十一の章 アキツの導き、武彦の戸惑い
磐神武彦はワの国の次期女王であったアキツに伴われ、どこまでも続くように見える霧の中を進んでいた。
「あの……」
武彦は、どうしてもアキツが同級生の都坂亜希に思えてしまい、緊張しながら声をかけた。
「はい、如何なさいましたか、たけひこ様?」
アキツは笑顔で武彦を見た。武彦は美しいアキツの顔を恥ずかしくて直視できず、
「随分歩きましたけど、まだ着かないんですか?」
「もうすぐにございます。あちらに扉が見えましょう」
アキツはそう言いながら、霧の向こうに見える、光り輝く扉を指差した。
「ああ、ホントだ。もうすぐなんですね」
武彦は少しだけホッとした。アキツはそんな武彦を微笑んで見つめたまま、
「はい、たけひこ様」
「たけひこ様」と呼ばれる度にお尻がムズムズするなあ、と武彦は思った。彼自身、本当は亜希の事が好きなのだが、自覚していないのだ。普段は亜希の「怖さ」が先立ち、愛とか恋とかを考える余裕がないのである。そのため武彦は、アキツに感じる思いがどういうものなのか、理解しかねていた。
「さあ、こちらへ」
アキツが先に立ち、扉を開いた。するとその向こうから、眩いばかりの光が溢れ出し、武彦は思わず手を
その頃、ヤマトの国の将軍タジカラ率いる騎兵隊は、アマノヤス川を目指して進軍していた。
「お
将軍の乗る馬車の中で、タジカラの奥方であるウズメが言った。巨漢のタジカラには似合わぬ小柄な美女である。彼女は
「
タジカラはわかっていながらそう訊いた。ウズメは窓から外を見て、
「相手はツクヨミ殿です。国王陛下も、ツクヨミ殿の恐ろしさをご存知のはず。だからこそ、あの方を縛らず、命じず、解き放っておられたのです」
タジカラは正面を見据えたままで腕組みをし、
「それは私もわかっておる。国王陛下は、イワレヒコ様をお助けするのは、私の他にはいないとお思いなのだ。他の者がお救いしては、イワレヒコ様の沽券(こけん)に関わる」
「お館様は、お分かりになった上で、
ウズメは目を見開いて尋ねる。タジカラはニヤリとしてウズメに目を向け、
「私はイワレヒコ様を好かぬ。命を命と思わぬご気性、どうにも許せぬのだ」
「まさか……」
ウズメはますます驚いて夫を見た。タジカラは苦笑いして、
「案ずるな。何もイワレヒコ様を亡き者にしようと考えておる訳ではない。只、貸しを作っておきたいだけだ」
「貸し?」
ウズメは訝しそうな顔で
「そうだ。イワレヒコ様は我が策を
タジカラはイワレヒコの強さを認めてはいるが、その悪逆非道な戦い方は嫌いなのだ。
「ここでお助けすれば、この
タジカラはそう言うと、再び前を見据える。
「はい……」
ウズメは、男同士の駆け引きはよくわからぬ、と思い、小さく溜息を吐いた。
「はっ!」
武彦はバッと跳ね起きた。
「あれ?」
しかし、そこは自分の部屋ではない。薄暗く、翳していた自分の手がぼんやりと見える程度だ。周囲を見回すと、どうやら洞窟の中らしいのがわかった。明かりは蝋燭のようなものだけで、蛍光灯や電球の光はない。
「気づかれましたね」
アキツの声がした。
「えっ?」
武彦は声がした方を見た。正座をして自分を見つめるアキツがいた。でも、やけに顔が下に見える。最初に会った時は、自分の身長と変わらなかったはずなのに。
「まずはご自分のお姿をご覧なさいませ、たけひこ様」
「は、はい」
武彦はゆっくりと立ち上がった。
「あれれ?」
いつもより、地面が遠くに見える。しかも、足下を見た時に気づいたのだが、着ている服が変わっている。裸足だったのに、変わった形の靴も履いている。
(さっきまで、スウェットを着ていたはずなのに……。何だ、この服は?)
