第21話 秋冷(後編)

 一面の緑だった山肌のあちこちから、オレンジ色が覗くようになってきていた。風景を目に焼き付けるように見回しながら、村の秋は山から来るものなんだ――と、聖は初めて気付いた。

 聖はといえば、いつものように人外のものに会いに行くため、獣道を進んでいる。環に言った『用足し』のためだ。

 いつもと違うのは、その相手が澪ではないということ、そして同行者がいるということだった。立ち止まった聖に気付き、前を行く背中から声が飛んでくる。

「どうした、疲れたか」

「ううん、大丈夫。ちょっと景色見てた」

 聖が登り慣れている澪の住みかはどこか人を寄せつけない厳しい印象があるのだが、今いるここは斜面もそうきつくないせいか歩きやすく、穏やかな雰囲気がある。それは、この森に住まうあやかしの人柄のせいかもしれないと聖は思った。健気で儚い彼女の記憶が、そう思わせるのか、と。

「きょろきょろしてないで、足元に気をつけろよな」

 嘉章は妙に保護者らしい口ぶりで言うと、再び聖を先導して歩く。朝のだらしなさが、まるで嘘のようだった。


 聖は、嘉章の案内でかなでに会いに来ていた。遠慮してなかなか言い出せなかった聖の意をくんでくれたのだろう、『暑さも落ち着いたし、よかったら会いに行かないか』と、嘉章の方から誘ってくれたのだ。

 今朝はちょうど環にも会えた。そのおかげで、ある決心がついたということもある。いいタイミングだ。

 昨年の夏に命を終えたはずのかなでは、この夏、こちらに戻ってきたという。夏休み、帰省先から戻った聖に、嘉章は笑顔を爆発させて、かなでが帰ってきたんだと告げた。聖は嘉章とは対照的に、玄関先で号泣してしまったのだが――。

「あれだ」

 嘉章が指した方に顔を上げると、林が開けたところに、古ぼけた鳥居、そしてそれと同じ時代を経ただろうと思われる社が見える。ぬかるむ足元に気をやりながら、聖は歩きなれた様子の嘉章に続き、鳥居をくぐった。

 社の周囲は藪が刈り込まれ、定期的に人の手が入っていることを伺わせた。周囲の木々には願掛けのための赤い布が数え切れないほど結びつけられているし、嘉章以外にも掃除に来る人達が沢山いるのだろう。

 澪の祠――『祠』と言えるかどうかも怪しいくらいの質素な、悪く言えば粗末なものを見慣れているから、聖には少しうらやましく見えた。

「見ろ。待ってる」

 嘉章が、心なしか嬉しそうに聖に呼びかけた。

 社の前に、若い女性の姿があった。長い黒髪に白い肌、そして優しげなまなざし。何もかもが、夏に見た彼女と同じだった。

 それは、蜩(ひぐらし)の化身、かなでだった。

「かなでさん!」

 駆け寄った聖に、彼女は「ご無沙汰しておりました」と微笑んだ。聖が初めて『聞き耳』の力を借りずに聞いた、彼女の声だった。


 挨拶もひとしきり済んだところで、聖は姿勢を正してかなでに尋ねた。

「早速なんですが、かなでさんに聞きたいことがあります」

「何でしょう?」

 首を傾げるかなでの隣で、嘉章が怪訝そうな表情を浮かべていた。できれば、勘のいい嘉章には聞かれたくない話だ。聖はそれ以上のことが言えず、口を閉ざす。

「女心について、でしょうか?」

 何かを察したかなでが、いたずらっぽく笑った。

「それは、嘉章さまには聞かれたくないですよね?」

 どうやら、かなでは人払いに協力してくれるらしい。かなでに笑いかけられた嘉章は、不満げに「分かったよ」と言うと、渋々ながら鳥居の方へと去っていった。

 かなでと二人きりになり、聖はようやく本題を切り出す。

「その、有月さまという方の力は、どういうやり方でいただいたんですか?」

「有月さまの?」

 聞き返すかなでに、聖は大きく頷いた。

 かなでは聖の目を見ると、表情をきりりと引き締めた。有月と聖とが、どう関わるのかと考えているのだろう。少し間があって、かなでは「お話は、それだけですか?」と再び尋ねる。

