六の章 ナガスネの警戒、アキツの信頼

 オオヤシマの二つの国、ヒノモトとヤマトの国境に、ヤマトの言霊師であるツクヨミと、ヒノモトとヤマトの元であったワの国の女王後継者であるアキツがいる。二人の動きは伝令兵を通じてヒノモトとヤマトの中枢に知らされていた。

 ヤマトのウガヤ王と王子イワレヒコは二人の行動に色めき立った。もしやヒノモトに着くつもりなのかと考えたのである。ヒノモトはヒノモトで、アキツとツクヨミが行動を共にしている事を危惧していた。ヤマトがワの国の元女王を抱き込んだと考えたのだ。二人の行動は、二人が思っている以上に周囲に影響を与えていた。

「ツクヨミめ、寝返るつもりか!?」

 玉座の間で報告を受けたウガヤは激高し、軍を送ろうとした。すると嫡男であるイツセが、

「父上、お待ち下さい。もし、ツクヨミが何かの策があってヒノモトに赴いたのであれば、すぐに敵対と断ずるは宜しくないでしょう。仮にもあの者は言霊師です。扱いを誤れば、たちどころににヤマトは滅ぼされましょう」

いさめた。彼は激烈な気性の父には似ず、心優しい母のタマヨリに似た温厚な性格の持ち主だ。鎧兜姿があまり似合わない線の細い美男子である。しかしそんなイツセと正反対で、父の悪いところばかりを受け継いでしまったようなイワレヒコは、

「いや、何かの策であれば、我らに何も告げずに出立するはずがありませぬ、兄上。しかもアキツ様がご同道されているとなれば、尚の事。あの者はワの国に怨みありし者です。何かの企みがあると考える事も必要です。あまりに信を置く事こそ、宜しからざる事と存じます」

と反論した。彼は心の底ではイツセを見下しているので、ここぞとばかりに真っ向から異を唱えた。ウガヤは腕組みをして二人の王子を交互に見ると、

倅等そちらの申す事、ようわかった。まずは斥候せっこうを送り、様子見をする事にしよう」

「はは」

 イワレヒコはニヤリとして頭を下げた。イツセは先の戦で負った肩の傷を摩りながら頭を下げ、イワレヒコを横目で見た。

(イワレヒコ、お前は一体何を考えておるのだ?)

 イツセはあまりに激し過ぎる弟の気性を憂えていた。


 ツクヨミとアキツはアマノヤス川を旧王家の御印が入った小型の帆船で渡り、向こう岸のヒノモトの軍の陣に到着して、ホアカリとの会談を申し入れた。いくらワの国の威光が以前ほどではないにしても、女王となるべき血筋のアキツが現れたので、ヒノモトの陣はすっかり萎縮して浮き足立っていた。

「お取り次ぎ願えますか?」

 アキツは部隊のおさに尋ねた。長は深々と頭を下げ、

「直ちに将軍に伝えます。しばしお待ちを」

「ありがとう」

 アキツは微笑んで応じた。二人は陣の奥にある垂れ幕で囲われて大布で覆われた仮の館に通され、椅子を用意され、アキツだけが腰を下ろした。初めはツクヨミにも腰掛けるように言ったアキツだったが、

「それはできませぬ」

 ツクヨミが頑として受け入れなかったので、一人で座ったのだ。突然の訪問でありながら、ヒノモトの兵が敵意を見せなかったのには、彼女の威光もさることながら、その類い稀なる美貌も一役買っていた。兵達はアキツを一目見ようと、用もないのに覗きに来ていた程だ。

「さすがでございます、アキツ様。私一人では、こうはなりませんでした」

とツクヨミが小声で言うと、アキツは恥ずかしそうに俯いて、

「それ程の事ではありませぬ。私にできる事と言ったら、ワの国の大叔母様のご威光をお借りする事くらいですから」

「そのような事はありませぬ。これは、アキツ様のお力です」

 ツクヨミはアキツの謙虚さに感動して言った。

「ありがとう、ツクヨミ殿」

 こうして間近でアキツの笑顔を拝める事が、ツクヨミの何よりの幸せだった。


 アキツとツクヨミの申し入れは、すぐに早馬でヒノモトの国の王城の近くの館にいるナガスネの元に伝えられた。

「ツクヨミか。あの魔物が、どうやってアキツを抱き込んだのか、知りたいものだな」

 ナガスネは万事が謀略と言う発想の男なので、ツクヨミがアキツを騙していると考えていた。しかも彼は、ワの王家に一欠けらの敬意もないため、アキツの存在など歯牙にもかけていない。

彼奴あやつは所詮、言霊師という物の怪。何を企んでいるのかわからぬ。陛下に会わせる事はできぬ故、アキツだけをヒノモトに来させよ。もしツクヨミが抵抗するなら、アキツの命と引き換えになる旨、しかと申し伝えよ」

「はは」

 ワの次期女王となるはずであったアキツを呼び捨てにするナガスネに驚愕しながら、伝令兵はそのままアキツ達のいる陣に戻った。


 その頃、ヤマトの国の城では、ウガヤ王の王女であるイスズがツクヨミの事を心配していた。

「ツクヨミ……」

 只一人、このヤマトで彼女の気持ちを理解しているツクヨミが、ヒノモトにアキツと向かっている。イスズの気持ちは複雑であった。彼女はツクヨミに心を開いている。そして、男としての魅力も感じている。但し、彼女は王家の者故、ツクヨミと添い遂げたいとなどという事は考えていない。それでも、アキツとツクヨミが二人でというのが、イスズには気にかかった。

