第20話 秋冷(前編)

 土曜日の朝九時。朝食の匂いにつられて、嘉章がやっと起きてきた。

 今日の食事当番は聖だ。朝食は焼き魚と味噌汁、サラダ。まだまだ料理は上手ではないが、少しずつまともなものも作れるようになってきた。

「ヨシ兄、起きてる?」

「……寝てる」

「じゃあ寝ながら食べてね」

 不毛なやりとりをしつつ、嘉章の食事の支度を整えたところで、玄関の呼び鈴が鳴る。寝ぼけ眼の嘉章を一度振り返り、聖は扉の向こうへと呼びかけた。

「はい、どちらさまですか?」

「見前と申します」

 朝も早いし、宅配便か何かだろう。そんな予想に反して、若い女性の声がする。いかにもこの場から浮いた雰囲気だ。

 みるまえ?

 どこかで聞いた名だと思いつつ、何の抵抗もなく、聖はドアを開けた。

 そこに立っていたのは、聖よりも少し年上の女性。彼女は、「お久しぶりね」と艶っぽく微笑む。

「……環さん」

「突然ごめんね。元気にしてた?」

「ええ、まあ」

 みるまえ。見前 環。

 全く想定外の客に、聖は腰が抜けそうになった。彼女も聖と同じ、異能の持ち主。人の心を『見る』力を使う人間だ。

 以前会ったときには、澪を苦しめた環。そしてその報復として、聖も環にひどい仕打ちをしてしまったのだ。

「……この前はすみませんでした」

「何のこと?」

「あの、山で会ったときに――」

 ああ、あれね、と、環はまるで今思い出したように答えた。

「あたしの方が先に仕掛けたんだもの。仕方なかったんじゃない?」

「でも」

 環はまた笑った。

「そんな昔のこと、気にしてないわ。……実はね、今日はお礼を言いにきたの」

 お礼とはいったいなんだろう。そう尋ねようとすると、環は聖の表情を読んだのか、すぐに続けた。

「お礼って表現もおかしいかしらね。詳しく言うと、この『目』とうまく付き合いながら生きていこうっていう、気持ちの整理がついた――その報告」

 以前の彼女は、持って生まれた力――人ならざる存在が見える目を持て余し、半ば自棄になっているようにも見えた。今日の環はあのときとは違い、余裕に満ちている。

 もっと良く話を聞きたい。そう思ったものの、部屋の中の嘉章がまだパジャマ姿であることを思い出した。

「環さん、少し待ってもらえますか。今、部屋を片づけるんで、上がっていって下さい」

 環はスッと眼鏡を外し、目を細めた。伊達眼鏡を掛けていない状態が、彼女の本来の姿だ。すぐに、何かを『見た』らしい環が、笑いをこらえながら言った。

「お兄さん、今起きたのね」

「……そうです」

 嘉章が目をこすっているところでものぞかれたのだろうか。今にも顔から火が出そうにしている聖に、環は手を振った。

「ううん、いいわよ。どうせ、この後は鹿神様にも会っていこうと思ってるから、あまり長居はできないし」

「澪さまにもですか?」

「そう。……大丈夫、取って喰ったりはしないわ」

 少しだけ自嘲気味に、環は言った。

「近頃ね、この『力』にできるだけ頼らずに生きることに、やっと慣れてきたの。これまでは、持っているものは使わなきゃと思って、身の丈に合わないこともいろいろやったわ。でも、あなたたちを見て、考えを変えたのよ。……あたし、『力』に使われてたのね」

 環は肩をすくめた。

「試しに、できるだけ余計なものを見ずに暮らしてみたら、それも結構面白いものなのね。力がなくたって、環は環、らしいわ」

「僕、お礼を言われるようなことはしてないですよ。僕は、まだそこまで悟れていません」

「そう? そのヒントをくれたのは、あなたたちなのに」

 環は、ごく自然な仕草で眼鏡を掛け直した。

 自分はまだ力のない暮らしはできないと、聖は環を見つめる。

 『聞き耳』を使わないということは、『あちら側』のものたちとの縁が切れてしまうということだ。澪の声が聞けなくなるのは、まだ耐えられそうにない。しかし、『力』とともに生きるか、それとも『力』に頼らず生きるかを、いつか決断しなくてはならないだろう。それも、近いうちに。

