ワガママ王女の婚約について

しきみ彰

第1話

「わたしやっぱり、あなたとの婚約をなかったことにしたいのだけれど」




 そう言った瞬間、シリルの空色の瞳が大きく見開かれた。

 あら、なんて珍しい。そんなふうに思いながらも、ディートリンデは言葉を続ける。

 相反する自身の声に、内心嘲笑しながら。


「だってあなた、つまらないし、パッとしないし、」

 ――そんなことない。あなたがいてくれてとても楽しかったし、あなたはとても綺麗だわ。


「なんかもう、飽きちゃったのよね」

 ――違うの。ずっと昔から、あなただけを見ていたわ。


 響く、響く。口からこぼれ落ちる言葉と真逆の言葉が、胸を張り裂けんばかりに響いている。されどディートリンデは無視した。自分の気持ちを殺した。今なら、刃物でズタズタにして裂ける自信がある。


(大丈夫。わたしはディートリンデ。嘘つきでワガママで傲慢な、この国の第一王女よ)


 だから大丈夫。いける。


 そう自分を鼓舞し、ディートリンデは鮮やかに笑って見せた。口元にたっぷりと塗られた紅が、弧を描く。

 自慢の赤毛を鬱陶しげに払いながら、彼女はソファに腰掛けた。


「それにあなた、わたしのこと嫌いでしょう?」


 ――これは、本当の気持ちだった。


 嘘を際立たせるためには、本当を混ぜると良い。

 どこかで聞いたそんな言葉を思い出しながら、彼女は言う。


「だからもう、解放してあげるわ。……好きなように生きなさいな」


 さようなら、シリル。

 どうか、どうか――幸せに。


 そんな本音を心中のみで吐きつつ。

 ブルグスミューラー国第一王女、ディートリンデは、人生で最も大きな嘘を吐いた。



 ***



『ディートリンデ殿下は奔放だが心優しい、国の第一王女だ』


 それがこの国の人々の、共通認識であった。

 確かに奔放で、時に人を困惑させたり怒らせたりするような行動をとるが。

 王女として数多くの慈善活動に参加し、民草にはよっぽど人気である。

 しかしそれゆえに、一部の貴族からの評価はたいそう悪かった。


 ――穏健派で最も力のある、公爵家次男と婚姻しなくてはならないくらいには。


 されど今となってはそれも、危うくなっている。

 それはディートリンデ本人が、一番よく分かっていた。




「おはようございます、リンデ様」


 第一侍女であるアニの声を聞き、ディートリンデは寝台からのそりと起き上がった。

 普段ならば美しい翡翠色の瞳が覗くはずなのだが、今日は瞼が腫れておりとても痛ましい。

 そうなるであろうことを予測していたアニは、ディートリンデの目元に水で濡らした布を当てた。


 仰向けになりながら、彼女はそれを甘んじて受ける。でなくては外にも出られないからだ。

 ひんやりとした布は冷たく、しかしとても染みる。それをこらえながら、重たいため息を吐き出す。


「アニ、ありがとう。助かったわ」

「いえ。リンデ様のことでしたら、なんでも分かりますので。昨日の件で、泣き腫らしているのではないかと推測致しました」

「……その通りよ」


 苦々しい顔をして目元を抑えるディートリンデから当て布を受け取り、アニは湯に浸けた布を当てる。その温度差に、ディートリンデは少しだけ顔をしかめた。

 アニは自身の主人のそんな様子に、眉を落とし肩をすくめる。


「相変わらず、素直になれないご様子で。アニはとても心配になります」

「良いのよ。これで」


 自分自身に言い聞かせるような、そんなつぶやき。

 アニはそれに気づいていながらも、これ以上は言っても無駄だと思い口を閉ざした。主人は優しいが、一度決めたことに対してはとても意固地なのだ。どうせ今回の婚約破棄に関しても、自身が泥をかぶりそれで終わらせるのであろう。


