向に援助したのが原因で乱世の幕開けになったというわけではない。それに、南大公家とて、表だっては援助しなかったにしろ、密やかに【冒険者互助組合】を通して助力していた。それでやっと何とか皇家と同じ舞台に立てるようになっただけであり、それを
むしろ問題であったのは、戦後、勝ち抜いた婚約者の本家本流たる西大公家が婚約者の皇位継承を認めなかったのと、本人が天下を
当然ながら、両大公家共に乱世の到来を望んでいたわけではなかった。しかし、結果的に乱世を導いた以上、東大公家と南大公家はその責を果たす義務があると認識していた。
そこで東大公家と南大公家はこれ以上の混乱が中原に舞い込まないように協力する事を決めた。少なくとも、人ならざるモノが何らかの介入しないよう、【冒険者互助組合】を通じて積極的に動く事を互いに約束した。
そのことを一般の冒険者達は知らない。
だが、東大公家と南大公家に認められた者たちはそれを知っている。
知っているが故に、この場にいる誰もが急進派に対して怒りを覚えていた。
彼らが今の中原に愛想を尽かし、自らが乗り出したこと自体は問題ない。それは東大公家の中の問題であるし、それも又平和への近道かも知れない。
ただし、自らが決めた責務を放棄してまで行う事ではない。行うにするにしろ、今まで協力してきた者たちに対して筋を通してから為すべきである。知らなかったでは済まされない。済ませてはならないのだ。
「ただでさえ、この世界を不安定にせんとする勢力が暗躍しているのに、それを無視してまで行う事ですか? なかなか笑わせてくれますね、連中は!」
静かに、静かに乾いた笑みを浮かべ、クラウスは、辺りを睥睨する。「あちらの肩を持つ者はいますか?」
誰もが黙ったままクラウスを見る。
「ならば、思い上がった愚者に鉄槌を下したい者は?」
その場にいる者全員が己の得物を手にして立ち上がる。
「いいでしょう。僕たちの進むべき道は決まりました。思い上がった阿呆どもに代価を支払っていただくと致しましょう」
全員が黙ったまま大きく足を踏み鳴らす。
丁度その時、
「上意である!」
と、声を荒げ、店内に入り込んできた者がいた。
一斉にその声の方に全ての視線が行く。
それに臆することなく、
「【冒険者互助組合】へ告ぐ。我ら東大公家は中原の今を憂い、武力介入を開始する事を決定した。以後、我らの指示があるまで軽挙
と、朗々とした声で指示を出す。
「使者の方よ。一つ確認したいのですが、よろしいでしょうか?」
クラウスは努めて
「何だ」
「いえね、それは一体どなたの
「東大公家の御定めになった事である」
男は再び東大公家の名を出して上意書をかざす。
「成程成程、よく分かりましたよ」
背筋が寒くなるような笑みを浮かべると、「東大公家の盟約違反により、我、クラウス・ヴァシュタールの名において、今より【冒険者互助組合】を南大公家の支配下に治める。異存のある者はありやなしや!」と、
その言葉を聞いた全ての冒険者は右足を踏み鳴らし、得物を
「き、貴様ら、何をしているのか分かっているのか!」
使者の男は声を荒げ抗議をしたが、その場にいる全ての者の殺気を篭めた視線に
むしろ、それだけですんだ事を誉めても良いだろう。
入店条件は厳しく
言葉も知らず巨人の里に迷い込んだ者が平和裏に戻ってこれるだろうか? 龍の巣穴に何も知らずに入った者が生きて帰れるだろうか? 言葉巧みに心の隙間に入り込んでくる悪魔の甘言に耐えきる事が出来るだろうか? 伝承すらあやふやな人類が初めて相対する幻の魔獣を初見で封殺出来るだろうか?
少なくとも、この場にいる者たちは、それが出来るのだ。
使者の男も芸達者にのみ与えられる小太刀の柄巻が黒である以上、達人と呼ばれても問題ない腕前であろう。しかしながら、天災にも例えられるような人外の存在を討った者たちが人の
敢えて答えるならば、否、であろう。
この人類の極北にいる冒険者達は、間違いなく既に人の形をとった人ではなくなった者ばかりである。
ならばその眼光はその気になれば人をも殺すであろうし、彼らの殺意を一身に受ければ息が詰まって
だからこそ、ここにいる冒険者達は隔離されているのだ。ただの人では解決できない依頼を、事件を、危機を、この酒場で待ち受けているのだ。
そして、それを知らずにこの酒場に入った者は不幸である。
何故ならば、ここに来るよりは邪悪な巨人の里なり、龍の巣穴なり、悪魔召還士の館なり、伝説の幻獣を相手する方が
「流石の僕でも、使者を血祭りに上げるような真似はしでかす気はありません。ただし、発言を撤回する気は更々ありませんので、お早めに貴方の主に伝えてあげなさい。【冒険者互助組合】が敵に回ったという事を、ね」
動く意志すら失った男に噛み砕くように説明した後、クラウスは使者を蹴り飛ばして表に追いやった。
それで我に返った使者は、情けない声を上げ、
「やれやれ。根性のない話ですね」
クラウスの冷笑に、周りは
それを聞くやいなや、全員が慌てて二階にとってある自分の部屋へと急ぐ。クラウスがこの種の宣言を冗談にする事はなかったし、実際、喧嘩を売った相手が攻め込んでくるのは分かりきった事だから急ぐに越した事はなかった。
全員が酒場からいなくなった後、
(僕の出来る援護はこの程度ですよ。後は何とかしてくださいよ、東大公殿)
そう心の中で独りごち、クラウスは悠々と自分の部屋へと戻っていった。
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