十四の章 武彦の決意、ウガヤの焦り

 どこにあるのか、いつの時代なのかもわからないオオヤシマの歴史は大きく動こうとしていた。


 ヤマトの国の王子イツセは父王ウガヤの命を受け、軍を率いて出立した。総勢三千。

「ここまで大戦おおいくさをしてしまっては、ヨモツが動かぬか気がかりだ」

 イツセは不安を胸に何度も振り返りながら、城を出た。

「イツセ様はお優し過ぎます。やはり、陛下のおこころざしを継がれるは、イワレヒコ様にございましょう」

 ヤマトの国の軍師であるオモイは、その青い目をイツセを見送るウガヤに向けて囁いた。

「私もそう思うている。嫡男は長子がなるべきものなれど、イツセにはその意気がなし。あの者には、オオヤシマを統べる器がない」

 ウガヤは隣にいる妃のタマヨリに聞こえないように小声で応じた。

「はい」

 オモイは頭を下げ、ウガヤに同意した。


 その二人が期待を寄せるイワレヒコは、今は二十一世紀の日本の高校生である磐神武彦がその身体のぬしとなっている。言霊師であるツクヨミの秘術で、武彦の魂のみをイワレヒコに降ろしたのである。

「タジカラ様はイワレヒコ様を嫌われております。ですが、イワレヒコ様の強さはお認めです。そのイワレヒコ様が戦をやめよと仰れば、必ず従います」

 ツクヨミの言葉で、優柔不断の塊のような性格の武彦はほんの少し勇気が出た。

「このオオヤシマがこれ以上悪しき心に満たされれば、ヨモツが蠢(うごめ)きます」

 幼馴染みの都坂亜希にそっくりなワの次期女王であったアキツが言い添える。

「今は私の大叔母であるオオヒルメが封を閉じ直す術を施しております故、しばしはとどめられましょうが、今以上に悪しき心が溢るる事あらば、それも破られます」

「そしたら、どうなっちゃうんですか?」

 武彦は怖い話の結末を訊くような心境でビクビクして尋ねた。

「ヨモツがオオヤシマに溢れ、この世は闇に閉ざされます。人は死に、死人(しびと)が統べる国になりましょう」

「……」

 武彦はホラー映画も苦手だ。この国が死人ゾンビで溢れるような恐ろしい国になるのはまずいと思った。

「行きましょう、ツクヨミさん」

 武彦は意を決して立ち上がった。ツクヨミは頷いて、

「はい、たけひこ様」

と答えた。アキツも頷き、

「私は大叔母様のお手伝いに参ります。ツクヨミ殿、たけひこ様をお願いします」

「はい、アキツ様」

 ツクヨミは深々と頭を下げた。そして武彦の方を向くと、

「参りましょう、たけひこ様」

 武彦は大きく頷いて、

「はい」

 二人はアマノイワトを出て、少し離れた場所で立ち止まった。

「ツクヨミさんは、アキツさんが好きなんですか?」

 その時、武彦がいきなり核心を突く質問をした。図星を突かれたツクヨミはビクッとして、

「そのような恐れ多き事を仰せにならないでください、たけひこ様。私は、アキツ様をお守りしたいだけにございます」

 武彦は珍しく動揺して赤くなるツクヨミの様子を見て、

「そうなんですか。僕、アキツさんが僕の好きな子に似ているので、どうしても助けてあげたいんです。だから、ツクヨミさんもそういう気持ちなのかなって思ったんです。ごめんなさい、変な事訊いて」

と頭を下げて詫びた。その動作は、大男のイワレヒコには何とも違和感のあるものだった。

「いえ」

 そのせいか、ツクヨミは武彦の純真さにとても心を打たれていた。

(この方なら、間違いなくオオヤシマをお救いくださる)

