間章 扶桑人

 柴原家の再会の宴は光が船を漕ぎ出したことでお開きの流れとなった。

 宮の客間に仁兵衛と慶一郎を帯刀は招待しようとしたが、既に荷物持って動くには遅い時間だったので、明日から世話になると約束し、二階にとってある部屋へと戻っていった。帯刀は娘を背負って、鼻歌交じりのご機嫌な足取りで宮へと帰った。

 残されたクラウスは、再び表の酒場に戻る。

 いつもの席の隣に、先程の吟遊詩人が静かに酒を飲んでいた。

「おや、お疲れ様です。まだいたのですか?」

 些か驚いた口調で、クラウスは声を掛ける。

「何、些か興味深い場所なのでね、ここは」

 深みのある次低音バリトンヴォイスで吟遊詩人は朗々と答えた。

 クラウスが席に座ると、何も云わずに親爺マスターが緑茶を差し出す。

「どうも」

 にこりと笑いそれを受け取り、隣に向けて高く掲げた。

 吟遊詩人の方もそれに応じる。

「久しぶりだね。ところで長らくお会いしていないが、御父上は御壮健かね?」

「多分元気なんじゃないですかね? あの人が、無事じゃないのを想像すら出来ませんし」

 クラウスは肩を竦めながら苦笑する。「それにしても些か意外でしたね。アル小父さんならリングラスハイムの方を興味深く思っていると考えていましたが」

「確かにあっちも厄介なのだがね。厄介なだけで、私好みではないのだよ」

 アルはくぐもる笑いをしながら、肩を竦めて見せた。

「おやまあ。でも、小父さんがそう云うなら、あっちはさほど問題にはならないという事ですかね?」

「それでも、並みの使い手では解決出来ないだろうがねえ。いやはや、今度は如何なる英雄が生まれるのか、楽しみだな、それだけは」

 洋杯グラスを傾けながら、アルは遙か遠くに思いを馳せる。「それはそうと、君こそ何でここにいるのだね? てっきり、リングラスハイムの後始末をしているものかと思ったよ」

「とりあえずその為の人員をつのりにやって来たんですがね。まあ、そのついでに“向こう側”にある本部に顔出しを」

「ああ、オストシュタットの【組合】本部に顔を出したのか。何か、変わった話はあったかね?」

 いささか興味深そうな声色でアルは問い返す。

「特には何も。余裕がありそうだったので、これ幸いと予選を見に来たんですよ。そしたら、手伝って貰う予定の二人組みが決勝まで勝ち進みましてねえ。いやあ、計算外と云えば計算外でしたが、まるで何かに引き付けられたかのような話ですね」

「得てして、英雄なり勇者といった連中はその様な星回りの元に生きるものだよ。お陰で、私なんかは食いっぱぐれずにすむ」

「まあ、小父さんは吟遊詩人ですからねえ。僕みたいな使いっ走りとは違うでしょうよ」

「お前だって自分で動くことは無かろうに」

「どうにも人任せはイヤなんですよ。人に任せると、ろくな結果が出ないものでしてね」

 溜息混じりにクラウスはぼやいた。

「しっかりと後継者を作っておかなかったからだ。その点、君の御爺様や御父上、それに東大公殿は偉大と云えような」

 アルは豪快に笑い飛ばす。

「比較対象が大物過ぎますよ」

 むっつりとした表情でクラウスは答えた。

「いい加減、君もその大物の一人だということを自覚したまえ。私の仕事を全て奪い取るぐらいの気概が欲しいモノだ」

「……え? 何で小父さんの仕事までやらんとならないのですか。家族の分で手一杯なのに」

 心底嫌そうな顔付きで、クラウスはアルを見た。

「私とて、君の親戚のようなモノなのだから、その家族の分類にならないのかね?」

 クラウスの答えを聞いて、アルは心外だなとばかりに聞き返した。

「小父さんを家族と認めるぐらいなら、東大公家が南大公家うちの兄弟だと云う方がまだ分かりますよ」

 真顔でクラウスはそう答えた後、お茶を口にした。

「やれやれ、冷たいことだ。まあ、確かにウルシム・ヴァシュタールと初代東大公柴原頼仁は無二の親友であり、義兄弟とでも云うべき間柄であった。ウルシム直系の君が東大公家の者を兄弟家族というのは分からないでもないが、その東大公家自体が頼仁の直系でないのは皮肉としか云い様がないな」

