十七の章 ナガスネのこだわり、オモイの野望

 武彦は顔を上気させ、イスズの部屋を出た。イスズが姉美鈴に瓜二つなのも、武彦を動揺させたが、それ以上にイスズが自分に好意を抱いている事が、武彦には驚きだった。

「お待ちしておりました、たけひこ様」

 姿を消した状態のツクヨミが声をかけた。武彦はホッとして、

「ツクヨミさん、驚きましたよ。イスズさんがいきなり抱きついて来たんです」

「ほう」

 ツクヨミもイスズがそんな大胆な行動に出るとは思っていなかった。

「元々、イスズ様とイワレヒコ様は仲がよろしゅうございましたから」

 ツクヨミはクスッと笑ってから言った。

「そ、そうなんですか?」

 武彦は、今後もあんな事があるとどうにかなってしまうと思った。

(でも、僕、あの時、好きな人がいるんですって言っちゃったな……)

 武彦はその時、自分が都坂亜希の事を好きなのを思い知った。小さい頃からずっと見て来た幼馴染。公園の砂場で結婚の約束をしたような気もする。しかし、成長するにつれ、亜希は武彦にとって段々と遠い存在になって行った気がした。

(アキツさんを助けてあげたくなるのも、委員長に似ているからなんだよな)

 それでも亜希の事は「委員長」のままの武彦であった。


 アマノイワトでは、オオヒルメが休まずに祈り続けていた。アキツもその隣で祈っている。

(オオヤシマを覆う悪しき心が、多少はやわらいだように思える。タジカラが退き、イワレヒコ殿がたけひこ様になられたからか)

 アキツが安堵していると、イワトの奥が鳴動した。イワトの中の空気が激しく振動し、耳鳴りがするような気がして、アキツは奥に目を向ける。

「何じゃ?」

 オオヒルメも祈りをやめて奥を見た。その先には、闇の国ヨモツとオオヤシマを隔てるヒラサカがある。そこを大昔、自分の命を投げ出し、封じたワの国の王がいた。だが、アキツはその王の名を知らない。何故か語り伝えられていないのだ。

「ヨモツが蠢いておる。まだ何やら起こる兆しが見えるぞ、アキツ」

 オオヒルメは眉間に皺を寄せて言った。

「はい、そのようで」

 アキツは奥を見据えたまま立ち上がり、クルリと踵を返すと、イワトの外へと向かう。

「ナガスネ、まだ諦めないのですか?」

 外に出ると、彼女は拳を握りしめて空を見上げ、呟いた。

「たけひこ様、ナガスネをお止めください」

 彼女は柏手を一回打ち、武彦にその思いを送った。


 ナガスネは、ヒノモトの国の王であり自分の妹トミヤの夫でもあるホアカリには何も告げず、密かに自分の館に軍を集結させて、庭先で軍義を開いていた。

「海伝いに行くは確かに良い案であったが、隙を突かれる恐れもある。残された道は一つのみ」

 ナガスネは声を低くして言った。

「はい」

 スサノとクシナダは跪き、椅子の座っているナガスネを見つめている。

「どうなさるおつもりですか?」

 もう一人の賛同者であるウカシはナガスネの無謀な策を恐れているかのように尋ねた。

「アマノヤス川を越え、ヤマトの国に攻め入る」

 ナガスネの作戦は玉砕覚悟のものだ。ウカシはナガスネの短絡さに呆れていた。

(やはり、潰れてもらうか、この能無し将軍には)

 ヨモツに通じているウカシは、その女王イザの命を受け、ヒノモトの国を内部から焚き付けるのが役目である。彼は別に血を好む人間ではない。ナガスネ達が勝手に戦い、自滅してくれるのが一番楽な方法である。

「ナガスネ様、それでは兵共が無駄に死にまする。ここは一つ、我ら二人にお任せくだされ」

 スサノがニヤリとして言った。ナガスネは眉を吊り上げて、

「何やら策があるようじゃな、スサノ?」

「はい」

 スサノは大きく頷いてからクシナダと顔を見合わせる。それを冷酷な目でウカシが見ていた。


 ツクヨミと武彦は、そのままイワレヒコの部屋に行った。

「このヤマトの城で心を許せるは、イツセ様とイスズ様とタマヨリ様のみにございます。決してそれ以外の方をこのお部屋にお入れなさいますな」

 ツクヨミは部屋の中に入ると、姿を現して武彦に注意を促した。イワレヒコの部屋は、調度品は何もない。予備の剣と楯、鎧兜が並べられていて、後は椅子と寝具があるくらいだ。武彦はそれを見渡しながら、

「はい、ツクヨミさん」

 ツクヨミに言われるまでもなく、この部屋には誰も入れないようにしようと思う武彦だった。

「何やら、先程アキツ様の声が聞こえました」

 ツクヨミが不意に言った。

「ええ。僕にも聞こえました。ナガスネをお止めくださいと言ってましたね」

 武彦は椅子に腰掛けて言った。ツクヨミはその前に跪いて、

「ナガスネは諦めの悪い男でございます。まだヤマトを攻むるつもりかと」

「そうみたいですね」

 武彦は腕組みして思案した。そして答えを求めるようにツクヨミを見た。

「どうしたらいいのでしょう?」

 ツクヨミは武彦を見上げて、

「今日はひとまずお休みください。いくらナガスネでも、夜に攻め入っては来ますまい」

「そうですね」

 武彦はツクヨミの言葉にホッとして、

「お休みなさい」

と言うと、そのまま椅子で眠ってしまった。ツクヨミは倒れかけたイワレヒコの身体を椅子に戻した。

「やはり、限りがあるようだ。たけひこ様をこちらに長くおとどめする事は難しい」

 ツクヨミは、武彦が元の世界に戻ってしまうまでの時間を引き延ばせないかといろいろ考えてみた。



「あっ!」

 武彦は、急に声を上げて目を覚ました。

「どうした、磐神?」

 黒板に向かっていた現代社会の先生が振り向いた。武彦は自分の世界に戻って来た事を自覚した。

「す、すみません、何でもないです」

 武彦は慌ててそう言いつくろった。クラスの一同が武彦を見てクスクス笑う。立ち上がっていた亜希が振り返り、ムッとした顔で自分を見ている。つい、俯いてしまう。

(うわ、委員長、怒ってる……)