 その後に待ち受けるものが、たとえ破滅であったとしても。


 しかし幼い頃から仕えている身としては、苛立たしくなるばかりである。そのため思わず不満が漏れた。


「もともとこうするおつもりだったのであれば、婚約などしなければよかったではありませんか」


 瞬間、むすぅ、とディートリンデがふくれっ面になる。どちらかと言うと美人の彼女がそれをすると、とても子どもっぽく見えた。

 顔にかかった癖の強い赤毛を振り払い、彼女は目元を抑える。


 確かに婚約当時、シリル以外の候補はいた。とにかく、ディートリンデが好き勝手に行動できる基盤が作りたかったのだ。貴族たちに良い顔をさせてばかりでは、いけないのだから。


 でも、そういう意味ではないのだ。それはアニも理解している。彼女はディートリンデの最大の理解者だった。しかし理解しているのとそれを受け止められるかどうかは、また違った問題である。


 当て布を指でかき、ディートリンデは深く息を吐く。そして当時のことを思い出した。


「あのとき、シリルとの婚約を受け入れてなければ……彼、多分死んでいたでしょう?」


 アニは呆れた顔をしてため息を漏らした。


「あの方がそのように追い詰められていたことなど、あなた様しか知らなかったでしょうに」


 それはそうだろう。ディートリンデとて、シリルのことを好いていなければそんなふうに見ることはなかった。


 シリルの元婚約者が事故死したのは、今から六年前の話である。

 当時、シリルは十二歳、ディートリンデは十歳だった。

 その婚約者をとても好いていたシリルは、表面上では取り繕っていたが、かなり疲弊していた。


 公爵が、ディートリンデの両親に婚約を嘆願するほどに。

 何か別の支えがなければ、シリルは死んでいた。

 それにいち早く気づいたディートリンデは、ワガママという名目で彼を婚約者にしたのだ。


 事あるごとに呼びつけ、あっちこっちに連れ回したのも、自ら身を落とさないようにである。無茶苦茶な頼みに、彼は嫌な顔ひとつ見せず応えてくれた。

 人形のような顔で。


 そんな彼を、奔放な王女のふりをして引っ張り出し、彼女は今まで見守ってきた。尽くして尽くして尽くし続け、早六年。その甲斐あり、その顔に最近笑顔が見え始めたのだ。


 ただそれは、ディートリンデのいないときだけ。彼女が共にいるとき、彼はピクリとも笑わなかった。好かれていないことなどはたから見ても分かる。


(好かれていないなら、と思って、勇気を出して言ったのに。言ってやったのに!)


 昨日のことを思い出し、ディートリンデはのそりと起き上がった。


「公の場での発表を、わたしの誕生日パーティーの日にしようだなんて……ほんっと嫌われてたのね、わたし」

「リンデ様……」


 またこぼれそうになる涙をこらえ、ディートリンデは力なく呟く。

 痛ましい自身の主人の姿に、アニは目を潤ませた。悔しいが、今のディートリンデにしてやれることは何もないのだ。


 ディートリンデの誕生日は十日後。そんな日の間近に婚約を解消しようと告げたディートリンデもディートリンデだが。

 確かに報告する場としてはちょうど良いが、いくらなんでもそれはないと言いたかった。


(成人の日が、人生最悪の日になるなんて)


 いくら泣き腫らしても、涙が渇きそうにない。

 されど、いつまでもここにいるわけにもいかなかった。今日はこれから孤児院に向かうのだ。


「アニ、支度をしてちょうだい。孤児院に向かうわ」

「……承りました」


 ディートリンデは根性で立ち上がった。そしてドレッサーの前へ行く。

 すっかりぼさぼさになった髪を梳かすために、アニが櫛を取った。


 鏡に写る自分の姿のひどさに、密かに笑いながら。

 ディートリンデは孤児院へ向かうための支度を整えた。



 ***



 昔から、取り繕うことには慣れていた。

 そのためディートリンデは、普段となんら変わらないふうを装い馬車を降りた。


 今のディートリンデは、貴族たちに会うときのようなしっかりとした化粧ではなく、あっさりとした化粧をしている。

 あまりにも迫力があると、子どもたちが驚くからだ。

 自慢の赤毛も高く結び、邪魔にならないようにしている。服装も極めて簡素で、間違っても怪我をさせないように、という配慮を感じられた。


(今日はシリルがいないから、子どもたち残念がるわね……)