「さて、と。じゃあ、あたし行くわね」

「え、もうですか?」

「山登りは、日があるうちにしたいもの」

 確かに、このごろはぐっと日が短くなった。澪に会うというのならば、暖かいうちに行った方がいい。

「僕も、ちょっと用足しを済ませたら澪さまのところに行くつもりです。午後になっちゃうかもしれないですけど」

「じゃあ、向こうでは会えないかもね。寒くなる前に帰りたいから」

 どうやら環は、寒いのがよほど苦手と見える。

 彼女は、「あ、それから」と軽い口調で話を続けた。

「そのワイルドなイケメンは何者? ヒトではなさそうだけど。あなた、どうして首を絞められてるの?」

 聖はぎくりとして環を見た。環が聖から『見た』のは、恐らく高嶺。気性の激しい、扱いにくい神がいるということは、環にも伝えておいてもいいかもしれない。

「高嶺といって、澪さまを狙っているあやかしです。すごく強くて――そうだ、澪さまの山にもたまに来ているみたいなので、環さんも気をつけて」

「そんなに危険?」

 澪の苦しむ顔が好きだと言った狼。聖の首を何の躊躇もせずに絞めた高嶺は、聖にはどうにも理解が及ばない種類のあやかしだ。こうして考えるだけでも身震いがする。

「自分のやりたいようにするためには、他人はどうなってもいいっていう考えの人です」

 環は「昔のあたしみたいね」とぽつりと漏らした。

「分かった、注意するわ。……あ、それから、もう一つ重要なものを『見た』かもしれない」

「何です?」

「料理、前よりうまくなったんじゃない?」

 そういえば、初対面の時には朝食のメニューを言い当てられたのだった。聖は、「さすがに毎朝じゃ慣れますよ」と答え、環を見送った。


 澪は着物の裾をさばきつつ、藪を掻き分けて、ねぐらがあるいつもの広場に出た。

 朝から我が庭――山を一回りして戻ってきたところだった。森は思ったよりも荒れてはおらず、むしろ新たな息吹すら感じられるほどに回復しつつある。主の澪が戻ってきたことで、活気を取り戻しているのだ。

 澪の力は山の力になり、それは還元されて再び澪の力となる。この調子なら、あと数年から十数年も経てば、澪にも以前のような神通力が戻るだろう。

 もっとも、それにはいくつか前提となる条件がある。まず、聖がいてこそ――聖の思いで澪が存在できるという今の状況が続いていなくてはならないこと。さらに、何らかの別のできごとによって、澪自身が消えてしまわないこと。

 そこまで考えて、澪は表情は変えずに天を仰いだ。いつの間にか、空がずいぶん高い。

 神という身に生まれ直してからずいぶん経つが、人の祈りで命を繋いでいくことにはまだ慣れない。しかし、この一年半ほどの間に、人の想いがどれだけ心地よいものであるか、澪は知ってしまった。

 できるなら、平穏な日々がずっと続いて欲しい。居心地のいい場所を守りたいと、今の澪は心から切望していた。しかし、いわば病み上がりとも言える今の自分には、そのための力が足りない。

 今すぐにでも力をつける方法はあることはあるのだが、それは決して。

「……あのうつけには言えぬ」

 ついつい口に出してしまってから、舌を出す澪だった。

 ちょうどその時、今漕いできたばかりの背後の草むらからがさりと乾いた音がした。とっさに苦手とする狼――今、いちばん会いたくない存在――を思い浮かべ、澪の足はたちまち竦んだ。

