十九の章 ウカシの策謀、ホアカリの決断

 異世界オオヤシマは、また不穏な空気に包まれ始めていた。


 ヤマトの国の将軍であるタジカラとヒノモトの魔剣士であるスサノが互いを睨み、ジリジリと間合いを詰めて行く。

「始めるか?」

 スサノが言った。タジカラはニヤリとし、

「良かろう!」

 二人は馬を走らせた。二人の顔はスサノの魔剣が噴き出す炎に照らされ、まさしく鬼神の形相になっていた。

「お館様!」

 ウズメとクシナダが同時に叫んだ。そして二人は互いを見た。二人共、思いは一つ。かつては酒を酌み交わした仲であるのに、何故今は刃を交えねばならぬのか?

「ふおおお!」

「ぬああああ!」

 タジカラとスサノの剣が激しくぶつかり合い、火花が飛ぶ。スサノは炎を出したままで攻撃しているが、タジカラは降りかかる火の粉もその灼熱の剣身もものともせず、むしろスサノを押し返す勢いで戦っていた。


 その頃、ナガスネは騎乗したまま、スサノ達の遥か後方で合戦の報告を受けていた。

「スサノめ、全てを背負うつもりか……」

 ナガスネが唯一信頼するスサノは、ナガスネの思いを知り、自分の命と引き換えにヤマトに譲歩を迫るつもりだ。その思いはナガスネに届いていた。ナガスネはスサノの覚悟に心を打たれ、何としても戦に勝つつもりでいた。しかし、ヒノモトの者全てがそれに賛同している訳ではなかった。


「スサノ一人で終わらせるものか。この戦、そのような形ですませるつもりはない。にえは多き程良し」

 ナガスネの無謀な戦いを快く思わないヒノモトの城の留守居役であるウカシは、混乱を引き起こすつもりでいた。彼はこっそり戦列を離れて城に帰還し、ホアカリのところに赴いた。

「何事か、ウカシ?」

 謁見の間で、ホアカリの嫡男であるウマシが対応した。ウカシはわずらわしいと思いながらも、

「ナガスネ様がスサノ殿とクシナダ殿を伴い、ヤマトに攻め入るおつもりでございます」

「何と!」

 ウカシは驚愕し、すぐさまホアカリのいる玉座の間に向かい、父に事の次第を説明した。ホアカリもその話に大いに驚き、トミヤと共に謁見の間に現れた。

「それは真か、ウカシ?」

 ホアカリは椅子に座りながら尋ねた。

「はい。ナガスネ様は戦の責めを負い、死ぬるお覚悟のようです」

 ウカシは跪いて答えた。そして頭を下げてからニヤリとする。

「何という愚かな! 死ぬるなら、一人で行けば良いものを……」

 ウマシはそう言い放ち、ホアカリを見た。

「ウマシ、仮にも伯父上の事をそのように申すでない」

 トミヤが悲しそうな目でウマシの失言を窘めた。

「ウカシ、ナガスネを追い、止めるのだ。もはや戦はならぬ。私がウガヤと話そう」

 ホアカリは決断をした。彼も彼なりに、オオヤシマの異変を感じていたのだ。

(このまま諍いを続ければ、ヨモツが蠢くやも知れぬ)

「承知致しました」

 ウカシはもう一度頭を下げ、再びニヤリとした。

(戦はやめさせぬ。もっと激しいものにするのみ)


 タジカラとスサノの戦いは長く続き、両名共疲れが見え始めていた。両名共息が荒くなり、肩が激しく上下に動いている。馬も脚がふらついていて、限界が近いようだ。

「く……」

 タジカラはスサノの剣の放つ炎で、腕と顔に火傷を負っていた。スサノもタジカラの怪力のせいで、腕の筋肉が断裂しそうになっていた。二人共、普通の人間であれば気を失っていてもおかしくない程の状態である。

「お気がすみましたか、お館様?」

 見かねたウズメがタジカラに声をかける。

「ぬ……」

 タジカラはまだ戦うつもりだったが、スサノの後ろに見えるクシナダの悲しそうな顔を見て気が緩んだ。

「お館様、もう宜しいでしょう?」

 クシナダも、戦意を喪失しかかっている夫に声をかけた。

「……」

 タジカラとスサノは互いに相手を見た。そして、ゆっくりと剣を鞘に戻した。それを見て、ウズメとクシナダはホッとし、顔を見合わせて微笑み合った。



「おいしかった」

 近くのファミレスで食事をすませた武彦と亜希は、家路に着いていた。亜希は行く時より嬉しそうだ。武彦は恥ずかしがっているが、亜希は組んだ腕を解かせてくれない。武彦は、亜希がどうしてそんなにテンションが高くなっているのか、理解できなかった。