 聖は首を振った。

 かなでには今日、すべてを話してしまおうと考えていた。澪と自分のことを知ってもらった上で、相談に乗ってもらうつもりだった。

「僕のこの力は」

 聖は、そっと手を耳に当てた。

「誰かに譲り渡すことができるんでしょうか。もし、力をあげてしまった場合、僕も有月さまのように――」

 聖はかなでの厳しい顔に気付いて、そこで言葉を切った。少し、先を急ぎすぎたかもしれない。

「まず、そちらのお話からお聞きしたいけれど、構いませんか? ずいぶん込み入った事情とお見受けしましたから。……ただし、中身によってはお答えできませんよ」

「ヨシ兄に、内緒にしてくれるのなら」

「約束、守ります」

 かなでは、先ほど会った当初のように優しく笑った。その穏やかな様子に、聖は改めて腹を決めた。彼女になら、きっと話しても大丈夫だ。

「……僕には、とても大切な人がいます。その人は、人ではないモノ。そして、やっぱりかなでさんと同じく、消えかけているモノです」

 そうして聖は、一つ一つ順を追ってかなでに話し出した。

 去年の春、澪と出会ったところから始め、澪が聖一人によって繋ぎ止められていること、少しずつ力を取り戻してきてはいるが、力の強い他のあやかしに狙われていること――。

「僕は澪さまは守る技はないけれど、力は持っている。澪さまは身を守る術を持っているけど、力が足りない。……だったら、僕の力を澪さまにあげられたらいいんじゃないかって」

 ここしばらく、聖が考え続けていたことだった。

 かなでは他のあやかしの力を譲り受けた、そう嘉章から教えてもらったとき、聖は思った。あやかし同士で力のやりとりができるのなら、僕にだって、と。そして、さんざん悩んで、今話したこと――高嶺から澪を守るための最善の策と思われた――に、たどり着いたのだ。

 もっとも、このアイデアが上手くいくのかは分からないし、聖にはまだ実行する勇気もないのだけれど。

「それで、私に」

 かなでの言葉に、聖は頷く。

「確かに、有月さまと嘉章さまのおかげで、私はこちらに戻ることができました。でも、そのときのことはあまり覚えていないのです。それに、教えた結果起こることに、私自身は責任が持てません。……『力』は、命のかけらにも等しいものです。それをもらうということは、相手の命を自分に取り込む、つまり相手を『喰らう』ことです。喰う側がさじ加減を間違ったり、喰われる側が初めから身を捧げる気であれば――」

 有月のことを言っているのだろうか。かなでは言葉を濁した。遠く、嘉章の方に目をやり、小声で呟いた。

「私は、有月さまのお力と、嘉章さまの祈りを喰らってここにいるのです」

 『喰う』と言う言葉を、聖はこれまでにも何度か聞くいたことがあった。ヒトの心を蝕むあやかし、手鞠。あるいは、高嶺から。

 力のやりとりは、駆け引きで成り立つ命のやりとり。

 聖や有月のように、純粋に『誰かを救う』という目的だってあるだろう。しかし使い方によっては、悪い方に傾くこともある。その場合、当人たち、特に喰われる方への影響は計り知れないということだ。かなでが言い淀むのも無理はない。

 かなでは、小さなため息をつく。

「危険な賭けですから、できればお話したくない。……でも、私は聖さんの力になりたい。あなたから受けたご恩に少しでも報いることができるのなら、とも思っています。ですから、とても迷っているのです」

「お願いします。僕は、どうしても彼女と一緒に生きていきたいんです」

 聖は、かなでに頭を下げていた。彼女にこんなことをしても仕方がないとわかっていたが、体が動いていた。

「おやめください!」

 かなでが、あたふたと聖の肩に手をかけ、その上体を起こさせる。私などにもったいない、とこぼす。

 かなではすぐに、すべて見透かしたよう言った。

「きっと、私が何も話さなくても、自分一人でおやりになる気なのでしょう?」

 はっきりと声に出しては答えなかったが、指摘されたとおりだったので、聖は思わず苦笑いした。

 かなでは、「同じなのでしょうね」と、ひっそりと言った。

「私がいない間、嘉章さまも、今の聖さまのように想ってくださっていたのでしょうね」

 聖に話しかけたというよりは、独り言に近い呟きだった。そして、彼女はひんやりとした両手で聖の手を包んだ。

「決して、無理はしないでくださいね。もしものことがあれば、相手の方が悲しみますよ」

「……それじゃあ――」

「お役に立てるかは分かりませんが、私の知っていることなら何でもお教えします。ただし、無理をなさらないという条件付きで」

 聖の手を握るかなで。その手に、ぎゅっと力が込められた。聖が顔を上げると、かなでは凛々しい表情で聖を見つめていた。

「どうか、誰も不幸にならないやり方を考えてください。あなたを想っている人が沢山いるということも、忘れないで」

「僕のことを?」

「あなたに関わったモノは、きっとみんなそう思っていますよ。もちろん、私もその一人です。嘉章さまだって、聖さんのお相手だってそうなのです」

 僕を想ってくれる人たちがいる。『力』によって疎まれてきた時期がある聖にとって、それは予想外の言葉だった。

 しかし、もとより、万一の事態など考えていなかった。澪の隣にいるために、何としても自分はこちら側に残らなければならない。聖は、不安げなかなでに笑いかけた。

「心配しないでください。僕もみんなと一緒にいたいですから」

「本当ですね?」

 頷く聖を見て、かなではふう、と息をついた。そして、大したことをお話できるわけではないですが、と前置きをして、語り始めた。



 聖は、嘉章を残してかなでの山を下りた。

 かなでとの話を終え、声をかけたときの彼の顔を思い出して、聖は思わずにやける。嘉章があんなにふて腐れたのを見たのは久しぶりだったからだ。これ以上二人の時間を邪魔するわけにはいかなかった。