「では、目をおつむりください。今より、我が秘術にてタジカラ様のところまで参ります」

「は、はい」

 武彦は素直に目を閉じた。ツクヨミは武彦の前に立つと、武彦の顔の前に右手を翳(かざ)し、

「風よりも速く、岩よりも硬くなりぬ!」

 その言葉と同時に、二人の身体は宙を舞い、タジカラ軍目指して飛んだ。

「うわっ!」

 うっかり目を開けてしまい、自分の今の状態を見てしまった武彦は目が回りそうになった。


 タジカラ軍は、ヒノモトの国の奥まで進軍していた。ホアカリの城が森の向こうに見えて来ている。

「このように事が運ぶは、悪しき兆しかも知れませぬ、お館様」

 奥方のウズメが衣の襟を直しながら言う。タジカラもそもそもの事の起こりが気に入らぬだけに、ウズメの言葉が気にかかった。

「お前の申す通りだ。合点が行かぬ。道理が通らぬ」

 タジカラは何かが後ろで采配している気がして、どうにも不愉快であった。

「むっ?」

 ウズメが何かを感じて目を閉じ、辺りを自分の気で探る。

「馬を止めい!」

 彼女は御者に怒鳴った。御者は慌てて手綱を引き、馬を止まらせた。後続の部隊もそれに倣って停止した。

「何事だ、ウズメ?」

 タジカラは奥方を問い詰めるように言った。ウズメはタジカラを見上げ、

「妙な気が我らに近づいております」

 タジカラは眉をひそめて、

「妙な気?」

「あちらにございます」

 ウズメは馬車の窓から天を指差した。タジカラがそちらに目を向けると、眩(まばゆ)い光が近づいているのが見えた。

「何じゃ、あの光は?」

 ウズメも目を細めて、

「面妖な……」

 タジカラは馬車を飛び出し、剣を抜いて身構えた。ウズメも舞踏師として構えを取った。

「あれは……。お館様、お控えくださいませ」

 ウズメは光の神々しさに気づき、跪いた。タジカラもウズメの言葉に慌てて跪いた。

「タジカラ、大儀である」

 声が聞こえる。タジカラとウズメは、地上に降り立った光に目を凝らした。光は次第に弱くなり、人の姿が見えて来た。

「おお、イワレヒコ様……」

 ウズメが先に気づき、平伏した。タジカラは不満そうに平伏す。

「タジカラ、オオヤシマを滅ぼすつもりか?」

 自分を責めるようなイワレヒコの言葉に、タジカラは顔を上げて、

「滅相もございませぬ。そのような事、このタジカラ、思うた事はありませぬ」

「ならば何故、このような兵を率いて、ヒノモトを進むのか?」

 イワレヒコはタジカラの乗っていた馬車の後方に連なる大軍を指差した。

「これはな事を仰せですな、イワレヒコ様。オオヤシマを救うには、ヒノモトを滅ぼすより他なしと仰ったは、イワレヒコ様ですぞ」

 タジカラは、イワレヒコが以前と違う事を言っているので、偽者ではないかと疑っている。その目は真実を見抜こうとするかのようにイワレヒコを睨み据えている。

「愚か者め。この戦はヨモツの罠ぞ。これ以上オオヤシマを悪しき心で満たさば、この世は闇に包まれようぞ」

 イワレヒコはタジカラを睨み返して怒鳴った。

「何と!」

 タジカラは息を呑んで確かめるようにウズメを見た。ウズメはゆっくりと頷きながら、

「この方は紛れもなくイワレヒコ様にございます」

と答えた。タジカラは唖然としてもう一度イワレヒコを見た。

「ヨモツの罠とは、如何様な意味でございましょうか?」

 ウズメが代わりに尋ねた。イワレヒコは穏やかな顔になってウズメを見ると、

「ヨモツは、オオヤシマを悪しき心で満たすを企む。ヒノモト攻めは、まさにその助けとなるのだ」

「ならば私共は、如何にすれば宜しいのでしょうか?」

 ウズメが重ねて尋ねる。

「兵を退き、戦をやめる事ぞ。それが何よりの策ぞ」

「兵を退く?」

 タジカラがピクンと動いた。彼の心にまたイワレヒコは偽者ではないかという疑念が沸き起こる。

「イワレヒコ様のお言葉とは思えませぬ」

「お館様!」

 もし、今話しているイワレヒコがタジカラの知っている通りのイワレヒコであったなら、彼は間違いなく斬り捨てられていたろう。

「私は変わったのだ。オオヤシマを救うは戦にあらず。人の心よ」

 イワレヒコは微笑んで二人を見下ろす。

「人の心、でございますか?」

 タジカラは斬り捨てられると思い、剣に手をかけていたが、その手を放した。

(一体、何があったのだ? イワレヒコ様であるが、イワレヒコ様ではない……)

 タジカラは訳がわからなくなりそうだった。


 ホアカリ達は、目前まで進軍して来たタジカラ軍が止まったのを知り、不審がっていた。

「如何なる事か?」

 ホアカリは、嫡男ウマシに尋ねた。しかしウマシにも何故タジカラが進軍を停止させたのかわからない。

「只今、斥候を向かわせております。しばしお待ちを」

「うむ」

 ホアカリは不安そうな顔で妃トミヤを見た。トミヤも悲しそうな顔でホアカリを見つめていた。

「ナガスネはまだ戻らぬのか?」

 ホアカリは留守居役のウカシを見た。ウカシは跪いて、

「まだにございます。しかし、もうすぐご到着になります」

「そうか……」

 ナガスネが間に合わない場合は、自らがタジカラとの交渉に臨むつもりだったホアカリは、ホッとすると同時に疑問が次々に沸き上がるのを禁じ得なかった。


 タジカラ軍が進撃を停止した事は、斥候を通じてヤマトの国にも伝えられていた。

「何が起こっておるのだ?」

 謁見の間で、ウガヤは苛ついて言った。斥候は跪いて、

「イワレヒコ様がいらしたご様子です」

「イワレヒコが? たわけた事を申すな。イワレヒコは、アマノイワトに連れ去られたままぞ」

 ウガヤは斥候を怒鳴りつけた。

「しかし、あれは紛れもなくイワレヒコ様にございました」

 ウガヤは判断がつかず、傍らに立つ軍師のオモイを見た。オモイは、

「何かありましたな。恐らく、アキツ様かツクヨミが、イワレヒコ様を操っていると思われます」

「そのような事ができるのか?」

 ウガヤは目を見開き、信じられないという顔で尋ねる。オモイは、

「はい。アキツ様やツクヨミには、できまする」

 ウガヤはその答えに怒りを発した。

「おのれ、どこまでも我がヤマトを愚弄しおって!」

 ウガヤは椅子から立ち上がり、

「イツセに早馬を! アマノイワトを攻め、ツクヨミとアキツを殺してしまえと伝えよ!」

と命じた。

「なりませぬ、陛下。それはなりませぬ!」

 隣で聞いていたタマヨリがウガヤのあまりの暴言に仰天して言った。しかし、ウガヤは、

「口出し致すな、タマヨリ! これは戦ぞ。先んずれば人を制すのだ」

と言い放ち、全く聞く耳を持たなかった。


 オオヤシマの悪しき心は、まだ増えようとしていた。

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