「今の柴原家も二代目東大公阿賀あが鳴雲なるうんの直系ですからねえ、実質上」

 クラウスは苦笑した。

「うむ。頼仁の直系は御近所のフォン・ウェゲナーの家系になるからな。まあ、娘が柴原を継いだ鳴雲の息子に嫁入りしているから血のつながりが全くないわけではないのだがね」

 ふと、考える表情を見せてから、「あれだけ女遊びが激しかった男が子を余りなしていないというのもある意味で不思議な話だがな」と、アルは首を傾げた。

「まだ、扶桑にいた頃からそんな感じだったという話ですからねえ。を横断していたときも持てたでしょうから、本来なら今や血を引く者だけで一国が出来る程度いないとおかしいんですけどねえ」

 うーんと唸りながら、クラウスは答える。

「遙か東の島国から東の中原を抜け、大内海を渡り、この地までやって来たわけだからな。御落胤を名乗る者がちっともいないとなると不思議な話よな。いやはや、ここまで来ると何らかの要因が頼仁自身にあったと思う方が自然やもしれぬな」

 真面目な表情でアルは相槌を打った。

「吟遊詩人としては、興味尽きない対象ですか?」

 にやつきながら、クラウスはアルに尋ねる。

「それはもう、そうに決まっているだろう。何せ、ウルシム・ヴァシュタールと柴原頼仁はその一生を謡えれば食いっぱぐれはないと云われているぐらいだぞ。実際、何もないときに一番頼まれるのは二人の英雄譚が断トツだ」

「実際、聞いていて破天荒で面白いですからねえ、あの二人の英雄譚は」

 同感とばかりにクラウスは頷いて見せた。

 事実、【組合】の店であれ、酒場であれ、吟遊詩人がとりあえず様子を見る為に何かを謡うとすれば、ウルシムか頼仁の有名処の冒険譚を選べば外れはしない。二人の内いずれかの一生を謡うことが出来れば一生食うに困らないし、知られていない物語を見つけ出したら巨万の富を得るとも言われている。

「まあ、それにしても、ここまで繁栄することを予測して【雷文公式目】を考えたのだとしたら、柴原頼仁という男、恐るべき英傑ではあるな」

「そりゃ考えていたんじゃないんですか? 国を出奔した後、身一つでこの地まで流れてきただけでも十分なのに、百万あまりの民が長い月日を掛けて蘇の国を横断し、アルスラント東部域まで流れ着けるように根回ししていたんですから、余程大したモノですよ」

「扶桑の主上みかどの異母兄を父とし、史上最強と呼ばれた剣鬼の娘が母親。早くに両親を亡くし、剣鬼である祖父に育てられ、長じては父の仇敵かたきでもある魔王を宿した親王から国を護る。その魔王の調略で朝廷を放逐されそうになる前に先手を打って出奔。その際、最後まで魔王に立ち向かい、降伏すら許されなくなるであろう自らの支援者の一族郎党達を国外に逃がす為の下準備を整えてから国を脱した。一説によれば、扶桑の国でくらい人臣じんしんを極めていた時、決して後ろ暗い方法を用いずにこの世の誰よりも財をなし、その全てを扶桑の民がこの地に辿たどり着く為の軍資金となったと云う」

「その為に、文無しになった後、蘇の西の端の街で行き倒れていたところを、政変で追われた皇太子パルジヴァルを連れて逃げていたウルシム様と出会い、意気投合し、西中原アルスラントの地に足を踏み入れた。冒険者として東部域に埋もれる神代の時代の遺跡や迷宮を巡っている間に、気が付いたら再び巨万の富を得ていた。なんと云うか、ここまで来ると、出来過ぎを通り越して、逆に怖いぐらいですよね」

