十八の章 スサノの決意、クシナダの思い

 二十一世紀の日本で生活している磐神武彦は数日前まではごく普通の高校二年生だったが、ある事がきっかけで劇的な人生を歩む事になった。


 オオヤシマ。どこにあるか、いつの時代なのかもわからない世界。だが、それは確実に存在している。


 磐神武彦がオオヤシマに呼び込まれてから、戦いの流れが大きく変わった。一時は一触即発の場面があった程だったが、それは今ほとんど消滅したに等しい。好戦的であったヤマトの国の王ウガヤの考えは、武彦の魂が宿った剣士イワレヒコの変化で押さえ込まれ、攻め込まれる寸前であったヒノモトの国も、ヤマトの国の将軍であるタジカラの奥方であるウズメが、オオヤシマの行く末を憂うツクヨミの考えに同調し、夫を説得して事なきを得た。

 だが、このままうまく収束するかに見えた二国のいがみ合いは、どうしても退く事ができないヒノモトの国の将軍ナガスネのこだわりにより、振り出しに戻ってしまう。

 彼は腹心のスサノ・クシナダの二人と共に、夜陰に紛れてヤマトの国へと進軍していた。その中で、スサノとクシナダは先発し、夜目の利く馬で国境に迫った。

「む?」

 クシナダは、アマノヤス川の水が騒がしいのに気づいた。

「お館様、お待ちください」

「どうした?」

 スサノは手綱を引きながら尋ねた。クシナダは周囲を見渡し、

「川の向こうに、何者かが潜んでおります」

「何? ヤマトの斥候ではないか?」

 スサノも目を凝らして川の向こうを見た。しかし、何も見えない。明かりが動いている様子もない。スサノとクシナダはどちらも夜目が利く家系である。自分達と同じように動ける者がヤマトの兵にいるとは思えない。

「違います。これは……」

 クシナダは水に様子を探らせるため、アマノヤス川から支流へと探索の手を伸ばした。

「あ!」

 突然、何かが水を襲い、探索は中断させられた。

「如何した?」

 スサノが奥方の様子の変化に気づいて尋ねる。クシナダは苦笑いして、

「しくじりました。敵に我らの居場所を教えてしまったようです」

 スサノは慎重なクシナダがしくじったと知り、目を見開いた。

「何と? それはどういう事か?」

 クシナダは放っていた水を引き戻しながら、

「ウズメ殿です」

「ウズメか!?」

 スサノは、ヤマトの国の舞踏師であるウズメを思い浮かべた。クシナダと違い、全体的に小柄な、それでいて周囲を圧倒する力を秘めた女。そんな印象である。そしてまた、彼はかつて、そのウズメを懸けてタジカラと戦った事を思い出した。スサノは、その事を知りながら自分の思いに応えてくれたクシナダが愛おしく、そして未だもってウズメの名を聞くと胸を締め付けられる自分を情けなく思っている。

「ウズメ殿が八百万の神を降ろして、国境を見張っていました。私はその気配にまさしくたばかられたようです」

 あまりに鮮やかな罠であったため、クシナダは悔しさを感じていなかった。

「ならば、このような策、もはや意味なし!」

 スサノは屈めていた身を起こした。

「堂々と渡るのみよ!」

 そして剣を抜いて高く掲げた。彼は魔剣士である。その剣は炎を発する。

「我が力、振るおうぞ!」

 剣から大きな炎が噴き出し、辺りを赤々と照らし出した。

「お館様……」

 クシナダは呆れていたが、やがて微笑み、

「では、参りましょう」

「おう!」

 二人は炎の明かりで照らされた道を馬に鞭を入れて走り出した。


 スサノとクシナダの先発は、ヤマトの城のウズメに知らされていた。

「お館様、スサノ殿とクシナダ殿が参ります」

 ウズメの報告に、タジカラはニヤリとして身を起こし、

「思うた通りよ。夜陰に紛れて来る者があらば、それはあの二人をおいてなし。我らも出立致すぞ」

と言い、立ち上がった。

「陛下にはお知らせしないのですか?」

 ウズメの言葉にタジカラは鎧を身に着けながら、

「これは私とスサノの因縁よ。陛下にはお伝えしない」

「……」

 ウズメは、その昔、自分を懸けてタジカラとスサノが争った事があるのを思い出した。その時、ウズメは、自分はそれ程の女子おなごにあらず、と思い、二人の戦いを悲しんだ。戦いは引き分けに終わったが、スサノが引き、タジカラがウズメと添う事になったのだ。しかし、その勝負をタジカラは納得せず、スサノに再戦を申し出た。だが、その直後にオオヒルメに追放されたスサノは、タジカラとの再戦を果たす事なく、ナガスネの元に行き、その後、クシナダを娶った。

「まだスサノ殿をお許しでないのですか、お館様?」

 ウズメの目はタジカラを非難するかのようだった。タジカラは苦笑いして、

「そうではない。昔の諍いはすでに決している。彼奴もクシナダと添ったではないか」

「では何が因縁なのですか?」

 ウズメはまだ少し怒っている。タジカラはこれはいかんと思って、部屋を出て行きながら、

「スサノとは、剣の腕の優劣がまだついていない」

「……」

 いずれにしてもおのことはわからぬ生き物よ、とウズメはタジカラとの睦み合いで乱れた衣を直しながら思った。



 武彦は帰宅した。そして、姉美鈴がいないのを確認すると、素早く部屋に駆け込み、猛スピードで着替えをすませ、まだ時間があるのにバイトに行く準備をした。

(姉ちゃんに顔を合わせると、イスズさんとの事を思い出して気まずいから、サッサと出かけちゃおう)

