二十の章 オモイの企み、オオヒルメの意志

 武彦は、亜希を彼女の家まで送ってから、そこから然程さほど離れていない自分の家の方角を警戒しながら、また商店街へと引き返した。彼はバイトの終了時間まで近所の大型書店で立ち読みや新刊の物色をしてから帰路に着いた。そのくらいの辻褄合わせをするのは、彼でも思いついた。

「……」

 しかし、気が重い。あのオオヤシマという世界がどんなところなのかよくわからないが、言葉はほぼ通じる。但し、彼等の話す言葉は武彦にはちょっと難しかった。だから武彦も自分が喋る時、こんな言い方で通じるのかと心配する時もあった。ツクヨミだけはそのような不安を感じない。彼は言霊師だと言っていた。自分の発する言葉に力を与えて、相手を操る事もできるし、攻撃する事もできるのだと。考えてみれば、ツクヨミはとんでもない存在だ。しかし、彼からは全く怖さを感じない。むしろ、自分と同じ、劣等感を感じるのだ。いつも物悲しそうなツクヨミの表情を武彦は思い浮かべた。

(ツクヨミさんは自分の力を恐れているんだな。だから、あんなに控え目なんだ)

 良くない考えを持つ者がツクヨミのような能力を持ったりしたら、多分あの世界だけでなく、今武彦が暮らしているこの世界も滅ぼされてしまうだろう。そう思った。

(それに、あの人はアキツさんの事が好きなんだ。だから、僕はあの人に共感できる)

 幼馴染みの都坂亜希に瓜二つのアキツ。彼女の存在があったからこそ、武彦はオオヤシマに呼ばれた。そして、アキツが亜希にそっくりだったから、武彦は彼女の事が心配になり、彼女に協力しようと思ったのだ。そこまではいい。

(問題は、イスズさんだよなァ……)

 イスズはヤマトの国の王女。そして、イワレヒコの姉であり、許嫁でもある。それは仕方ない。でも、そのイスズが、イワレヒコの身体に武彦が降ろされていると知っていながら、抱きついて来たのは、本当に面食らった。

(綺麗な人だし、普通なら悪い気はしないよ)

 いくら女性にモテない武彦でも、そんな事があれば嬉しいとは思う。しかし、イスズは姉美鈴にそっくりなのだ。

(ホント、困る。あんな事があると、姉ちゃんと顔を合わせられないよ)

 現に今日は、亜希と食事に出かける時、つい美鈴に嘘を吐いてしまった。そのため、余計気が重いのだ。嘘だとばれたら、只ではすまない。

(おまけに、二人のお母さんのタマヨリさんは、母さんにそっくりだし)

 そう、ヤマトの国のウガヤ王の妃タマヨリは、武彦の母である珠世に瓜二つなのだ。その偶然とは思えない出来事は、実は武彦の想像を超えたところで繋がりを持っていたのだ。

「はァ……」

 武彦は溜息を吐いた。目の前に自分の家の玄関のドアがある。

「只今」

 そっとドアを開け、申し訳程度の声で言う。美鈴は大学が休みの日は酒を飲んでいるから、もう寝ているはず。そして、珠世は明日も仕事が早いから、すでに寝入っているだろう。武彦はそう推理し、静かに玄関で靴を脱ぐと、そのまま二階の自分の部屋へ行こうとした。

「お帰り、武彦」

 美鈴がキッチンから現れた。完全に想定外だった武彦は驚きのあまり、危うく階段から転げ落ちそうになった。

「た、只今」

 顔を引きつらせたまま、やっとそれだけ言った。

「ちょっといいか、武彦」

 美鈴は酔いが回っているらしく、トロンとした眼で言った。武彦は嘘を吐いたのがバレたのかと思ってギクッとした。亜希の時とは違う理由で鼓動が高鳴って来るのがわかる。

「な、何、姉ちゃん?」

「いいから」

 武彦は美鈴に腕をギュッと掴まれ、そのままキッチンへと引っ張って行かれた。

(ど、どうしよう……?)

