十三の章 イザの策略、武彦の力
武彦から詳しく事の
「どうして私が武君の家に夜忍び込まなきゃいけないのよ!?」
今にも噛みつかんばかりに武彦に怒鳴る亜希。武彦はオロオロしている。
「いや、だからさ、その……」
だから話したくなかったのに、と泣きそうな顔で思う武彦だった。
「酷いわ。私がまるでストーカーみたいな事言って……」
亜希は目を赤くして涙を零した。怒っていたかと思うと、今度は泣いている。忙しいな、委員長は、と呑気な事を思う武彦。どうしようもない鈍感さだ。
「もう、知らない!」
陸上部のエーススプリンターはそう捨て台詞を吐くと、鈍足の武彦を置き去りにして、校庭を走って行ってしまった。
「委員長……」
置いてきぼりにされた格好の武彦は呆然としていた。
一方、オオヤシマでは、突然の進路変更をしたタジカラ軍が
「斥候の話では、タジカラはアマノイワトに向かったはずではないか!」
ウマシは馬に
「そのはずでした。何が起こったのか、全くわかりませぬ」
老参謀にも、タジカラ軍の転進は意外であったのだ。
「役に立たない連中だ!」
ウマシにそのような事を言われるのは、参謀にはとても心外だった。貴方こそ、ヒノモトにとって役に立たぬ存在です、と言いたいくらいだ。
「タジカラ軍は、我が方の数倍の兵力です。戦う事はできませぬ。退却のご命令を」
老参謀はそんな思いをおくびにも出さず、ウマシに進言した。無駄死にになる戦いはしたくない。ましてや、このような愚かな世継ぎのために。それが彼の本心である。
「や、やむを得ぬな……」
イワレヒコに対しては、個人的な感情で戦いを挑もうとしたウマシであったが、タジカラには何も怨みがないため、無茶な戦いはするつもりがないらしい。むしろ、老参謀が退却を進言してくれた事に胸を撫で下ろしたくらいだ。それでも、
「全兵、退くのだ。城へ向かう」
ウマシの命令の下、軍は雪崩を打ったように退却を始めた。兵達はウマシが暴走しなかったので皆安堵していた。
タジカラは、ウマシの軍が全く戦う素振りも見せずに逃げ出すのを知り、
「何とも情けない嫡男だ。親が親なら、子も子という事か」
と呟いた。
「どちらにしても、無駄な戦をせずにすんで宜しゅうございました」
ウズメはホッとして言った。気が立っているタジカラと戦えば、敵軍は恐らく壊滅したであろうから。
「今はほんの
タジカラはすでに戦意が高揚しており、敵は全て蹴散らすつもりでいた。
「
ウズメはそんな夫の単純さに溜息を吐いた。
ナガスネの軍は、帆船の大群でオオヤシマの海岸伝いに移動中であった。当然、タジカラ軍の転進を知らない。帆船の数は五隻。気取られないように少数精鋭で来たのだ。
「海は穏やか。まさしく天は我らに味方しているぞ」
ナガスネは上機嫌で高笑いをし、自分達の勝利を確信していた。
「ナガスネ様、ヒノモトの勝利はもうすぐですな」
ナガスネに同行している魔剣の使い手であるスサノが言った。タジカラとほぼ同じくらいの体格で、鋭い眼光、頬から顎にかけて生え揃わせた髭と銀色の派手な鎧兜が、スサノの強さと性格を印象づける。彼は元々はワの国の剣士であったが、その粗暴な振る舞いをオオヒルメに咎められ、追放されていた。それをナガスネが取り立て、自分の右腕にしたのである。ヤマトにタジカラあれば、ヒノモトにはスサノあり、と並び称される程の剣士である。しかもスサノの使う剣は炎を纏う魔剣で、斬ったもの全てをその業火で焼き尽くすのだ。
「そうだ。我らの勝ち戦ぞ」
ナガスネは得意満面で言った。
「ナガスネ様、何やら水が騒がしくなっております」
スサノの脇に控えていた女が言った。彼女の名はクシナダ。スサノの奥方で、魔導士と呼ばれる術者である。水の術を得意とし、水による通信もできる。衣は真紅で、丈の短い袖、太腿まで切れ込みの入った裾になっている。まだオオヒルメの時代、ウズメとその戦働きを並び称された女性で、切れ長の目、高い鼻、薄い唇の美形である。
「アマノヤス川を、ヤマトの軍が越えたようでございます」
「何?」
ナガスネはクシナダの言葉にギョッとした。彼はクシナダの交信術に信を置いているので、彼女の話を疑う事はない。
「それはどういう事だ?」
ナガスネは周囲の兵に聞こえないくらいの声で尋ねた。
「わかりませぬ。ですが、かなりの大軍です。数からして、タジカラ殿の軍ではないかと」
クシナダは跪いて小声で答える。スサノは眉をひそめ、
「もしや、我らの動きが気取られたのでは?」
「まさか……。そんなはずはない」
ナガスネはそう言いながらも、狼狽え始めていた。謀略家であるが、臆病なのだ。
「すぐに戻りましょう。今、ヒノモトは手薄にございます。タジカラの兵が押し寄せれば、ひとたまりもありませぬ」
スサノも跪いて進言した。ナガスネは歯ぎしりして悔しがり、
「何という事だ! 全軍、ヒノモトへ戻れ!」
と命令した。
「留守居役のウカシ宛てに狼煙をあげよ。城門を閉じ、我らが戻るまでタジカラを防げと!」
スサノは、そばにいた兵に言った。
ナガスネ軍がヒノモトに戻り始めた事は、斥候を通じてヤマトのウガヤにすでに伝わっていた。狼煙を使った通信術である。
「イツセよ、出陣の支度をしろ。ナガスネの軍を挟み撃ちにするのだ」
ウガヤは嬉しそうな顔で命じた。
「はは」
それに反して憂鬱そうな顔のイツセは父王の命令を受け、仕方なく玉座の間を出た。
「こんな事で良いのか? 兄と弟は、このような定めで良いのか……?」
父と伯父の争いを憂うイツセはそう呟きながら、更にイワレヒコの事を思った。
(お前は今、どうしているのだ、イワレヒコ?)
