第一章 祝宴

 仁兵衛と慶一郎の二人が連れ立って酒場に入ると、

「我らが英雄達のお帰りだ!」

 と言う掛け声と共に、酒場にいる全員が立ち上がり、「乾杯!」の大合唱が起こった。

 場の雰囲気を察したのか、しっとりとした悲恋物の曲を歌っていた吟遊詩人バードが突如勇壮なる英雄譚を奏で始める。

「乗りの良いことだ」

 苦笑混じりに呟く仁兵衛とは対照的に、

「何、お祭り騒ぎに餓えていただけだろう?」

 と、慶一郎は近くにあった杯に酒を注ぎ、「乾杯!」と、唱和した。

 首を左右に振りながら、仁兵衛はいつもの席に座り、

「親爺、いつものを頼む」

 と、何ら普段と変わらぬ姿勢で周りとは一線を画す態度を取った。

「やあ、おめでとう」

「ありがとう」

 声のした方を仁兵衛が見ると、いつもの様に本を読みながらチョコレートムースと抹茶を手元に置いたクラウスが視線すら向けずに話しかけてきていた。

「なかなか見応えのある面白い勝負でした」

「おや、貴殿が見に来ていたのか?」

「ええ。君と慶一郎の試合と聞いて興味を持ちましてね。あれだけのモノは、僕が覚えている限りでもそうはありません」

 本を読み続けながらも、淀みなくクラウスは返事を返す。「こんな事になるのでしたら、こちらの用事を先に片付けて貰えば良かったかもしれませんね」

「何かあったので?」

 妙に含みのある台詞を聞き、仁兵衛は真面目な顔で尋ね返した。

「何もなければ嬉しいんですけどねえ」

 苦笑しながらも、チョコレートムースを口に運び、多少顔を綻ばせる。「【組合ギルド】の方の仕事でしてね。僕一人でも解決できますが、東大公家が納得する立会人が欲しかっただけですよ」

「南大公家の代表もなかなか大変なことですな」

 声を潜め、仁兵衛は答えた。

「全くです。本戦にまで出るとなりますと、これまでの様な仕事はもうやる暇はないでしょうからね。東大公家のウケが良い人物は少ない上、こちらの事情を知った者は少ない方が良いワケですから、君という逸材は僕にとってありがたかったのですけどねえ」

 クラウスはふっと笑い、「ま、そううまい話はないと言う事ですね」と、自嘲の笑みを浮かべた。

 仁兵衛とクラウスは互いの事情を知ったのはそう古いことでも最近の話でもない。【組合】の仕事でそういう流れになったと言うだけの話である。

 仁兵衛が父と慕った人物と別れ、諸国回遊の武者修行をするに当たって【冒険者互助組合アドヴェンチャラーズギルド】に籍を置いたのは生活の糧を得るのにその方が都合が良いこともあったが、冒険者登録すれば東大公家の民として中原全域で扱われるという身分保障の意味が大きかった。

 【冒険者組合】の運営は、東大公家の大きな仕事の一つであった。初代東大公が設立者の一人であり、やはり設立者の一人である当時のアルスラント皇国宰相ウルシム・ヴァシュタールから運営を委託されたのを代々続けてきており、皇国が崩壊し、中原諸侯による戦国乱世となった今でも、忠実にその職務を果たし続けている。それ故に、東大公家は【冒険者組合】に登録された冒険者達に対する責務を負っており、その対応を自国の民と同じように扱っていた。

 即ち、中原に住まう扶桑人を律する“御法度ごはっと”と呼ばれる法、【雷文公式目しきもく】に則った行動を取る義務が生じると言う事である。

 【雷文公式目】。初代東大公である頼仁が扶桑人が中原に住まう人々から受け入れられる様に定めた法であり、中原でよく知られた掟である。犯罪を犯した扶桑人は如何なる場所に逃げようとも東大公家の手の者が処断する。何ら落ち度もなく扶桑人が殺された場合、その仇を必ずや取る。いかなる誓いであれ、約定は必ず果たす。大まかにこの三つに分類される行動理念を法の形にしたものであり、これを金科玉条として移住以来かたくなに守り続けていることが、中原での扶桑人の評判を一度たりとも落とさなかった要因とも言えた。