 さて、今度は澪さまに会いに行こう。

 すでに一度山登りをしてきたわりに、足取りは軽かった。かなでのおかげで、自分と澪の未来に光が射したのだから。


 澪のもとへと向かう途中、聖は、道の真ん中に光るものが落ちていることに気付いた。通りすがりに立ち止まると、それは見覚えのあるものだった。

 ――これ、確か環さんの。

 赤いフレームの眼鏡。しかし、なぜこんなところに?

 環は澪にも会いに行くと言っていたから、この道は通るだろう。伊達眼鏡だから無くなっても困ることはないだろうし、落とし物だとしてもおかしくはない。しかし、今日の環はずっと眼鏡をかけていたような気がする。

 もしかしたら、澪さまのところで渡せるかもしれない。若干ひっかかりを覚えながらも、聖は眼鏡をハンカチにくるんで丁寧にリュックにしまい込み、先を急いだ。


「澪さま!」

「……聖か」

 気落ちした声になってはいなかっただろうか。うっかり今の気分通りの返事をしてしまい、澪は内心慌てた。聖がいつも通りに耳栓を装着しているのを見て、胸を撫で下ろす。

 今日は、用心しなければ。心の声が漏れ出さないように、気を引き締めなくてはならない。環との約束を守るためだ。

「環さん、ここに来ましたか?」

「来たが、もう帰ったぞ。聖のところにも行ったのであろう?」

「はい。澪さまにも会ってから帰るって聞いたので、まだいるかなと思ったんですが」

「電車とやらの時間だ、と言っておった」

 環は、すでにだいぶ前に山を後にしていた。気が落ち着くまで休んでいけと勧めたが、聖に会わないよう、すぐに帰ると言って去っていった。

 気丈すぎる気がして、澪の不安は募るばかりだった。もう涙は止まっただろうか。無事に、駅とやらには着いただろうか。

「そうですか。……実は、環さんのっぽい眼鏡を拾ったので、渡せたらいいなあと。残念です」

 綺麗な赤が印象的な眼鏡だ。そういえば、喰われて戻ってきた環は、眼鏡をかけていなかった。襲われたどさくさで落としたものを、聖が拾ったのか。

 あれは、見えすぎる目を人並みに矯正するためのものだった。ならば、もう環には必要ない。恐らく、取りには来ないだろう。

「……探しに来ないということは、無くても困らぬということじゃろう。次に来たときに渡せばよかろう」

「そうですね」

 聖は、あっさりと引き下がった。果たして『次』があるのか、澪には分からなかった。


 いつもの場所に腰掛けるが早いか、彼はまくし立てるように早口で喋り始めた。

「今日は、嬉しいことがあって。うちの従兄弟の好きな人――本当は人じゃないんですけど――に、僕も会ってきたんです」

「確か、蝉の娘であったな。黄泉から戻ってきた」

「はい。僕はかなでさんが戻ってきてから初めて会ったんですけど、二人ともほんとうに幸せそうで」

「……で、あろうな。お主を見ていれば分かる」

 澪は、聖からにじみ出る嬉しげな空気を感じ取っていた。歓喜を抑えることもせず、年相応にはしゃぐ聖は珍しい。

 昨年の夏に悲しい別れをした聖の従兄弟、そして蝉の化身の娘が、年を越えてやっと結ばれたのだ。別れの場には聖も立ち会っていて、彼自身も辛い役目を果たした。それだけに、今回のことは喜びもひとしおなのだろう。


 楽しそうに話す聖を見ながら、澪は複雑な思いを何とか整理しようと必死だった。

 年寄りに無理をさせおって、と澪は心の中で環に訴える。聖を悲しませないという、環の最後の意地。しかし、その判断は正しい。誰が、この笑顔を曇らせることができるというのか。

 聖は、隣でなおも幸せそうに話し続けている。澪も聖とともに笑おうとしてみたが、上手くいくまでには少し時間がかかった。

 ――聖を環と同じ目に遭わせはしない。いつか、自分が高嶺と対等に渡り合えるときまで、何があっても聖だけは守らなければ。

 だが、どうやって?

 それを思うと、澪の胸は締め付けられる。

 昔の自分のような力を得るには、あとどれくらいの年月と、ヒトの想いが必要なのか。果たして、聖と一緒にいられるうちに、そんな日は訪れるのだろうか。

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