 恐らく何者かの足音だとは思うのだが、澪がいつも聞き慣れている重さとは違う。つまり、聖ではない。

 音はがさ、がさ、と徐々に澪の方へと近づいて来ると、澪の目の前の草むらの中で止まった。

 ――まさか、本当に高嶺殿では。

 高嶺のことを思い出すと、澪の体は強ばる。彼が狼の化身であるということに加えて、この春に再会した際の高嶺は、澪が覚えている昔の彼よりも攻撃的な色を増していた。

 しかし。

 こうして硬直していても仕方がない。例え高嶺が現れたとしても、澪自身ができることは何も変わらないのだ。ならば、誰が来ようとも儂は儂らしく、この山のヌシらしくあらねばならん。そう自らを奮い立たせ、身構える。

「そこにいるのは、誰じゃ?」

 直後、丈の高い草を割って現れた姿に、澪の口からは思わずため息が漏れる。

「……お主、は」

「こんにちは」

 そこに立っていたのは、すらりと長身の女性だった。ふわふわと長い髪を揺らし、踵の高い履き物の底を鳴らして歩いてくる。

 聖と似た力を持ち、澪を追いつめたこともある娘――環でだった。今日は、真っ赤な縁に彩られた眼鏡を掛けている。

「だって、桜の時期にもう一回来いって言ったじゃない」

「花などとうに散っておるぞ」

「そうみたいね」

 彼女は、赤く色づき始めた森を見回した。

「あなたたちのことを思い出すのが、ちょっと遅かったのよ」

 飄々と言ってのける環の真意を測りかねて、澪は眉をひそめた。澪は彼女に対し、余りいい思い出がない。聖と澪を引き離そうとしたことは、まだはっきりと覚えていた。

「……お主、本当の目的は何じゃ?」

「ずいぶん警戒されてるわねえ。何もしないわ」

 環は苦笑いして「お礼参り」と答えた。

「聖くんにも会ってきたところ。ちょっとね、生き方を改めることにしたの。近況報告よ」


「話は分かった」

 力を武器にするのはやめると、環は言いたいようだった。そういえば、昔会ったときの匂い――肉食獣の香りはもう感じない。これは信じてもいいのかもしれない、と澪は思った。

「では、その目はもう全く使わぬのか?」

「そういうわけでもないわ。自分のためだけに使うのにはもう飽きただけ」

 環は眼鏡を取り、澪の瞳をじっと見つめる。何もかも見透かしてしまいそうな、不思議な力を持った視線だ。

「でも、ちょっとした忠告くらいはできるかもね」

 澪が首を傾げると、環は口の端だけを上げた。 

「お節介ながら言わせてもらうけど、その男はやめておきなさい。……笑顔を作るのがやけに上手な、鋭い目の男のことよ」

 思い当たる顔はあった。狼の化身、高嶺のことだ。

 だが、笑顔を作るのが上手、とは初めて聞く評価だ。高嶺は確かに慇懃無礼なところはあるが、そう悪しざまに言われるほどでもないと、澪は思っていたが。

「良く知っている御仁じゃが、どうかしたのか」

「私がさっき聖くんから『見た』顔と、あなたから『見た』顔は、全く逆だわ。そしてきっと、本当の顔は、あなたの知らない方じゃないかしら」

「まさか」

「その人が、聖くんの耳元で何か囁いたのを見たわ。とても恐ろしい形相で。あなたの前でそんな顔をしたこと、ある?」

「いいや」

 高嶺には、澪の知らない闇の顔がある――そう言いたいのだろうか。高嶺が聖を傷つけた一件は、何かの弾みで起きた事故ではなかったのか。故意にやったことだというのか。

 ――それが本当なら。

 澪の腹の底に、熱い力が湧き上がってくる。

「……あい分かった。気に留めておこう」

「あら、ずいぶん素直ね」

「人の言うことは素直に聞くものじゃ」

 澪の言葉に環は、あたしはそんなキャラじゃないから分からないわ、と笑った。

 きゃらとは何か知らないが、環の笑顔を見られたことは澪にとって収穫となった。彼女とは良き友になれるかもしれぬ――そんな予感が得られたからだ。


「うむ?」

 環が去ってしばらくののち、澪は再び侵入者があることに気づいた。この気配は先ほどと同じ人間、つまり環だ。

 はて。

 何か忘れ物でもしたのだろうか。それとも、急な用事でもできたのか。そう考えて少し待ってみたが、環が澪の元へと近づいてくる様子はない。それをやや不信に思いながらも、澪は環の気配を追うことにした。