 武彦は靴を履き、玄関を出ようとした。すると携帯が鳴った。

「誰だ?」

 着信を見ると、バイト先のコンビニの店長からだ。

「お疲れ様です」

 店長からの連絡は、店の電気系統が故障して臨時休業になってしまったので、今日は休んで欲しいというものだった。

「そ、そうですか。わかりました」

 武彦は携帯を切り、溜息を吐いた。確か今日は美鈴も大学が休みなのだ。いよいよピンチである。

「家にいると、しばらく姉ちゃんと二人きりだしなァ」

 考えた挙げ句、武彦は意を決して亜希に電話した。

「どうしたの、武君?」

 亜希は非常に驚いた声で訊いて来た。武彦は照れ笑いして、

「たまには夕ご飯、一緒に食べない?」

と誘ってみた。美鈴と二人きりになるくらいなら、亜希と一緒にいた方がいいと思ったのだ。

「な、何よ、いきなり? どうしたの?」

 亜希の声は動揺していた。でも武彦はそれに気づかない。

「都合悪い?」

 ヤマトの国のイスズに「好きな人がいる」と言った事で、彼は少しずつではあったが亜希を意識し始めている。だから、断られたらどうしようと思って、いつになく必死だ。もちろん、美鈴と二人きりになりたくないという気持ちも強かったのであるが。

「そんな事ないわよ。どこに行けばいい?」

 亜希がOKしてくれたので、武彦は小さくガッツポーズをした。

「ああ、僕が迎えに行くから、待ってて」

「う、うん」

 亜希の声は弾んでいた。

「よし」

 何となく嬉しくなる武彦。自分でも亜希と一緒にいる事が楽しいと感じていた。今までには決してなかった感情である。

「あっ!」

 玄関のドアを開けると、その向こうに美鈴がいた。途端にイスズと姉がオーバーラップし、更にイスズに抱きつかれた事、お子を産みたいと言われた事を思い出した。恥ずかしくなって、俯いてしまう。

「あ、武、今からバイト?」

 美鈴は重い病気かも知れない弟を気遣ってか、いつになく言葉が穏やかだ。そして彼女は、武彦がオオヤシマで体験して来た事を知る由もない。

「う、うん」

 武彦は美鈴の顔を見られない。美鈴は武彦が俯いているので、まだ悩んでいるのかと訊こうとしたが、心療内科の医師に言われた「心的な病気は、身近な人の影響によるものが多いのです」という言葉を思い出し、

「気をつけてね」

とだけ言うに留めた。絶対変に思われるから顔を見ないと、武彦は思ったが、どうしても見られない。

「うん」

 咄嗟に嘘を吐いてしまった。姉はそのまま家の中に入って行った。武彦は何か後ろめたくなった。

「どうして嘘吐いちゃったのかな?」

 姉に対して隠し事など一つもなかったのに、今日生まれて初めて隠し事をした。武彦は妙にソワソワした。


「武君」

 亜希の家に行くと、彼女は門の外で待っていて、手を振った。

「バイトは?」

「臨時休業だって。電気系統が故障して……。店長、かなり焦ってたよ」

「そうなの」

 亜希は嬉しそうだ。着ている服もノースリーブのフラワー柄のワンピースで、凄く可愛い。と言うより、亜希は何を着ていても可愛い。武彦はそんな風に思い、ニヤニヤしてしまった。

「何よ、思い出し笑いなんかして。気持ち悪いな」

 亜希が言った。武彦はハッとして、

「ご、ごめん。僕笑ってた?」

「ええ、とっても嫌らしい顔でね」

 亜希がからかうように言った。すると武彦はビックリして、

「そ、そうなの? でも、亜希ちゃんが凄く可愛いから、嬉しくなって……」

「えっ?」

 亜希は泣きそうになった。武彦が何年かぶりに自分の名前を呼んでくれたからだ。

「今、武君、私の名前を呼んでくれた……」

 亜希は涙ぐんで言った。武彦は亜希が泣きそうになっているのを知り、

「ご、ごめん、名前で呼んだのいけなかった?」

「そんな事ない。そんな事ないよ、嬉しいよ、武君」

 亜希は涙を拭いながら微笑んだ。

「そ、それなら良かった」

 また怒られるのかと思い、一瞬焦った武彦だった。



 オオヤシマは、武彦達の世界と違い、一気に緊迫していた。ヤマトとヒノモトの剛の剣士がオオヤシマのほぼ中央に位置する丈の短い草が生い茂る平原で出会っていた。スサノの魔剣が噴き出す炎とタジカラが持っている松明たいまつの火以外何も明かりがないので、彼らの周囲は対照的に漆黒の闇である。見えているのは、互いの姿のみだ。

「久しぶりだな、タジカラ」

 スサノが炎の剣を高く掲げて言った。

「おう、スサノ。今宵こそ、全てのケリを着けようぞ」

 タジカラも松明をウズメに渡して剣を抜き、スサノを指し示した。ウズメとクシナダは、それぞれの夫の後ろに馬を下がらせ、心配そうに行方を見守っていた。

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