 子どもたちはなんだかんだ言って、シリルのことが大好きだ。特に男児に人気で、彼が笑っているのをよく見た。

 普段ならシリルを無理矢理呼びつけて連れ出し、孤児院へ向かうのだが。

 昨日のこともあり、今日は呼ぶのをやめたのだ。


 一番残念がっているのは自分であることに気づいたディートリンデは、渋い顔をする。

 しかし駆け寄ってくる子どもたちの姿を目に留め、すぐに破顔した。


「リンデさまー!」

「ごきげんよう。あらあら、また大きくなったのではなくて?」

「えへへー先生がね、リンデさまのおかげだって言ってた! リンデさまがお金、しえんしてくれてるって! ありがとう、リンデさま!」

「そんなことはないわ。あなたたちが頑張ってるからよ」


 たくさんの子どもに囲まれ、ディートリンデの心は落ち着いてゆく。

 しかし腕を引かれながら入った先に予想だにしない人物がおり、表情を強張らせた。


 三つ編みに結った蜂蜜色の髪が、風になびいて揺れている。

 端正な顔立ちも、透き通った青い瞳も。

 彼女が一目惚れしてしまったときと、何も変わらない。


 見つめていると、そのすべてに吸い込まれそうで。

 ディートリンデは思わず足を止めた。


「シリ……ル……?」


 なぜ彼が、こんな場所にいるのだろう。

 すると子供達が、口を揃えて言う。


「シリルお兄ちゃんは、ちょっと前にここに着いたの。リンデさまと一緒じゃないからめずらしいねーって、みんなでお話ししてた!」

「そう、なの」


 なんとか受け答えをしたが、ディートリンデの頭はだいぶ混乱していた。


(好きに生きなさいって言ったのに、なんでここにいるのかしら……)


 昔からよく分からない部分が多かったが、今日は一段と良く分からない。嫌いな相手にわざわざ会いに来て、楽しいのだろうか。

 頭の中が疑惑でいっぱいいっぱいになっているディートリンデのことなどつゆ知らず。シリルは頭を下げる。


「ごきげん麗しゅう、ディートリンデ」

「……ええ、ごきげんよう、シリル。ところであなた、なぜ孤児院に?」


 無表情を崩さないシリルは、ディートリンデのその言葉に首をかしげる。


「なぜと言われましても……ディートリンデは毎回、こちらにいらしていますよね?」

「そうだけど……そういうことではなく!」

「わたしがいては迷惑でしたか?」

「そういうことでもないわよ……」


 ちぐはぐなやり取りをしていると、子どもたちが不思議そうな顔をする。

 さすがにまずいと感じたディートリンデは、嘆息しつつも問答をやめた。


(シリル、頭でもぶつけたのかしら……)


 そんな心配をしつつ。

 ディートリンデは院長に挨拶をし、持ってきた菓子を渡し、子どもたちと遊ぶ。


 ディートリンデは結局予定時間いっぱいまで、シリルとともに孤児院にいた。



 ***



「……何かしら、ほんと。一種の嫌がらせなの……?」

「さあ……」


 侍女のアニに愚痴をこぼし、ディートリンデは自身の身に起きている現状を嘆いた。

 一方のアニも、わけが分からないというように首をかしげるばかり。当の本人にも分からないのであれば、一介の侍女が知るはずもない。されどそれを思わずぼやいてしまうくらいには、彼女は困惑していた。


 シリルが必ずと言っていいほど、ディートリンデの行く場所行く場所にいるのである。

 彼女の週の予定は一貫して変わらないため、その点においては気にならない。しかしわざわざ、嫌いな相手のもとに通うのはなぜなのか。今までの意趣返しか、と疑ってしまうほど、今のディートリンデは参っていたのだ。


 いや、シリルと一緒に居られることは嬉しい。嬉しいのだが、これから離れると考えると寂しさばかりが募るのだ。


(だけどそれも、今日で終わり)