 【冒険者組合】が出来るまでの冒険者は山師、詐欺師と言った良い評判とは無縁の存在であったが、【組合】が生まれ、それが東大公家の管理下に置かれてからは便利屋としての信頼が生まれ、歴とした職業として認識されるに至った。今ではその歴史を詳しく知る者は少ないが、東大公家の臣民として扱われることのありがたみを知らぬ者は冒険者として長生きできない。生き残る熟練の冒険者の大半は恩義であれ、愛着であれ、打算であれ、東大公家に対して首を垂れぬ者はない。

 だが、ごく稀に東大公家に対して敬意は払えど、決して首を垂れぬ者もいた。当然、何も理解していない分を弁えぬ者もいるが、【組合】に所属しながら、東大公家に属さない者もごく少数だが最初から存在していた。即ち、設立者の一人、ウルシム・ヴァシュタールの息子であるイアカーン・ヴァシュタールの代行者エージェント達である。

 南大公であるアヴァール家に婿として入ったイアカーンは【南の魔王】として知られる中原で最も有名な存在と言える。魔王であった母親が神として天界に帰った夫に付いて行く為に、その地位にかかずらう事を全て息子に丸投げした。以来彼は、中原南部域アヴァールの地より中原の行く末をじっと見つめてきた。特に、世界の安寧のために作られた【冒険者組合】には密かに肩入れしており、その中立性が失われそうにならない様、自分の息の掛かった代行者を人知れず密やかに潜入させていた。

 仁兵衛が知る限り、クラウスはその一人である。ひょんな事から彼の仕事を手伝うことになり、仁兵衛の育ての父の正体をあっさりとクラウスが見破ったのだ。その事を知る者が一介の冒険者であるわけ無く、クラウスの正体も又仁兵衛に知られることとなった。

「別に本戦に勝ち残ったからと言って、俺の流派が【旗幟八流】に昇格するわけでも、仕官が叶うわけでもありますまい。それに、俺は宮仕えする気など更々ありませぬな」

「そういうワケにいかないのが血縁や家族というしがらみですよ。僕を見れば分かる話でしょう?」

「……確かに、説得力はありますな」

 南大公イアカーン・ヴァシュタールの直系の子孫は多い。生まれてから既に千年近く経とうとしているが、未だに彼の子供は増え続けている。その大半が、南大公家に関わる仕事に就いている。クラウスも又、南大公家の代表として【冒険者組合】の運営及び監視に付いている。

「僕に云わせれば、君も既に似た様なものだと思いますがね」

「そうですかね?」

「そうでしょう。……何せ君の養父ちち親は今や東大公でしょう?」

 後半部分を宴会で騒いでいる連中には決して聞こえない音量まで下げて呟いた。

「それこそ俺に云わせれば、自覚がないというか、実感が湧きませんな。あの人こそ、正に自由気ままな人でしたから」

「君の養父親の一族はみんなそんなものですよ。僕の知る限り、初代からしてそうでしたからね。もう一方の竜武りゅうぶ公の方の血筋はガチガチの生真面目な連中ばかりなんですけどねえ」

「偶に思うのだが、クラウスさんは一体いつの生まれなので?」

 あたかも見てきたかの様に東大公家の一門を語るクラウスに仁兵衛は素朴な疑問を抱いた。

「云ったところで信じては貰えませんよ。まあ、このなりよりは圧倒的に年上とだけ云っておきましょうか」

 にやりと笑いながら、クラウスは自分を指さす。

 仁兵衛の見立てたところ、肉体年齢は二十代半ばの人間であろうと思われた。人間以外の血は混じってそうにもないが、魔王イアカーンの直系だけはあり、人ならざる気を発している為、流石に断言は出来なかった。

