十六の章 イスズの思い、ナガスネの決意

 ヤマトの国では、玉座の間で王族の会議が開かれていた。イワレヒコの提案で、オモイは席を外させられ、退室した。

「どういうつもりか、イワレヒコ? オモイはヤマトの軍師なるぞ」

 オモイを退室させた事が不愉快なウガヤは憤然として尋ねた。イワレヒコは跪いて、

「オモイは悪しき心を持っております。あの者には、話を聞かれとうありませぬ」

「オモイは、其方の勧めで軍師として仕えさせたのだぞ。何を血迷うておるのだ?」

 ウガヤが困惑するのは当然だ。オモイを採用し、大戦の折には、必ず作戦参謀として戦線に連れて行っていたイワレヒコの言葉とは思えないのである。

「私は、あの者を見ていて、ようやくわかったのです。オモイは、オオヤシマに災いを招こうとしております」

 イワレヒコのその言葉に、ウガヤはまた憤激した。

「イワレヒコ、貴様、やはりアキツかツクヨミに操られておるな!? そこへ直れ、成敗してくれる!」

 ウガヤは椅子を立ち上がり、イワレヒコに詰め寄った。イツセが、

「父上!」

と止めに入ったが、ウガヤは収まらない。

「お前までが、あの女の色香に迷うたのか、イワレヒコ!」

「父上、言葉が過ぎますぞ!」

 イワレヒコは立ち上がって怒鳴った。ウガヤはその背丈の違いにビクッとし、後退りした。イワレヒコはウガヤを睨みつけ、

「何故おわかりいただけぬのですか、父上? ヤマトとヒノモトが争えば、悪しき心がオオヤシマに溢れ、ヨモツが喜ぶばかりです! 今は手をたずさえ、ヨモツに対するべきなのです」

 イワレヒコの言葉はツクヨミの言葉なので、その説得力は絶大であった。

「父上、古より伝わる話です。ヨモツは、オオヤシマの悪しき心を好物とすると」

 イワレヒコの言葉に同調したイツセもウガヤに詰め寄った。ウガヤは二人の息子に言い返され、憤懣ふんまんやるかたなかったが、

「……」

と何も言い返さずに椅子に座った。

「しかし、イワレヒコ、ヒノモトはどうするのだ? ナガスネは退く事を知らぬ男だぞ」

 イツセが尋ねた。イワレヒコはイツセを見て、

「そちらも私が参ります。ナガスネはともかく、ホアカリ様はわかってくださいましょう」

「ホアカリは腑抜け故、ナガスネの言いなりぞ」

 ウガヤは吐き捨てるように呟いた。

「陛下、仮にも兄上様にそのような……」

 タマヨリが口を挟んだ。ウガヤは苛立たしそうに彼女を見て、

「お前は口出し致すな!」

と怒鳴った。タマヨリは悲しそうにイワレヒコとイツセを見た。

「父上、ホアカリ様は確かにお優し過ぎますが、それでも王家の方です。ナガスネもそこまで逆らう事はありませぬ。私にお任せください」

 イワレヒコの言葉はあくまで下手であったが、ウガヤはその有無を言わせない気迫を感じ、恐れおののいた。もちろん、ツクヨミが言霊でウガヤをそう思わせているのもあるのだが。

「わかった。好きに致せ」

 ウガヤは顔を背けて言った。イワレヒコは再び跪き、

「ありがとうございます」

と頭を下げた。イツセはそんなイワレヒコを嬉しそうに見ていた。

(アキツ様に会って、変わったのだな、イワレヒコ)

 タマヨリもイワレヒコの変わりように目を潤ませていた。


 ウズメは、夫タジカラと共に城の自室に戻っていた。彼女はいろいろと考えた挙句、夫には真相を教えておこうと結論を出し、ツクヨミが姿を消してイワレヒコの後ろにいる事、彼がイワレヒコの変貌に大きく関わっているらしい事を話した。

「何と……」

 タジカラはウズメから聞いたのでなければ、決して信じなかっただろう。それ程、奥方の話は驚愕するものであった。

「ツクヨミ殿はこのヤマトを救ってくださいます。私はそう信じております、お館様」

 ウズメは決死の覚悟だった。もしかすると、夫に切り捨てられると思ったのだ。

「わかった。お前がそう申すのなら、それが真なのであろう」

 タジカラはそう言うと、自分の椅子にドスンと腰を下ろした。ウズメはホッとして顔を綻ばせた。

「さあ、ちこう。其方とは久しく語ろうておらぬ」

 タジカラはウズメを隣に座らせ、抱き寄せた。

「お館様、まだ日も高うございますよ」

 ウズメはせっかちな愛し方しかできないタジカラを窘める。タジカラは苦笑いして、

「私はそういう男なのだ」

と応じると、彼女の口を吸った。


 会議は終わった。イワレヒコは出立前にイスズに挨拶しておきたいと言い、彼女の部屋へ赴いた。

「お帰りなさいませ」

 怯えたようにイスズが頭を下げ、出迎えた。イワレヒコが入口の戸を閉じると、ツクヨミが姿を現した。

「え?」

 武彦はびっくりして思わず声を出してしまった。顔を上げたイスズも、ツクヨミがいきなり現れたので、仰天していた。

「イスズ様、私の話をお聞きください」

「は、はい」

 ツクヨミと武彦はイスズに出された椅子に座り、彼女も自分の椅子に腰を下ろす。そしてイスズはツクヨミから、イワレヒコの身体が異界の人間である磐神武彦の魂を宿している事、ツクヨミが言霊の力で姿を消してイワレヒコの声で話している事などを聞いた。また武彦はイスズが姉美鈴に瓜二つなのに気づき、ギョッとしていた。

