十二の章 オモイの策、タジカラの怒り

 アキツは、武彦の魂を元の世界に返し、ゴロンと横になったイワレヒコを見下ろしていた。

「それにしても、ツクヨミ殿の力、本当に驚きました」

 ツクヨミはアキツの感動の声に少々赤面していたが、

「いえ、それ程のものでは……。イワレヒコ様とあのたけひこ様の相性が良かったのです。事がうまく運び、安堵しております」

 ツクヨミはヒノモトの国から取り返したワの王家の秘剣であるアメノムラクモを借り、言霊師の数々の秘術を尽くして、武彦の魂だけを呼び込む術を編み出し、その上でアキツの魂をこちらの世界と異界のはざまに送り込む事にも成功した。その際、アキツの身体に言霊を吹き込む事が必要になったのであるが、ツクヨミはその時図らずもアキツの心を覗いてしまい、そんな自分を恥じた。アキツ様は自分に信頼以上の情を抱いてくださっている。ツクヨミは今まで以上にアキツを意識するようになってしまったのだ。

「控え目なのですね、ツクヨミ殿は」

 アキツはツクヨミの心を知らず、ニッコリして言う。オオヒルメも嬉しそうに、

「我が一族の禁呪を使わず、見事異界の者を呼び込めた事、感謝するぞ、ツクヨミ」

「ありがたきお言葉にございます、オオヒルメ様」

 ツクヨミは震えてしまいそうなほど感激し、跪いて言った。そして、

「これからは、如何にしてたけひこ様の暮らしにさわりなく、こちらにいらして頂けるか、考えとう存じます」

「どうするのですか?」

 興味津々の目で、アキツが顔を寄せて尋ねる。ツクヨミは近過ぎるアキツの顔に緊張しながらも、

「たけひこ様をお呼び立て致す時に、たけひこ様のお休みの時をお借りする事ができるよう、我が一族の秘術を組み合わせてみようと思っております」

「そうですか。あの方がお疲れになる事がなきよう、取り計らって下さい」

 アキツは微笑んで言った。ツクヨミは頭を下げ、

「はい。あの方が、このオオヤシマをお救い下さりますのは、紛れもなき事にございますので、仰せのままに致します」

「頼みましたよ、ツクヨミ殿」

 アキツは自分でも抑え切れないくらい、ツクヨミに感謝していた。はしたない事ではあるが、ツクヨミを抱きしめたいと思った程だ。しかし、それは立場上できない事なのは承知している。ましてや、大叔母のオオヒルメの前でそのような事ができるはずもない。

「それよりも」

 ツクヨミはアキツの思いがわかってしまうので、彼女の溢れ出るような感情に呑み込まれないようにするためにアマノイワトの外の方に目を向けた。そして、

「何やら、悪しき心が近づいて来ております」

 アキツとオオヒルメにも、それは感じられていたようだ。

「ヤマトの軍であろう。イワレヒコがここに連れて来られたのを知り、ここに攻め入るつもりやも知れぬ」

 オオヒルメは眉を吊り上げて、強い口調で言った。アキツも頷いて、

「ヤマトばかりではありませぬ。ナガスネの軍も動いております。ナガスネは、手薄になったヤマトを攻むるようです」

「そのようですね」

 ツクヨミは立ち上がって歩き出した。それにアキツが続く。

「イワレヒコ様がここにいて、それを連れ戻しに出立されたのが、タジカラ様。今、ヤマトには、イツセ様しか守り手がいらっしゃいませぬ。ナガスネ様なら、その隙を突く事を思いつかれるはず」

 ツクヨミは歩きながら話す。アキツは大きく頷いて、

「ヤマトはそれを感づいていない様子。危ういですね」

 アキツはヤマトの国にいるイスズ達の事を心配していた。そして、ヤマトの王子で只一人信頼のおけるイツセの事も気がかりだった。

「イワレヒコ殿とタジカラの二人が不在の今、イツセ殿が出陣される事になりましょうが、勝ち負けはすでに決しております」

 アキツは悲しそうな顔で言う。ツクヨミもそんなアキツの心がよくわかるので、気が重い。

「ナガスネ殿は、オオヤシマの反対側に回り込み、ヤマトを背後から突く心積もりのようです。我らが動くにしても、間に合いませぬ」

「そうですね……」

 アキツは無念そうに呟いた。

「そちらの事も気がかりですが、まずはタジカラ様の方を何とかせねばなりませぬ」

 ツクヨミはアキツに進言した。

(しかし、どうした事だ? ヤマトのウガヤ王は心穏やかだ。よもやそのような事が……)

 ツクヨミは、ヤマトの国の軍師の事を思い出していた。

(オモイと申す軍師がいた。あの者、我が一族とは違うが、何やら面妖な気を持っていた)