「まあ、少なくともその顔で甘党とは信じられないところですがね」

「云ってくれますねえ」

 ふっと口の端を緩める笑みを浮かべながら、抹茶を口にする。

 クラウスは文句なしで美形である。ただしその前に、“悪役”の二文字が付く。

「おかげさまをもちまして、軽口も随分と達者になりましたから」

「その様ですね。出会った当初を考えますと、良い傾向だと僕は思いますね」

「クラウスもそう思うかい? 俺もそう思うぜ」

 ジョッキを片手に、ご機嫌な表情で慶一郎が二人の側に腰掛けた。

「慶一郎もなかなかのものでしたよ。原の歴代の中でも五本の指に入る手練てだれと云えると思いますね」

「あんたに誉められるとなんだかむずむずするねえ。むしろ、何代前から知っているのか聞きたいぐらいだ」

「初代からと云っても、信じないでしょう?」

「魔王イアカーンですら、初代の戦いぶりを知らないはずなんだがね」

「おや? そこら辺の口伝は伝わっているのですか」

 クラウスは驚きの表情で慶一郎に尋ねる。「そのことを知っている人間がいるとは驚きですね。歴史家ですら既に知っている者が少ないというのにねえ」

「うちは割りと忠実まめな一族でね。初代原宗一郎が戦場に出ていたのは竜武公鳴雲なるうんが皇統戦役中に雷文公頼仁の名代として出陣していた僅かな時期のみ。魔王イアカーンが戦場に出る頃にはオストシュタットで半隠居状態だったはずさね」

「そこまで伝えているとはなかなかどうして素晴らしい話じゃないですか。僕が猊下げいかから聞き及んだ話ですけどね、たった一回だけあったそうですよ。東大公家最強と謳われた騎突星馳流だけで編成された騎馬軍団による突撃を目の当たりにしたことが、ね」

「魔王その人から聞いたんなら、嘘じゃねえんだろうなあ。あの方に関する噂が本当ならば、だが」

 慶一郎は神妙そうに頷いてみせる。

「魔王は決して嘘は付かず、ですか? それ自体は間違いじゃありませんよ。ただし、真実を口にしているかまでは、僕如きでは計り知れないんですけどね」

「だが、そうなると誰がうちの先祖を動かしたか、だな。言い伝えによると、俺よりもなお婆娑羅だったそうじゃないか。唯一、友と認めた雷文公の為にのみ働き、雷文公が姿を隠してからは決して戦場には立たなかったと云うぜ? そいつが不思議だな」

「確かに、宗一郎は雷文公の莫逆ばくぎゃくの友で、雷文公のためにしか働かなかったといいますよね。ですが、竜武公の元で槍働きをしていた時期があったこともまた事実です。僕は多分そこら辺が怪しいと踏んでいるんですけどね」