 しみじみとクラウスは感心した。

「そう思える連中が多ければ問題ないのだがな。何せ、冒険者にとってはウルシムよりも人気のある成功者だ。夢見たくなる気持ちは分かるが、真似できるものではないのだから、そこら辺はわきまえて欲しいものだが」

 苦笑しながらアルは、「絶滅されたら、私の食い扶持が無くなるからな」と、冗談めかす。

「夢見るだけなら良いんですけどねえ。才能ある連中ほどのめり込むからたちが悪い。無駄遣い出来るほど人手が足りているわけでもないんですがね」

「それこそ扶桑人がこの地に移り住んでくれなかったらぞっとするほどに、な」

 アルは低く笑いながら、「それにしても、扶桑人はよくよく魔王と縁がある」と、呟いた。

「そうですか?」

 アルの呟きを不思議そうにクラウスは問い返した。

「ああ。故郷を魔王に追われ、辿り着いたこの地でも魔王絡みの事件に出くわす。そうそうあり得ないことだと思うがね。魔王にたたられているかのようだよ」

 そんな馬鹿なことはないだろうがな、と付け加えながらアルは呵々かか大笑する。

「小父さんが云うと洒落にならないなあ」

 クラウスは思わず苦笑する。「まあ、ここ最近魔王絡みの事件が多いのは認めますがね。それに、どちらかと云えば、扶桑人の方から魔王に関わっているんだと思いますよ。初代と二代目の東大公が決めた方針が、結果として魔王と相対することになるものじゃないですか」

 クラウスの言に、「ふむ」と、生返事をし、アルは少し考え込む。

 この地に移り住んでからの扶桑人の生き方は、初代と二代目の二人が決めた指針が大きく影響している。初代の定めた【雷文公式目】に二代目が規定した諸侯同士の争いには自ら介入しないという暗黙の了解である。

 【雷文公式目】の狙いは西中原人に扶桑人を受け入れて貰う為に、自分たちの文化より生まれ出でしならわし事を意図的に際立たせることで、扶桑人自身の意識をもそうあるべしと強く思い込ませる為の道具とすることであった。実際、何の後ろ盾もない扶桑人の集団が大多数の西中原人に迫害なり差別なりされなかったのは、己を弁え、郷に入りては郷に従う扶桑人気質と【雷文公式目】でより強調された律儀さが受け入れられたからである。

「愚直なまでの律儀さも、千年近く続けば信用という名の武器となる、か。そこまで計算していたのならば、矢張り大したものだな」

 深々とアルは頷いた。

「故に、魔王絡みの事件と出くわした時、他の陣営に邪魔されることなくこれに当たることが出来る。二人の魔王への強い恨みや憎しみを覚えますね」

 クラウスの言に、

「あの二人は然う云う感情とは無関係とまでは云わないが、超越しているところがあった気がするがな。結果として、そう見られるのも致し方あるまいが」

 と、アルは寂しげに首を横に振った。

「そうなのですか? 【組合】に関わっている扶桑人を見ていると、魔王に対する拭えないぐらいの強い何かを感じますけどねえ」

「まあ、昔話を通して強いいきどおりや敵愾心てきがいしんを抱かせ続けているのは否めないな。それこそ麻のように乱れた中原の情勢などほっぽって、魔王絡みの事件や事象の解決を優先させるぐらいには」

 得心行かないクラウスに、アルは肌で感じていることを思ったままに話す。「そこに、初代と二代目の政治的な意向がないとは云い切れんがな」

「成程。そう考えると、今の中原の基礎と云うべき制度を発布したウルシム様と並ぶかそれ以上の政治家という史書の評価は正当なのでしょうけど……」

「他の面が目立ちすぎて、世間一般にはそう思われていない悲劇の英雄だな。どちらにしろ、誰にも真似が出来ない事をしでかした不世出の英雄だよ。小太刀の柄糸の件を取ってもそうであろう?」

「ああ、確かに。扶桑人を見て武人かどうか、腕が立つかどうか、どう見られているかどうかを知っていれば見極められるのは便利ですよね、役目柄」

 アルの言に強く頷きながら、クラウスは、「偶に仁兵衛君みたいに敢えて付けていない人もいますけどねえ」と笑った。

 初代東大公頼仁はその盟友原宗一郎と共に稀代の婆娑羅者として名が知れた粋と風流を愛する男だった。流石に、伝統を重んじる朝廷に出仕する時はそれを司る一門の一人として我を強く押し出す真似はしなかったが、それ以外の場では洒落っ気を忘れなかった。