「ねえ、武君」

 不意に笑顔の亜希が話しかける。

「何?」

 武彦はその近過ぎる亜希の顔にドキッとしながら言う。

「どうして急に私を誘ってくれたの?」

 亜希のその言葉に、武彦は更にギクッとして、またイスズ姫との事を思い出してしまった。

(まさか、姉ちゃんのそっくりさんに抱きつかれたので、姉ちゃんと顔を合わすのが気まずかったからなんて言えないしなあ)

 仮に言ったとしても、亜希が信じる訳がない。信じたとしても、

「何よそれ、酷いわ!」

と怒り出すだろう。姉と二人きりになるのが嫌だったので、亜希を呼び出したのだから、確かに酷い話なのだ。どれほど亜希に怒られても仕方がない。

「亜希ちゃんとご飯食べたかったから」

 恥ずかしかったので、武彦は俯いてそう答えた。確かにきっかけは誉められたものではないが、武彦の言葉に嘘はない。亜希と食事したかったのは本当だ。

「……」

 何故か亜希は何も言ってくれない。武彦はハッとして亜希を見た。彼女が怒ったと思ったのだ。

「嬉しい……」

 ところが、亜希は泣いていた。大きな瞳から奇麗な涙をポロポロ零していた。それがそばにある街灯に照らされ、キラキラ輝いている。まるで真珠のようだ。

「わわ、泣かないで」

 武彦は慌ててポケットからハンカチを出したが、汚れているのに気づき、すぐに引っ込めた。

「嬉しいよ、武君!」 

 亜希は泣きながら抱きついて来た。

「!」

 武彦は気を失いそうなくらい驚いた。亜希の体温と心臓の鼓動、そして胸の膨らみが感じられる。耳元で彼女の息遣いが聞こえる。

「嬉しいよ、武君。私、嬉しい……」

 亜希はしばらくそう言い続け、武彦に抱きついたままでいた。

「そ、そんなに喜んでもらえて、僕も嬉しいよ」

 武彦は呂律が回らなくなるくらい舞い上がっていたが、何とかそう言った。

「ホント?」

 亜希が涙で濡れた顔を武彦に向ける。あまりに近くだったので、互いにポッと赤くなった。

「ホントだよ」

 武彦は亜希を見たままで答えた。亜希はニッコリして、何故か目を閉じた。

「え?」

 武彦は、どうして彼女が目を閉じたのかすぐにはわからなかった。しばらく二人を沈黙が支配した。

 やがて鈍感な武彦も、それが何のサインなのか理解した。

(も、もしかしてこれは……?)

 心臓が飛び出しそうなくらいの勢いで動き出した。亜希の鼓動も早くなっているらしく、頬が紅潮して来た。武彦は顔が火照り、息が苦しくなるのを感じた。

「……」

 二人はそっと唇を触れ合った。本当に軽いキスだった。互いに照れ臭そうに笑う。腕を組み、身体を寄せ合って歩き出す。そして、亜希の家の前に着いた。

「お休み、武君」

 微笑む亜希をまともに見られず、武彦は応じる。

「お、お休み」

 亜希はしばらく手を振ってから、家に入って行った。武彦はつい唇を触ってしまう。

「……」

 亜希の柔らかい唇がここに触れた……。武彦の鼓動はまた早まった。


 その頃、武彦の家では、風呂上がりでパジャマ姿の母珠世がTシャツ短パン姿の美鈴と二人でキッチンで武彦の事を話していた。

「昨日は突然早く起きたから、びっくりした」

 美鈴は焼酎のお湯割りを大きめのグラスで飲みながら言った。珠世は美鈴より小振りのグラスに氷を入れながら、

「でもあの子、小さい時から、なかなか具合が悪いのを言わないから、それが心配よ」

「うん、そうなんだよね」

 美鈴は酔いが回ったのか、目がトロンとして来た。珠世はグラスをあおると、

「もう一度、病院に連れて行ってよ。今日あの子が帰ったら話をして」

と言い、グラスをサッと洗って、水切りにかける。

「うん」

 珠世はキッチンを出て行きながら、

「母さん、明日も早いから先に寝るね」

 美鈴は母を見て、

「うん。お休み」

「お休み」

 美鈴は珠世が部屋に戻ると、テーブルの端にあるポットを引き寄せて、グラスに焼酎を注いでお湯割りを作り、武彦の帰りを待つ事にした。

「武……」

 携帯を開き、待ち受け画面を見る。幼い美鈴と武彦が写る写真。武彦の事を心配になるたび、彼女はそれを見ていた。

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