「何だ、何処で見たかまでは聞いていないのか」

 拍子抜けした表情で慶一郎は溜息を付く。「うちの口伝に新しい文言が増えると期待したんだがなあ」

「君たちのことを報告するついでに世間話の一環として聞かせて頂いたことでしてね。詳しい話を聞いたワケじゃないんですよ。残念ながら」

 クラウスは苦笑しながら肩を竦めて見せた。

「ふむ、そう云う事なら仕方ないか。先祖の働きを知る方の話を聞く良い機会だと思っていたのだがな。残念至極」

 仁兵衛の方を向き、「悪いな、置いてけぼりの話をして。今日の主役を無視して悪かった」と、肩を叩きながら豪快に笑った。

「なかなか興味深い話だった。他流派の話は余り聞けるモノではないからな。クラウスが詳しいのは多少意外だったがね」

「これでも東大公家の動向には詳しい方なんですがね。職務柄」

 憮然とした表情でクラウスは呟いた。

「偶に見当違いのことを言い出すよな、お前」

 笑い声を口の中にこもらせながら、慶一郎はツボに入ったのか仁兵衛の肩を乱暴にどやす。

「見当違い?」

「クラウスは俺達の云うところ目付だぞ? こっちのことを知らないわけがないだろうが」

 軽く頭をめる様な仕草をしながら、仁兵衛にだけ聞こえる声で慶一郎はささやく。「用心しろたあ云わねえが、相手の立ち位置だけは忘れずにいろよ」

 一瞬仁兵衛はハッとした表情を浮かべ、直ぐに消し去り、慶一郎の腕を軽く叩いた。

 それで興味をなくしたのか、クラウスは再び本へと目を向けようとしたが、何かを感じ取ったのか、直ぐに入り口へと目を向けた。

 釣られて二人も入り口に目を向けようとした瞬間、

「にーちゃあああああああ」

 絶叫と共に仁兵衛に突進してくる物体が一つ。

 直ぐにその正体を察知すると、仁兵衛は落ち着いて両手で受け止めた。

「光。はしたない」

 仁兵衛は深々と溜息を付いた。

「だって、にーちゃ。久しぶりなんだよ?」

「云わんとすることは分かるが、年相応の羞じらいを求めたいな」

 見るからに上質な着物を身につけている娘の頭をぽんぽんと撫でる様に叩きながら、仁兵衛は首を傾げる。「ところで、何でお前がここにいるんだ? 自由気ままに歩けるわけでもあるまい?」

「俺が連れてきたからに決まっているだろう、仁兵衛」

 野太い声が後ろから聞こえてきて、吃驚びっくりした顔付きのままそちらを見た。

「……父上?」

「応、元気そうで何より」

 まるで最初からそこに座っていたとばかりに、一人の偉丈夫がさかずき片手にクラウスの横に座っていた。

「直接会うのは久しぶりですか?」

 本を閉じ、顔を上げるとクラウスは男に一礼する。

「応、久しいな……。今は何と名乗っているんだ?」

「クラウスですよ。たりでしょう」

 そう云って笑うクラウスを見て、

「何だ、魔王猊下の兄上の名前かい。そりゃ在り来たりだな、南大公家としちゃあ」

 と、豪快に笑った。

 クラウスもそれを見て、手にしたグラスを軽く高く掲げてみせる。

(……相変わらず、親父様は底知れない……)

 仁兵衛は名前を聞いただけで瞬時にその由来を言ってのけた養父に畏怖の念を抱いた。

 所謂いわゆる伝説の時代と言われている宰相ウルシムの時代の知識を有する者は、その時代を専門的に学んでいる者か、知識神ウルシムを信仰する聖職者ぐらいの者である。そうでない者がそういった知識を持っているのは余程教養があるか、何らかの伝承を口伝しているそれこそ特殊な一族の生まれと言った背景がなければまず知り得ない情報だ。

 その点、仁兵衛の養父はそういった情報を代々伝えてきている一門ではある。だが、成り立ての当主が伝授されたばかりであろう情報を細々と何でもかんでも覚えている方が逆におかしな話である。ならば、最初から知っていた知識と見なした方が自然と言えた。

 実際、この種の知識をまだ父親が無官であった頃から色々と教えられてきた仁兵衛としては、知っていて当然だと思うのと同時に、一体どこで学んだのかという疑問も生じてくる。

 そのことを思いつかない妹は兎も角、察しの良い心友が気が付かないはずがない。

 そう思い、心友の表情を盗み見た仁兵衛は、自分の考えに間違いがなかったことを直ぐに悟った。

「殿下、と呼びかけるべきですかね?」

「好きにしろ。──とは云え、こんな誰が効いているか分からないところでそんな畏まった呼ばれ方はされたくねえなあ。帯刀たてわきさんでも、柴原しばはらさんでも好きに呼べや」