 そう。今日は、ディートリンデの誕生日である。

 ディートリンデはこの日のために用意した晴れ姿で、シリルとの婚約を解消するのだ。


 葡萄酒色(ワインレッド)のドレスは背中が大きく開き、彼女の美しさを惜しげも無く晒す。

 腰元の大きなリボンも、ディートリンデがわざわざ注文をつけた箇所であった。

 化粧もそれに合わせて、こってりとしたものになっている。

 複雑に編み込まれた髪には一輪の赤薔薇が差してある。


 これで、ディートリンデの支度は終わりだ。しかし何度もため息が漏れてしまう。気が重たい。

 そんな自分を奮い立たせ、ディートリンデはパーティー会場へと向かった。


 会場に入れば、多くの貴族の視線が向く。ざわざわと、ただでさえ騒々しい会場内がさらにうるさくなった。

 その中には彼女のドレスを称賛する声や蔑みなどがある。


(馬鹿馬鹿しい。聞こえてないとでも思ってるのかしら)


 それからやってくる貴族たちの、お決まりの言葉も、上っ面だけの賞賛も。不快なだけでまるで響かない。

 シリルの言葉は、あんなにも響いたというのに。


『ディートリンデさまの髪、とてもきれいですね』


 初めて会った一言を思い出し、ディートリンデはさらに落ち込む。

 そんなときだ。会場がひときわ騒がしくなった。ディートリンデのときとはまた違った、貴族令嬢たちの黄色い声がわずかに聞こえる。

 慌てて顔を上げれば、その先にはシリルがいる。


 ディートリンデが息をすることを忘れるほど、彼はとても美しかった。


 蜂蜜色の髪は、照明を浴びてキラキラと輝いている。それをいつもより丁寧に三つ編みにして左肩に流していた。

 青い瞳が、ディートリンデを見つめる。

 彼は、彼女のほうに一直線に歩いてきた。


「ディートリンデ、誕生日おめでとうございます」

「……ありがとう、シリル。嬉しいわ」


 彼は笑顔を見せることなく、ディートリンデに祝いの言葉を述べる。そしてそっと手を取った。どうやら最後のエスコートをしてくれるらしい。


 手袋から伝うその温度を噛み締めながら、ディートリンデは長いようで短い道を歩いた。


 二人が正面に来た瞬間、視線が一気に集まる。

 震える喉元を叱責し、ディートリンデは満面の笑みを浮かべた。


「このたびは、わたしの成人パーティーにいらしてくださり、感謝しますわ。どうぞ楽しんでいってくださいな」


 そんな、お決まりの文句を述べ。


「そしてこの度はわたしから、ひとつ、報告がありますの」


 婚約を解消を宣言する前の、前置きをする。

 思わずひとつ呼吸を入れてしまったのは、それほどまでに緊張していたからだ。無意識のうちに、シリルの手を強く握ってしまう。

 それでもディートリンデは、自分の気持ちを押し殺して口を開く。


「わたしたちは、」




「――わたしたちの、挙式の日程が決まりました」



 しかしその台詞は、シリルに被せられて消えてしまった。

 しかも、まったく予想しない台詞に。











「シリル! どういうことなの!?」


 未だに騒がしい会場から抜け出し、ディートリンデはシリルを連れて自身の部屋に戻ってきていた。

 されどそんな風に怒って見せても、シリルは首をかしげたままだ。一貫した態度にとうとう腹を据えかねたディートリンデは、肩を怒らせて叫ぶ。


「婚約解消の報告をするはずだったのでしょう! なのになぜ、挙式の日取りの報告をしているのよ!! それにわたし、そんな話聞いてないわ!」

「言っていませんから」

「……は?」


 ディートリンデは、開いた口が塞がらなくなった。

 そんなディートリンデを見つめ、シリルは言う。


「ディートリンデはわたしに、好きに生きろとそうおっしゃられました。ですので好きに生きることにしたのです。わたしはあなたの隣りに入られることが、何よりの幸福ですから」

「……そんなお世辞言わなくて良いわよ」

「お世辞?」

「だってシリルは、わたしのことが嫌いなのでしょう!?」

「好きですよ?」


 あまりにも不格好であまりにもちぐはぐな、そんな会話。

 しかしシリルの口からこぼれた「好き」という単語は、想像以上に破壊力があった。


(い、一回落ち着きましょう。状況を整理しないと、話になりやしない)


 ディートリンデは、火照った顔を押さえながら順を追って質問をすることにした。


「とりあえず、質問に答えなさい、シリル。あなたはわたしのことを、嫌っていないのね?」

「はい、もちろん」

「……本当に?」

「疑うのですか?」

「だってあなた……わたしの前ではほとんど笑わないし……」


 シリルがキョトンとした顔をした。


(なにこの顔かわいいわ……)


