一番好きなもの

琴野 音

第1話 一つだけの味

大学を卒業した私は、就活戦争に見事に敗北してしまい、近くの居酒屋で働いていた。仕事があるだけマシだ。そう思いながら毎日を過ごしていたのだけど.....。


正直疲れた。


仕事に楽しみを見い出せない私は社会不適合者なのだろうか。よし、ニートになって小説でも書こう。一発当てて大金持ちだ!

.....なんてね。


「ただいま.....」

「おかえりなさい。あっちゃん」


夜も遅いのに、おばあちゃんは玄関まで迎えに来てくれた。優しいおばあちゃん。こんな人になりたいと何度思ったことか。

ウチには両親がいない。いや、死んでないよ? 仕事の都合で二人共転々としているから、昔からおばあちゃんの家が私の家なのだ。だから、お母さんも親って感覚がない。私を育てたのはおばあちゃんだもの。


「お腹減った? ご飯作るからお風呂入りなさいな」

「はーい」

「何食べたい?」


どうしようかな。今日はすごく疲れてるから、久しぶりに、頼んじゃおうかな.....。


「おにぎり」

「おにぎり? そんなのでいいの?」

「それが好きなのー。じゃ、お風呂入るね」


怪訝な顔のおばあちゃんを残してお風呂に入ることにした。湯船のお湯を少し熱めにして、疲れを溶かしてしまおう。

疲れにはそれが一番だ。




熱の篭った身体を空気で冷やし、濡れた髪を軽く叩くように拭く。髪をバスタオルでまとめ上げるのは好きじゃなくて、すぐにドライヤーで乾かしてしまう。化粧水と乳液で肌を気遣い、本日のルーチンワークはおしまい。

キッチンに向かった私は、まず最初に冷蔵庫からほうじ茶を取り出して口に運んだ。火照った身体を駆け巡る冷たいほうじ茶。この瞬間がたまんなく気持ちよくて、頭がクラっとしてしまう。

おばあちゃんは寝てしまったようで、テーブルの上におにぎりが二つ乗ったお皿とノートをちぎった書き置きが残されていた。


『今日もお疲れ様。おばあちゃんは寝ちゃうけど、このおにぎりとコンロにおみそしるがあるので温めて食べてね』


丁寧で小さな字。字は人柄を表わすとはこの事で、とてもおばあちゃんって感じがする。

って、私にしかわからないか。

ワカメの味噌汁は充分温かく、そのまま器にすくった。お腹が待ってくれなかったので、お茶も用意せずに椅子に座って、ゆっくり手を合わせる。


「おばあちゃん。いただきます」


楽しみにしていたおにぎりを手に持つ。おばあちゃんのおにぎりは三角ではなく丸い。それに、海苔もなくって少し大きいのだ。


「二つも食べれるかな」


ほんのり温かいそれを口に運び、多めに、頬張れるほどの量を一口。


「ん〜〜〜.....美味しいぃ.....」


口いっぱいのお米はふっくらしたクセのないコシヒカリ。外側だけに僅かにチラされた塩の味が何とも言えない。

塩分控えめの薄めの味噌汁で流し込み、同じ量のお米をもう一口。今度は具も一緒だ。

私の大好物ツナマヨ。マヨネーズは少しだけ。ここにもほんのり塩っけを感じて、脳がとろけそうになる。お米の一粒一粒が塩の乗ったツナマヨにコーティングされ、私の味覚を誘惑しながら喉を通り過ぎる。


「これだよ〜。おばあちゃんのおにぎりは最高だぁ」


完成された配分。これを越える食べ物なんて有りはしない。おにぎりを食べると味噌汁が飲みたくなり、味噌汁を飲むとおにぎりが欲しくなる。幸せの無限ループが始まる。

一つ目をあっという間に食べ終わり、手は迷うことなく二つ目を掴む。頬張る度、心の中まで優しく羽で包まれるように、幸福感で満たされる。

私は昔からこれを食べてきた。コンビニでツナマヨおにぎりが出るよりずっと前に、おばあちゃんのツナマヨを食べて育ったのだ。

色々食べた。メーカー別のもの。自分で作ったりもした。だけど、やっぱりおばあちゃんのおにぎりには敵わない。


最後の一口。幸せな時間が終わりを告げるように、惜しみながら口に入れた。よく味わって、残りの味噌汁で流し込む。

最大限に堪能して余韻に浸りながら、書き置きをもう一度読み返す。こんなのまで残して、面倒だったろうに。

だけど、嬉しくて涙が出そうになるよ。

小さい頃、おばあちゃんは何気なく語った。料理には気持ちがこもる。それが一番伝わるのがおにぎりなんだって。大きくなった後にその話をおばあちゃんにしたけど、当の本人はすっかり忘れていて、二人で笑ったっけ。


でも、その通りなんだよ? だから私はおばあちゃんのおにぎりが大好き。


書き置きをスウェットのポケットに入れて、手を合わせる。


「ごちそうさまでした」


感謝の気持ちを込めて。

洗い物を済ませて、ついでにテーブルも拭いてみた。こんなので気持ちは返せないけど、やりたくなっちゃったのだ。


元気出たよ。明日からも頑張れる気がする。


きっと、これからもおばあちゃんに甘えてしまう。私は弱いからたくさん迷惑もかけちゃうけど、おばあちゃんは守り続けてくれるだろう。そんなおばあちゃんにお返しをする為に、もっと働こう。いつか旅行に連れて行ってあげるんだ。


力をもらった私は、そう決意して眠ることにした。歯磨きを済ませ、布団に潜り込んでふと思いつく。


「私もおばあちゃんにおにぎり作っちゃおうかな」


絶対喜ぶぞ。なんたって、私は料理が出来ないから。情けない話だけど.....。

おばあちゃんの喜んだ顔を思い浮かべながら、お日様の匂いの残るふわふわの布団で眠りについたのでした。

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