 ビビりまくる武彦だった。



 どこにあるのか、いつの時代なのかもわからない存在のオオヤシマ。

 

 スサノとタジカラは馬を降り、地面に寝転んでいた。

「仕方のないお館様ですね」

 ウズメは苦笑いをし、クシナダと目配せをし合い、それぞれの夫のところに歩み寄った。

「相変わらず、強いな、タジカラ」

 スサノが荒い息をしながら、夜空を見上げたままで言う。タジカラも胸を大きく動かして呼吸をしていたが、フッと笑い、

「お前は相変わらず弱いな、スサノ」

「貴様!」

 スサノは顔を上げてタジカラを見たが、その顔は笑っていた。

「この始末、どうつけるつもりだ?」

 スサノが真顔になって問うた。タジカラも顔を上げて、

「ありのままに申し上げる。この戦はもはや何も生まぬ。喜ぶは、ヨモツのみよ」

「貴様もそう思うたか」

 スサノは半身を起こした。タジカラも起き上がり、

「オオヤシマがこれほど悪しき心に包まれたは、何やら解せぬのでな。私は知恵は回らぬ方だが、勘は冴えておるのだ」

「なるほどな」

 スサノはニヤリとした。ウズメとクシナダは不安そうに顔を見合わせた。


 しかし、そんな彼らの思いは叶わぬ方向へと動き出していた。ヒノモトの国の留守居役であるウカシが、大軍を率いてヤマトの国に進んでいたのだ。名目はナガスネを止めるため。逆らうようであれば、攻撃するという大義を得ていた。

(ホアカリは本当に間抜けな王よ。俺が言った事を全てに受けた。何とも愉快だ)

 ウカシはその大軍でヤマトに攻め込むつもりだ。彼はナガスネが進軍したと思われる道を外れ、違う進路でヤマトを目指していた。歩兵達が掲げる松明の火がゆらゆらと揺れ、辺りを照らし出している。街道沿いの家に住む民達は怯えたような眼差しで、ウカシ軍の行軍を見ていた。

(イザ様は、血がお好きだが、俺は好かぬ。但し、人の命は俺も好きだ)

 ウカシはヨモツの女王イザと通じている。そして、彼はヨモツに魂を売った人間である。

「全軍、ヤマトの国に攻め込むぞ。ヒノモトに勝利を!」

 ウカシは兵達にげきを飛ばした。視点の定まらないような目つきの兵達は、

「おーっ!」

と応じたが、自分の意志で動いているとは思えない。ウカシはそんな兵達を見渡してニヤリとした。

 イワレヒコは残虐であったが、民を巻き込む戦はしなかった。しかし、ウカシは敢えて民を殺戮し、イザにその魂を土産として捧げるつもりなのだ。


「むっ?」

 ツクヨミはイワレヒコの部屋に戻って姿を現した時、そのウカシの悪しき心を感じた。

「何奴?」

 ツクヨミは自分の言霊を飛ばし、ウカシの心を探った。彼はウカシとは会った事がないため、彼の心を捉えるのは難しかった。

(やはり知らぬ者の心は捉えられぬか)

 ツクヨミは自分の力の至らなさを悔やんだ。


 そしてもう一人、ウカシの心を捉えていた者がいる。ヤマトの国の軍師、オモイである。彼は自分の寝所でウカシの悪意を感じていた。

「そうか。奴はそう出るのか。しかし、そうはいかぬ。お前に手柄の独り占めはさせぬぞ、ウカシ」

 オモイはその青い瞳をギラつかせて、そう呟いた。


 オオヤシマの北の外れにある洞窟アマノイワト。

 先代の女王であるオオヒルメとその後継であるアキツが、長い時間をかけて、ヨモツを抑える祝詞を唱えていた。

「アキツ」

 オオヒルメが不意に言った。アキツはオオヒルメを見て、

「はい、大叔母様」

 オオヒルメは前を向いたままで、

「時が来たようだ。私は命を捨てねばならぬ」

「どういう事です?」

 アキツはオオヒルメの言葉に仰天した。オオヒルメは穏やかな顔でアキツを見て、

「大声を出すな、アキツ。この定めは、私がワの国に生まれた時から決まっていたものじゃ。騒ぐ事ではない」

「ですが、大叔母様……」

 アキツはいつになく動揺していた。そんな日が来るとは思ってはいたが、現実にオオヒルメの口から告げられると、平常心ではいられない。

「もはや、この程度の祝詞で抑えられるようなものではない。ヒラサカが軋(きし)んでおる」

 ヒラサカとは、オオヤシマとヨモツを隔てる場所である。その昔、時のワの国の王が自分の命をしてヨモツを封じたという伝説が残っている場所だ。

「それでもヨモツを止める事ができぬ時は、頼んだぞ」

「はい……」

 アキツは泣いていた。オオヒルメはそんなアキツを一度優しく抱きしめてから、ヒラサカがあるイワトの奥へと歩き出した。

「大叔母様……」

 アキツは小さな声で言った。そして、その場に泣き伏してしまった。

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