(どういう事? 委員長に、母さんに、姉ちゃんに……)

 かなり混乱している武彦だった。幼馴染の都坂亜希や母の珠世と違い、姉美鈴にそっくりな女性は、彼にとっては「脅威」なのだ。

「たけひこ様、よろしくお願い致します」

 姉にそっくりな顔のイスズが穏やかな顔でニッコリして武彦に言う。武彦は何かむず痒かった。

(姉ちゃんて、ホントに美人なんだなって、イスズさんを見るとわかるな)

 武彦はそんな呑気な事を思いながら、

「は、はい」

 そう答えてから、ツクヨミに小声で言う。

「この人、僕の姉にそっくりです」

「そうですか」

 ツクヨミは、ますます、

(この方こそ、本来のイワレヒコ様なのかも知れぬ)

という思いを強めていた。イワレヒコの気性があまりに激しいのは、心が二つに分かれてしまったからではないかと、ツクヨミは考えた。

「何やら、俄かには信じられぬお話ですが、ヤマトとヒノモトが争いをやめてくれるのであれば、私はどんな事も信じましょう」

 イスズはツクヨミと武彦を見て言った。そして、

「ツクヨミ殿、たけひこ様とその、お話があります」

と少々頬を赤らめて言った。

「あ、はい。わかりました。私はウガヤ王の様子を見て参ります」

 イスズの異変に気づかないツクヨミはそう言うと、再び姿を消し、部屋を出て行った。

「……」

 武彦は、姉そっくりのイスズと二人きりにされて、緊張していた。悲しき条件反射である。美鈴が知れば激怒するだろうし、イスズが知れば、悲しむだろう。武彦はイスズと差し向かいで座っているのに堪えられなくなり、立ち上がった。

「たけひこ様、どうぞ、ご無事で」

 イスズはまた微笑んで武彦を見上げる。

「あ、はい」

 イスズも立ち上がり、武彦に近づいた。

「今までこのような心持ちになった事がございませぬ」

「え?」

 イスズは武彦にスッと抱きついて来た。武彦は顔が熱くなるのを感じた。

「うわわ」

 髪からいい香りがする。イスズの身体は柔らかかった。イスズは目を潤ませて武彦を見上げ、

「私をお抱きください。貴方様のお子を産みとうございます」

「ええええ?」 

 武彦は仰天した。抱く?抱くってどういう意味? お子を産むって……。頭の中がグルグル回り始めた。もう逃げ出したい心境である。

(姉ちゃんそっくりのイスズさんにそんな事言われても……)

 ツクヨミからの事前の説明で、イワレヒコとイスズは姉弟きょうだいであり、許婚でもあると聞いていた。しかし、イスズはイワレヒコを恐れていると。

(話が違うよ、ツクヨミさーん!)

 武彦は涙が出そうなくらい困っていた。彼はイスズを傷つけたくないと思ったが、

「ごめんなさい、イスズさん。僕、好きな人がいるんです!」

とイスズを押し返した。そう言ってしまって、言った自分に武彦は驚いていた。

(好きな人って、誰?)

 するとイスズはニコッとして、

「わかっております。申し訳ありませぬ、たわむれにございます」

「そ、そうなんですか……」

 武彦はホッとして胸を撫で下ろした。イスズは口元を袖で隠しクスクスと笑いながら、

「お優しいのですね、たけひこ様は」

と言うと、椅子に座り直した。武彦は頭を掻いた。

「はは」

 やはり、姉の顔でそんな事を言われるのは非常に落ち着かないと思う武彦だった。しかし、イスズの本心は違っていた。

(イワレヒコ様がお変わりになった。この方となら、私は契りをかわせる)

 イスズは、イワレヒコ(武彦)に恋をしてしまったのだ。子供の頃は仲が良かった二人である。イスズが嫌いなのは、戦をするようになってからのイワレヒコなのだ。だから、今のイワレヒコはイスズの好きなイワレヒコである。


 その頃ナガスネは、自分の館の自室に密かに呼んだスサノとクシナダと三人で、会議を開いていた。

「このままにしておけば、ヒノモトはヤマトに飲み込まれる。それだけは避けたい。力を貸してくれ」

「はは」

 スサノとクシナダは、長年仕えて来たナガスネに最後まで従う事を決めていた。例え、負け戦になろうとも。

「私も入れてくだされ、ナガスネ様」

 ヒノモトの城の留守居役であるウカシが現れた。スサノとクシナダは驚いてナガスネを見た。

「うむ。もちろんじゃ」

 ナガスネは嬉しそうに頷いた。ウカシは三人に見えないようにニヤリとした。そして、

「それについて、私の考えをお耳に入れとう存じます」

と言うと、ナガスネに近づいた。

「そうか。聞かせてくれ」

 ナガスネはウカシを促すが、ウカシはスサノとクシナダを見て、

「ではお耳を」

と言い、ナガスネに更に近づいた。

「ウカシは油断がなりませぬ、お館様」

 クシナダがスサノに囁く。スサノはチラッとナガスネと話すウカシを見て、

「わかっておる。目を離さぬようにせんとな」

 スサノの言葉にクシナダはゆっくり頷き、もう一度ウカシを見た。

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