 じゃない。

 ディートリンデは頭を軽く振る。

 そんな彼女に不思議なものを見るような眼差しを向けたシリルは、ゆっくりと口を開いた。


「ディートリンデは、「わたしの前では取り繕わなくて良いわ」と、そうおっしゃられましたので……」

「……つまり、その状態が素なの?」

「はい。正直、感情があまり顔に出ないのです。それだと怖いと言われますので、できる限り出すようにしてますが……そうすると少し疲れてしまうのですよ」


 頭が痛くなってくる。

 ディートリンデは、ひとまず状況を整理しようと片手を頭に当てようとした。しかしその手はシリルに取られてしまう。


「シリル?」

「もしかして、ディートリンデ自身がわたしを嫌って、婚約解消しようとしたのですか?」

「それ、は……」

「わたしにはどうしても、わたしのために婚約解消しようとしていたように見えました」


 図星だった。むしろ嫌われていると思っていたのだ。シリル自身の意思も聞かず。

 唇を噛む締め口をつぐむディートリンデに、シリルが寂しそうな顔をする。


「もしそうでなかったのなら、わたしのほうから皆に婚約解消の報告をさせていただきましょう。あなたにはなんの非もなかったのだと、そう伝えます」

「っ! しなくて良いわ!!」


 言ってから気づく。これに対して肯定するということは、婚姻を受け入れるのと同義だということを。

 顔を真っ赤にして一歩引いたディートリンデだが、片手を掴まれているためそれ以上退がれない。


 それどころか一歩踏み込まれ肩を掴まれ、本格的に逃げられない状態に陥ってしまった。


 それどころか視線まであってしまい、反らすこともできないまま固まってしまう。シリルの目にはそれだけの力がこもっていた。


「ディートリンデ。それは、本当に?」

「…………わた、し、は……」

「ディートリンデ」


 懇願するような、そんな声音。それは的確に、ディートリンデの心を揺さぶった。


(言うのよ、ディートリンデ……ここで言わないでどうするの! 婚約解消をしたいとシリルに伝えることはできたのだから、やれるはずだわ!)


 自分自身を奮い立たせ、ディートリンデは震える唇をゆっくり動かす。

 ずっとずっと、言いたくて仕方のなかったことを。


「好き……ずっと、好きだったの……」


 かすれた声でそう告げれば、体を大きく引かれる。

 気づけばディートリンデは、シリルの腕の中にいた。


 驚きのあまり体を引こうとするが、シリルは男だ。そう簡単に抜け出せるはずもなく、なすがままになる。

 ディートリンデが耳まで赤くしているのを見ながら、シリルが耳元でかすれた声を漏らした。


「わたしも、好きです。わたしのためにと、いろんなものを見せてくださったあなたが」


 ディートリンデはくらりときた。全身がぞくぞくと震え、意識がかすむ。


(これは……破壊力しかない……)


 普段無口な彼が愛を囁くと、本当心臓に悪い。

 するとシリルは、ディートリンデの首筋に頭を埋めた。


「これからは……できる限り、言葉に出すようにしますので。……ディートリンデに勘違いされないためにも」

「へっ」

「今まではあなたの気持ちが分からなくてどうしたら良いか分かりませんでしたが、これからはちゃんと言葉に、行動にします。ですので、わたしと共に生きてくださいますか?」


 これ以上のことを行動に移すとは、一体全体どういうことなのだろうか。ディートリンデは、自身の心臓が持つのかどうか心配になる。

 ただ、顔を上げたシリルが嬉しいという感情を顔に表しているのが見て取れて。

 なんだか、すべてがどうでも良くなってしまった。


「……ええ。ずっとそばにいなさい、シリル」


 表情をパッと明るくしたシリルは。

 ディートリンデの顔を持ち上げ、そっと口づけを落とした。


















 それから四ヶ月後。ディートリンデとシリルは婚姻式を挙げた。

 純白のドレスに身を包む花嫁はたいそう幸せそうに笑み、それを見つめる花婿の視線は――とても、優しいものだったという。

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