 環がいるのは、山の登り口である獣道。ちょうど、澪の縄張りの一番外側に当たる場所だった。急行した澪は、土の上に倒れ込んでいる環の姿を認め、叫んだ。

「お主、一体何があった!」

 それほどに、彼女の様子は尋常ではなかった。

 環はやっとのことで体は起こしたものの、こちらを見ようともせず、冷たい地べたに座り込んだままだ。

「これ、娘! 環!」

 焦点の合わない目で、環は辺りの様子を窺う。そういえば、今の彼女には眼鏡がなかった。鮮やかな赤い縁の、彼女にお似合いの眼鏡――。

 両肩を掴み、揺さぶると、ようやく環が反応した。かすれた声で、澪を呼ぶ。

「やまがみ、さま? いるの?」

「おう、ここにいるぞ」

 何かが起きて、目が利かなくなっているのだろうか。

 気を使って澪が姿を現すと、環は「ああ」と頬を緩めた。

「……どうした。そんなに汚れて、お主らしくもない。よっぽどひどく転びでもしたか?」

 眉間に皺を寄せて尋ねる澪に、環は力なく首を振った。

 先ほどの颯爽とした出で立ちが、見る影もなかった。格好のいい履き物――ブーツとやらは土にまみれているし、膝には血がにじんでいる。

 同じく土の付いた手を綺麗にしてやろうと腕を取ると、服の隙間から赤く変色した手首が見えた。目を丸くした澪が環の腕を捲って確認すると、誰かに強く掴まれた跡があざになって残っていた。

 手首をそっとさすってやり、澪は優しく尋ねる。

「……何があった?」

 と、環の瞳から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。

「さっき、話に出てた男に」

 高嶺どのか――澪の顔から血の気が引く。

「『力』を喰われたわ。……澪さまの姿も見えなかった。今のあたしは、ただの人間なの」

 澪は、絶句して山の外へと目をやった。高嶺の姿など見えるはずがないのは当然分かっていたが、それでも視線を向けずにはいられなかったのだ。



 環は澪の山を出た後、最寄りのバス停を目指していた。

 ここは、交通の便が余り良くない土地だ。便数の少ないバスで小さな駅へ向かい、そこからは、やはり便数の少ない電車に長い時間乗り続け、街へ戻らなくてはならない。訪ねてくるのには一日がかりだ。

 平和で静かで、人の声が少ない村。それは多分、聖くんにはいい場所だろうけど、あたしには向いてない。そんなことを思いながら歩いていると、近づいてくる人影がある。

 環の目が捉えたのは、天を向くように逆立てた髪。獣のように鋭い目の光には、見覚えがあった。


 ――あの人、さっき『見た』!


 聖が恐れるあやかし、そして、澪を欺いている男だ。とっさに目を逸らしたが、果たして気づかれなかっただろうか?