 亜希は答え終え、椅子に座った。武彦の頭に疑問が浮かぶ。

(あれ、委員長が答えていた。僕はそんなに眠っていなかったのか?)

 ツクヨミが、武彦の時間のほんの一瞬を切り取って呼び込んだのだ。だから、武彦は本当に一瞬眠っただけだった。

(どういう事なんだろう?)

 それを説明されていない武彦には、謎であった。


「武君」

 授業が終わり、武彦がオオヤシマの事をあれこれ考えていると、亜希が話しかけて来た。

「な、何、委員長?」

 武彦はギクッとして、亜希を見た。

「何よ、そんなにビクついて……。そんなに私って怖いの?」

 亜希は「委員長」と言われた事にムッとして、口を尖らせて尋ねる。どんな仕草をしても委員長は可愛い、と武彦は思った。もう完全に「亜希バカ一直線」である。

「そ、そんな事ないよ、怖くないって」

 慌てて作り笑いをし、答える。

「本当に?」

 亜希はズンと顔を近づけた。亜希の瞳の中に自分の顔が見えるほど接近され、武彦はドキドキした。

「ほ、本当だよ」

 それだけ言うので精一杯だ。顔がドンドン火照って来るのがわかる。

「そう」

 亜希はニコッとして教室を出て行った。武彦はホッとして思わず椅子の背もたれに寄りかかった。

「やっぱり、アキツさんとは違うよな」

 完全にドッキリ説はなくなったと思った武彦であった。そして、もっと問題な事を思い出す。

(ああ、委員長はともかく、姉ちゃんと顔を合わせるの、嫌だなア)

 姉の美鈴そっくりのイスズに抱きつかれた事を思い出した武彦は、姉と会うのが憂鬱になっていた。



 ヤマトの国では、ウガヤとオモイが薄明かりの中、ウガヤの書室で密談していた。

「やはりそうか」

 ウガヤはオモイから、イワレヒコをツクヨミが操っていると聞かされていた。ウガヤ自身そう思っていたので、彼は何の抵抗もなくオモイの言葉を受け入れた。

「して、ツクヨミはどこにおるのか?」

 ウガヤは眉をひそめて尋ねた。

「それはわかりませぬ。恐らくは、アマノイワトではないかと」

 オモイは跪いて答える。ウガヤは立ち上がって、

「何としても、あの物の怪の策を破らねばならぬ。このままでは、ヒノモトに攻め込まれてしまうぞ」

「はは」

 オモイは頭を下げながら、ニヤリとしていた。しかし、ツクヨミはその密談を姿を消して聞いていた。さすがの軍師オモイも、ツクヨミのその力には気づいていない。

(やはり油断ならぬはこのオモイだ。何を企んでおるのか?)

 ツクヨミは静かに書室を出る。急がねばならぬ。そう思った。


 しかし、ツクヨミのヒノモトに対する読みは外れていた。ナガスネはわずかな兵を伴い、スサノ、クシナダと共に出立していた。ヤマトの斥候に気取られぬために、明かりを灯さず、まるで地を這うような進軍である。

「いくらイワレヒコが強かろうとも、隙を突かれれば一たまりもなし。勝利は我らにあり」

 ナガスネはそう呟いて、馬上で満足そうに笑った。

「我らは先に参ります、ナガスネ様」

 スサノとクシナダが告げた。

「うむ、頼むぞ、スサノ、クシナダ」

 ナガスネは目を細めて二人を見た。彼はスサノとクシナダに全幅の信頼を置いている。

「はは!」

 スサノとクシナダは、夜目の利く馬に跨がり、先発した。

「すまんな、クシナダ」

 スサノが手綱を動かしながら言う。

「何の事です、お館様?」

 クシナダはとぼけて尋ねる。

「このような負け戦の道連れにしてしまった事だ」

 スサノは苦笑いして目を前に向けて言った。

「何を仰せです。まだ負けと決まった訳ではありませぬ」

 クシナダは笑って返した。

「相変わらず、気が強い事よ、其方は」

 スサノは低く笑った。クシナダもフッと笑い、

「そうでなければ、お館様と夫婦めおとにはなれませぬ」

 二人は暗がりで顔を向け合った。

「何より、魔導士という卑しい身分の私をめとってくださったお館様とは生くるも死ぬるも一緒と決めております」

 クシナダは目を潤ませて続けた。するとスサノは、

「俺も同じよ。オオヒルメ様にワの国から追放され、路頭に迷っていたのだ。其方との身分の上下などないも同然」

「お館様……」

 クシナダはスサノの言葉に唇を震わせて涙を流した。

「だからこそ、そのような俺を拾ってくださったナガスネ様のご恩に報いねばならぬ」

「はい」

 クシナダは大きく頷いた。

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