「どう聞いてもバレバレですな、それ」

 にやりと笑い、「じゃあ、仁兵衛の親父さんらしいんで、おやっさんで」

「ま、そんなところか。それじゃあ、こんなところで世間話をするのも何だから奥行こうぜ、奥。……流石に、これ以上表にいたらまずい」

 光を隠すように抱えながら、帯刀は吟遊詩人に一礼してから、「クラウスも来いよ。久々に積もる話をしたいしな」と、呼びかけた。

「家族の再会を邪魔するのもアレですが……まあ、良いでしょう。僕もあなたに聞きたいことがありますからね」

 何事にも興味がなさそうだったクラウスも又、吟遊詩人に深々と礼をしてから帯刀に続き、店の奥にある個室へと向かう。

「あの吟遊詩人、二人に頭を下げさせる大物なのかねえ?」

 慶一郎は首を傾げる。「確かに、腕はとびきり良いけどよ」

「二人とも抜きん出た芸には一目を置く方だからな。確かに素晴らしい演奏と歌唱だと俺は思ったが?」

「違いない」

 宴の主役だった二人は、吟遊詩人の元に行くと、大判を数枚置いてその芸をねぎらった。

 そのまま酒場の親爺の元に行き、

「今日は俺達の奢りだ。好きなだけ呑んで食って楽しんでくれ!」

 と、慶一郎が宣言する中、仁兵衛は優勝賞金をそのまま惜しげもなく全て置いた。

 一気にき返る店内を見渡してから、仁兵衛はらしくもなく右手の拳を握って高々とかかげる。

「仁兵衛! 仁兵衛!」

 割れんばかりの冒険者達の賞賛の唱和を背に受けて、仁兵衛は個室へと向かった。


「相変わらず、君は人望あるね」

 最奥の貴賓専用の個室に入るや否や、クラウスが笑いながら話しかけてきた。

「乗りの良い連中が多いんですよ」

「ま、俺が勝っても似た様なことをして、似た様な展開になったとは思うが、あそこまで派手には行かなかったと思うがねえ」

 謙遜する仁兵衛をニヤニヤ笑いながら慶一郎は揶揄する。

「お前の場合は、いつもやっているから飽きているんだろう、みんな」

 肩を竦めて、仁兵衛は杯に口を付ける。

「にーちゃが凄いって事だよね!」

 自信満々の光の言に口に含んだ酒を吹き溢しそうになりながら、

「どうやったらそういう結論になるんだい、光?」

 と、憮然とした表情で仁兵衛はぼやいた。

おおむねあっている気もするがねえ」

 かんらからと豪傑笑いをしながら、慶一郎は杯に酒を足した。

「おや、手酌をさせてしまったようですね」

 それにめざとく気が付いたクラウスが謝罪を口にし、徳利を手にした。

「あんたら二人に酌をさせるぐらいなら手酌の方が気楽で良いってもんですよ。東大公と南大公の代理に酌をさせるなんておっかなくておっかなくて」

 おどけた口調で慶一郎はにやりと笑った。

「君がそれを気にするとは思いませんでしたよ」

「全くだ。原の一門とは思えない弱腰だな」

 中原を代表する東と南の権力者二人は腹を抱えて笑った。

「弱腰結構。あんたら二人に酌をされて、無理難題を押しつけられるぐらいなら、その悪評は甘んじて受けますよ」

 仁兵衛からしたら意外なことに、二人からのからかいに対して一片たりとも巫山戯ふざけたところのない真顔で慶一郎は答えた。

「見るところは見ていると云ったところですかね」

 笑みを引っ込め、静かな表情で呟くクラウスに対し、

「どうだ? うちの人間の危険感知は並みじゃねえだろう?」

 と、自慢げな表情で帯刀は口の端を緩めた。

「貴方並みなのは認めざるを得ないのは確かですね」

「父上はクラウスとは古いんですか?」

 少しばかり考え込んでから、

「あー? ここいらだと俺の知り合いの中じゃ、一番古いヤツだなあ、今や」

 と、難しい表情を浮かべながら帯刀は答えた。

「そっくりそのままお返ししますよ。僕の知り合いの中で一番古い方ですよ」

 珍しく屈託のない笑顔を浮かべ、クラウスは親しげに答えてみせる。

「そんなとこだ。分かったか、倅?」

「少なくとも、俺を拾う前とだけは」

 真面目な顔付きで、仁兵衛は頷いた。

「私も知らないよー」

「僕は知っていますがね」

 クラウスは光の頭を撫でながら答える。「まあ、まだ君がお父さんの手の中に収まるぐらいの大きさの頃の話ですけど」

「それを覚えていたら凄いを通り越して、怖いな」

 真顔でぽつりと慶一郎は呟いた。

「同感だな」

 空いている杯に酒を注いでやりながら、仁兵衛は笑った。

「さて、雑談はこのくらいにしようか。本題は何だ、クラウス?」

 浮かべていた笑みを引っ込め、帯刀は猛禽類ですらたじろぎかねない眼光をクラウスに浴びせる。

「ああ、そんな深刻な話じゃないのですが」

 いつも浮かべている柔和な頬笑みを崩さずに、「そろそろいい加減、“一統いっとう派”の首根っこ抑えて頂けないモノですかね」と、どう聞いても深刻そのモノな話を軽い調子で投げかけてきた。