「さあ、こちらにございます」
アキツが武彦の手を取って案内してくれた。柔らかくて、温かい手。それは亜希の手の感触に似ている気がした。
「あっ!」
目の前にある姿見に写る自分と思われる男の姿を見て、武彦はギョッとした。それは、ヤマトの国の剣士イワレヒコの姿だったのだ。勿論、武彦にはその正体はまだわかっていない。
「ぼ、僕じゃない! ど、どういう事なんですか?」
武彦はアキツに尋ねた。アキツは真剣な表情で、
「その事はそちらの部屋でお話し致します。ご一緒に」
と言うと、洞窟を進んで行った。
「はい……」
アキツについて歩き出す。やっぱり、委員長達のドッキリなんじゃないか、と武彦はまた思い始めていた。
一方、ナガスネは自分の館で怒りを露にして物に当たり散らしていた。
「忌ま忌ましい!」
彼は自分の部屋に
「陛下はお人が良過ぎる。それに加えて、我が妹の……」
トミヤは愛する妹であるが、時々出しゃばり過ぎるのが気にくわない。
「申し上げます」
そこへ斥候がやって来た。
「何用だ?」
ナガスネは斥候を睨みつけた。しかし彼はナガスネの事をよく知っているので、全く気にせずに跪き、
「ヤマトの将軍タジカラ殿が、兵を率いて出立しました」
ナガスネは眉を吊り上げて斥候を見た。
「何、タジカラが?」
「恐らく、イワレヒコ様をお救いに行くと思われます」
斥候は続けた。ナガスネは顎に手を当てて思案し、
「その事は陛下にお伝えしたか?」
斥候は首を横に振り、
「いえ、これからでございます」
ナガスネはその答えを聞くとニヤリとし、
「わかった。陛下には伝えなくて良い。ご苦労であった」
「はは」
斥候は退室した。
「タジカラか。となると、今ヤマトにいるは、腑抜けのイツセと、
ナガスネの顔が狡猾さを増した。
武彦は広間へ行き、オオヒルメとツクヨミに紹介され、普段はオオヒルメが座る上座に座らされ、アキツから全ての経緯を説明された。何が何やらチンプンカンプンな武彦である。
「はあ」
溜息とも返事とも吐かない声が口から漏れた。アキツの話は余りに途方もなく、また「ドッキリ説」が頭に浮かんで来る。
「このオオヤシマをお救いください、たけひこ様」
アキツは地面に正座し、武彦に頭を下げた。その隣にいるオオヒルメも、アキツほどではないが、頭を下げている。先程聞いた話では、先代の女王という事だ。そんな偉い人までが、自分に頭を下げている。武彦は混乱し始めていた。
「まだいろいろとおわかり頂けていないご様子ですね。お急ぎになる事はこざいませぬ。ごゆるりとお考えください」
オオヒルメとアキツの後ろに跪いているツクヨミが言った。
「は、はい」
武彦はその言葉にホッとし、笑顔を見せた。
(何故だろう? ツクヨミさんの言葉は、すごく安心感がある)
武彦は思った。それはツクヨミが言霊の力を使っているからなのだ。
「僕は何をすればいいんですか?」
武彦は少しだけ心が落ち着いた気がしたので、思い切って訊いてみた。
「まずはお国にお戻りになり、ウガヤ王をご説得ください。そして、その上でホアカリ王を説き伏せ、この度の戦の
オオヒルメが答える。武彦は、オオヒルメがもっとも苦手な英語の尼照富美子先生に似ているような気がして怖い。只、オオヒルメの方が尼照先生より年上だと思った。
「うがやさんて、今の僕のこの身体の持ち主のいわれひこさんのお父さんなんですよね?」
武彦は慎重に言葉を選んで尋ねる。
「そうです」
アキツが笑顔で答えた。武彦は照れ笑いをして、
「それで、何て言えばいいんですか?」
「兵を引き、戦をやめ、ヒノモトと共にオオヤシマを守護するように申し伝えてください」
アキツが続けて話した。オオヒルメは、武彦が自分の事を怖がっているのを感じたのか、アキツに任せるつもりだ。彼女はアキツに目配せした。
「そんな事を言ったら、怒られないですか? いわれひこさんのお父さんなんでしょ?」
父親をほとんど知らない武彦には「父と子」という関係がよくわからない。父親を説得するなど、無理のような気がした。
「それは何とも……。イワレヒコ殿はヤマトの国一番の剣士でございます。そのイワレヒコ殿が戦をやめると話をすれば、兵達は従いましょう。但し、ウガヤ王が何と申されるかは、私にもわかりませぬ」
アキツは救いを求めるようにツクヨミを見た。ツクヨミはアキツに頷いてみせてから、
「たけひこ様、ご案じ召されますな。策はこのツクヨミにお任せください。貴方様には一切害なきよう、取り計らいまする」
「そ、そうですか」
ツクヨミの言葉はまた武彦の不安を取り除いてくれる。それは武彦にもわかったが、何故そう感じてるのかは正直言って不思議であった。
アキツとツクヨミは、イワレヒコが戦に反対し、ヤマトの国の軍を引き上げさせれば、ヒノモトも引き上げざるを得なくなり、戦いは終わると考えていた。しかし、事はそう簡単にはすまない。すでにナガスネが、オオヤシマの端まで軍を進め、海伝いにヤマトに攻め込む準備を進めていたのだ。
そして何よりも、この戦の始まりを招いたのは、ナガスネではなかった。オオヤシマの地下深く存在する闇の国「ヨモツ」。イザという女王が治める、邪悪に満ちた国である。そのイザが、ナガスネを
「では、お休みください、たけひこ様。また後程」
アキツがそう言うと、武彦は急に眠くなり、その場にコテンと倒れ伏してしまった。
「あれ?」
目を覚ますと、そこは見慣れた自分の部屋である。どうやら、朝のようだ。武彦はベッドから出て箪笥の上の鏡に近づく。
「何だ?」
鏡を覗くと、いつもの自分の顔があった。あの
「夢?」
夢にしてはあまりにはっきりと覚えているし、アキツの手の感触がはっきり残っている。
「夢じゃないのか……」
武彦は手の平を見つめて呟いた。アキツの奇麗な手と彼女の笑顔を思い出し、ドキドキしてしまう。
「ドッキリのような気がするけど、そうじゃないよなあ」
それでも武彦は学校で亜希に尋ねてみようと思った。そんな事を尋ねれば、また亜希が怒るとは思わずに。
「こらァッ、武! 早く起きろ!」
いつものように怖い姉美鈴がやって来て、勢いよく部屋のドアを開け放った。
「おはよう、姉ちゃん」
笑顔で応じた武彦を見て、一瞬面食らった美鈴だったが、
「何だよ、起きてるなら、さっさと降りて来いよ。遅刻するぞ」
「うん」
美鈴は首を傾げてから部屋を出て行った。
「姉ちゃん、驚いてたな」
武彦はクスッと笑い、部屋を出た。
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