 徐々に近づいてくる男を極力視界に入れないよう、環は歩き続けた。見えていない振りをする。意識してはだめだ。やり過ごすことのみを考えて、距離を縮める。

 あと残り十メートル、五メートル、一メートル……。

 無事にすれ違い、環がほっと胸をなで下ろした瞬間だった。

「おい」

 背中からの低い声に、環は肝を潰した。

 しまったと思ったところで、まさに後の祭りだった。ものすごいプレッシャーを纏った声が、否応なしに耳にねじ込まれてくる。

「あんた、今、俺を見ただろう。どうして、姿を消している俺が見える?」

 圧倒的な威圧に押されたのか、環の腕にはいつの間にか鳥肌が立っていた。否定も肯定もできず、環はただ立ち尽くす。

「この辺じゃ見ない顔だな。田舎娘にしちゃ垢抜けすぎてる。……いい女じゃねえか。どこから来た?」

 青年は、凍り付いたままの環の正面に回ると、値踏みをするかのように観察し始めた。

 顎を掴まれ、至近距離で無理やりに視線を合わせられて、環はついに観念した。それでも、聖と澪のことは隠し通そうと心に決めていた。

「私は人間です。観光にきたんです。……生まれつき人でないものが少し見えるだけで――別に怪しい者じゃないわ」

「少し見えるくらいじゃ、気配を消した俺には気付かないはずなんだよ」

「でも見えたんだから、仕方ないじゃない」

「強気だな」

 彼は、口の端だけを上げて笑った。しかし、突き刺さるような視線は全く揺るがない。

 これ以上足止めを食らっては危ないと、環は一歩後ろに引いた。

「……急いでいるので」

「待ちな」

 腕を掴まれ、引き留められる。

「痛い!」

 環は、思わず声を上げていた。手首を締め付けるように押さえつける強い力は、環の儚い抵抗などものともしなかった。力ずくで体を引きつけられ、耳元に顔を寄せられる。首筋に温かい息がかかり、環は身震いした。

 高嶺はまるで誘惑するかのように、環に囁いた。

「……魅力的だな。いったい、どれくらい見えるんだ?」

「放して!」

「その力、逃がすのは惜しいんだよ。俺に、喰わせてくれないか?」

「何を――嫌よ。絶対に、嫌」

 自分の声が震えていることに、環は気付いた。今の自分は、昔、自らが打ちのめしてきた相手と同じ状況に陥っている。

 ――たくさんの人を傷つけてきた報いだろうか。今更悔いたところで、遅かったのだろうか。

「……嫌。お願い、やめて!」

「そう怖がるな。命までは取らねえ。せめて、寝てる間に済ましてやるよ」

 首の後ろに、強い衝撃があった。頭ががくりと動き、弾みで伊達眼鏡がどこかへ飛ばされる。

 痛い、と思ったときには、環は道の真ん中に倒れ込んでいた。


「すまぬ」

 地面に擦るほど深々と、澪は環に向かって頭を下げた。謝って済む問題ではないことは重々承知していたが、それでも、こうせざるを得なかった。

「儂の不覚じゃ。儂がもっと気をつけてやれば、かような酷い目に遭わずに済んだものを」

「……目を、合わせちゃったの。あたしのミスだわ」

 泣きながら、環は弱々しく首を振った。

 ――可哀想にのう。

 普段の彼女とはかけ離れたありさまに、澪は思わず環を抱きしめた。

 力を遠ざけてきた聖とは違い、ここまで力を拠り所にして生きてきた環。『目』を使わない生活を始めたとはいえ、まだほんの一年程度だ。生まれたてにも等しいままの心で力を失い、放り出された格好になる。さぞかし心細いだろう。

 環が異能の持ち主だと高嶺に知られさえしなければ、こんなことにはならなかったはずなのだ。

 儂が悪かった。深い自責の念から、澪は環に尋ねた。

「儂に、何かできることはあるか」

「あいつ、やっつけて」

「高嶺どのを、か」

 それは今の澪には『できないこと』だった。昔の――全盛期の澪なら互角にやり合えるだろうに。

 頷くことができないまま、澪は重ねて訊く。

「あとは?」

 環は涙を手の甲で拭うと、濡れた目で澪を見つめた。

「このこと、聖くんに言わないで。あの子を悩ませるの、あたしの趣味じゃない」

 弱りきった彼女からは想像もつかぬような、はっきりとした言いぶりだ。昔の環を思い起こさせるような、絶対的な言葉だった。

「……うむ」

 それは、辛さに耐えさえすれば『できること』だ。

 澪は、女王の命令に従うほかなかった。他の選択肢は、どう考えても浮かんでこなかったからだ。

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