 オモイは異国の地から来たと言っていた。確かに髪の色も違うし、目の色や鼻の形もオオヤシマの人間とは違っていた。

「どうしましたか、ツクヨミ殿?」

 アキツが声をかける。ツクヨミはアキツを見て、

「ヤマトには、異国から来た軍師がおるのを思い出しました。普段は城の書室で書き物ばかりしておりますが、異国との戦や、斥候の差配などをつかさどっておるようです」

「軍師ですか……。しかも、異国の」

 アキツには、ウガヤの考えが理解できない。

「もし、その軍師が策にけし者ならば、ナガスネが返り討ちに遭うやも知れませぬな」

 アキツの言葉にツクヨミはゆっくりと頷き、

「はい。再び、たけひこ様をお呼びするのが宜しいかも知れませぬ」

「そうですね」

 二人はオオヒルメの下に戻った。


 その頃、ヤマトの国の玉座の間には、ウガヤとイツセ、そして噂の軍師であるオモイがいた。

「そうか。ナガスネがな」

 ウガヤは、オモイが予告した通り、ナガスネが海を目指している事を知り、ニヤリとした。

「今やヒノモトは手薄にございます」

 そう言って頭を下げたオモイは、確かにオオヤシマの人間とは違っていた。髪は金色、目は青、鼻はウガヤやイツセに比べて高い。着ている衣は闇のような漆黒で、オオヤシマの人々が忌む色である。

「ナガスネの愚か者が、裏をかいたつもりであろうが、己がヒノモトを攻め易くしているとは、夢にも思うまい」

 ウガヤは得意満面で言った。イツセはそんな父王の手放しの喜びを憂えて、

「しかし、もし仮にヒノモトが手薄としても、今から軍を率いて出立しても、ナガスネに気取られて引き返されれば、ナガスネの軍とウマシの軍に挟み撃ちにされよう」

とオモイに反論した。するとオモイは顔を上げてイツセを見、

「ご心配には及びませぬ。早馬をタジカラ様に向かわせてあります」

「何と!?」

 イツセは驚愕した。オモイは、二手三手先を読んでいたのだ。いや、ナガスネ達がオモイの策に誘導されたというのが正しいだろう。

「タジカラ様には、始めよりヒノモトにお向かい頂く手筈でございます」

「タジカラは存じておるのか?」

 イツセはムッとして尋ねた。オモイはフッと笑い、

「いえ。お伝えしておりませぬ。タジカラ様はそのような策を好まれませぬ故、ご存知でない方が、宜しいかと」

と再び頭を下げた。

「……」

 イツセは、オモイの策謀に背筋が寒くなる思いがした。

(この者、信を置いてよい者なのか……)



 武彦はすっきりと目が覚めていたので、生まれて初めて、都坂亜希を迎えに行った。

「た、武君?」

 玄関を出て来た亜希は、珍しい生き物でも観察するかのように、武彦をマジマジと見た。

「おはよう、委員長」

 武彦は何故か勝ち誇ったかのように言った。

「お、おはよう」

 それに反して、「委員長」と呼ばれた事にムッとするのを忘れるほど、亜希はビックリしていた。

「行こうか」

 武彦がニコッとして言った。

「う、うん」

 亜希は嬉しかった。ようやく武彦が一人で起きられるようになったと思ったのだ。まるで幼稚園児のような扱いだ。

「ね、委員長」

 武彦は亜希が機嫌が良さそうなのを感じ、昨日の事を尋ねてみる事にした。

「何?」

 亜希はあまりにご機嫌なので、「委員長」発言は気にならない。

「夕べさ、ウチに来てないよね?」

「え?」

 また武君が訳のわからない事を言い出した。亜希はがっかりした。

「何の事よ?」

 途端にいつもの亜希に戻る。武彦は危険を察知したのか、

「あ、いいんだ。何でもない」

と言い、前を向いた。

「何でもないじゃないわよ。気になるじゃない? 言いなさいよ、最後まで!」

「う、うん……」

 最後まで話した方が怒られそうだから、話すのをやめたのになあ、と思う武彦だった。


 

 ツクヨミとアキツはイワトの入口からタジカラ軍の騎馬隊がタジカラとウズメの乗る馬車を先頭に引き返して行くのを見て、唖然としていた。

「どういう事でしょう?」

 アキツが呟く。ツクヨミも、

「わかりませぬ。何があったのか……」

と言うだけだった。言霊師は、言葉をかわした者の心を読み解く事ができる。しかし、ツクヨミはオモイと話した事がないため、彼の策略が読めない。そしてオモイにはそれ以上の秘密がある事を今のツクヨミは知らなかった。


 その当のタジカラは憤激していた。

「陛下のご命令であるから従いもするが、誠に気に食わぬ」

 タジカラは奥方のウズメに怒鳴り散らしていた。

「イワレヒコ様をお救いするはのちとし、ヒノモトを攻めよとは、陛下はどうなさったのでしょう?」

 ウズメは、タジカラの大声には慣れているので、何も言わずに疑問を返した。

「書状には、ナガスネがヒノモトを空けており、手薄だとの事だ。しかし……」

 タジカラはこの行軍変更は、最初から仕組まれていたと見抜いていた。

「オモイが何か策を弄したのであろう。忌ま忌ましい異国者めが」

 彼は苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。

「おやかた様」

 ウズメは人の悪口を言う夫が嫌いである。タジカラは、

「私は、道化にされた。このままではすまさぬ」

と言った。彼の顔は凄まじい形相になっていた。

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