「……そいつは耳が痛いな」

 渋面を浮かべて、帯刀は酒を呷る。「内政干渉と文句を云う気はねえが、なんで唐突に切り出してきたのかだけは聞きたいところだな」

「唐突というわけでもありませんよ。迷宮都市リングラスハイムでの一件をお忘れかとこちらとしては問いただしたい」

 燃えさかる火山ですら凍り付きそうなえとした口調でクラウスは詰問してきた。

「また頭の痛い話を……。アレは確かに俺達東大公家の宿痾しゅくあとも云える政治思想のぶつかり合いの結果でもあるが、“六大魔王”の一柱ひとはしらが後ろで糸を引いていただろうが。こっちこそ、そこら辺の抑えはちゃんとしているの聞きたいところだがね?」

 口調は穏やかなれど、帯刀の目は少したりとも笑っていなかった。

「神話の時代より昔から存在している連中を猊下と同列にして抑えろとは酷い暴言ですね。あんなの抑えられるなら、知識神が嫁さんの尻に敷かれている現状はないでしょうが」

 首を左右に振りながら、クラウスは溜息を一つ付いた。

「まあなあ」

 クラウスの反撃を受け、あっさりと帯刀はそれを認めた。

「どういう話だ?」

 隣に座る仁兵衛に不思議そうな表情で慶一郎は尋ねる。

「知識神ウルシムの配偶神は“六大魔王”第二位の“女帝”ザーハムラームというお話だ。細かい話を抜きにして結論だけ云えば、神々ですら“六大魔王”を止められないって事だよ」

「にーちゃは物知りだね!」

 憧憬の眼差しで光は仁兵衛を見つめ、人なつっこい笑みを浮かべる。

「光。この話は、父上がお前にせがまれて話していた昔話の一つだぞ?」

 仁兵衛は多少呆れた声で光に答えながら、頭を撫でる。

「そーだっけ?」

「お前はいつからそんなに可哀相なことになっていたんだ? 兄は悲しいぞ」

 脱力しきった表情で、仁兵衛はテーブルに突っ伏す。

「にーちゃの話してくれたことは覚えているんだけど、父様の話は余り覚えていないんだ~。何でだろうね?」

 不思議そうな表情を浮かべたまま、光は首を傾げた。

「覚えていない、ね。まあ、俺に云わせれば、子供の頃に聞いた御伽噺おとぎばなしなど、覚えていられないモノだろう? 俺なんざ親父やお袋が子守歌代わりに聞かせてくれた御伽噺で覚えているモノなど、数えるほどしかないしな」

 仁兵衛の杯に酒を注ぎながら、慶一郎は豪快に笑い飛ばした。

「そんなものかね?」

「そんなもんさ。話の内容云々より、そう言う事があったという想い出を忘れずにいれば問題ないだろうよ」

 そう言っても得心いかないと言った顔付きの仁兵衛に、「俺だって、親父とお袋の話で覚えているモノなんか、数える程度しかないぜ。それに、想い出ってのはよ、何かを連想させることで思い出すモンだから、お前さんは特殊としても、幼少期に放浪生活をしていた姫様にそこまで求めるのは酷だろうよ」と、慶一郎は言い含めた。

「核になる記憶が雑多すぎて絞りきれないと?」

「俺だったらそうなると思うがね。まあ、そういったことの専門家でもねえから、適当な言だが」

「普通に考えたらそうだと思いますよ」

 クラウスは慶一郎を肯定する。「僕も然う云う事にいくつか覚えありますし。古い記憶ほど、何かの拍子で思い出しましてね。核となる出来事なり想い出をなんかの拍子で思い出すと連鎖して思い出すんですよね」