(やはり、ツクヨミはアキツ様の事を……)

 叶わぬ恋なのは、ツクヨミが一番良くわかっている。そしてイスズも、ツクヨミがそれ程愚かな者とは思っていない。

「私は……」

 自分の気持ちを測りかねるイスズだった。

「姉上」

 その思いを破るように、弟であり許婚いいなずけでもあるイワレヒコが入って来た。

「はい」

 イスズは怯えた目でイワレヒコを見上げた。イワレヒコはニヤリとして、

「また出立です。貴女と次に会うのは、ツクヨミの首級を挙げた時やも知れませぬな」

「えっ?」

 イスズはギクッとした。その時のイワレヒコの目は、嫉妬する男の目だったのだ。

(もしや、イワレヒコ様は私とツクヨミの仲をお疑いなのか?)

 イスズはツクヨミに惹かれてはいるが、それは男女の色恋の類いではないと思っている。イワレヒコの嫉妬は、只の勘繰りだと言い切れる。しかし、イワレヒコはそれ以上は何も言わず、部屋を出て行ってしまった。

「ツクヨミが討たれてしまう?」

 イスズはイワレヒコの言葉の真の意味が読めず、不安だった。



 磐神武彦は何の支障もなく無事バイトを終え、帰宅した。

「お前、本当に大丈夫か?」

 湯上がりスッピンの姉美鈴が玄関に来て尋ねた。武彦はそんな姉の上気したほんのり赤い顔をドキドキして見ながら、作り笑いをして、

「大丈夫だよ。声はあの後聞こえなかったから」

 美鈴は真剣な表情で、

「本当にさ、今度姉ちゃんと一緒に病院に行こう。検査だけでも受けた方がいいよ」

「うん」

 姉があまりに心配そうな顔をしているので、その気もないのに武彦は返事をした。

「必ずだからな。約束だぞ」

 美鈴は弟がよくうわの空で返事をするのを知っているので、念を押した。

「わかったよ」

 姉ちゃんのあんな顔、いつ以来だろう? 僕が小さい頃、高熱で何日も学校を休んで以来かな? そんな事を思いながら、武彦は二階の自分の部屋に行った。

「武彦、どうなの?」

 聞きつけた母珠世がキッチンからやって来て、美鈴に小声で尋ねた。美鈴は肩を竦めて、

「聞いてるんだか、聞いていないんだか、わからないわよ、あのバカ。こっちの気も知らないで」

 珠世はムッとする美鈴の肩に手を置いて微笑み、

「とにかく、病院には必ず連れて行ってね、美鈴」

 美鈴はその手に自分の手を重ねて、

「わかってるわよ、母さん」

 二人もそれぞれの部屋に戻った。


 武彦は本当は声が聞こえ続けていた。姉が心配するので言わなかったのだ。彼は服を部屋着に着替え、風呂に入る支度をした。

「でも前と違う事言ってたな。このままでは国が滅びてしまうって。どこの国の人なのだろう?」

 武彦は、この地球の別の国の人の声だと思っていた。それにしては、声は日本語だったと疑問には思っていたが。

「どうすればいいのか、教えてくださいよ、声の主さん」

 武彦は祈るように呟いた。



「はっ」

 アキツはピクンとした。ツクヨミはハッとして、

「如何なさいましたか、アキツ様?」

「お声が返って来ました。どうすれば良いのか教えて欲しいと」

「そうですか」

 アキツは微かに微笑んで、

「僅かではありますが、答えし方が私に近づいてくれたようです」

「はい。私も探っておりますが、何かが感じられました。あれがそうだったのですね」

 ツクヨミはアキツが本当に嬉しそうなので、自分まで気分が高揚して来た。

「ええ」

 アキツは、また決意を新たにした。するとそこへ部隊の長が戻って来た。長はアキツの前で跪くと、

「アキツ様、ここより先はお一人で願います」

 その言葉にアキツは仰天して、ツクヨミを見た。しかしツクヨミは全く慌てた様子がない。彼は只頷いた。何か考えがあるようだ。アキツはそれを読み取り、

「わかりました。ここから先は、私のみで参りましょう」

と応じた。長はツクヨミが抵抗した時はアキツを楯にせよとのナガスネからの伝言を聞いていたので、そうならずにすんでホッとしていた。このオオヤシマの大半の人々は、まだまだワの王家への畏敬の念はあるのだ。彼はツクヨミが抵抗したら、アキツを楯にする事なく、自分の命を懸けて彼を止めるつもりでいたのである。

(アメノムラクモさえ手に入れれば良いのですから、心配ないでしょう。そしてあのツクヨミ殿が策があるとおっしゃっていたのですから、そちらも心配無用ですね)

 アキツはツクヨミに全幅の信頼を置いていた。彼女は長の先導に従って、館を出て行った。

(こうなる事はわかっていた。だからこそ、私の策が生きるのだ)

 ツクヨミは秘策を以てアメノムラクモを手に入れるつもりだったので、ヒノモトの軍の条件を呑んだのだ。言霊師は、一度会った者の言葉をどれほど離れたところからでも聞き取る事ができる。彼はナガスネの企みを完全に把握していた。

(どれ程の策を弄そうとも無駄ですぞ、ナガスネ様)

 ツクヨミはニヤリとした。

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