嫡男イツセの迷いに気づく事もないウガヤは得々として椅子に座り、
「流石だ、オモイ。うぬの読み、見事であった」
と部屋の隅で跪いている軍師オモイを見やる。
「ありがとうございます」
オモイは額ずいて答えた。そして、ウガヤに見えないようにニヤリとする。そんな二人のやりとりをウガヤの妃タマヨリは悲しそうに見ているしかなかった。何か口を挟めば、ウガヤが激高するのがわかっているからだ。
ウマシの軍は何とかヒノモトの城にタジカラの軍より先に帰還していた。
「ウカシ、ウカシはおるか!?」
ウマシは、城門をくぐって馬を下りるなり、ウカシを呼んだ。
「ここにおります」
ウカシがウマシの前に跪いて応えた。見るからに戦い向きではない小柄な身体の上に何を考えているのかわからないような陰気な顔がある。戦士でありながら、未だに一度も出陣をした事がない男である。そして、ウマシに呼ばれて現れた今も、白地の平服を着たままだ。やる気が微塵も感じられない。ウマシはウカシを見下ろし、
「何としても、ナガスネが戻るまで持ち堪えるのだ。父を守るのだ!」
ウカシは深々と
「はは」
しかし、何故かウカシはニヤリとした。
(どちらの王も、滅びるが定め。哀れな事だ)
彼は内心そう思っていた。ウカシは実は闇の国「ヨモツ」に通じている男であった。
(このオオヤシマの
アキツとツクヨミは、アマノイワトの広間で策謀と混乱の気を感じていた。
「何という事でしょう……。これは一体……」
あまりの乱れぶりに、アキツは唖然としてしまった。
「……」
黙って座っていたオオヒルメが立ち上がり、イワトの奥へと歩き出した。
「大叔母様?」
アキツが驚いて追いかけ、声をかけた。ツクヨミもそれに続く。
「イザが動いておる」
オオヒルメは振り返らずに言った。アキツとツクヨミは思わず顔を見合わせた。二人共その名に聞き覚えがあるからだ。そして、ツクヨミは思わずアキツの顔を直視してしまったのに気づき、オオヒルメの方を見る。
「イザと言うと、ヨモツの女王の名ですね?」
ツクヨミが尋ねた。オオヒルメは歩を早めて、
「ヒラサカの封印が揺らいでおる。閉じ直さねば、恐ろしき事になる」
「……」
アキツは息を飲み、ツクヨミは拳を握り締めた。
「ヒラサカの封は私が納め直す。其方達は、異界の方をお呼び致せ」
オオヒルメはそう言うと、更に奥へと歩いて行った。アキツはツクヨミを見て、
「では、私達はたけひこ様をお呼び致しましょう、ツクヨミ殿」
「はい、アキツ様」
相変わらず、アキツの顔を真っ直ぐに見られないツクヨミは、頭を下げて応じた。
武彦は、授業中、急な睡魔に襲われていた。確かに今授業をしている現代社会の先生は「催眠術師」とあだ名される人物だが、原因はその先生ではない。
(何だ? 早く起きたから、眠いのかな?)
彼はそう思ったのだが、本当はアキツが武彦を呼んでいるからなのだ。ツクヨミは、言霊師の力により、武彦が眠っている時のほんの一瞬を引き出し、オオヤシマに呼び込む術を編み出したのだ。
そうすれば、武彦に負担をかけずにオオヤシマに呼び込む事ができるのである。
(アキツさんの声が聞こえる……。委員長は今、先生に答えているところだから、やっぱりアキツさんは委員長じゃないんだ)
そんな呑気な事を思いながら、武彦は眠ってしまった。
「あれ?」
目を覚ますと、目の前にアキツとツクヨミがいた。
「たけひこ様、お呼び立てして申し訳ありませぬ」
アキツが悲しそうな顔で言った。武彦はその顔にドキッとして、
「ど、どうしたんですか?」
やっぱり、委員長にそっくりだと思ってしまう。アキツは武彦に顔を近づけて、
「また戦になりそうなのです。お力をお貸しください」
「えええ?」
力を貸してくれって言っても、僕には戦争なんてできないよ……。武彦はそう言いたかったが、亜希にそっくりなアキツの悲痛そうな顔を見ると、とてもそんな事は言えなかった。
「今、タジカラと申す者が、ヒノモトを攻めんとして軍を進めております。それを止めて欲しいのです」
「止めるんですか?」
武彦は念のために訊いてみた。
「はい」
武彦は
「私にお任せください、たけひこ様。策がございます」
「そ、そうですか……」
ツクヨミさんの言葉は本当に安心感がある、と武彦は思った。でも、どうしてなんだろうとは思わないのが、武彦の呑気なところである。
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