「おまえみたいな年寄りと、うちの娘を一緒にしないでくれと云いたいところだが否定できないのが辛いなあ」

 かんらからと笑いながら、帯刀も同意した。

「深刻な話し合いはどうしたんです、二人とも」

 いきなり話に割り込んできた中原頂上会談をしていた二人組を不思議そうな表情で仁兵衛は見返す。

「どうにもならんと悟りを開いた」

「なるようにしかならないと確認しました」

 帯刀とクラウスは違う言葉で大体同じ意味を口にした。

「良いんですかい、そんな適当で」

 呆れた口調で慶一郎は首をかしげた。

「まあ、酷い言い方ですが、何時ものことでしてね」

「うちの跳ねっ返りが中原を制圧するって云い出すのは麻疹はしかみたいなモンだし、“六大魔王”が悪さするのもこの世のことわりの様なモンだからなあ。責任のなすり付け合いにしかならないからな。俺の知る限り、数十年に一度か、ここまで厄介なのは話に聞くところによれば百年に一度は少なくともあることだからなあ」

 同意を求めるかの様に、帯刀はクラウスを見る。

「習い性というよりは、存在意義を確認するための儀式とでも云うべき出来事ですからねえ。少なくとも、魔王の引き起こす事件対策に作られたのが【冒険者互助組合】なのですから、そっちはこっちが何とかしますがね」

 えらく含みを持った台詞でクラウスは帯刀を牽制した。

「ああ、ああ、分かったよ、分かったよ。東大公家の問題は東大公家で何とかしろってんだろ。やるだけやってやるよ」

 やけっぱちな口調で、帯刀は溜息を付いた。

「父上、俺もお力になります」

「ありがとうよ。その気持ちだけで十分だって云いてえところだが、その気があるなら御前試合を優勝してくれ。俺の猶子ゆうしが優勝したってんなら、連中の考えと風向きも変わるだろうさ」

 真剣な表情で帯刀は、「御前試合を優勝した武芸者は象徴たり得るからな。お前をそういう風に扱うことには忸怩じくじたる思いもあるが、とやかく格好付けたことを云っていられるほど良い状況ではないのも事実。頼むとしか云いようがない」と、頭を下げた。

「父上。違いますよ」

 穏やかな笑みを浮かべ、「ここは、『俺の息子ならば優勝しろ』と云えば良いんですよ。少しは自分の弟子を信じて貰って結構」と、啖呵たんかを切った。

「そうだそうだ。父様はもっとにーちゃを信じるんだ!」

「ははは、こいつは一本取られたみたいですねえ」

 クラウスは目尻に浮かんだ涙を拭いながら、腹を抱えて大笑いした。

「そこまで笑う事かよ」

 憮然としながらも、笑みを隠しきれない表情で帯刀はぼやく。

「そりゃあ、貴方のそういった表情を見たのが思い出せないぐらい昔でしたからね。久々に大笑いする価値がある」

 クラウスは左手でテーブルをばんばんと叩きながら笑い続ける。

「勝手にしやがれ」

 なげっぱちに吐き捨てると、帯刀は手酌で酒を飲み始めた。

 その姿を見て、他の三人も我慢しきれずに吹き出した。

 仁兵衛が何のわだかまりもなく笑っている姿を見て、クラウスは多少意外な思いを抱いた。

 少なくとも、クラウスが知る限り仁兵衛は名前には反して常に仏頂面、今日まで笑うどころか明るい表情を見たことすらなかった。

 故に、この時間がどれだけ貴重なものかすぐに察した。

(……これは少し気が引けますねえ。東大公殿もまだ気が付いていないようですし、事は君が思っているよりも責任は重大ですよ、仁兵衛君。ま、僕の予測が正しければ、優勝する暇もないでしょうがねえ)

 これから起こるであろう事を少ない情報から推測していたクラウスは、久々の再開で喜び合う家族を見ながら、なるべくならばその推測が外れることを願うのであった。

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