 そんな彼でも、唯一どこでも意地を通したのが、父の形見であり、扶桑の国の伝来の神器でもある【ぬえ斬り】と呼ばれる小太刀の柄巻と鞘である。

 当時、主上の護衛として佩剣はいけんしたまま昇殿を許されていたが、流石に太刀を持ち込むのは自重し、【鵺斬り】を帯びていた。正装である衣冠束帯は位によって色から何から厳しく定められていた為、頼仁をしても遊ぶことは出来なかった。その分、【鵺斬り】の鞘を朱塗りにし、柄糸を色取り取りにして遊び心を貫いたのである。

 それを見た彼の配下や、武官達が競って小太刀の柄巻や鞘にぜいを凝らし始めたので、頼仁としても流石に何らかの行過ぎを感じたのか、功績を立てた者にのみ小太刀の装飾を許すこととした。以降、彼の配下で何かしらの功があった者に対し、恩賞と共に小太刀用の柄糸や、朱塗りの鞘の使用の許可を与えるようになった。配下の者はそれを喜んで使い、常日頃から持ち歩けない感状の代わりに、着飾った小太刀を見せびらかしたのである。

 そして、西中原に移り住んでからは、柄糸の色により如何なる力を持っているのか、どんな功績を重ねてきたのかを一目で分かるように制度を変え、それを励みに武官は働くようになった。

「あれは上手いやり方であったものだよ。自分の真似をしたがる連中に、功を立てればそれを許したのだから、誰も彼もが目の色を変えて働き始める。何せ、立てた功績が形として見えてくるのだからね」

「小太刀自身も武官、武人として一人前にならなければ帯びることを許されない。文官にも似た制度がある。徹底した実力主義社会ですからねえ。まあ、ある程度家柄の補正はありますが、どんな生まれの者であろうとやろうと思えば冒険者になって【組合】に貢献して東大公家の民となり、そのまま東大公家内で位人臣を極めることも出来なくはないわけですからね。とは云え、人間の寿命では難しいでしょうが」

「長命の人類種ヒューマノイドなら挑めそうだが、そんな物好きはおるまいな」

 楽しそうに笑い飛ばし、「私とて流石にやる気にはならないしな。例え、英雄を間近に見続けることが出来る環境だと分かっていてもな」と、肩を竦めた。

「文官なら兎も角、武官の方は扶桑人と中原人の体内の気の蓄えに雲泥の差がありますから、二代三代と扶桑人の血を混ぜていかないとどうにもならない事実がありますからねえ」

「扱いにもな。結局、扶桑人が伝来の兵法を惜しげもなく伝えた処で、中原人が扶桑人ほど扱いきれなかったという事も扶桑人の存在価値を高めた訳だ。逆を云えば、初代と二代目の方針がなければ、彼らの危惧通り排斥され、滅ぼされていた可能性が高かろうな。律儀者で、自分たちの争いには介入せず、世界を守り抜くことしか興味を有さない自分たちの盾となってくれる信用出来る隣人を滅ぼす馬鹿は余程でもない限りあらわれまい」

「千年近く経った今を見て見れば、実に達見だったことがよく分かりますね。本当に、僕は助かります」

「これからも斯くあって欲しいモノだが……さて、どうなるモノかな」

 真面目な顔で考え込むアルの洋杯に、親爺は黙って酒を注ぐ。

「僕はそれなりに肩入れする予定ですがね。小父さんはどうしますか?」

「私か? 私は、間近で英雄譚が見られればそれで良い。国家の行く末など興味はないよ。世界と人類種が滅びなければそれで良い」

 確固とした信念をその瞳に宿し、つまらなそうにうそぶいた。

「ははあん。だからこそ、今、ここにいる訳ですか。成程、成程。納得いきましたよ」

 したり顔のクラウスを後目しりめに、アルは洋杯を静かにした。

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